第5話

事件は "杉野川沿い刺殺体事件" と銘打めいうたれ、捜査本部が設置された。本庁からは小林 優一警視正が管理官として派遣された。そして杉野中央署にて捜査会議が開かれていた。

「事件現場近辺での聴き込みで被害者の水野さんと加害者の栗林らしき人間を見たと言う証言が取れました。時間はおおよそですが、死体発見の前日、7月22日の21:30頃と言う事です」

「鑑識の結果ですが、先程の証言と矛盾は無いと思います。

死亡推定時刻は22日の20:00〜23:00と言う事です。尚、凶器についてですが、被害者がいしゃに残されていた包丁に付いた指紋を照合した結果から、容疑者の供述通り、容疑者の指紋が検出されました」

「これも補足の内容になりますが、近所のコンビニエンスストアの防犯カメラから22日21:18に水野さんらしき人物が歩く姿の後、直ぐに栗林が追うように映り込んでいました。その映像は現在、鑑識に回して詳しく分析しています」所轄の刑事達が次々に地回じまわしで得た情報を発表していった。

「他には何か無いか?」小林管理官の問いに森本が手を挙げた。

「これは被害者の水野さん宅の家宅捜索ガサいれと周辺住民の聴き込みから得られた情報です。ガサ入れの押収物は先に提出した資料の通りです。ガサ入れに立ち合ってもらった水野さんのマンションのオーナーで不動産会社経営、田中 正彦さんも水野さんの事は良く知らないらしく、我々が行くまで事件の事も知らなかったそうです。それから我々は近隣を回りましたが、水野さんを良く知る人物はいませんでした。しかし昨日さくじつ木村 久美さんと言う現在21歳の女性から連絡があり、話しを伺いに行きました。彼女の供述に依ると、被害者である水野 道弘さんからニ年前にレイプされたと話してくれました。押収物の内容からも余罪があるものと見て良いかと思います」

小林管理官は森本の意見に同意し、他にも余罪がある可能性を信じ水野の前科まえを洗わせた。しかし、期待も虚しく水野に前科は無かった。事件の性質上、被害女性の泣き寝入りと言うのが正直な所であろう。

もし被害女性が水野を訴えたとして裁判となると、女性は公衆の面前にさらされ、加害者から受けた恥辱ちじょくを洗いざらい証言しなければならなくなる。そんな事をさせられるくらいなら、誰にも言わず一刻も早く忘れた方が楽だというものだ。

森本は久美が言った言葉を頭の中で反芻はんすうしていた。

「正直、早く忘れたかった。あれからは怖くて外出もままなりません」

森本はその通りだと思った。殺人が人の命を奪う行為であるならば、強制性行罪は人の心を奪う行為なのだと。

罪として命か心かどちらが重いと問えば、当然のように命の方が重いと人は言うだろう。しかし心を奪われた被害者はまさに生き地獄だ。その地獄絵図を思わせるような映像をまぶたの裏に焼き付けて生きて行かなければならないのだ。森本はその事をかんがみても水野を許す気になれなかった。この思いが恐らくは栗林 源一郎を犯行に走らせたのだろう。

しかしだ!分からないのは栗林が何故犯行に走らせるエネルギーを持ったのか?と言う事だ。森本のこのエネルギーは自分が年頃の娘を持つ身であるからこそ起こるものだ。もし自分の娘が…と考えるからこそ湧き上がって来る怒りなのだ。その証拠に子も持たない香川は無神経な問い掛けを木村 久美に浴びせ掛けた。

それに対し栗林は子供は息子がニ人いるだけなのだ。なのに何故、栗林は水野を殺害するに至ったのだろうか?

現職であった時代も一課にいた栗林が強制性行罪などの捜査をおこなっている可能性は少ない。詰まりは栗林と水野を繋ぐ接点こそが事件解決の鍵になる。森本は香川を呼び寄せ栗林が現職時代に扱った事件を洗い直す事にした。

膨大な資料が保管されている資料室で7年前からさかのぼり森本と香川は一件づつ丁寧に資料をあさり読みして行った。

しかし、強姦致死罪を扱った例は幾つか出て来たが、そのどれもが犯人は栗林の手で検挙されており、水野の "み" の字も出ないような状態だった。そもそもが水野の年齢を考えても、せいぜい7年〜17年の10年間くらいが相当する所だろう。

森本は自分達がやっている事は、てんで方向違いな気がして来た。

「香川、一度、栗さんの奥さんに聴き込みに行ってみるか?」自分達が幾ら長年苦楽を共にした仲間だと言っても、やはり本当のその人の姿は家族が一番知っている事だろう。

森本は小林管理官に許しを得て、現在は関西の永山ながやま市に住む栗林 源一郎の元妻、佐伯さえき 洋子ようこの元へと向かった。

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