第10話

森本 稔警部補ら、所轄の刑事達は、森本がピックアップした資料を元に、過去に栗林 源一郎が扱った事件により、被害をこうむった遺族宅13件を、手分けして当たった。そのかん、小林 優一管理官は、容疑者・栗林と、取調室にて対峙たいじしていた。


「栗林さん、実はね、被害者の水野 道弘さんの殺傷痕さっしょうこんから、真犯人ほんボシは2mを超える大男か、140cm〜145cmくらいの、小柄こがらな人間だと言う事が分かったんですよ」小林はその時、栗林が自首して来て以来、初めてと言って良い、動揺を見せた事を見逃さなかった。栗林は目を見開き、机の上に置いた両の手の平を、固く握りめ、ひたいからは、わずかながら汗もにじみ出していた。この動揺する栗林に、小林はたたみかけるように続けた。

「もしあなたが水野をったと言うのなら、腰に構えれば相手の下腹部に、頭の辺りで構えたのなら、水野の鼻から口にかけて包丁が刺さる事になるんですよ。水野の胸に一突きで刺す為には、あなたの身長からすると、首の辺りで構えなければならないんです。元刑事のあなたなら、私の言っている意味が分かりますよね」小林の言う事は、栗林には良く理解出来た。包丁を肩の辺りで構えて、相手の胸に突き刺したとしても、肋骨に守られた心臓を肋骨を砕いて穿つらぬくだけの力は入らないのだ。

栗林は瞳を閉じて、"フーッ" とめ息をらした。

「忘れていました。水野さんは私に土下座するようにせまって来たのです。私は言われるがままに土下座をし、そのすきに、ふところに忍ばせておいた包丁を取り出しました。そして相手が、私をり上げようとしたタイミングで、立ちひざの状態で、胸に一突きに刺しました」栗林はもっともらしく状況説明をした。しかし小林とて、栗林が嘘を言っている事への自身の信念をるがす訳にはいかなかった。

「では…あなたの言う通りとしましょう。その上で、立ち膝の状態で、相手の胸に包丁を心臓まで穿くほどの力を入れればどうなります?スラックスの膝がけて、穴が開くはずです。しかし防犯カメラ映像からも、あなたの押収品からも、犯行当時にあなたが着用していたと見られるグレーのスラックスには、そう言った穴も擦り切れ跡も見られませんでしたよ。それをどう説明す…」

「捨てました!あんなどこにでも売っているようなグレーのスラックスは、私は何本も持っています。押収品にも何本か、あったでしょう?それとも何ですか?防犯カメラから私が着用していたスラックスが押収品の中に、 "これだ" と証明出来る物が出て来たとでも言うんですか?」理路整然とした栗林の供述に、小林は栗林が "自白おとしの名人" と言われた理由を思い知らされた気がした。

「分かりました。今日はこの辺にしときましょう。でも…あなたの後輩達が、きっとあなたの嘘をあばいてくれる事でしょう」そう言って、取調室を後にする小林は、所轄刑事達の手土産ろうほうを待つ他なかった。


一方で、森本、香川両刑事は、杉野区の隣にある、中山区の仲田 邦子宅を訪れていた。仲田 邦子は、栗林が担当していた22年前の "丸菱銀行強盗殺害事件" の被害女性、宮城みやしろ 菊絵きくえの長女であり、犯人の放った銃弾の流れ弾に命を落とした菊絵の遺族だった。菊絵をうしなった宮城家は、父親の信三しんぞうにより、邦子を含めた三人の子供達を、男手一つで育て上げた。信三は三年前に亡くなっており、長子ちょうしでもあり、当時小学六年生だった邦子ならば、当時の事柄ことがらを記憶しているだろう思いを込めて、何らかの情報が聞ければと両刑事はやって来ていた。

「栗林さん?あぁ、良く覚えています。母が亡くなって、葬儀も済ませた後、何度か来られました。時折、私達にお菓子やらオモチャなんかを買って来て下さって、目尻に深いしわを作った、優しい笑顔がとても印象的でしたわ」邦子が話している途中で、段々と目がうるんで来るのを見て、香川は改めて栗林の人柄の良さを思い知らされた気がした。

「それで、貴女方あなたがたに犯人に対する事や、取り調べ状況を話したりはしていませんでしたか?」刑事のさがと言うやつだろうか?森本が邦子を見る目は、普段、香川と与太話よたばなしをする目とは違い、明らかに、刑事の鋭い目線だった。これに香川は正直、辟易へきえきした。

