第2章 新米の試練
──あれは六
「遠い遠い昔。この地に、
やわらかい声が部屋の中に広がる。セラフィーネは本を読んでもらうことが好きなオフィのために、時間を見つけてはこうしておはなし会を開いてくれていた。
始まりは毎度同じ。レーヌグランの子供の
「竜の
セラフィーネは手元の本をぱらりとめくる。
「しかし王女の前に一人の
めでたしめでたしと、セラフィーネは読み終えた本を閉じる。
「おねえさま、竜ってほんとうにいるの?」
「竜は空を
ひゃあ! オフィは
「シギスマンドが竜をやっつけてくれなかったら、たいへんだったのね!」
「そうね。……彼がいなければ国は滅んでいたかもしれないわ」
オフィの背をさするセラフィーネが同調する。その表情がいやに
(おねえさまの手、あったかいな)
「……ねえ、おねえさま。どうしてオフィはお外に出ちゃいけないのかしら?」
しかしそれもこの
──フェルディナントおにいさまや、ハロルドおにいさまに会って、お話ししたいな。
自分の
オフィは
「おかあさまはオフィが
身体を
「泣かないでオフィ。お母さまはね、あなたが大切だからこうしているのよ」
「ほんとう……?」
「本当よ。そうね、あなたも六歳になったことだし……〝秘密〟を教えてあげるわ」
秘密。子供心をくすぐるその
「ひみつってなあに?」
「代々王位を
「オフィはないしょにできます!」
元気で
「それはね──」
言葉の
「おはようございます
「姫様、お身体の具合はいかがですか?」
オフィ付きである
「すこぶる快調よ。
「かしこまりました」
侍女が部屋を後にすると、オフィは夜着から制服に着替える。シャツのボタンを閉めていると、左胸の生まれついての
(『秘密の
始まりは虚弱になった理由を秘すため。それをまだ幼いオフィが、知らず知らずのうちに口外してしまわないよう、母は第二王女の情報を
そしてある程度の
これを機に晴れて秘される立場を返上するはずだったが、オフィは騎士になるために、『秘密の姫君』のままでいることを選んだ。
(長いレーヌグラン王家の歴史の中でも、王女で騎士になったのはわたしだけだし)
ただでさえ
──すべては、弱い自分への決別と、守りたい者のため。
そのために王女の身分を
「上官に目の
出勤してみると、五番館の
「おっはよフローラ! アレクが隊長会議に出席してる間に
朝っぱらから明るく元気な副隊長の
「──で、あっちの部屋が正装用の
「
「よしっ
「
じゃあ
「フローラは入宿せずに通うんだっけ?」
「ええ、城下に住む知り合いが下宿させてくれるので」
まさか離宮から出勤していますとは口が裂けても言えない。
「ここ野郎ばっかだし、その方が断然安全だよな」
騎士団、特に君主の
それゆえ入団が認められた昨今でも、女子宿舎などの設備はまだまだ整っていない。
「ずば抜けて美しいわたしが一つ屋根の下にいたら、殿方は心の
「まじで
「──そんな保証をするな
割り込んできたのは
「おはようございます隊長。ご
「
二人を包む絶対
「そこのお二人さ~ん、春うららの朝を底冷えさせんのやめて~」
「ハル、隊員を訓練場に集めろ。アレをやる」
「お、さっそくやっちゃう?」
「
アレクの言葉にオフィは目を丸くする。退団しろと
「……まさかどこかに頭をぶつけて昨日の記憶が一部飛んだとか?」
「飛んでねえよ。──お前を部下にするのが心の底から不本意でも職務だからな、訓練はまっとうに受けさせる」
オフィはアレクの弁に、なるほどとすんなり
アレクは職務に忠実だとセラフィーネは言っていたし、彼は仮にも隊長だ。
私情だけで、総隊長(アレクの言ではジジバカ)の顔に
「──と頭ではわかっているが、その顔を見ると吐き気がする。極力視界に入れたくない、できればその顔を
「人が大人の対応に感心した数秒後に、本音をぶちまけないでください!」
「いや~アレクとまともに言い合える女を三番隊長以外で初めて見たわ。オレちょい感動」
感動するところがおかしい! とつっこみを入れる寸前にハロルドが走り出した。
「訓練場に行くぞフローラ! 五分で準備するからアレクも急いで来いよ~」
「ちょ、副隊長待ってください!」
もうあんなに遠いっ、
するとすれ
「
何が始まるのかオフィの知るところではない。ただ、告げられた言葉がみくびっているがゆえのものであるのはわかる。
オフィは広い背中に忠告してやった。
「王国最強の
隊長・副隊長と向かい合う形態で、最前列を
《セント・クロワ》は欠員が出ない限り入団できない。しかし毎年新人を
理由は単純明快、
「集まったな。ハル」
アレクに名指しされたハロルドが「はいよ~」と手を挙げる。
「《セント・クロワ》名物の〝
その単語、オースティンから聞いた覚えが。脳みそのどの引き出しにしまったっけ!?
