ショコラショコラ! LOVEにまつわる願いはいかが?

〈金森 璋〉

お願いヴァレンティヌス

「はいこれっ」

「…………何もおかしなもの、入っていないですよね」


 それが、ぼくが初めて吉川先輩からもらったプレゼントだった。



 ぼくの属する研究所には、ありえないほど完璧な女性がいる。

 まず、頭がいい。

 そして、エロい。

 前者のことはとりあえずおいておこう。IQなりなんなりで人間の知能を数値化することはできるが、そんなことをしてもあまり意味が無い。

 だが『エロい』に関しては、数値化もヴィジュアル化も簡単だし意味がある。

 吉川(よしかわ)美奈(みな)。ぼくの先輩。科学者のくせに妙に歴史や雑学に詳しい。無駄にイベントが好き。

 ナイスボディという言葉以上に攻撃的なその背格好。たわわなふたつの乳房が垂れ下がることなく胸部を飾り、歩くたびにそれらは揺れる。ぎゅっと締まったウエストと、ふっくらとした腰から下のライン。女王蜂とは、こんな風なのではないか、と想像させる。

 身長は、小さい。百五十センチ程度。ヒールをはいてもぼくの身長に遠く及ばない。表情も幼く、いつもにこにこしているその様は天真爛漫そのものだ。

 彼女のそばに寄るとふんわりと香る香水の甘い香り。長く伸ばされた黒髪は清純に背中に垂らされている。

 その明るい姿に呼ばれる「蛾」は多く、毎夜の如く飲み屋街に消えていくとか、例のあの技術は高いのだと密かに噂されているが、真実は定かではない。

 当然のことながら、彼女は男性研究員の視線をくぎ付けにしている。

 そんな彼女に、ぼくは数か月前、プレゼントをもらう約束をした。



 

 最近、吉川先輩はぼくのことを何故か気に入っているらしく、ときどきちょっかいをかけては逃げていく、というのを繰り返していた。


「田之上くーん、たっのうっえくーん」

「はいはい何ですかまた」

 吉川先輩は、元気に、歌うようにぼくのそばにるんるんとやってきて、隣の空きデスクに座った。

 たまたま偶然、ぼくの隣の女性研究員が寿退社していって、はや数日。

 デスクが開いている、それも気に入っているぼくのとなりが。そうとなったら吉川先輩は黙っていない。

 以来、実力行使で(いや、特になにもしていないのだろうが)ぼくの隣のデスクを昼休憩の間だけぶん取り、そこにお弁当を広げることを日課にしていた。

「ふっふっふ、今日のお弁当はすごいのよ~」

「何がどうすごいのかよくわかりませんけど、よかったですね」

 ぼくはこの日課に対し慣れを感じ始めていた。

 最初の頃こそどぎまぎと緊張し、口ごもったりテンパったりしてみたが、吉川先輩の飾らない性格に圧され、いまやすっかり吉川先輩とは良いメシトモになっているのだった。

「じゃじゃーん。チーズハンバーグ~」

 吉川先輩がお電子レンジで温め終わった弁当箱を持ってくる。ふたをあけると、そこには色とりどりの副菜に囲まれた、小ぶりだが肉厚なハンバーグがふたつ詰められていた。

 丸みがある、ぷっくりとしたこのフォルムはおそらく手ごねだからだろう。それに、チェダー系の濃い黄色をしたチーズが乗せられ、とろりと溶けている。まわりの副菜も、温めたときにほどよく火が通るように調整されて作られていたのだろう。

「おお、美味しそうですね」

「この間、大きいのを焼いたらタネが余ったから、焼いて冷凍しておいたのよ。最後にチーズ乗せてあっためたの」

「アレンジですか。やりますね」

「私にかかればこんなもんよっ」

 言って、吉川先輩はふんぞり返る。

 頭が良くて、体型も素晴らしく、家庭的で、明るい性格。

 この女性はフィクションか?

