第1章 聖なる黄金の十字架《セント・クロワ》
密約を交わしてから、およそ一カ月後。
「よし、出来上がり」
《セント・クロワ》の白を基調とした制服に身を包んだオフィは、姿見の前でくるりと回る。高い位置で一つに
西風と共に春の
式典が終わればオフィは《セント・クロワ》の従騎士となる。厳密に言えばふた月は仮入団だ。仮入団期間を終えて
──鏡に映るのは王女ではない、もう一人の自分。
「アシュレイ
大陸でも古い歴史と高水準の文化・経済を
豊かで強い国に軍事力は必要不可欠。当然レーヌグラン王国には、国軍にあたる大規模な王立騎士団が存在する。しかしそれとは別に有名な騎士団がもう一つ。
《
神話の時代、
一隊は二十名足らずと小規模ながら、隊員は
入団式は王立騎士団と《セント・クロワ》、両団合同で挙行されるのが慣例だ。
会場となる
進行状況などわかるはずもなく、いつの間にやら式典は
「その白い制服、《セント・クロワ》でしょ? 君、美人な上に優秀なんだね」
「
野太い
《セント・クロワ》は一番隊から六番隊まであり、各隊は基本、独立して任務にあたる。
そのため本部の広大な
(へー、こうやって間近で見るとそこそこ大きいのね)
本部内の詰所や他の建物には、やわらかい暖色の石が使われている。
初見ではまず軍部と結びつかない、物々しさを
オフィは配属先の詰所である、五番館へと足を
(何はともあれまずは隊長に
式典終了後は隊長格、正騎士、新隊員の順に退場した。仮に道草を食ったとしても、すでに帰館しているはずだ。
「隊長はどちらに?」
てっとり早くその辺にいた騎士に
「に、二階の
「どうもありがとう」
ぽーっと
(執務室……あ、みっけ)
だが隊のトップの部屋の前に見張りはいない。不在かとも思ったが在室は確認済みだ。
(アレクシオ・ローウェル。イリス
王女の義務として、主だった貴族や重要人物の出身と家族構成くらいは
対象の情報を頭の
「入れ」
返ってきたのは短く低い声。失礼しますと断ってオフィは扉を開く。
(この人が、隊長……?)
隊長の
黒い
──その
「……お前、
「本日よりこちらでお世話になります、従騎士フローラ・アシュレイと申します」
敬礼しながら、オフィは何度も口に出して練習した
「詰所違いだ。ここはお前の配属先ではあり得ない」
オフィからあからさまに視線を
「わたしが配属を言い渡されたのは五番隊。隊長
「──まさか、総隊長の遠縁が、お前だと?」
「そのまさかです。以後お見知りおきを」
「────っ」
青年がものすごい形相で言葉を詰まらせた、まさにそのタイミング。
「たっだいま~。アレク、新人来た~?」
ノックもなしに執務室の扉が勢いよく開き、
振り返った先の戸口に立っていたのは二十歳前後の青年。少し
元気よく乱入してきた黒髪の青年に、銀髪の青年が
「ハル……お前はもっと落ち着いて入ってこられないのか」
「明るく楽しく元気よく、がオレの信条なの。それよかはいこれ、総隊長から預かった」
目上であるはずの銀髪の青年にくだけた調子で答える黒髪の青年の手には、手紙のようなものが
黒髪の青年は銀髪の青年に手紙を放り投げるなり、オフィに近づいてきた。
「ようこそ五番隊へ! オレはハロルド、ここの副隊長やってま~す」
なつこい笑顔を浮かべる彼の
(副隊長のハロルド・クロフォード。この人が、あの
見えないが、彼は故王弟である王族
パーティーに参加するのは決まって長男のため、オフィがハロルドを見るのはこれで二度目。最後に見かけたのが彼の父の
「初めまして、フローラ・アシュレイと申します」
初対面の
それもそのはず、
おまけにオフィは社交の場に出席するときは、身分設定も姿も毎度変えて
「よろしく~。んでそっちにいるのがアレクシオね。ハンパない威圧感のせいで他の騎士からも『
乱入者からの散々な
その様子から、二人が同期以上の気の置けない友人なのだとすぐにわかった。
「ご紹介ありがとうございます副隊長」
「オレのことはハルでいいって。にしてもフローラ、まじで美人だな~」
「昔からよく言われていました」
「そりゃそんだけの顔ならな。これはアレクにはちとまずい……って!?」
「っ!?」
会話の
本能がやばい、と警告する殺気を放出している人物に目をやると。
「……あんのジジバカ殺す」
「なんて書いてあんのー?」
アレクの手から抜き取った手紙をハロルドが読み上げる。
「え~となになに。
『
次代も女王だというのに《セント・クロワ》は
腹を空かせた狼どもを遠ざけつつ
~
あっははは、なるほどあのじいさんらし~」
笑いを隠さないハロルドを
「俺は総隊長に頼まれて親戚とやらの配属は承諾した。したが、そいつが女で、挙句
(…………はい?)