「……たしか、一対一の
「当たり。それをおっぱじめるから、武器は公平を期すため、重さと形が同一の
これこれと、ハロルドが手にした木剣を左右に
「目つぶしと
名所の案内でもするように、ハロルドは指を
「隊長はくそ強いから不参加。でも横からじっくり観察してっから気い抜くなよ~」
その
睨まれたハロルドに反省の色は見られないが、彼の口は「はいはい」の形に動く。
「どんなもんか、まずは若手に実演してもらうかな。うし、二年目コンビ準備しろ」
「「はいっ!」」
ハロルドから指名を受けた二人の少年従騎士が、前方に置かれた木剣を取りに向かう。
「じゃあ始めるか。オレが
試合のない騎士たちがぞろぞろ移動し、試合会場には少年らだけが残った。
木剣を構える二人を
直後、木剣が打ち交わされる
「そこまで。こんな感じで
「
「
木剣を手にオフィは試合会場に入る。
先ほどハロルドは二年目コンビと言っていた。
王立騎士学院を卒業して、入団するのは十三歳。計算すると自分より年下だが、勝者は身体こそまだ細いものの、背はオフィより断然高い。
「
「当然です! 同じ従騎士とはいえ、レディを傷つけるなんて騎士の名折れですから!」
舐めてるわね。腹の中でオフィは
とはいえ騎士たちの反応もやむなし。周りから見た自分はうら若き
────上等よ。
「一つ言っておくけど」
「えっ、な、なにっ!?」
何を期待したのか頰を染める相手に、オフィは構えながら
「人を見かけで判断すると痛い目に
開始の合図と同時にオフィは動いた。
『剣が接触したら、相手の武器より伝わる圧力からその意図を読み取るのです』
(わかってるわよオースティン。相手が
しかし今回必要なのは安全な勝利ではなく、意識を変えさせるための
(そのためには
風を切るような速度で間合いを
相手が木剣を手放し、無防備となったところで、ガラ空きのみぞおちを
急所への
「勝者、フローラ・アシュレイ!」
ハロルドの高らかな勝利宣言に外野がどよめいた。「なんだあの動き」「
「ったく、でたらめなスピードしてんな」
参ったと
「〝判断〟を知ることにより〝
「騎士学院で教わる勝利の四原則? そっか、フローラはじいさん
同じ教えであれば、女の自分は男には
「どうすれば力で
答えが出たならあとは進むだけ。オフィは
「騎士学院の教練がどんなものかは知りませんが、少なくともわたしは、総隊長との鍛錬で何度も死にかけました」
そう言い残してオフィは次の相手と
後ろからは、「さらっと言うことか~?」と、ハロルドののんびりした声が追いかけてきた。
「なるほど、そのスピードはたいしたもんだ」
二戦目。熟練隊員はオフィの
「だが、まだまだ
様子見とばかりにオフィの攻撃を
その右手から振り上げられた鋭い
「──────っ、参り、ました」
息も切れ切れに敗北を
「
まあ相手が悪かったながっはっは、と軽口を
次戦の
(……負けた。たったの、二戦目で……)
一戦目は上出来だった。それで気がゆるんだ? 違う、それはただの言い訳だ。
オフィの
けれど今は違う。オフィは相手を負かすつもりで挑んだ。
油断も手加減もしていない。それでも熟練隊員に、自分の全力を軽くあしらわれたのだ。
(手も足も出ないだなんてっ……!)
