第13話

森本ら二人の刑事は、梨川の河合邸を出ると、そのまま野中駅に向かった。野中区は二つ目の事件の被害者、野田 圭一郎の家があった。主人の圭一郎はもちろんの事、凶悪犯の銃弾に倒れ、この世に生を成してはいない。なので家には圭一郎の妻・友利恵が迎え入れてくれるはずだった。


「話しを聞きに行くだけって言っても、さすがに今回は気が引けますよね?何て言ったって当時はマスコミでも大々的に『警察側が立てもり犯の所持していた拳銃を見落とした事で被害者が出た!』なんて報じられてましたもんね」香川は辟易へきえきしたように鼻から空気をいた。

「それはそうなんだが、あれからしばらくしても野田さんの奥さんからはウチの所轄にも県警本部にもクレームだったりの訴えはなかったよな?」森本は当時の記憶を辿たどるように話した。

「それってやっぱ栗さんのフォローがあったって言う?」香川は汗まみれの森本の首から表情をうかがった。しかし森本は香川の言葉を聞き流すと、その眉間みけんには険しさを物語るような深いしわきざまれていた。森本の心中には先ほどの香川が言った "栗林から与えられた刑事としての宿題" と言う言葉でめられていた。

二人は間もなく野中駅から300mほど北に進んだ古井の交差点から北西の住宅街へと入っていった。

「ここいら辺りだと思うんですが…えーっと?佐藤さん…田中さん…その隣…?あった!ありましたよ。野田さんです」香川刑事は近代的にスマートフォンの地図検索を使って上手い具合に野田邸を探し当てた。古い感覚を持つ森本からすれば、今だにガラパゴス携帯などとバカにされたような呼び名をされる携帯電話を使っている。正直なところ森本は、電話にすら見えないスマートフォンに辟易とした思いを抱えていたが、こうして自身のバディである香川が、自分が分からない言葉をスラスラ話すようにこれらの機器を使いこなしているのを見ると "自分もスマートフォンに変えてみようか?" との考えがいて来るのを感じていた。


今朝けさ、連絡を差し上げた杉野署の者です」インターフォンからの香川の言葉を受け、姿を現した野田 友利恵はびんが乱れて、どこか疲れを感じさせた。しかし居間へと通された二人の刑事は、そのかもし出される雰囲気は、人生に疲れているからではなく、謳歌おうかしているからだと思い知らされた。

「ごめんなさい!今度、生徒たちに見せるアート・クラフトの見本品を作成していたものですから…」リビングのテーブルには再生紙を切り刻んで、何やら立体に表現されたオブジェクトや、その残骸ざんがいたちで埋め尽くされていた。

「そうですか。ご主人を亡くされて日も経ちますし、ご自分の人生を楽しまれる気になられましたか?」森本は皮肉たっぷりにと言う感じで発言した。

「いぃえー、とんでもない。栗林さんの言葉がなかったら、もしかしたら今も塞ぎ込んでいたかも知れませんでしたわ。

あの頃の事は今でも鮮明に覚えています…そう…主人が亡くなったあの頃…」


8年前の9月、生後半年になる娘と自分を残して、夫の圭一郎をうしなった友利恵は、向けどころのない怒りを抱えたまま塞ぎ込む日々を送っていた。

圭一郎は事件当日の12日、少し寂しくなった財布を潤わせるため、仕事途中に銀行ATMに立ち寄った。そこに不運な事に5人組の銀行強盗グループが侵入してきたと言う訳である。強盗たちは三ケ所ある出入り口から分かれて侵入し、当然ATM側からも侵入して、そこに列を成していた十数名の客たちも受付窓口周辺のフロアに集められた。

それからおおよそ5時間、突如として窓ガラスが割れた音と共に、刺激が強い白い煙が空間全てを覆い尽くした。たまらず犯人グループの一人が隠し持った拳銃を数発発砲し、その内の一発が野田 圭一郎の左胸を貫通した。ほぼ即死と思われた。