美女というのは
「アレクよく見てみ。フローラはたしかに
「あれだけの顔だと歳は関係ない! そもそも女は女が教えればいいだろうが!」
「三番隊かー。あそこは副隊長が自他共に認めるスーパー女好きだから無理だろ~」
「だからって俺に付けるか!? 見ろこの
「隊長が弱音を吐くな
「ひと息で言うな! 生理的に無理なもんは無理だ!」
ぽんぽんとすごいスピードで交わされる二人の会話には、口を挟む隙がない。
オフィがあんぐり口を開けて様子を
「えーと。アレクは美女を見ると鳥肌が立って、度を
オースティンが言い
オフィはアレクをじーっと見る。試しに一分ほど観察してみたが、青紫の瞳は
「……ほんとにいるんですね、美女嫌いって」
「男として人生の九割を損してるだろ。ま、フローラの上官には適任かもしんないけど」
オースティンの「唯一、姫様を守ることができる存在」という言葉。
美しすぎるオフィに
「人の性質をとやかく言われたくない! そもそも自分が美人だと自覚している女にロクな
──邪な感情の代わりに、悪意に近いものを抱かれているようだが。
「これだけの顔で自覚してない方が問題あると思いますよ」
顔に笑顔を
内心は相当むかついているが、上官に
「ならご
「………………。隊長が、美女嫌いでもなんでもかまいませんが」
口調こそ
「わたしは誰になんと言われようと、退団する気はまったくありませんので」
「っ!」
反論されるとは思ってもみなかったのか、
「絶対に
真っ向から、
波乱の初日を終えた夜。
自らの離宮、ガリカ宮の私室に
姫君らしく
わけもなく。愛用の剣をむんずと
「何様のつもりよあの仏頂面男! いや実際に
いかなる
(あの失礼な態度は、思い出すだけで
少なくとも、王女だとは
高貴なる者らしい威厳や風格は自分にはないのか、と考えれば多少複雑だが。オフィは人生の半分以上を、王女とバレないように過ごしてきた。
騎士になるため、
「あーでもやっぱり腹立つわ! 一発でいいからぶん
仏頂面を苦痛で
仕方なくオフィは上官への怒りを一振り一振りに込める。今なら岩をも両断できそうだ。
と、そこへ。
「あらあら、ずいぶんとご機嫌
「お姉様!」
オフィは剣を
「どうされたのですか? お呼びいただきましたら、わたしから
「仕事が早く片付いたものだからあなたの顔を見に来たの。お
「もちろん! お姉様でしたらいつでも大歓迎です」
うきうきと姉を招き入れたオフィは侍女にお茶の用意を頼む。
ほどなくしてテーブルには二人分のティーセットと、
(は~、やっぱりお姉様はお茶を飲むだけでも絵になるわぁ)
第一王女セラフィーネ・ライザ・レーヌグラン。もうじき十九歳になる実姉は、西大陸一の美しさと
波打つ金色の長い髪は太陽神に愛されているかのように
昔から美しく、
「オフィ、これはわたくしからの入団祝いよ」
姉が渡してきた小箱の中に収まっていたのは、薔薇の形をした金のネックレスだった。
花の女王である薔薇はレーヌグランの国花。白を中心に、赤を
ネックレスが
選ばれた職人が、王家の人間からの
「金は強い力を宿す太陽の石。明るく温かくあなたを守ってくれればと思って」
天使すらひれ
「わたしのために嬉しいです……! ありがとうございます、
「それだけ喜んでもらえると
エメラルドの瞳がルビーに変わってしまうわ。セラフィーネに差し出された白い絹のハンカチでオフィは
涙が流れては
「さあオフィ、手を出して?」
穏やかでも
宝石を
「
「はい、お姉様」
「そうだわ、今日ハロルドが報告に来たの。あなたが
「実の
二人ともまごうかたなき美人だが系統が異なる。というか系統以前に、
その神話的な美貌と
「気づいていないおかげで色々と
あの
「……仏頂面隊長の態度があんまりだったので、わたしもついカッとなってしまって」
「アレクシオの性質を考えると、
(お姉様が、褒めたっ……!!)