「田之上くんにもひとくちあげる! ほら、ほらほら」

「え、あ、はぁ」

「はい、あーん」

 いや、そんなことをされたら恥ずかしいのだけれどなぁ。

「あーん、ふ、あふっ」

 それでもぼくは恥を忍んで、大きく口を開けてハンバーグを口に入れてもらった。

 アツアツにあたためられたハンバーグは、中にため込んでいた肉汁を口に入れた瞬間に解き放つ。口が油分で潤うと、ひき肉のうまみが舌に触れた。スパイスの心地いい刺激が鼻を駆け抜け、塩味がじっくりと、噛むたびに染み出してくる。

 美味しい。うん、美味しい。だがいかんせん一口が大きい。

「どう?」

 まだハンバーグに口の中を占領されているぼくは、とりあえず頷いて美味しいということを伝えた。子供みたいな反応だが、仕方あるまい。

「うふふ、それならよかった」

「ぷは。でも一口が大きいですよ」

「いいじゃないの。たくさん食べて大きくおなりなさい」

「いや、ぼくもう百八十センチほど身長あるんですけど」

 というか、成長期なぞとっくに終わっている。

「じゃ、私もいただきまーす。……んー、うん、うん、うん。おいっし。私ってば天才~」

「良かったですねえ」

 ぼくは言いながら、近くの弁当屋で買ったのり弁をビニール袋から取り出す。ぼくは料理の才能が無いのに舌ばかり肥えているので、自炊はほとんどしない。野菜を摂りたいときはそういうおかずを購入することもあるが、給料日前のピンチのときは、ま、こんなもんだ。

「いただきます」

 ぼくも挨拶をして、割り箸を割ってソースがかかった白身魚のフライの解体に取り掛かった。この店のフライは熱の通し方が絶妙で、ふわふわで非常においしいことこの上ない。

「田之上くんって、お箸の使い方上手よね。育ちが良いわぁ」

「何を小姑みたいなこと言っているんですか」

「本当のことよ。まるでピンセット使ってるみたいなんだもの」

「そうですかね。まあ、ぼくも特訓しましたから」

「親御さんに言われて?」

「いえ。昔、箸の持ち方でからかわれたことが何回かあったので、小学四年生のときに徹底的に箸の持ち方を研究して、どうすればいいのかを理解して実践して。そうしたらいつの間にかこうなってました」

「へぇ~、研究熱心ね。良き良き!」

 関心された。

「子供のころから、研究熱心なのは変わっていないのね。そのあたり田之上くんらしくて面白いわ」

「面白い、ですか」

「そそ。面白くない人って私きらーい。だから田之上くんは好きー」

「そう軽々しく好きとか言わないでくださいよ」

「だって好きなんだもん」

「本気にしちゃうじゃないですか」

 そこまで言って、僕は会話を途切れさせようとペットボトルのお茶を口に含んだ。

「何言ってるの、本気よっ」

「ぶ、っく。げっほっ!」

 吹き出すことはなかったが、おかしなところにお茶が入り込み、大げさにせき込むことになってしまった。

 この人は何を言っているんだ?

「私、面白い人のことは好きよ? 反対に何を話してもつまらないひとは大っ嫌い。私のことを否定したり上から目線で話したりする人も大っ嫌い」

 そこで先輩は言葉を区切った。弁当箱に入っているポテトサラダの中からハートの形のにんじんをつまみだしてから、続きを話し始めた。

「だから、田之上くんみたいなひとは――好きっ」

 そして、にんじんを口に入れた。

「だから。本気にしますよって」

「いいじゃない。どうせ彼女いないんでしょ? 今なら私もフリーだし」

「よくないですって」

 ぼくはちくわの磯部上げを分断して言う。

「いいですか、吉川先輩。先輩は頭も良いし、性格も明るくて、とても魅力的な女性だと思います。だからこそ、そんなに簡単に『好き』とか『嫌い』とか言ったらだめですよ」

「だって」

「だってじゃないです」

「むぅ……」

 吉川先輩は小さくうなると、黙ってしまった。怒られてしまった子供がそうするように、お弁当箱の中身をちまちまつついて食べている。

 この人は本当に年上なのだろうか。たまに本当にわからなくなる。

「…………なのに」

「はい?」

「なんでもないっ」

 吉川先輩が呟いた言葉を、ぼくは聞き取ることができなかった。そして、吉川先輩はそれ以上のことを言わず、てきぱきとお弁当箱の中身を空にしていく。

「ていうか、本当に好きならチョコレートのひとつもくださいよ」

「チョコレート……って、バレンタインの?」

「そうです」

「ああーそういえばもうそんな季節よねぇ」

「リア充が爆発しバレンタインチルドレンが制作される季節ですよ」

「そ、そんなに恨みをこめて言わなくてもいいじゃない」

「いいじゃないですか。ぼくに関係ないイベントなんて、みんなそんなもんですよ」

 そう言って、ぼくは分断しておいたちくわの磯部上げのひとつを口に放り込んだ。青のりの豊かな風味が鼻をくすぐる。フライとは違う、すり身の弾力と甘みを感じながら、しょうゆと海苔で良い味のついたごはんを口に入れた。

