第9話 『動き出す運命』

『所長室』


目の前の扉の上に、そう書かれた表札が設置してある。部屋の中からは何やら話し声が聞こえてくる。所長の他に誰か客がいるのだろうか。

「失礼します」

それに気付いてか気付かないでか、茉瑚まこが扉をノックして部屋に入り、続けてみこととヤマダも入っていく。


第一印象は、「Wow」だった。立派な部屋だ。ドラマなんかでよく見る、警視総監なんかの職務室をイメージすると、ちょうどいいかもしれない。部屋の奥に所長の席があり、そこにはやはりロイ・ベクティスが座っている。所長席の後ろには、が飾られている。そして隣には秘書の女性を侍らしている。真ん中にはガラス張りのテーブルがあり、その両脇にはいかにも高級そうなソファが置いてある。そしてそのソファには一人の男が座って、ロイと何やら話をしている。そうやって部屋を見回したことで、命は隣にいる大柄のスーツの男に気付いた。おそらく護衛の人だろう。なぜ分かったかって?腰に刀を差していたからだ。はっきり言って銃刀法違反である。

とりあえずこの部屋には、命を含め部屋に入ってきた三人と、元々部屋にいたロイ達四人の、計七人がいた。それでも狭さを感じさせない部屋の広さだった。

「所長、連れてきました。よろしいでしょうか?」

口火を切ったのは茉瑚だった。

「ん、あぁ、ありがとう。では、私は彼らと話をしなければ」

そう言ってロイはソファに座っている男に軽く一礼する。

「そうか。まぁ仕事の邪魔をしちゃ悪いからな。じゃあ俺は失礼するよ」

男はロイに別れを告げ、扉の方、命のいる方へ顔を向けた。そして命はその男と、ふと目が合った。


その瞬間、命は激しい戦慄を覚えた。

何だこの男は。

怖い。

命はその男のことが、人間の姿をしているが、人間でないものに見えた。

男の方も命に何やら興味を持ったらしく、「ふ〜ん」と言いながらこちらへ近づいてくる。

命は足が動かなかった。全身から変な汗が吹き出ていた。男が近づいてくるにつれて、より一層恐怖が増していった。そして男は命の前で止まり、


「どうも。こんばんわ」


と挨拶をした。

命は男の発した全ての音から、得体の知れない重圧感を感じ取り、耐え切れず床に座り込んだ。汗が止まらない。

「ちょっと命!大丈夫かい!?」

隣の茉瑚が座り込んだ命の背中をさする。

「おや、大丈夫かい?」

そう言って男は命に手を差し伸べるが、命はその手を取る気になど微塵もなれなかった。その際近くで見た男の眼球は、なんだか爬虫類のような、まるでトカゲのような眼をしていた。人間のそれではなかった。

一向に手を取ろうとしない命を見て、

「う〜ん、どうやら俺は嫌われちゃったかな?はは」

と他人事のように笑って、後ろ向きに手を振りながら部屋を出ていった。


扉の閉まる音で命は我に返った。動いたりなどしていないのに、息が上がっている。今気づいたが、呼吸をするのを忘れていたのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ·····。す、すいませんでした。もう····大丈夫です」