その長所を生かして少年従騎士にうまいこと勝てた。──だからなんだ。
相手は年下で、体格差もそれほどなかった。それもこれから第二次
(基礎体力作りを
その結果がこれだ。
序盤で決めさせてもらえなかったオフィは
アレクに舐めるなと
『まだまだ甘いぜお嬢ちゃん』
熟練隊員の言葉が、
甘い、の一言に、いったいどれだけの事案が含まれているのか。戦場に立ったことのない経験不足? あらゆる相手に対しての臨機応変さ? 挙げだしたらキリがない。
(……意識を変えさせるなんて、甘かった)
ほんの少しは変わったかもしれないが、ここは街の子供たちが通う稽古場とは訳が違う。
(忘れちゃいけない。わたしがいるのは……国民が
その精鋭部隊の洗礼は
心情のままに行動していいのなら、オフィは大声で
だが公衆の面前、騎士の
「っ、何が、王国最強の弟子よ……」
この場で許される
──一方、試合の一部始終を
「……始まりの
しかしその
仮入団から六日目の、詰所が
「フローラ、お前しんどいんじゃねえの?」
オフィが書類を整理していると、ハロルドがふいに
「顔が青いっつーか白いし、目の下にクマがうっすら浮かんでるぜ」
「顔が白いのは元々なのと、ちょっと
オフィは明るい
「大丈夫ならいいけど……」
「ご心配いただきありがとうございます。わたしなら大丈夫ですから」
言ってオフィは残りの書類を
「書類の整理、完了しました」
「そうか。今日はもう上がっていいぞ」
「はい、お先に失礼します」
視線をわずかに上向かせながらも、やはりアレクは
もう終業時刻を過ぎているので、隊員たちは宿舎に引き上げている。オフィは
(誰もいないわね……)
小動物が巣穴から出るときのように、オフィはきょろきょろと周囲を注意深く
人の気配はなく、あいつコソコソ何やってんだと
(さて、今日も始めますか)
身体をほぐし、一つ大きく呼吸をしたオフィは地を
終業後にオフィはこうして、人目を
先日の一騎打ちで、自分の立ち回りがいかに
その夜は気落ちしたし、
(……めそめそしたって、時間は待ってくれないもの)
仮入団期間はふた月。たとえ脱落せずに期間を
『騎士を騎士たらしめるものは日々の努力に、わずかな素養を磨き上げる
鍛錬中のふとした
元虚弱体質には、残念なことに素養はない。だからって
諦めて、
目の前の課題、ずばり基礎体力の向上を目標に
──正直、ハロルドが「しんどいんじゃねえの」と言ったことは当たっていた。
ただでさえ訓練で
おまけに
(走り込みが終わったら、帰って
このあとの予定を頭に並べていたら、くらっと
それも目を閉じればすぐに治まっていたのに。今日は、視界が
「なにっ、これ、気持ち悪い……」
一気に天地がわからなくなり──オフィの世界は真っ黒に染まった。
(…………あれ?)
なぜか、目線の先に、ぼんやりとした
外にいたはずなのに。まどろみに片足をつっこんだままの頭で考えるオフィの頭上が
「あ、目ぇ覚めた?」
「ふく、たいちょう? …………えっ、なんで副隊長!?」
そこで初めて、オフィは自分が
(ちょっと待って。ということは、ここはもしかしなくても!?)
飛び起きると、そこは案の定、見慣れた執務室だった。
「三時間くらい寝てたぜ。
「そんなに……? ありがとうございます、副隊長」
「いきなり飛び出してって、意識のないお前をここに運んだのはアレクだかんな。礼はあいつに言っとけ」
────え、隊長が?
そしてハロルドとは別に、もう一つ感じる気配。
気配を
「ハルっ、お前なあ!」
「あ~悪ぃ、つい口からぽろっと」
いきり立つアレクに、ハロルドは空気のように軽い謝罪を
「……この五日間、訓練のあとに走り込んでいたようだな」
「は、い。自主練を……」
「その自主練によって疲労が極限に達し、睡眠不足もたたって倒れたわけか」
「身体が資本の騎士にとって、健康管理も仕事のうちだろうが!