「よし、わかった」

「はい? なんですか」

「今年は私が、田之上くんにバレンタインデーのチョコレート、あげる!」

「…………本当にぃ?」

「何でそんなに怪訝そうな顔するのよっ」

「だって、疑わしいですもん。ぼく、チョコレートなんて母親と幼馴染くらいにしかもらったことないですし」

「だからなおさら、あげるのよ。うっし、期待していなさいよ~」

 そんなことを言って、吉川先輩は未来に向かってめらめらと闘志(?)を燃やし始めた。

 ぼくはそんな吉川先輩にあっけにとられて、きんぴらごぼうを箸に挟んだまま、フリーズしてしまった。



「ねえ、バレンタインってなんの日か知ってる?」

 ぽろ、とぼくがかじりつこうとしていたサンドイッチから卵のかけらが落ちた。

 このエロ研究員は昨日に引き続き何を言っているんだろうか。

「こほん……失礼ですが、吉川先輩。女性であるあなたにとっては非常に大事な日でしょうし、それに乗じて何かしようというのは勝手ですけれど」

「なぁんだ、田之上くんは祭りは嫌いなのね」

「いえ、そんなことは」

「じゃあ答えて?」

「それよりもですね、ぼくたちは次の論文のぉ」

「なーに言ってんのよ! バレンタインほど女の子にとって大事な日はないのよっ」

「そうかもしれませんけどね」

「ていうか、昨日もそんな話、したじゃないですか。そう毎日、毎日」

「いいじゃないの。田之上くんにとっても大事な日でしょ?」

「いえ、はぁ、まぁ」

 ぼくはこれ以上、口を出してしまう前にさっさとサンドイッチを食べ終わってしまおうと試み、馴染みのパン屋で売っていた玉子サンドにかぶりついた。

「残念だなー、私としては残念だなー、田之上くんに私の雑学を披露できないのは本当に残念だなー」

「むぐ……と、まっへくだは……ん、く」

「はい、コーヒー」

「んぐ」

 喉につまりかけた絶妙のタイミングを見計らって、吉川先生はぼくにコーヒーを差し出した。

「私の母乳入りよ」

「ごぶっがっ」

 この人は何を言っているんだ?

「さっすがに嘘だって。あ、でもご祝儀もらえるなら嫌じゃないかな」

「そんな下心で旦那と子供を作らないでください」

「はーい。わかったよぅ」

 吉川先生はぷうっと頬を膨らませて、そっぽを向いた。しかしすぐに無邪気な笑顔をつくって、ぼくの方を向き直った。

「で、で、で。バレンタインってなんの日か知ってる?」

「この研究室で一番モテないと噂されるぼくへのあてつけですか」

「この研究室で一番モテないと噂される田之上くんへの『質問』よ」

 まあ、確かにモテないけどさあ。

「バレンタインねぇ」

 ぼくはこれまで人生で過ごしてきたバレンタインデーのことを思い出す。

「恋人たちを射殺する妄想を捗らせる日ですかね」

「どうしてそんなひんまがったことになるのよ」

 吉川先生はがっくりと肩を落として苦笑いを浮かべた。

「いいわ、じゃあ教えてあげる」

「はぁ」

「バレンタイン、って言葉の起源は『聖ヴァレンティヌス卿』って人の名前なの。この人が、日本でいうチョコレートの日に繋がるにはなかなかずる賢い戦法があるのよ」

「聖人なのにずる賢い、ですか」

「そう。なんだと思う?」

「いや……わかんないですけど」

 ぼくはサンドイッチを無事食べ終わり、デザート代わりに買っておいたチョコレートバーに手を伸ばした。

 それをさっと、まさにトンビに油揚げという表現がぴったりな動作で吉川先生がひっつかんでぼくから遠ざける。

「ヴァレンティヌスはね、聖人にあるまじき行動を起こすの。キリスト教では、同性愛はご法度。今でいうLGBTの人々は迫害されて、祝福されることなんかなかったの」

「いや、それ返してくださいよ」

「ところがヴァレンティヌスは、そんな迫害されるべき恋人たちのことすらも祝福した。どんな形のものであれ、愛は大切にするべきものだ、ってね」

「返して、ください、ってば」

 すらすらと説明しながら、ぼくの手にチョコレートバーが戻らないようにひらひらと左右に手を振り続ける吉川先生。実に器用なもんだ。ぼくはお腹を満たしたいだけなんだけど。

