第16話

「じゃあ、いつになったら送検をすると言うんだね。上層部の方針は決まっているんだ。無駄な捜査は止めてサッサと送検したまえ」小林管理官は事件の進捗しんちょく状況に関して大木刑事部長に責めを受けていた。

「お願いです。もう少し待って下さい。現場の刑事たちが、今、懸命に捜査に当たっていて、真実はもう直ぐそこのところまで来ているんです。どうか…どうか、現場の刑事にんげんを信じてやってはもらえませんか?」小林とすれば、入庁しんじん時代に苦楽を共にし、誰かも分からぬ真犯人を理由も分からぬままにかばい続けている元エースの容疑者と、それを守ろうと今も奔走ほんそうして、元同僚の汚名を晴らそうと懸命に動いている元直属の 部下なかまの立場を身を呈してでも守りたいとの思いと、自身の出世を考えた上での立場との狭間はざまで葛藤し揺らいでいた。

「小林!良いか。この事件の結末次第では、お前さんの出世の如何いかんに関わる事は分かってるんだろうね?」大木の言葉には小林に対する静かなる圧力と、それとは相反する期待が込められていた。その言葉に返すべき言葉を小林は見つけられずにいた。

「悪い事は言わん。さっさと送検して終わらせるんだ。これもに言う事だ」大木のと言う言葉で小林の腹は決まった。

「分かりました。私の為とおっしゃるならば、私は現場の刑事たちの確信と情熱を信じます。私の警察官としての正義は、とことんまで真実を追求する事にあるようです。期限は守ります!ですから勾留期限ギリギリまで私は刑事かれらと捜査に当たります。それでは失礼いたします」

自身の信念を忖度そんたくなしに言い切って刑事部長室を出た小林は、背広の下のカッターシャツの背中がビッタリとくっついているのを感じた。

「フーッ、言っちまったな。でもこれで覚悟は出来た。必ず真相をつかんでやる」小林が捜査本部に戻ると、数名の刑事たちが出迎えた。

「管理官!刑事部長に呼び出しって何だったんですか?」倉本巡査部長が心配そうに小林に駆け寄って来た。

「心配はいらんよ、倉本君。我々の正義感と言う方針が上層部うえにはどうも気にいらんらしい。しかしハッキリと言ってやったよ。我々は我々のやり方でやらせていただくとな」信頼出来る部下たちを前に、小林は背中の湿りっけが引いていくような実感を受けた。

「そんなハッキリと言って管理官のお立場は大丈夫なんですか?」倉本とバディを組む柊木ひいらぎ巡査長が眉間に深い溝を作った。

「大丈夫もどうもないさ。言っただろ?我々の方針は何ら変わりないんだ。私の事は心配しなくても良いから、君たちは思う存分に捜査をしてくれ!栗林さんの真意は我々で解き明かすんだ」この言葉を聞いていた森本警部補は、またしても栗林が提示したと言う "刑事としての宿題" と言う言葉が頭をぎった。

「管理官。凶器とみられる包丁なのですが、現在、鑑識に再鑑定をしてもらっています。内容は栗さんが過去に扱った事件の関係者、水上 順子のDNAと凶器に残されたDNAとの照合です。これが一致すれば間違いなく凶器の包丁は水上 順子の物と断定され、水上邸への家宅捜索ガサいれをも可能になるかと思われます」毅然きぜんとした森本の言葉を、小林はこころたのもしく聞いた。

「そ…それは被疑者候補だと取っても良いと言う事なのか?」小林は期待を込めて森本に問うた。

「候補と言う事であればそうです。しかし推察の域は出ません。私の推測ですが、おそらくはロジックを積み重ねて、最終的には理詰めの自白を勝ち取るしかないのかも知れません」森本の真っ直ぐな視線を受けて、小林は暫し考え込んだ。