圭一郎は勤務中の死亡だった訳だが、銀行に立ち寄った理由が社用ではなく私用だった事から、労災認定が降りず、保証も必要最低限しか成されなかった。その上、発砲した犯人の男は圭一郎に向けて撃った訳ではなく、パニック状態からの発砲だった事から殺意は認定されず、過失致死罪になる予想が大きくなっていた為、友利恵の思うような厳罰は望めないとの報道が成されていた。

夫を喪った上に、会社のそう言った対応や望みの薄いニュースが友利恵に追い打ちをかけた。

やがてマスコミは亡くなった圭一郎に対して、悲劇の会社員として報じたが、その同情記事でさえ友利恵の喪失した胸を強く締め付けた。

そうして報じられるニュースは、野田 圭一郎が亡くなった原因について、その責任の所在が、確固たる情報も無しに作戦を敢行した警察側にあると言う方向に向き始めた。その情報は怒りの行き場を失っていた友利恵の心のベクトルを、いとも容易たやすく警察に向けさせた。そんな折りの事だった。一介の老刑事が友利恵を訪ねてやって来たのは。


友利恵は当初、現れた老刑事、栗林 源一郎に対して、これ幸いとばかりに罵声を浴びせた。それに対して栗林は反論も言い訳もせず、ただ黙って聞いているだけだった。

それからも一週間と明けずにその度に手土産を持っては友利恵の罵声を浴び続けた。その手土産の内容は娘の由香里への思い遣りを思わせる品であふれていた。おそらくは妻にでも聞いたのであろう。寒くなる時期を見越して毛糸のベビーソックスやニット帽、離乳食品などがいつも袋の中をにぎわせていた。

友利恵は栗林が帰った後、袋の中を覗く度に段々と罪悪感にも似た感情を持ち始めていた。そしてある日、友利恵は栗林に問うた。

『貴方は何故、反論も言い訳もなさらないのですか?』それまで頭を下げて聞いていた栗林は、思い立ったように顔を上げると、潤み始めた友利恵の瞳を真っ直ぐに見た。

『私が言い訳をしたところでご主人は戻っては来ません。失墜した我々の信頼も回復はせんでしょう。私がここに来るのは今日で最後にします。ですから最後に一言だけ言わせて下さい。貴女の為にも由香里ちゃんの為にも、どうか前を向いて生きて下さい。ご主人もそう望まれていると思いますから…』栗林が帰った後、友利恵は由香里の側に座り号泣した。そして泣くのは最後にしようと思い大声の限りに圭一郎の名を叫んだ。


「多分なのですが栗林さんは私の心の中の闇を全て吐き出させて、ご自分がそれを受け止める事で私が前を向けるようにして下すったんだと思います。あの頃のまま生きていたら、もしかしたら私も犯罪者になるか、娘を…由香里を道連れに…」友利恵はもはや言葉にもならない嗚咽おえつを漏らす事で精一杯だった。しかし二人の刑事にはそれ以上、聞く必要はなかったし、聞く気にもなれなかった。

二人が帰るのを玄関まで見送ってくれた友利恵に対して香川が聞いた。

「あの…栗林さんが持って来た手土産の中に花束などはなかったですか?例えば…白い小さな花とか?」香川の問いに友利恵は暫し考え込んだが、ハッキリと答えた。

「イエ、栗林さんは娘向けの物以外はお持ちにならなかったです」

「そうですか。分かりました。それでは失礼します」野田邸から駅へと向かう道すがら、森本は香川に言った。

「お前さん、まだ花がどうとか言ってるのか?いくら忙しい刑事でももらった花なら最低限の世話くらいはするだろうよ!」結局はまたしても手応えのなかった今回の訪問に、森本は苛立ちを隠さなかった。

「森さんの言ってる事は分かります。でもね、何て言うんだろう?栗さんの部屋で初めてあの花を見た時、何か栗さんの愛情のようなものを感じちゃったんですよね。まるで大事にしてる箱入りの娘みたいにね」元相棒とは言え、お前に何が分かるんだとでも言いたげに森本は鼻から空気を抜いた。


二人は最後の対象者、水上みなかみ 順子宅へ向けて歩速を速めた。

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