第8話 『ビースト 2』
「····す、すごい」
命は思わず感嘆の声を漏らす。
完封だ。相手が何も出来ないまま、六月は〈ビースト〉を圧倒していた。
勝てる。
見ていて誰もがそう思うほど、六月には分があった。
だが現実はそう簡単にはいかない。
六月が戦っていた〈ビースト〉を倒し、『調和薬』を撃ち込んだ後、戦いが終わったと思った命は、六月の元へ走っていた。
しかし、戦いはまだ終わっていなかった。
物陰から、もう一体の〈ビースト〉が姿を現したのだ。そしておかしな事に、その現れた〈ビースト〉は肥大した顔面にメガネが食い込んでおり、まさしくそいつは、〈ビースト〉となった鈴木の姿だった。しかも身体が数段と大きくなっている。
―――じゃあさっきまで六月が戦っていたのは鈴木ではない別の〈ビースト〉だった!?
そこまで思考がおよんだ時、〈ビースト〉が巨腕を振り上げた。反射的に命は叫んだ。
「六月!!!」
避けてくれ。お願いだ。死なないで。
そう願って叫んだが、叫ぶだけでは何も救えないし、変わらない。
六月から離れた場所にいた命には彼女を救う術などなく、そして命の願いも虚しく、ついに〈ビースト〉は六月の華奢な身体を壁に打ち付けた。
振り抜いた巨腕の勢いを制しきれず、〈ビースト〉は一回転して倒れた。
その隙に命は倒れた六月の元へたどり着き、呼びかける。
「六月!おい!大丈夫か!!」
「·······」
沈黙。
もう一度。
「おい!!六月!!頼む!!返事をしてくれ!!!」
「······クハッ!」
今度は無事―――いや吐血しながらだから無事とは言えないが―――反応があった。
「!!良かった·····!」
とりあえず生きていることは確認できた。
それは良かった。
良いのだが。
さて。
「ヴゥゥ」
振り向くとちょうど〈ビースト〉が体制を整え、立ち上がるところだった。
「―――どうする·······」
目の前の怪物を眺めながら、四嶋命はこの難題をどう乗り切るか考えていた。ここで言う難題というのは、〈ビースト〉からどう逃げるかということではなく、どう倒すかということだった。
六月を連れて逃げるのは、どちらかが必ずやられてしまう。かといって戦いの経験のない命には、〈ビースト〉を倒せるだけの知識と経験が圧倒的に足りない。
そもそも命は自分の能力に目覚めていない。
こんな状態で戦うなんて自殺行為でしかない。
勇敢と蛮勇を履き違えている。
「グゥォァァァァァォォ!!!」
そんなことを考えている間に、〈ビースト〉は既に立ち上がり、今にも攻撃してくる勢いだ。
どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。
命の脳は今までにないほどフル回転していた。
と、その時、隣で倒れている六月が命の裾をつかみ、掠れた声でこう言った。
「こ····を·····きな····さい···」
「六月!大丈夫か!なんだって?」
「こ····声、を·····聞いて···」
そして六月はカクンッと首を落とし、気を失った。
「六月!?六月!!」
――――声?
「声を·····聞く···」
何の事か分からない。しかしやるしかない。
命は何となく、いや、本能的に目を閉じ、意識を集中させた。
「あいつを倒したい」
そう強く念じた。
それと並行して、〈ビースト〉が叫びながらこちらへ向かってくる。
その時だった。
――――力が、欲しいか
男の声が、脳の奥底で響いた。
――――声が、聞こえる····!でもこの声、なんだか····懐かしい····?
――――
――――奴を、敵を倒すため。運命に抗う力が欲しい!
――――汝、”抗う力”を欲する者よ。力を授けよう
命が目を開いた時、〈ビースト〉はもう目と鼻の先だった。
〈ビースト〉が巨腕を振り上げ、叫びながら振り下ろしてくる。
「ヴモ”ォォゥァァァァォァォォ!!!」
そして拳は地面に直撃して、大きな音を上げ、土煙を巻き起こす。
はずだった。
しかしそうならなかった。
命は振り下ろされる拳に対して、片手で止めるように、空中に
するとどうだ。
振り下ろされた拳は、風を切るような音を立て、空中で止まっていた。
まるで急に壁が現れたように、ピタッと止まった。
いや違う。正確には止まった訳では無い。微かに拳は進んでいる。
では言い直そう。
振り下ろされた拳は、風を切るような音を立て、唐突に進みにくくなった。
何が起きたかわからない〈ビースト〉は、困惑していた。
そんな怪物の様子は我知らず、命は雄叫びを上げて、微かに進みつつある〈ビースト〉の拳に、一発殴りを入れる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
そして命の拳が〈ビースト〉の大きな拳に触れた、その刹那。
〈ビースト〉の巨腕が、一瞬膨らみ、そして爆散した。
まるで、力に耐え切れなかったような感じで、跡形もなく消えた。
「バァァァォァォォォァアゥア!!!」
〈ビースト〉は突如失われた自分の腕の付け根を抑え、地面に倒れ込み、悶え苦しむ。
そして〈ビースト〉は気付いた。
いつの間にか命が自分の倒れた身体の上に乗り、小さな拳を自分のメガネの食い込んだ顔面に打ち込もうとしている事に。そして命の眼には、殺意が充ちていた。
しかしその時、振り上げられた腕は、別の腕に抑えられた。
「落ち着きなさい、命くん」
琴を奏でるような、落ち着いた声でそう諭された命の眼には生気が戻り、はっと我に返った。
後ろを振り向くと、やはりそこには傷ついた自分の身体を押さえながら、六月が立っていた。
「良くやったわ。お疲れ様。でも殺しちゃダメよ。聞きたいことがあるから」