「その決め手は何になるんです?森本警部補」小林は自分でも聞こえるくらいに唾気つばきを飲み込む音を立てた。

「管理官。古くさいなんて笑わないでやってもらえますか?先ほどは理詰めとは言いましたが、決定的な状況証拠なんかは時間的にももしかしたら見つからないのかも知れません。ようは最終手段として人情に訴えるって事です。これまで香川と一緒に栗林の過去に扱った事件を捜査して来て、栗さんの被害者家族との接し方を見て来た結果、水上 順子も栗さんの人情に触れているはずなんです。そして感謝していた…私はそこを突くしかないのではと考えています」森本の長い演説を黙って聞いていた小林は、納得と同感を得た。無論、現場の刑事たちと比べれば栗林との関わりも浅かろうが、もちろん小林とて直属の上司として栗林とは10年足らずの時間を共有した元仲間なのである。

「時間はあまり残されてはいません。とにかく状況証拠だろうと物的証拠ぶっしょうだろうとかき集められるだけかき集めて、後は理詰めだろうが泣き落としだろうが構いません。必ずや、水上 順子を落として下さい」森本は鋭い眼光を小林に向けて、無言のままうなずいた。


包丁の再鑑定の結果、の部分からは水上 順子のDNAが検出され、ほどなく水上宅への家宅捜索礼状が発布された。捜査員は意気込んで水上宅を捜索した。結果、包丁は最近になって新調したものと思われる三徳包丁が出て来た。それ以外に包丁はなく、凶器の出刃包丁について尋ねると、順子はあっさりと犯行を認めた。これにより事件は収束に向かうかと思われた。しかし…


「そうですか。彼女…自白をしたと言うんですね。仕方ない。実は彼女を庇う為に、私が一人でやった事にしようと彼女に口裏合わせを強要したんです。彼女が関わった犯行は、凶器の用意と水野を呼び出す事までで、実際の犯行は私一人でやった事です。つまりは分かりますね?彼女は幇助ほうじょ罪であって、正犯は私一人です」話しを聞いていた小林は、まるで自分が詰められているような気分になった。それはまさに "落しの名人" と呼ばれた栗林節によるもの以外の何者でもない。一方、水上 順子を取り調べていた森本も、不思議な感覚に包まれていた。

「私が栗林さんにお願いして殺害してもらったんです。私は包丁を用意して、水野を呼び出しました。それだけです」順子の供述を聞き、森本は頭の中に第三者の存在が浮かんだ。犯人は栗林でも順子でもない。他の誰かを二人が庇っているのだと。

「水上さん。貴女も栗林さんもこの犯行に直接的には関わっていないですよね。特に貴女は無関係だ。違いますか?」森本の鋭い目線にも一切動じる事なく順子は返した。

「私が森本さんにお願いしました。あの男は私の友人の娘さん、工藤 美鈴さんに対して乱暴を働いたんです。以前にとある事件でお世話になった元刑事の栗林に相談すると、栗林さんは『私が天誅を下す』とおっしゃって、私はそれに協力をした。それだけです」順子はまるでテープレコーダーに決められた台詞セリフを吹き込むかの如く、淡々と話した。

「では何故、貴女は我々が最初に訪れた時に、栗林さんとの関係を否定なさったんですか?貴女は栗林と言う刑事を知らないとおっしゃいましたよね?」

「栗林さんの指示です。『刑事が来ても、私との関係は隠して下さい』と言われていました。栗林さんは初めから全てをご自分で一人でかぶられるおつもりだったんだと思います。でもここまでお調べになられては観念するしかありませんから」順子の言葉を聞いて、森本はこれは "栗林が書いたシナリオ" なのだとの想いを強めた。

「分かりました。今日はこれで結構です。でもね、水上さん。真実はいくらカモフラージュしても必ず明るみになるんですよ。私は別角度からアプローチして、真実を明らかにします」取調室を出た森本は真っ直ぐに署外の喫煙所へ向かった。

「おや?森本警部補。そちらはどうですか?」栗林の取り調べを終えた小林管理官が煙をくゆらせていた。

「管理官ですか。おそらくはそちらと同じです。明らかに口裏合わせをしていますね。多分、栗さんの作戦でしょう。時間を長引かせて、嫌疑不十分か、無理くりからの送検って結末を狙ってのね」森本は一服目からの煙を鼻から吐き出した。

「決め手なしですか。もはやこれまでなのでしょうか?」小林は悔しさを表すように吸い殻を灰皿に押し付けた。

「えぇ、最後の決め手は香川が何を持って帰るかですね」森本は捜査を続けている香川巡査部長に届けとばかりに空に向けて煙を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る