「そうしてとうとう!」

 吉川先生は悲劇的な感じのポーズを決め、次を語る。

「教会の教えに背いたヴァレンティヌスは処刑されてしまうのです! おお、なんという悲劇!」

「あの、チョコバー溶けちゃうんですけど」

「しかし、恋人たちは彼の悲劇を悲しみのまま終わらせなかったの」

 ぎゅ、っとチョコレートバーが吉川先生の手の中で包み紙を歪ませる。

「恋人たちはね、彼の悲劇を悼み、彼の処刑日を『恋人たちの日』として風土に根差したの。それがいずれ、文化となり、町をわたり、国をわたり、日本にまで到達したってわけ」

「なるほど……で、チョコレー」

「で、どうしてチョコレートなのかっていうとね」

 ぼくの言葉が完全に無視されている。

「日本にヴァレンティヌスの名を伝えたのは戦後の某お菓子メーカーなの。そのお菓子メーカーが恋人たちの日を、『普段は告白しづらい女性からアプローチをかけられる日』兼『アプローチとしてチョコレートを贈る日』にしちゃったってわけ」

「なるほど」

 ぼくはチョコレートバーを取り戻すのを諦めて机の上のビニールをかき集め、ゴミ箱に放り込んだ。一口、コーヒーをすする。

 さて、何がぼくに関係あるんだろうか。

「ってことで、はいっ!」

「…………はい?」

「聖ヴァレンティヌスの名を借りて、田之上くんにチョコレートをおくりましょー」

「それぼくが買ってきたやつですよね!?」

 それに、包装紙はよれっとしているし、見た目からも中身が若干溶け出していることがわかる。

「…………だめ?」

「だめも何もですよっ! しかもまだ当日は先だし、ていうかっ」

「だって」



――――ぎゅ、っと。



 ぼくの頭が何かに包まれた。柔らかくて、あたたかくて、ふわりとした何か。良い、香り。記憶に残る幼い頃の優しさをくすぐるような、香り。

 それが何を意味するのか。


「好きになっちゃったんだもん。だめ?」


 静止した。世界が、時間を止めた。このままでいてもいいのだろうか。

 幸せな時間だと、言っていい。吉川先生に身を任せてしまおうか、この、胸に、おっぱいに……おっぱい!?



「何をしてるんですかぁあああああああああああああああああああああ!?」



 ぼくは思わず絶叫し、吉川先生から思いきり距離を取った。

 ぜえぜえと鳴る呼吸をどうにか落ち着ける。

「え? 好きな人への、あ・ぷ・ろ・お・ち」

「うるせえええええ!!」

「きゃー」

 そうして、吉川先生はチョコレートバーをぽいと投げ捨てて研究室の外に逃げていった。

「はぁ、はぁ、はぁ……はーぁー……あんなふざけた告白じゃなくて、いいのになぁ」

 ぼくだって、吉川先生に想いを寄せるくらいいいだろう。

 だから、ヴァレンティヌス卿。そのときはお世話になります。

 それはともかく、男の性として。


「……おっぱい、気持ちよかったな」



「やだなぁ、おかしなものなんて入っているわけないでしょ」

 時がうつろい、バレンタイン当日。

 吉川先輩はなんだか重そうというか、物理的にも感情的にも軽くはないものが入っていそうな仰々しい袋をぼくに手渡してきた。

「ひとつ聞いていいですか」

「なにかしら」

「これ、手作りですか?」

「もちのろんよ」

「ええー……」

「何よその嫌そうな顔はっ」

「いや、先輩のことは信じていますけど、何かおかしなものが入っていないっていう言葉に信ぴょう性が無くなるじゃないですか」

「……私、他人にここまで心を開かない人を久しぶりに見たわ」

「そうですか」

「とにかく、それは私から田之上くんへのプレゼント。美味しく食べてね」

「信じてますからね。本当に信じてますからね」

「大丈夫だってば」

「そ、それじゃあいただきます」

 ぼくは袋の端に手をかけて、奥に入っている小箱に手を掛けた。

 紙コップの半分くらいの高さ。横幅も、紙コップをふたつ並べたくらい。箱を、開ける。

「これは……チョコレートケーキ?」

「その通り。プチガトー・ショコラよ」

 キメの細かい滑らかな生地が、大きく膨らんだあとにしぼみこんだ跡がざっくりと残っている素朴な見た目。そこに、雪化粧のように粉砂糖がかかっている。見惚れていると、箱の中からゆったりと、カカオの濃密な香りが漂ってきた。