ガラスが割れるのではないかと思われるほどの
加減されていないその
「も、申し訳ありません! ……でもどうして、隊長がそのことをご存じなんですか?」
「
そういえば終業後にオフィが走っている最中も、引き上げる際も、執務室の窓からは明かりが
(隊長が陰で気にしてくれてたから、寒空の下に放置されずに済んだのね)
「俺が知っていたから運よく発見できたものの、下手をすれば危険だったかもしれん。走り込みはもうやめておけ」
「それはだめです! わたしは努力して、力をつけないといけないのに」
「努力ってのをはき違えるな」
ぴしゃりと言いきられてしまい、オフィは押し黙る。
「しゃにむにがんばりぶっ倒れて、得られるものがあると思うのか」
「っ、だって同じことしてちゃ追いつけないもの!」
自分の瞳がにわかに
絶対に泣くもんか。
「わかってますよ己の性能くらい! けど二カ月の間に認められなきゃいけないから!」
騎士学院を出ていなくても、戦場に立っていなくても、自分はオースティンに教授された身。そこそこやれるという自負はあった。
なのに──
熟練隊員にはまるで歯が立たなかった。少年従騎士は倒せたが、消耗戦になったらおそらくもたないだろう。瞬発力や技術では
わたしはやれるだなんてとんだ
身も心も、嵐の去った大地のようにズタズタだ。
それでも折れない。心に突き立てた
「──なるの、わたしは。《セント・クロワ》の騎士に、絶対」
上掛けをぎゅっと握りしめると、頭に何かがコツンと当たった。
顔を上げると、アレクが同じものを口に放り込んでいた。
(投げてよこしたってことは、くれたのよね? ……あの隊長が、わたしに?)
「自らの弱点を克服しようともがく向上心を否定はしない。むしろ壁を前に、
キャンディの食べ方としては
「だが忘れるな、お前はまだ記章すらないひよっこだ。追いつく以前の問題で、同じ場所に立っていると考える時点で
「あのっ、さっきから阿呆とか馬鹿とか、少し失礼じゃありませんか!?」
「ここは血気
罵詈雑言はまだわかるけど、自主規制用語ってなんなの!?
「今日は帰ってすぐ寝ろ、隊長命令だ。もし逆らったらクビにしてやる」
「それって職権
「てめぇこの小娘、隊長への口のきき方がなってねーなこら」
「なんか口悪くなったわねこの暴君っ、最低馬鹿仏頂面!!」
感情の高ぶりに任せて、罵詈雑言の
鋭く厳しいそのまなざしには
「今は訓練に一点集中しろ。慣れたら走り込みでも
「──わかりました。この
「おまちどぉ~。《セント・クロワ》の裏名物、味は『苦い』『
能天気な声を差し込ませ、
「なんだぁ、このなんとも言えない空気? 二人ともどした?」
「……副隊長ってたまに最強ですよね。主に精神面で」
それどういう意味? 首を
中身は食べ物で出来ているというが、やけにとろみがある上に色は完璧に
「苦ッ、辛ッ、すっぱ! ものすッッッごく
まくしたてるように言って、オフィは執務室を飛び出した。
(……キャンディを食べるのは、初めてじゃないのに)
すぐに食べてしまうのはなぜかもったいない気がして、オフィは
従騎士(まだ仮入団中)となって、二度目の公休日。
王女としては地味でも、いつもの男装まがいの制服姿を考えれば女の子らしい
(よし行こう、やっぱり疲れたときの特効薬はアレよね)
町娘風の姿を取ったオフィは窓から木に飛び移った。そのまま枝を伝って難なく着地。少し離れた
子供の頃から使っている
「誰もいない……と」
城下に下りたオフィは、慣れた足取りで
声をかけてくる男どもをいなしつつ、オフィはこの辺りでは珍しい、深い緑の木骨と白い壁がおとぎの国の家のように
「おや、フローラちゃんいらっしゃい」
中にいたのは店主の奥さんだ。今日も今日とて
「こんにちは。
「レーズンとナッツのフルーツケーキかね。甘く味付けしてあっておいしいよー」
パンと焼き
初めての公休日でこの辺りを歩いていたとき、オフィはごろつき同士の
『喧嘩ならよそでやんな! 商売の
店から出てきた女将が、ごろつきの頭をめん棒で力いっぱい殴ったかと思えば、
『おう
と、店主は焼き菓子をごろつきの口にめいっぱいつっこんだという。
そのあと
「じゃあそれをください」
「はいよ。あとこれは店主の自信作なんだけどね」
オフィが甘いものに目がないことを承知している女将は、他にも数種類のお菓子をすすめてくれた。しかし今日は
オフィの考えを察したのか、女将は申し訳なさそうに
「ごめんよ、今は材料が手に入りにくいせいで数も種類も少なくて」
「えっ何かあったの?」
「ここのところ
「……そっか」
盗賊シメる。女将に自分が従騎士であることを伝えていないオフィは、心の中で固く誓った。
「それとついさっき、チーズケーキが全部売れちゃったんだよ」
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
「いつも大量に買ってく子が来てね。ぱっと見
男前はどうでもいい、色気より目先の食い気! 楽しみにしていた目当ての品がないとわかったオフィはその場にへたり込む。
オフィがこの店で何より好きなのがチーズケーキだ。ほのかなレモンの
(ああ食べたかったなチーズケーキ……
どこの誰とも知れない人物を
「すまない、さっきのフルーツケーキをあと三つ追加で──」
「た、隊長っ!?」
「……アシュレイ?」
入店したのは、大きな
(……なんでこんなことに?)