十年前に最愛の夫を、七年前に
自分に厳しいぶん、他人にも厳しい。そんな姉が『優秀』と、手放しに近い評価をするのは己が真に認めた人間だけだ。
「お姉様、アレクシオ・ローウェルについて教えてください」
「あら、急にどうしたの?」
「お姉様が褒める人物なんてそうはいませんので、少し興味が
「喧嘩が前提なのは気になるところだけれど、いいでしょう」
セラフィーネは紅茶を一口含んでから、ティーカップをソーサーに戻す。
「アレクシオは伝統産業の
立て板に水のごとく口にするセラフィーネだが、書類などは持っていない。
次の王たるセラフィーネはオフィと違い、国内の貴族や重要人物の
まさに歩く書庫。さすがわたしの自慢のお姉様♡
「南で国境を接するソラール
「国交はあるものの昔から領土を奪い奪われ、戦争と休戦を繰り返してきた、と」
「そのとおり。だから最前線の国境では
「覚えています。しかしそれも、数日という短期間で決着がついたんですよね」
「その立役者となったのが、当時国境警備隊副隊長だったアレクシオなの。ちょうどその頃に《セント・クロワ》前五番隊長が引退することになって」
母の時代に叙任された隊長たちは、
最年長であるオースティンは化け物ゆえに、引退など現在進行形で
「候補には当時五番隊副隊長だったハロルドに、アレクシオその他数名の名が挙がったわ」
「順当に考えれば、同隊のハロルドが
「そのハロルドが『実績でも実力でも、アレクより隊長にふさわしい奴いねぇし』と彼を推挙してね。それで結局、一年前にアレクシオを隊長に叙任したというわけ」
「へぇ、お話を聞く限り、彼は最前線一筋に思えましたが……」
「だから断れば美女と毎週お見合いさせると言って、首を縦に振らせたのよ」
……美女嫌いには何にも勝る苦痛だ。
お姉様ったら、相手の痛い腹を的確に
「それにしても
「初めはよそ者
目には目を、歯には歯を。力には力をでもって、アレクは屈強な隊員を
騎士をして『恐い・強い・やっぱり恐い』と言わしめるゆえんの一つは、その
「どう? 情報を得たことで心境の変化はあったかしら?」
「若くして社会的な地位を持つ名門出身のエリート騎士。これだけの好条件も、おっかない威圧感と眼光のせいで、台無しなのが残念というかなんというか」
現役の騎士さえ竦む原因を
「騎士に必要なものとはいえ、それを言われてしまうと返す言葉がないわ」
「ひとまず実力は折り紙付きだとわかりました。──
不敵に笑うオフィに、セラフィーネは苦笑を
「あなたは逆境に燃えるタチで困るわ。くれぐれも無茶だけはしないでちょうだいね?」
「わかっています。見ていてくださいお姉様、必ずや立派な騎士になってみせますから」
「……ねえ、オフィ」
呼びかけるセラフィーネの声には何か、切に願うような
「あなたは若く美しい。それに誰にも後ろ指を指されないだけの作法も身につけているわ」
セラフィーネは
「今や健康にも問題はなくなった。何よりあなたはもう、あえて秘さずとも、自らの意思で〝秘密〟を守れる。──わたくしの本音は大切な妹を騎士ではなく、王女として
「お姉様……」
オフィは自らの左胸にそっと手を
「だから最後に、もう一度だけ問うわ──考えを改める気はない?」
姉の美しい宝石のような瞳には、妹の身を案じる色がありありと浮かんでいる。
心配をかけたくない。だけど騎士を
誰に強要されたわけでもない、自分が選んだ道だから。
「ごめんなさい、ありません」
迷いのない答えに、セラフィーネは「つまらないことを聞いたわね」と言って笑った。
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