「えっ?栗林さんに何かあったんですか?」邦子は森本の鋭い目線に狼狽うろたえて返答した。

「捜査情報に関しては、我々には守秘義務と言うものがあります。仲田さん、これだけは言っておきます。貴女の証言にっては、一人の人間の人生が左右される事もあるんです。良く思い出してお答え願えませんか?」森本は辟易してしまっている香川とは対照的に、感情を一切、あらわにせず、淡々と答えた。

「良くは分かりませんが、少なくとも、私にはそんな記憶はございませんし、父からも、そう言った話しはうかがっていません。栗林さんは、とにかく私達遺族に対し、『警察の力不足で申し訳なかった』と言うような話ししか、なさいませんでしたから…」戸惑いつつも、邦子は自分達も栗林も、何かを疑われるような事はないと言わんばかりに、森本の目を見ながら言った。こう言った時、刑事は詰問者きつもんしゃが嘘を言っていない事が、直ぐに分かる。それは森本とて、同じだった。

「そうですか。また何か思い出すような事があれば、こちらまでご連絡をお願いします」そう言って、森本は名刺を手渡した。

「あの…最後に一つだけよろしいですか?」きびすを返そうとする森本だったが、香川が邦子に問いかけた。

「栗林さんですがね、こちらに来る際、花を持って来たりした事はなかったですか?例えば、白い花束とか」邦子は唐突な香川の問いに少し考えて込んだ。

「いえ、手土産てみやげは私達、子供に対する物しかなかったですわ。父が冗談めかして『たまには俺や母さんにも土産があっても良いのにな』なんて言っていたので、間違いありません」邦子はきっぱりと言い切った。


結局は森本達には、これと言った情報がもたらされる事なく、帰路にく事となった。

しかし、有力情報を持ち帰る事が出来なかったのは、森本達だけではなかった。署に帰った刑事達が、小林管理官に口々に報告する内容は、どれも栗林の人柄の良さを表すものだった。栗林に対し感謝や謝辞をひょうする事はあれど、恨み言を言う遺族は皆無かいむだった。そして、家族を死に追いやった犯人に関する情報なども、栗林が口にしたと証言する者もいなかった。しかも、その後の付き合いなどもなく、ながいものでも事件後、半年前後と言ったところだった。つまりは森本の刑事の感は見事にはずれたのだ。

「皆んな、ご苦労だった。しかし私はあきらめるつもりなど更々さらさらない!上層部うえに掛け合って、更に20日間の勾留延長を取る!」小林のげきも、捜査に疲れ、収穫も得れず、かつての仲間を送検しなければならないだろう思いから、むなしく響いた。


早めの帰路に就く事になった森本は、香川を誘い、居酒屋へと足を運んだ。

「なぁ、香川…俺の読みは見当違いだったのかな?」森本はいつものくせで、焼酎しょうちゅうの湯割りに入った三角に切った檸檬レモンを割り箸でグシャグシャとつぶした。

「僕はそうは思いませんね。栗さんは絶対に誰かをかばっています。僕らだって、他の刑事達だって、集めた情報は皆んな栗さんの良い人柄を表すものばかりだったじゃないですか?森さんの言う通り、庇うとすれば、やはり過去の事件に関する人間しかありません。水野やつの普段の行動からも、絶対に怨恨えんこんによる動機が働いたはずなんです。栗さんには、水野をうらむ理由もなければ、水野との直接のつながりもありませんしね」香川は熱弁しながらも、手にしていたビールのジョッキを一気に半分ほど飲んだ。

「んー、なるほどね、お前はそう言った思いで事件を追ってたんだな。…なぁ、話しは変わるが、お前、何で最後に仲田さんに花の事なんて聞いたんだ?」香川に感心しつつも、後半はあきれたように問うた。

「えっ?何でって…何です?刑事の感ですかね。刑事のじゃなかったとしたら、元相棒の感です。上手く言えないんですが、妙に引っかかるんですよね、あの栗さんで見た、白いガーベラ。僕には、あの花が僕らに何かを訴えかけているように見えたんです」普段から冷静な流石の森本も、この言葉には目を見開いて、笑い出した。

「ハッハッハ、お前…花が語りかけるって、メルヘンチックな乙女かよ。ないない、問題は俺がピックアップした事件が全てかどうかだ。何たって一晩でたった一人だけで調べたんだぜ。管理官も勾留延長するって言ったんだ。もう一度、明日から複数人で資料の洗い直しだ」香川のこだわりが一掃されたこの夜、これがなければ、事件はもっと早期に解決出来たのかも知れなかった。

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