店の
日よけのパラソルの下で、
彼は仕立ての良い白シャツにグレーのベスト、黒いズボンといったシンプルな格好をしていた。
顔とスタイルは
「おやまあ知り合いかい? さあ座った座った」と、この状況を
気をきかせたつもりのようだが、女将さーん、この人ただの上官なんですけどー。
耳が痛い
「やる」
「…………え?」
差し出されたのは
「扉を開ける前に『チーズケーキが売り切れた』って声が聞こえた。まさか
「わたしもお菓子を大量に購入していったのが隊長とは……」
オフィが疲労で倒れた折にキャンディを食べてはいたが。この仏頂面がケーキを
「今日はまだ少ない方だ。これだと二日分ってとこか」
「その量で二日っ!? どれだけ
「三度の飯より甘いものが好きなだけだ」
言うが早いか、アレクはお茶にどばどばと
そのままスプーンで何度かかき混ぜ、赤い
「……威圧感満点の
「食べたかったんじゃないのか?」
「そうですけど、自分のぶんがなくなりますよ」
「まだ残ってるからいい」
「何より隊長、わたしのこと嫌いでしょう? そんな相手に
「お前の顔は天敵でも、別にお前自身を敵視してはいない」
「………………へ?」
「俺はお前に騎士の厳しさを教えて、《セント・クロワ》から叩き出す気満々だった」
「満々って、どれだけわたしを追い出したかったんですか!?」
「ところがお前は口先だけの
こんちくしょうめ。用意していたお
「だから最近俺はお前に対して、退団しろとは口にしてないだろうが」
「い、言われてみればそうですけど。わたしの顔に対する暴言は相変わらずですよね」
「俺は拒絶反応を
たしかにここ二週間の間、アレクと目が合うことが
(
仏頂面の下に隠れた努力を思うと、
「……上官の八つ当たりを受けることには、どうにも納得がいきません」
「なら無理やり納得しろ」
こうも悪びれずに
「隊長くらいですよ、こんな美人を前にそんな悪態つくのは」
「残念だったな、
「うわ
「腹立つ
「簡単に言ってくれますが、これが結構大変なんですからね」
オフィも純度満点の女子だ、異性からちやほやされて
ただ、
「昼夜を問わず、日常的に言い寄られたらどう思います?」
自分の立場に
「……地味に
「ね?」
それに輪をかけて煩わしいこともある。
「女は美人に対して厳しいんですよ。口では『お綺麗ですね』って褒めといて、こっちが『いえいえそんな』って
これが
美を追求して造られた
(わたしくらいの美人は、攻撃対象になっちゃうのよね)
王女であることを秘密にしている以上、オフィは身分という武器で相手を退けられない。
したがって女の世界──特に社交界では、レディたちから妬みの視線の
そんな楽しいとはいえない実体験のおかげで、己の
「男はそういうのはあまりなさそうですよね」
「まあ女みたいに
顔のことをねちねち言う男なんて、
「かくいう隊長も、仏頂面でもれっきとした美形ですし。あ、もしかしてしつこく女性に言い寄られたせいで美女嫌いになったとかですか?」
「ほとんどの女は、俺と目が合うと身を竦めるか後退する」
言外に否定された。アレクの美女嫌いは女性のつきまといなどが
(でも理由をはっきり言わなかったのは、言いたくないからよねきっと)
ならば追及すべきではない。人間誰しも、
オフィはアレクが口にしていたクッキーを指さして、話を変えた。
「隊長、仏頂面のせいでせっかくのクッキーが、砂を嚙んでいるみたいに見えますよ」
「ちゃんとうまいぞ。お前も食うか?」
「えっ、と。じゃあ、いただきます」
おすそわけは想定外だったがせっかくだ。オフィはクッキーに手を伸ばした。
──うわっこれおいしい!
