第14話

森本らの姿は中央線、野中駅から西向きの列車の車中にあった。

「フーッ、次の水上みなかみ宅で有力情報が聞けないとなると、もうアウトかもな?」森本は車外の遠くの景色をながめながら、感慨深げにつぶやいた。

「そうですね。もし送検ともなると、やっぱり起訴はまぬがれられないんですかね?」香川もられて車外を見た。

「さぁね。俺は検察のお偉いさんじゃないし、上層部うえ決着カタをつけたがってんだからそうなるだろうよ」森本は立っているドア付近の窓ガラスに軽くこぶしを打ち当てた。

列車はやがて野中駅から三つ目の駅で、杉野署の最寄り駅でもある小久保駅に到着した。無論の事、水上 順子が居を構える駅でもある。水上家は杉野署とは反対側の中央線より南側にあった。

「へぇ、随分と古びた公営住宅に住んでいるんだな」森本はくわえていたタバコのフィルターをつぶした。

「えぇ、何でも近くで建て替えがなされているらしく、希望者には優先的に新築がてがわれるらしいですよ」香川はそろそろ買い替えた方が良さそうなくらいにくたびれた革靴を気にした。


水上 順子は2号館の403号室に住んでおり、古い公営住宅の為、エレベーターもなく、縦割りに階段が三本設置されていた。一つの階段にワンフロア二部屋があり、五階建てのこの住宅は30室が入っている。水上家は403なので真ん中の第二階段を四階まで上がった左側にあるはずだった。

403号室の前に立った香川がドアに埋め込まれるように設置された呼び鈴を押すと "ビーッ" と鈍い音を立てた。

暫くすると中から何やら人の気配があり、ドアチェーンを外し解錠する音が聞こえた。中から姿を現したのは、髪はすっかりと銀色になり、せむしのように背中が曲がった老婆であった。

「スミマセン、朝方に連絡を差し上げた杉野署の者ですが、水上 順子さんですね?」香川は警察手帳を提示して言った。すると順子は会釈とも返事とも取れるように曲がった身体を縦に振り、無言のまま二人を招くような仕草をした。

部屋は玄関を入って直ぐにキッチンとダイニングを兼ねた六畳の部屋があり、奥に左右に並ぶように六畳と四畳半の和室があった。間取りで言えば2DKと言う事である。

森本が奥の部屋に目をやると、四畳半の部屋に整理ダンスほどの小さな仏壇が設置されていた。

「あの…息子さん…よろしいですか?」森本は今だに口を開かない順子に対して申し訳なさげに聞いた。順子は相変わらず無言のまま丁寧にお辞儀をした。

二人は仏壇の前に腰を下ろし、10秒ほど黙祷もくとうを捧げた。

「改めてまして。私は杉野署の森本と申します。息子さんの事は残念な結果になってしまいました。しかし今日伺わせていただいたのは息子さんの事件の事ではありません。当時、事件を担当した栗林と言う男の事なのですがご存知ですよね?」森本の問いかけに順子は思い出すと言うよりも、つらそうにしながら考えると、首を横に振った。

「あの…もしかして言葉が話せないのですか?」横で聞いていた香川は、辛そうな順子を心配して聞いた。しかしまたしても今度は強めに首を横に振った。

「スミマセン、実は栗林はある事件の容疑者になっていまして、私らは彼は無実シロだと考えているんです。どうかご協力願えませんか?」森本は明らかな苛立ちを見せた。

「私は何も知りません!知らない事は協力も出来ませんし、話しも出来ません!」順子は今まで黙っていたのが嘘かのように、きつい語気で答えた。

「スミマセンが私、仕事をしなければいけませんので」そう言うと順子は六畳間の部屋へ行き、裁縫を始めた。おそらく内職か何かで和裁を請け負っているのであろう。それもミシンでなく、手縫いであった。

「あの…もう少しお話しを…」香川が食いつくように奥に声をかけた。

「何も知りません!話しもありません!もうお帰り下さい!」順子はまるで森本らをこばむようにかたくなになってしまった。こうなっては嫌疑もかかっていない一般市民に警察が強要出来る事はない。二人は仕方なく水上家を後にした。

「クソ!最後のとりでだったのに、何の情報も無しかよ!」香川は二階と一階の間にある踊り場の壁を蹴飛ばした。

「そうでもないかも知れないぜ。あの婆さん、裁縫をする姿、見たか?」香川とは対照に森本は落ち着き払って不敵な笑みを浮かべた。

「何です?裁縫がどうしたって言うんですか?」一階に降りた後も、香川は興奮気味に話した。

「婆さん、左手で針を縫ってたぜ。俺の記憶が正しければだが、確か犯人は左利きだったと思うんだ」香川は森本の言葉を聞いて耳を疑った。検死の結果では包丁の刺し傷は、ほぼ正面から刺さっており、利き手は不明になっていたはずなのである。だからこそ右利きの栗林が犯人であるとの見解に対して、誰一人として疑いを持つ者はいなかったのである。なのにも関わらず、森本は犯人は左利きだと言っているのだ。

「左利きって…何でそんな事が言えるって言うんです?検死も証拠物件も利き手に関して表すようなものは何一つとしてなかったじゃありませんか?」香川はちんぷんかんぷんな森本の発言に食い下がった。

「まぁまぁ、とにかく署に戻ったら証拠を見せてやるよ」森本は興奮気味の香川をたしなめた。

「証拠…ですか?」香川は半信半疑と言った感じに2号館を見上げた。

「ん?あれ?何だろう?」いつの間にやら住宅の裏側に来ていて、ベランダ側から見た景色に香川は反応した。そしてスマートフォンのカメラ機能を立ち上げ、403号室のベランダに向かってズームアップしていった。

「こ…これって、白い花?ガーベラじゃないのか?」香川は思わずシャッターボタンを押していた。

「お前さぁ、まだ言ってんのか?花なんて関係ないって言っただろ?」森本はいよいよあきかえってため息と共に言葉を吐き出した。

「関係ないかも知れません!でも考えても見て下さいよ。こんな偶然ってあります?栗さんと同じようにベランダに白いガーベラを飾っている人間が、過去の事件で知り合ってるはずの栗さんの事を頑なに知らないって言い張ってる。しかもですよ。この鉢植えまで良く似てるんですよ!これを偶然だの関係ないだのって断じる方がよっぽど不自然ですよ」香川の興奮しながらも論理的な話しに、ようやく森本も合点がいってに落ちた。

「なるほどなぁ。これを見る限りじゃ、お前さんの第六感ってやつも満更でもなさそうだな。とにかく一度、署に戻って証拠物件の洗い直しとお前はその花について、もう少し詳しく調べるんだ。もしかしたら真実に行き当たるかも知れん」二人はお互いの顔を見合わせてうなずくと、最後の一縷いちるの望みに期待して早足に杉野署へと帰還した。

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