「本当に、本気で作ったんですね」

「そりゃそうよ。本気で作らないと美味しくないじゃない」

 ふんふん、と香りを楽しむ。甘い、砂糖の香りも混じって、このガトー・ショコラが上質なものであることを物語る。

 横目で吉川先輩をちらりと見ると、祈るような表情でこちらを見ており、早く感想が欲しい、といった風だ。

 ぼくは意を決して、ガトー・ショコラにかぶりついた。

「ん、もぐ、んん!」

「ど、どう」

 どっしりとしたチョコレート生地。しかし、それを重く感じさせない。きっと、メレンゲを丁寧に泡立てたのだろう。ふわふわの生地が溶け、なめらかに舌に絡みつく。甘い。だが、バランスよく苦い。雪化粧の下の表面が、ほんの少しだけ香ばしい。

「美味しい! 美味しいです!」

 ぼくは感激のあまり、叫ぶようにそう言った。

 途端、吉川先輩は顔を緩ませる。

「よかった~」

 まさか吉川先輩がこんな技術をもっていたなんて。思いもしなかった。

「吉川先輩の本気がこうまでとは」

「ふふん。お褒めにあずかり光栄よっ」

「とはいえ、本当にぼくにこんなに良いチョコレート贈っていいんですか? ほかの研究員たちにも同じように作ってある、とか?」

「やだ、そんなわけないじゃない」

「はい?」

「だーかーらーぁ」

 吉川先輩は、一拍、置いてから言った。


「私は、田之上くんが好きなんだ、ってば」


 その眼に、涙が浮かんでいるような気がして――ぼくは、黙ってしまった。悲しんでいるような。

 突き動かされるような、感情がぼくの中に沸いた。泡立つそれは今にもこぼれそうになっていて。あふれだしたその感情を、ぼくは、ぼくは。ぼくは――

「吉川、先輩」

「…………?」

「ぼく、も。先輩が、先輩のことが――」

 ぐ、と。塊のような言葉を、吐き出そうと覚悟したときだった。


【りぃりりりりりりん!!】

「うわぁあああっ!」

「きゃああああっ!?」

 

 誰もいないはずの、仕事終わりのこの時間に、電話が鳴った。

「は、はい、山入端研究所、田之上ですっ」

 ぼくは慌ててその電話に出た。

 その電話は結局、室長が忘れ物をして、それをぼくに取ってこさせようとしたという他愛もない話だったのだけれど。


 ぼくは、大事な何かを逃してしまったような気がした。


 ◆


「たっのうっえくーん!」

「はいはい、何ですか吉川先輩」

 翌日、ぼくたちは何食わぬ顔で挨拶をし、今日という一日を始めた。

 あのとき、電話が鳴らなければ。

 ぼくでも、こんなぼくでも。

「吉川先輩と…………」

「ん? 何か言った?」

「いえ、何も」

 こんなぼくでも、吉川先輩とお付き合いできただろうか。

「そうだ! ねえねえ、田之上くん」

「はい」

 ぼくは吉川先輩の声に顔を上げる。

「ホワイトデー、期待してるからね」

「え、あ、あああ」

 そうだった。

 これまで一切、バレンタインデーという行事に参加してこなかったぼくは、お返しというものに、ホワイトデーというものにも縁がなかった。

「どどど、どうしよう。何が欲しいんですか」

「わかんなーい。田之上くんセレクトでお願いねっ」

「えー!!」

 こうしてぼくは、三月十四日までの一か月間、女の子の好きなものを必死で考えることになったのだ。

 後日、受け取ってもらったプレゼントの勝敗は――いや、みなまでは言うまい。

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ショコラショコラ! LOVEにまつわる願いはいかが? 〈金森 璋〉 @Akiller_Writer

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