鼻に抜ける
口の中においしい幸せが広がればおのずと手が進み、気づいたときにはクッキーの
「……すみません、おいしくてつい」
「菓子と酒、どっちが好きだ?」
「? わたしは甘いものが好物なので、断然お菓子ですけど……」
「お前を評価できる点ができた。《セント・クロワ》は酒派が過半数を
「そんな騎士の本分とまったく関係ないところで評価されても嬉しくないです!」
テーブルを叩いて
「騎士として評価して欲しいなら、俺にそうさせるだけのものを見せてみろ。言うまでもないが俺は嗜好以外甘くないぞ」
「仏頂面スイーツ将軍には、今に目にモノ見せて差し上げますから!」
「その意気やよし。……いや待て、その仏頂面スイーツ将軍ってのはなんだ」
「隊長の
「ふざけるな! どうせならもっとうまそうな呼び名にしろ!」
つっこむトコそこなの!?
ぎゃいぎゃいと内容に重みのない
「盛り上がってるようだねぇご両人。今日はもう店を閉めちまおうか」
この生ぬるい視線。十中八九、あらぬ誤解をされている。
弁明したところで肝っ玉女将にはそうかいそうかい、と相手にされないのがセキノヤマ。『
オフィとアレクが
「隊長が《セント・クロワ》の
「いや、下手に
「……ですよね」
いかに肝っ玉女将とは言え、泣く子も黙る大騎士様と知りながらあの態度は取れまい。
「──あれ? 隊長、
品の良いそれを人差し指で持ち上げつつ、アレクは「違う」と。
「視力に問題はない。これはただのガラスだ」
「じゃあなんでわざわざ?」
「俺に
「ならその仏頂面に、愛想をしつらえたらいいのでは?」
「……無理やり笑うとよけい恐がられる」
これは過去にやって失敗したな。
「なんかすみません。……でも眼鏡は正解ですね」
眼鏡で
「隊長って
「喜んでいいものか
「美人を連れて歩く男前かぁ、野郎のやっかみを買う典型的図式ですね」
「不本意にも
アレクが、にべもしゃしゃりもない言いようで
肩の持ち主は男四人組みのうちの一人。全員、素行に難がありそうだ。
「ってえなぁ、どこ見て歩いてんだてめえ!」
「
アレクが低くぼやく。
「言ったそばからか。お前いっそ仮面でもつけて生活したらどうだ?」
「そんな
「持ってろ、すぐ終わる」
「肩書きひけらかして追い払う方が手っ取り早いんじゃ?」
「それだと他に
非番でも悪漢を放っておかないあたり、アレクはなかなかどうして仕事熱心である。
(向こうの男たちと隊長、たいして歳は違わないと思うんだけど)
若僧呼ばわりの男四人組は、「女の前で
ちんぴらが数人がかりだろうと、
「あとはご自由に。行き過ぎた指導で、仮にも一般人の命を攫わないでくださいね」
「ぬかせ、俺がそんな下手を打つわけあるか」
アレクの
「自らのバランスを保つための筋力がまずなってない。手と足の間合いも悪い、次」
一歩たりとも動くことなく、アレクは二人を地面に転がす。
「親指を拳の中に入れたまま殴るやつがあるか。打った衝撃で折れるぞ」
(……なんかもう、指導というより……)
「戦場じゃないんだ、突っかかる前に相手の力量を計れ。命を
最後は説教まで垂れたアレクは男らを片腕、それも手首から先だけで
約束されたも同然の結末。しかしこうも一方的だと、のされた四人が
「あとは王立騎士にきつく
「それってほぼ
「俺はこいつらを引き渡すまで戻らんが、お前はどうする?」
「帰って大人しく戦利品を
オフィの返答にアレクは「大丈夫か?」と聞いてくる。一人になったオフィが、男に言い寄られることを気にしたゆえに出た質問だろう。
思いがけず心配されて
「大丈夫です。まとわりつく男を
「…………まあ、道中気をつけろ」
了解ですと敬礼し、オフィはその場を後にする。
(初めて隊長とこんなに話したわ。……隊長、人のことをしっかり見てるのね)
──大の苦手である顔のわたしでさえ、ちゃんと。
上官との関係に好転の
秘密の姫君はじゃじゃ馬につき かわせ秋/ビーズログ文庫 @bslog
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