第17話

香川巡査部長は裁判所から発布された捜査礼状を持って、杉野区役所の戸籍課窓口にいた。

「お待たせいたしました、刑事さん。こちらが水上 順子さんの戸籍謄本の写しになります」役所の職員は一枚の紙切れを香川に手渡した。

「お手数をかけました。お忙しい中、ありがとうございました」香川は同じ公務員である職員に丁寧に頭を提げた。香川は中央にある待ち合いロビーのソファに腰を下ろし、改めてと言った感じで戸籍謄本を眺めた。

「やっぱり、思った通りだ。長男・宗介の二歳下に長女・智恵子…しかし住所は順子と同じになっている。でも水上宅に行った時は、順子は一人暮らしにしか見えなかったぞ。鍵は智恵子か?とにかく智恵子の行方ゆくえを捜す事が先決だな」水上家には母・順子、息子・宗介以外に家族がいるとんでいた香川は、一人言をつぶやくと、再び水上宅が入る公営住宅近辺に向かった。


「すみません。こう言う者ですが、二号館の403号室に住んでおられる水上さんの事を2〜3おうかがいしたいのですが」香川は一号館と二号館の間に造られた公園で、子供を遊ばせてベンチに腰をかけていた主婦らしき女性に警察手帳を提示しながら声をかけた。

「水上さん…はて?私は五号館の方に住んでいますので、お付き合いはありませんので存じませんわ。この団地の事でしたら、三号館の202号室に住んでおられる自治会長の木村さんにおたずねになられてはいかがですか?」香川は丁寧に教えてくれた女性に頭を提げると、教えられた通りに木村宅をたずねた。しかし木村宅は、時間が昼時と言う事もあり、買い物にでも出かけているのか留守だった。

香川は仕方なく、名刺に要件のメモを書き記し、ドアとさんの間に挟み込み、二号館の隣家りんけを尋ねる事にした。つまりは隣の404号室並びに503、504、303、304と言った、普段の何気ない出入りでも顔を合わせるような住人たちである。その内の三軒宅から情報を聞く事が出来た。


「智恵子ちゃんかい?あの子は良い子だよ。美人で明るくて、挨拶なんかも必ず元気良くしてくれてたからねぇ。お母さん想いだし、お兄ちゃんの宗介ちゃんとも協力して、色々と頑張っていたよ。それなのに宗介ちゃんがあんな事になっちゃってねぇ…本当に残念だよ」向かいの404号室の老婆が涙ながらに証言してくれた。


「良い子だったよ、智恵子ちゃんは。ちょうど駅前の花屋さんで働いていてね、アタシもたまに買いに行ってたんだよ。それが一年くらい前だったかな?急に店に来なくなったって、店長さんが言ってたよ。その頃からかね?見かけなくなったのも…」水上家の真上に住む503号室の主婦は心配そうに話した。


「宗介君の事件の後だったと思うんだが、良く刑事さんが尋ねて来てたよ。ほら、水上さん、ウチの真上だろ?最初は怒鳴り声が良く聞こえて来てたんだ。それがいつ頃からか、笑い声に変わってね。多分だけど智恵子ちゃんが順子さんを説得したんじゃないかな?それ以来、智恵子ちゃんも持ち前の明るさを取り戻してね…それがさぁ、しばらくして、その刑事さんが頻繁に通って来てたよ。なんて言うか、家族ぐるみの付き合いって言うの?まるで本当の家族みたいに交流してたね。そんな時、今から一年くらい前だったと思うけど、智恵子ちゃんをまたにしか見かけなくなったんだよ。そんでここ数週間は見かけていないね」303号室の定年退職を迎えたのであろう初老の男性が当時を回想するように話してくれた。


香川の聞き込みにより、栗林と水上家の関係が、ある程度浮き彫りにされた形になった。そこから推理される事も道筋を立てて考えれば、おのずと見えて来るものがある。問題は当の重要参考人とも言える、水上 智恵子に何があり、現在の所在がどこにあるのかと言う事だ。そんな事を考えていると、先ほど訪問した、木村自治会長からの連絡を受け、香川は三号館の202号室へと向かった。


「刑事さん、私は自治会長としてあまり噂話のような事はしたくはないのですがね、水上さんには自治活動にも色々と協力してもらってた縁から、あの家族には幸せになってもらいたいと思ってるんですよ。だから言わせてもらうんだが、一年前に智恵子ちゃんに何かあった事は間違いないと思うんだ。それからつい、ここ数週間くらいから、順子さんが頻繁に病院へ行くって言って出かけるようになったんだよ。その少し前に智恵子ちゃんを見かけたんだがね、あれは精神をやられてたと思うんだ。だから順子さんは智恵子ちゃんのお見舞いに病院へ通ってたんじゃないかと思うんだがね」メモを取りながら聞いていた香川はさらに質問を重ねた。

「その病院ってどこの病院だか分かったりはしませんか?」

「うん、ここら辺で精神科の入院出来る施設となると、おそらくは二つ駅向こうの浅川駅前の高田医院じゃないかと思うんだがね」木村からの情報を元に、香川は中央線に乗り込み、西へ二駅行った、浅川駅を目指した。

「高田医院か…居てくれたら良いんだけど…」香川は手の汗と一緒にメモ帳を握り締めた。


高田医院は駅前ロータリーより約300mほど行ったところに建っていた。名前の印象とは違い、個人病院と言うよりも、総合病院のような造りになっていた。本館は整形外科や内科、レントゲン科にリハビリ科など、本館の名に恥じぬ施設が入っており、香川の目的である精神科、心療内科は東別館と呼ばれる建物の中に入っていた。


「すみません、杉野署の香川と言う者ですが、こちらに水上 智恵子さんと言う方が入院しておられませんか?」病院の受け付け係の女性は香川の言葉を受け、パソコンのキーボードを叩き始めた。

「水上さん…水上 智恵子さん…はい、確かに当院に入院しておられますが、どう言ったご要件でしょうか?」受け付け係の女性は、警察手帳を提示され、刑事と聞いても、どこか警戒感を崩さなかった。

「とある事件の捜査線上で彼女が重要参考人である可能性が出て来まして、少しで構いませんので、お話しを聞けたらと思いまして」時間的にも情報量からしても、これが最後の頼みの綱かも知れない。香川は慎重を期して言葉を選んだ。

「お話しをと申されましても、水上さんは話せる状況にはありません。おそらくは先生の許可も下りないものと思われますが」受け付け係の堅い対応に、香川は苛立ちを覚えたが、ここで門前払いを食らう訳には行かない。香川は平静を保って続けた。

「1〜2分だけでも構いません。水上さんの病状にも配慮しますので、なんとかお目通り願えまをせんか?」

「そうは申されましても…警察の方ですから申しますが、水上さんは心神喪失状態にあります。分かり易く申しますと、 "我れ、ここにあらず" のような状態です。刑事さんが話されても、反応があるかどうか…」受け付け係は一転して戸惑いの態度に変わった。香川はこのタイミングを見逃さなかった。

「良いんです。構いません。最悪、話しが聞けなくとも、お会いする事で、分かる事もありますから」わらをもすがるとはこの事なのだろう。香川の必死の説得により、受け付け係から担当医師に連絡が行き、医師立ち会いの元、なんとか面会の扉は開かれた。

その後、香川は智恵子との面会から、衝撃の事実に突き当たる事となった。

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