と言って、命は背中をさすってくれていた茉瑚に謝り、立ち上がった。

命は自分以外はあの男のことを何とも思っていない事が不思議だったが、そんなことを聞く気にもなれなかった。

「ホントか?····疲れたんだろう、きっと」

茉瑚が心配してそう言う。

「はぁ······」

確かにそうなのかもしれない。ただ、あの男から感じたもの全てが、疲れから生じた幻覚なんかではないことは確かだった。


「·····大丈夫かい?話をしても」

ここで黙りを決め込んでいたロイが声を出す。

「あ、はい。大丈夫····です」

「そうか。まぁ座りたまえ。疲れたろう」

そう言ってロイはソファに座るよう促す。命はさっきまで男が座っていた位置の反対に座った。

「さて、初任務ご苦労だったね。予定と違ったものだったらしいが、良くやってくれた。ひとまずご苦労さまだ」

「ありがとう····ございます····」

思わぬ労いの言葉に、命はいささか拍子抜けだった。


「早速だが本題に入ろう。四嶋くん。君はどんな能力に目覚めたのかな?」

「それが····その·····」

「どうした?まさか、自分の能力が分からない?」

「あぁいえ!違くて!·····逆なんです。ハッキリと、まるで使に、自分の能力が理解出来てるんです」

そうなのだ。命は能力に覚醒したその時から、自らの能力の名前や、何が出来るか、出来ないかなど、こと細かに理解出来ている。いや、知っている、と言った方が的を射ている。

「あぁ、そうか。それは少しもおかしい事じゃない。覚醒すると、そうなるんだ」

そういうものかと、命は半ば納得する。何せ人智を超えたものだ。そういうものなのだろう。そんな命の様子を見て、ロイは話を続ける。

を聞いただろう?」

「あぁ――――はい、聞きました。あれは何なんです?」

命がそう聞くと、ロイは「さぁ?」といったジェスチャーをして、こう言った。

「我々もなんでも知っているわけじゃない。ただ、あれは能力が覚醒する時に、決まって聞こえるものなんだ。ま、会話は出来ないがね」

これを聞いた命は、あの声が聞こえた場面を思い出した。


――――俺·····会話してたんじゃね·····?


「あの、自分、多分会話しましたけど·······」

命がそう告白した瞬間、時が止まったかと思うほど、場が凍った。

みんな目が点になっていた。

何か変なことを言っただろうか?

命は急に不安になった。

するとロイが咳払いをして、

「す、すまない。少し取り乱した。その····本当に会話をしたんだね?」

と言った。その顔があまりにも神妙だったので、命は

「えっと、その、会話·····というか、二三言葉を交わした、ぐらいですけど····」

と自信なさげに言った。

「いいや、言葉を交わす、なんてことは出来ないはずだ。少なくとも今までそういう前例はないからね。君が初めてだよ」

ロイはそう言うと、隣の女性(おそらく秘書だろう)に目線をむけ、その女性はしっかりと頷いた。するとロイが、

「そうか。どうやら本当らしいね。君は嘘をついていない」

と自信たっぷりに言った。そんなロイの言い方に引っかかった命を見て、ロイが説明を入れる。

「あぁ、彼女は私の秘書。筑紫知惢つくしのちさくんだ。もちろん彼女も能力者だよ。『感知強化』という能力だ。それを使って、君の言葉が嘘か本当か判断させてもらった」

ロイの紹介に合わせて、知惢ちさはメガネをクイッと上げた。

なんと便利な能力だ。歩く嘘発見器ではないか。

命がそんな感想を抱いていると、ロイが向き直って、

「さて。じゃあ話題を戻そう。そろそろ君の能力について聞かせてくれないかい?」

と改まってそう言った。

命は一呼吸置いて、話し始める。

「はい。自分の能力は、『抗力干渉』です」

「ほぉ?干渉系か。なるほど·····」

「『抗力干渉』は、様々な”抵抗力”を操れます。例えば空気抵抗や、床の摩擦も無くすことが可能です。他にも――――」

命は自分の能力について、説明を続けた。


それでは種明かしタイムといこう。

命があの〈ビースト〉の拳を止められたのは、”空気抵抗”を増加させたからだ。

空気抵抗とは、簡単に言えば、空気を動かす力のことだ。物体が進むのには、空気を動かす必要がある。空気を動かすのにも力が必要なのだ。それ故に、〈ビースト〉の拳は止まることなく、ゆっくり進むこととなったのだ。

ゼリーの中で体を動かす様子をイメージするとわかりやすいだろうか。空気の壁が出来たのだ。

あともう一つ。なぜ命は〈ビースト〉の巨腕を吹き飛ばせたのか。

答えは、”垂直抗力”だ。

垂直抗力とは、物体の進む方向と、真反対の方向に働く力のことだ。壁を殴れば殴った力が壁に加わり、同時に壁からも、同じだけの力が、殴った側にも加わるのだ。それが垂直抗力である。その垂直抗力を増加させたことで、〈ビースト〉の腕が、それに耐え切れず、木っ端微塵となった、という寸法だ。


