第11話

7月も終わりを迎えようとしており、降水量が少なかった梅雨も、ようやく明けた頃、小林管理官の勾留延長要請により、20日間の延長は認められたものの、捜査本部は縮小された。捜査員が半分にまで減らされた捜査本部にいて、森本が主張する "過去の栗林が担当した事件を洗い直す" と言う方針さえも一掃され、『容疑者は自ら自首をして来た栗林 源一郎と特定する』との見解の元に進められる事となった。つまりは上層部は、"元警察官の冤罪えんざいの線" よりも、"事件の早期解決" を取ったと言う事である。それが勾留延長の条件であった。

捜査員達は、栗林の事件前後の行動を洗うべく、聞き込みに動き出した。しかし、それに納得をしていない者がいた。


「管理官!これじゃあ勾留延長した意味がないですよ。状況証拠も物証も、栗さんが真犯人だって示してるじゃないですか?これは栗さんが "自分が真犯人だ" って、我々に思わす為の何らかの意図で、作為的さくいてきに工作したに決まってます!」森本は栗林の冤罪を信じるあまり、小林に喰い下がった。

「分かってる、分かってるよ、森本警部補。捜査本部が縮小された以上、私は捜査員にどうこうしろとは言うつもりはない。あくまでも上層部の方針がそうだと言っているだけだ。栗林の事を何よりも知っている君達が、一番に真相を突き止められると私は思っている。自分の刑事としての信念に基づいて捜査してくれ」小林は自身の後ろめたさをかくすかのごとく、顔をそむけた。

「分かりました。管理官あなたには迷惑はかけません。あくまでも私の独断で行う捜査と思って下さい。では…」そう言い残し、森本は捜査本部を出た。

「ちょっ…待って下さいよ、森さん!」香川も森本を追うように部屋を出た。

「頼むぜ、森本警部補…」小林はうつむ気味ぎみつぶやいた。


例により二人は捜査資料室に閉じこもり、過去の捜査資料を調べていった。資料のデジタルデータ化されたのは、ここ五年くらいからで、新しい事件から順次、デジタル化されてはいるが、何分なにぶん、人手が足りない。栗林が退職した七年以前ともなると、ほぼアナログの状態で放置されていた。その為に、このような昔ながらのやり方で、栗林が担当した、どの事件のどの人物が、どのように関わって、栗林に嘘の供述をさせているのか。まるで100kgもの金胡麻きんごまの中から、一粒の黒胡麻を探し出すような作業だった。しかもその見つかったものですら、本物かどうかの理論付けた立証が成されなければならないのだ。

当初は複数人で進められるはずだった作業も、上層部の身勝手な決断により、森本と香川、二人だけで行わなければならない。午前中から始めた作業は、いつの間にか深夜にまでおよんだ。


「あー、分からん!香川、ちょっと一服に行くか?」森本が頭をガシガシむしりながら言うと、香川も同意した。


「なぁ、香川。七年前の栗さんが辞めた頃の事、覚えてるか?」森本は使い捨てライターでセブンスターに火を着けた。

「覚えてるって、辞めた理由ですか?あれは確か…桜が咲く、ほんの少し前だから、三月の末だったかな?『俺はつくづく刑事と言う仕事のごうの深さに、嫌気が差して来たよ。そろそろ潮時しおどきなのかもな…』なんて言ってましたよ。その時は、まさか本当に辞めるだなんて思って聞いてませんでしたけどね」香川は缶コーヒーを一気に半分ほど飲んだ。

「刑事の業ねぇ…んー、やはりその辺かな?香川、こうなったら、栗さんが辞めた頃の七年から八年前くらいの事件にしぼってみたらどうだろう?」森本はぼんやりと夜空に浮かぶ、月に向かって、煙草の煙を吐き出した。

「栗さんが辞めた頃って言ったって、今までも散々、調べて来たじゃないですか?これ以上、何を調べるって言うんです?」香川も森本を真似るように煙を吐いた。

「んー、なんて言うんだろう…不可解な事件だとか、例えばだぜ、未解決の事件とか、普通は一課では取り扱わないような件とか、何でも良い。暗中模索あんちゅうもさく壁伝かべづたいってやつだ。手にした、これ!って思う事件モン、全てを洗い直すぞ」森本は張り切ってセブンスターを灰皿に投げ捨てた。