そう言って六月は、S&Wで『調和薬』を撃ち込んだ。
「聞きたいことって?」
「鈴木は私達、『H.B.T.L』のことを知っていたの。どこで、誰からその情報を聞いたのか。これを聞く必要がある。それにあの赤い液体····」
「赤い液体····?」
命が聞こうとした時、
「うっ····」
人間に戻った鈴木が、
「鈴木先生、大丈夫ですか?」
六月が尋ねる。
「うー···ん、私、は何·····を」
「教えて下さい!『H.B.T.L』のこと、誰から聞いたんです?」
「『H.B.···T.L』···?」
「えぇ、そうです。教えて下さい」
「それ···は」
鈴木が答えようとしたその時だった。
ピュン
一筋の光が、鈴木の眉間を貫いた。
命と六月は反射的に光がやってきた方向を見る。そして、建物の向こうに、あの黒服が隠れていくのを見た。
「あれは······」
命は追いかけようと駆け出した。そして黒服の隠れていった建物の向こうへ着く。そこは開けた通りで、隠れる場所などなかった。しかし、そこに人影はなく、黒服は姿を消していた。
命は諦めて六月の元へ戻った。
「六月·····鈴木は····?」
「·······死んでるわ」
六月は鈴木の開いた目を閉じてあげながらそう言った。
「黒服のやつはもういなかったよ……」
「そう····。『進化研究協会』の差し金ね」
「·······」
沈黙。
そしてこの沈黙を破ったのは、サイレンだった。
ピーポーピーポー
「これって警察!?」
「····でしょうね」
「六月、走れる?」
聞かれた六月は首を横に振る。
「走れはしないけど、歩くぶんには平気よ」
「でも走って逃げないと」
横着していると、とうとう警察が現場に着いた。
「そこの二人!何をしている!」
「や、ヤバい!!」
「大丈夫よ、命くん」
「え!?どういうこと?」
そんなことを言っているうちに二人はあえなく捕まり、パトカーに乗せられた。
二人を乗せた後、運転席に警官が乗り込み、バタンッとドアを閉め、パトカーは出発する。
しかし、二人がパトカーで連れてこられたのは警察署ではなかった。
「降りろ」
警官に促され、二人は降りるが、
「え?いや、ここって·····」
と命は警官に聞くが、既にパトカーは走り出していた。
「『H.B.T.L』じゃん」
そう。二人が連れてこられたのは『H.B.T.L』の裏口の前だった。
「さ、行きましょう」
六月はしれっと先へ進む。
「え、六月これ知ってたの!?」
「大丈夫って言ったでしょう?」
「いや、言葉のあやかと·····」
そんなやり取りをしているうちに、地下施設へたどり着いた。
「命くん!!ついに能力に目覚めたんだってべへァ!!」
帰還そうそう、疲労困憊の命の体を揺さぶり、興奮をあらわにしていたヤマダを、茉瑚が肘打ちで落ち着かせる。
「おかえり二人とも。無事でよかった。」
茉瑚が、ヤマダとは打って変わって穏やかに迎える。
「ただいま」
「えと、た、ただいまです」
「はい、六月にはこれね」
そう言って茉瑚は六月に錠剤を渡し、「飲んだら医務室で寝てなさい」と言いつけた。六月は素直に医務室へ向かって行った。
「じゃ、命くん、お疲れ様」
「うん。お疲れ」
こうして命と六月は別れたのだが、命は少し気になる部分があったので、茉瑚に一つ聞いてみることにした。
「なんですか?さっきの」
六月に渡した錠剤のことだ。
「ん?あれはね、『元気玉』」
「え?『元気玉』?それってアレですよね?あの、『オラに元気を〜』のやつですか?ですよね?」
「なんのこと?あたしはそんなの知らないけど」
なるほど。あくまでもしらを切るつもりか。
「それ、大丈夫なんですか?コンプライアンスとか……」
「うるさいわねぇ。飲むと元気が出て、翌日にはある程度の怪我は治る優れものなの。あたしはアニメの話はしてません」
「いや、俺はアニメの話なんて一言も言ってないんですけど」
「······」
「······」
「····ところで、命に話がある人がいるそうだ。帰って早速で悪いんだけど、少し付き合ってくれないかい?」
「···えぇ、まぁ、いいですよ」
命は『元気玉』についてもっと糾弾したい思いに駆られたが、とりあえず後回しにした。
「じゃあ所長室に向かおう」
「なっ!えっ!?所長!?」
「そう。ついさっき出張から戻られたんだ」
『H.B.T.L』所長、ロイ・ベクティス。彼は世界的にも有名な、三本の指に入るほどの資産家だ。そして脳科学の賢威でもある。しょっちゅうテレビに出ているので、そういうことに疎い命でも、彼の名前は知っている。それほどの人物なのだ。
そしてここで話題に出る、ということは、彼もこの『能力』について関係しているということになる。―――まぁ所長なんだから知っていて当然だ、とも考えられるが。
「今から····会うんですか?」
「うん。そうだよ」
簡単に言ってくれる。こちとらそんなお偉いとは関わることなどない人種だ。つまるところ未知との遭遇である。
「ほら!ヤマダさんも行くよ!」
そう言って茉瑚がうずくまってるヤマダの肘のあたりを掴んで引っ張っている。
「ちょ、ちょっと····待ってくれるかな?み、みぞにね·······肘打ちが······うっ」
「そんなこと言ってないで!行きますよ!」
茉瑚が引っ張る力を強める。
「うぅ·····」
為す術なく、ヤマダは茉瑚に促されるまま連れて行かれた。
引きずられていくヤマダに同情しつつ、命は二人について行った。
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