「―――という感じです」

命は説明を終え、目の前のロイの反応を待つ。

「ふむ、なるほど。おおよそ把握した。それじゃあ話を進めよう」

そう言うとロイは命の目を見据えてこう続けた。

「『H.B.T.L』にはいってくれるかい?」




命は逡巡していた。入るか否か、迷っていた。

自身の恐怖と戦っていた。

死ぬかもしれないのだ。

〈ビースト〉と戦うとは、つまりそういうことなのだ。

正直怖い。

しかし、命は自分にはそれをする責任があると感じた。


力ある者の義務だ、と。


何のためにこの力を欲した?

何をするためにこの力を振るう?


決まっている。


守るため。


命は〈ビースト〉に頭を食べられた人達の姿を思い出した。

助けたい。

命は強い義憤を感じたのだった。

そして、覚悟は決まった。




「やります」

命は言った。

そしてもう一度、強い決意を持って、自らを鼓舞するように、

「奴らを、〈ビースト〉を倒す手伝いをさせてください!」

と言った。

「もちろん、歓迎するよ」

ロイは、どこか不敵な笑みを浮かべて、そう言った。





「失礼しました」

茉瑚はそう言って所長室を出ていく。もちろん命とヤマダも一緒だ。命は何となく一礼して部屋を出た。


バタン


扉が閉まるのを待って、ロイは独り言のように、しかし興奮して話を始めた。

「――――彼だよ。まさに彼だ!四嶋命!!何たる運命だ!」

秘書の知惢と、護衛の衛守冬弥えもりとうやは平静を保っている。

ロイは一度「ふぅ」と息を落ち着かせ、再び口を開いた。

「四嶋命は私の計画に必要だ。出来るだけ早く計画を進めよう」

そう言いながら、ロイは立ち上がり、背後の十字架に向かって跪き、こう呟いた。


「神の御加護を。楽園を、再び」





場所は変わって『H.B.T.L』の出口。すっかり夜になった外は、少し冷える。

「いやぁー良かった良かった!安心したよ。命くんが入ってくれたおかげで、だいぶ戦力が増えた。ありがとう」

ヤマダは命の見送りに、出口までついてきてくれた。茉瑚は六月の様子を見に医務室へ向かった。

「いえ、俺がやりたいって思ったので。あと·····ひとつ聞いてもいいですか?」

「構わないさ。なんなりと」

「その····所長室にいた、あの男についてなんですけど·····。彼は誰なんです?」

命はずっと引っかかっていたことを聞いてみた。

あの男は人間じゃないのではないか?

そう聞いたら不審がられると思って、とりあえず素性を聞いてみた。

「あぁ、あの人は情報屋だよ。いろいろ助けてくれてる。彼は誰なのか、と聞かれると、少し困るんだけどね」

「どういうことです?」

「いやぁー、はっきり言うとね、彼については情報が無いんだよ。本名すら知らない」

ヤマダは頭を掻きながら言った。

「え!?そんな人、信用できるんですか?」

「ま、彼がくれる情報は確かだからね。一応、『ノア』という名前で通ってるよ」

「ノア·····」

命はその通り名を繰り返した。ノア、と言うと····

「ノアは、アダムから数えて十代目の子孫だ。そんな所から名前をとるなんて、恐れ多いことだねまったく」

ヤマダは命の考えと同調するように、まるでそんなことは思ってないような口調で、ノアについて注釈を入れた。

「まぁ、命くんもここで仕事をしていればノアを見かけることはあるかもね」

出来ることなら見ないで済むことを願うが、それについては命は口に出したりはしなかった。


とりあえずそんな所でヤマダに別れを告げ、家路に着いたのだった。

明日は学校がある。帰って早く寝床につきたいと、命は心底そう思った。


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