「手にしたモン全部って、ちょっと森さん、待って下さいよ」香川はあわてて缶コーヒーの残りを飲み干すと、森本を追って行った。


果たして栗林は本当に殺人を犯していないのだろうか?もしそうだとして、真犯人を知っているとしたら、その誰かをかばう為に自首して来たと言うのだろうか?もしそうだとすれば、その人物を何の為に庇う必要があると言うのだろうか?家族を捨ててまで守らなければならない人物とは何者なのだろうか?そして被害者、水野 道弘とを繋ぐものとは何なのか?そんな暗闇の中の、一筋の光を探し求めて、森本達は資料室へ戻った。


わずか一年間とは言っても、杉野中央署が扱った事件は膨大ぼうだいな物であった。その中から栗林が関わった事件をピックアップし、更にその中から不穏ふおんだと思われる事件を探し出し、それを検証するとなると、気の遠くなるような話しである。しかし20日間で結果を出さなければ、栗林を送検する事は避けられない。森本は覚悟を持って資料をあさった。その覚悟は香川とて同じで、刑事としての師匠とも呼べる栗林を、犯罪者にはしたくない。

そうして一週間後、二人の刑事の執念により、"これ!" と思える案件を三件ピックアップした。それは二人が容疑者たる栗林と言う人物を知っているからに他ならなかった。


一つ目は8年前の12月18日、以前から捜査していた "連続変死体事件" の容疑者、大河内おおこうち 邦裕くにひろの所在が、通報タレコミから判明した。栗林は香川と共に大河内を追い詰めたが逃走した。栗林達は追跡し、その後逮捕したものの、逃走途中で大河内に突き飛ばされた通行人、矢貫やぬき 千代ちよが倒れた時にアスファルトに頭を強打、二日間の昏睡こんすい状態のすえ、亡くなった。

「あの時の栗さんも流石さすがに参っていたよなぁ。自分の詰めが甘かったって言ってたっけ」森本の言葉に、香川も同意した。



二つ目は同じく8年前の9月12日、銀行強盗立てもり事件が発生。犯人は五人組で、閉店間際へいてんまぎわの支店内に行員、客らべ23人を人質に立て籠もった。犯人らは警察の5時間に及ぶ説得にも、人質開放を拒絶。やむ無く強行突入するにいたった。

SAT隊の催涙弾さいるいだんを銀行横から窓へ発射し、防塵ぼうじんマスクを着用したSAT隊員達が突入したが、犯人の一人が隠し持っていた拳銃を発砲、銃弾は客の一人の男性の胸を貫き、その男性は死亡した。SAT隊員に続き、捜査一課の栗林達も突入したが、一人の犠牲者を出してしまった事に、栗林は痛恨の念をいだいた。

この事件は警察側の、犯人らが拳銃を所持していた事を見逃したのが原因と思われた。

「栗さんはこの事件の犠牲者、野田 圭一郎さんの葬儀にも参列しました。その奥さんの友利恵さんに、その後も接触していた可能性はあります」香川刑事の一言でこの事件をピックアップした。


三つ目は7年前の2月7日、杉野中央署管内で起きた "集団殺人放火事件" の容疑者、水上みなかみ 宗介そうすけを追い込んだ。しかし水上は雑記ビルへと逃げ込み、屋上まで追い詰めた。栗林は投降するように説得を試みたものの、水上は屋上からその身を投げた。容疑者は死亡のまま書類送検されたが、通例に基づいて水上は不起訴処分となった。

その後の栗林らの捜査により、水上の犯行動機が判明した。それは水上の母親、水上 順子じゅんこが訪問販売業者をかたった島本 礼二れいじと言う男から、"開運のつぼ" と称して二百万円でいかがわしい壷を買わされた。水上は島本に解約をするので金を返すように迫ったが、それを拒否された。それでも水上は諦めず、再三に渡って島本の説得を試みた。しかし遂には島本のバックに付いていた半ぐれ集団に暴行を受けた。

水上はこの時を境に殺害を決意したと見られ、その後に硫化水素りゅうかすいそを持って島本らの拠点アジトを訪れ、硫化水素をばらいた。そして島本らが死んだ事を確認すると、灯油を撒き散らし火を着けた。恐らくは火を着けたのは証拠隠滅しょうこいんめつの為と言うよりも、うらみのあらわれだったのだろうと思われた。

「栗さんの性格からして、この事件が一番にしっくり来ますね。この後ですよ、栗さんが刑事の業がどうとか言い出したのは」

「うむ、とにかく順番に当たって行こう。今日はもう遅いし、これからまた例の店にでも行くか?」間もなく日付も変わるだろう時間、二人は居酒屋へと向かった。

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