第9話

森本と香川が防犯カメラ映像の検証を行なった次の日、全体の捜査会議が開かれた。

「皆んな、日々の捜査、ご苦労さん。みなも知っての通り、10日間の拘留延長から、明日で最後の日になる。つまり、今日、明日中に、何らかの結果を出さなければ、警察OBを送検すると言う、我らにとって、これ以上ない恥辱ちじょくを世間にさらす事となる。日々の疲れがまっている事とは思うが、何でも良い!私は栗林を取り調べて来て、栗林が嘘を言っているとしか思えない!」小林 優一管理官は、全体を見渡し、警察の惟信いしんをかけるべく、一人一人の刑事達に訴えかけるように叫んだ。その時、倉本巡査部長が手を上げた。

「管理官、検死の結果から、新たに不自然と言いますか、ほう解剖かいぼうを担当した、かつら法医学者の見解なのですが、心臓をつらぬいた殺傷痕さっしょうこんが、上から30°の角度で刺さっていた事が分かりました。被害者の水野 道弘の身長が182cmなのですが、その水野をその角度でアバラをくだいて心臓に突き刺さるまで力を入れるには、こう…」と言って倉本はボールペンを包丁に見立てて、腰の辺りで構えながら続けた。

「分かりますでしょうか?こんなふうに、腰の辺りで力を加えないと無理だと言う事なんです」倉本はそのまま、ボールペンで人を刺す仕草をしながら言った。

「で…それがどうしたと言う…ん?そうか!栗林は身長が170cm、その構えで刺すと、水野の腰か股間辺りを刺す事になる訳か」小林は倉本の言わんとする事を理解した。

「それが問題なんです。つまり、先っきの構えで水野を刺すとなると、おおよそ220cmくらいの大男だと言う事になるんです」小林は目を見開いて、周りの刑事達を見た。

「他に意見がある者はいるか?」そこに香川が手を上げた。

「例えばです。このように、顔の辺りで構えてみればどうでしょう?」香川は倉本同様に、ボールペンを使って、野球のバッターが構えるように、米噛こめかみの辺りで刺す仕草をした。それを受けて、小林は立ち上がり、隣に座る藤原 光徳みつのり杉野中央署署長に声をかけた。

「藤原署長、あなたの身長は?」立ち上がった藤原に、小林は聞いた。

「私は177cmでありますが、それが何か?」藤原には小林の言わんとするところが分からずにいた。

「おい!この中に、身長が160cmくらいの人間はいるか?」小林は三度みたび、全体を見渡した。

「はい、私は162cmですが」今度は柊木ひいらぎ巡査長が申し出た。

「んー、15cm差か…まぁ良いだろう。柊木君、少し前に出て来てくれるか?」小林は柊木に手招きしながら言った。

「良いか、先っき香川君がした事と同様に、藤原署長に、このボールペンで刺すように、やってみてくれ」そう言って、小林は、自身のボールペンを柊木に手渡した。柊木は小林に言われた通りにすると、ボールペンは藤原の鼻の辺りを指し示した。

「んー、鼻の辺りで上からの角度が30°となると、口の辺りくらいになるな。森本警部補、これをどう見る?」二人を見ながら、小林は森本に意見を求めた。しかし返事がない。

「おい、香川。森本警部補はどうした?」小林は香川の隣に座っているはずの空席を確認して、香川にうた。

「すみません。森本さんとは昨日、今日の会議の事を確認した後で別れたのですが、朝から見当たらず、電話したのですが、電源が切れているのか、つながりませんでした」香川にとっても会議をすっぽかした事などない森本の行方ゆくえあんじていた。

「仕方ない、他に意見がある者は…」小林が言いかけた時、会議室のドアが開いた。と同時に、全員の刑事達がドア入り口に目を向けた。

「いやー、すみません、調べ物に夢中になり過ぎて、時間も忘れてしまって」そこには昨夜のスーツ姿をヨレヨレにさせて、無精髭ぶしょうひげたくわえた森本が立っていた。

「森本警部補、困りますよ。あなたらしくもない。で?調べ物とは?」警察庁入庁当時に、ここ杉野中央署の署長だった小林は、森本が優秀な刑事である事は、良くぞんじていた。無論、栗林 源一郎も、検挙率が小林の管轄署内においてもトップクラスで、被疑者に対しても人情を忘れず、自白おとしの名人と言われていた事も、十二分じゅうにぶんに理解している。その為に、二人の刑事には随分ずいぶんと助けられた思い出が小林の頭の中をめているのだ。だからこそ、送検前に、何としても事件の真実が知りたいとの想いを強めていた。その為にも、森本警部補の力が何よりも必要だと小林は思っていた。

「いやー、苦労させられましたよ。私はね、この事件の真相は、栗林の過去にあつかった事件がからんでいると見ていましてね。この間、香川と7年前から17年前までの資料を調べたんですが、範囲を広げてみました。そこでリストアップしたのがこれです」森本は小林が座っていた、トレニアデスクの中央に、持っていた資料を無造作に置いた。小林は直ぐに椅子に座り直して、森本が持って来た資料に目を通し始めた。

「こ…この事件らが何だと言うんです?何か共通点でもあるんですか?」小林が見た限りでは、どの事件も、強盗(殺人)罪、殺人(未遂みすい)罪、(強姦)致死罪、業務上過失致死罪など、一見して共通点を見出みいだす事が困難と思える物ばかりだった。

「えぇ、一見すれば共通点はありません。しかしね、私はある一点にのみ集中して調べました。それは…どの事件も、事件に関係のない、第三者が犠牲になって亡くなってしまってるって事です」森本の発言に、室内はざわついた。

「全員、静粛せいしゅくに!森本警部補の意見を聞くんだ」小林管理官の、鶴の一声で、室内は静寂せいじゃくさを取り戻した。

「で?その第三者が犠牲になった事と、今回の事件がどう結ぶって言うんですか?」小林は立ち上がり、森本の方へ歩み寄った。

「管理官、私は栗さんの気持ちになって考えてみたんですよ。この事件の裏には、水野の連続強姦が何らかの形で関わっています。私にも娘がいますがね、その娘が野心を持った男の毒牙どくがにかかったとなれば、自分が刑事である事も忘れて、必ず殺意をいだくでしょう。それを実行に移すかどうかは別ですがね。しかし、栗さんには娘はいない。だとすればですよ、栗さんの事です。数々の事件に関わる中で、栗さんが家族同然の想いを持つ人間がいたって不思議じゃあない。私はこの資料の中に、それに該当する人物が必ずいると確信しています」森本の演説を聞き、一同は騒然となった。そして栗林に対する思いを強く持つ者も少なくはない。それだけに、涙する者までいた。

「分かった、分かりました。しかしだよ、森本警部補、それが分かったとして、栗さんが犯行を犯していないと言う証拠は出るのか?新たな真犯人をあぶり出せると言うのか?」栗林を信じたい気持ちと、警察官として、証拠がある以上、栗林を送検する義務を持つ、最高責任者としての狭間はざまで、小林の心はれ動いていた。

「管理官、大丈夫です。ここにはかつて栗さんから様々な教えをうた、優秀な刑事達がいます。管理官、一件づつ洗いましょう。指示をお願いします」森本は右手をひたいに、45°に腰を曲げて、最敬礼をした。小林は森本の気持ちを全面で受け止め、立ち上がった。

「皆んな!この資料をコピーして渡す。各人で手分けして、何としても明日までにあやしい人物を特定するんだ!」小林の号令により、刑事達は各方面へと散らばって行った。しかし、事件はポッカリといた暗中のトンネルへと突き進もうとしていた。

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