第7話 『ビースト 1』

命が無事に『H.B.T.L』を出て帰路についた頃には、既に夕方だった。幸い、今日と明日は土日で学校はなかった。その点では嬉しいことだが、それを大きく上回る不運が命を襲ったことで、気分はマイナス方面だった。

「見学………ね」

命は茉瑚の提案について考えていた。

「見学するとなると、おそらく、いや絶対にあの〈怪物〉と出会う羽目になるよな………」

命は大きくため息をついて、その場にしゃがんだ。

「どうすればいいんだ……」

どうしようも出来ないことは分かっていた。分かっていたが、命はどうしてもその運命に抗いたかった。理由は簡単だ。怖かったから。

「あぁ〜〜っ!クソっ!」

何も出来ないことが悔しくて、命は拳をアスファルトの道路に打ち付けた。すると、


ドゴンッ!!


と大きな音がして、命は立ち上がった。そして驚愕した。

命が拳を打ち付けたところは大きく凹み、そこをを中心にアスファルトの道路にヒビが入っていた。

「―――そうか。俺はもう普通の人間じゃないんだ…………っ!」

命はなんだか底知れない恐ろしさに駆られて走った。さっきまでウヤムヤにしていた、自分が能力者であるという事実が唐突に現実味を帯び、命を包み込んできた。それから逃げるようにして家へ走った。走る速度もおそらく車の速度を優に超えていただろうが、そういうことは考えないようにした。怖かった。







「…………ただいま……」

あれだけ走っても息ひとつ切れていない体に、やはり違和感を感じつつ、命は無事、およそ半日ぶりに帰宅した。

「おかえりー。ばあちゃんは温泉旅行で出掛けてるからね〜」

澪の声がする。なんだかやけに久しく感じるのは疲れているからだろうか、それとも………。

命は澪の言葉には特に返事もせず、そのまま自室へ直行した。

「………なんだろあいつ。疲れてんのかな?」

部屋に戻った命はベッドにダイブした。途端に眠気が襲う。弥彦の能力で疲れた体は、歩けるようにはなったものの、まだ完全には回復していなかったらしい。そしてそのまま命は眠りについた。





ピンポーン ピンポーン

翌朝、命はチャイムの音で目を覚ました。それでもまだ眠気があり、動く気にはなれなかった。

ピンポーン ピンポーン

「はーい」

澪が既に起きていたらしく、応対する。

「どちら様で………えーーっ!!??!?」

澪の叫び声で今度はしっかり目が覚めた。

「……は…こかし…?」

来客者の声がうっすら聞こえるが、誰かは全くわからない。

「えっ、ちょっ、ままま、待って」

澪が慌てた声を上げている。

一体誰が来たと言うんだ?

タッタッタッタッ

階段を駆け上がってくる音が聞こえる。

まさかここへ来る気か!?

命がそう思った瞬間、ガチャ!と部屋の扉が開き、その来客者が姿を現した。

休日にも関わらず制服で、長い黒髪に赤いリボンが特徴的な女の子。

まさしくそれは、紀尾井坂六月であった。

「さ、行くわよ。支度して」

「―――――へ?」

命はすっかり間の抜けた声を出した。





「ね、ねぇ紀尾井坂さん……」

「……………」

六月は命の呼びかけに反応無しだ。

命は思わぬ来訪者に少なからず驚いていたが、それは澪も同様で、「なんで紀尾井坂さんが!?」とか、「ちょっと命!あんた紀尾井坂さんとドーユー関係なの!?」とか、「紀尾井坂さんって休みでも制服なんだぁ〜」などなど、朝からうるさくて仕方なかった。

ちなみに今の命の服装も制服だ。何故かと言うと、六月が着ていたから何となく、という単純な理由なのだが。

閑話休題。

命は、何故六月が自分を連れ出したのか、理由を知らされていない。昨日今日のことだから、少なくとも能力絡みであろうことは推察できるが。

もっとも、先程命はそれについて聞こうと、先を歩く六月に呼びかけたが、あえなく無視される結果となったのだった。意を決してもう一度聞いてみる。

「ねぇ、紀尾井坂さん」

「なに?」

今度は反応してくれた。とりあえずひと安心だ。

「いやその、なんの用事で俺を連れ出したのかなぁ〜?なんて……」

「……………」

沈黙。

危うく再び無視された事実に耐えきれず泣いてしまうところだった命だったが、六月がその沈黙を破った。

「鈴木のことは聞いてるわよね?」

「え、あ、うん、聞いてるよ………」




命があの時、〈ビースト〉となった鈴木に襲われた後、直ぐに弥彦が来たらしい。そして弥彦と六月の二人だけで、命のことを庇いながら〈ビースト〉の相手をするのは無理があったので、止むを得ず命だけ連れて帰り、鈴木に対しては何も対処できなかったという。




そこまで思い出して、命は弥彦に言われたことを思い出した。

「あ、そうだ紀尾井坂さん!あの時、助けてくれてありがとう!」

「………いえ、大したことはしてないわ。……まぁでも、無事でよかった」

弥彦の言う通り、心配はしてくれていたのか。

「何の用か………だったわね?」

ここで六月は歩みを止めた。つられて命も止まる。

「え?あ、うん」

「見学の話は聞いてないの?」

六月は振り返って話をする。

「――――あぁ、それね」

結局あの話は通ったのか。まぁそんな気はしていた。

「そう、知っているのね。じゃあ簡潔に言うわ。あたし達の当分の目的は、〈ビースト〉となった鈴木のよ」

「せ、殲滅……ですか」

そんな物騒な単語がまさか六月の口から出てくるとは思いもよらなかった命は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「そうよ、殲滅。あたし達はヤツらを倒さなくてはならない。それで、なんの用かという話に戻すけど、〈ビースト〉殲滅の見学のお誘いに来たの」

「お誘いって………強制的に連れ出された感じだったんだけど」

「そうかしら?捉え方次第じゃない?」

なんだか聞き覚えのあるセリフだったが、誰が言ったのかは、命はもう忘れていた。

「はぁ、まぁそれはいいんだけどさ。てゆーか、肝心の〈ビースト〉はどうやって見つけるのさ?」

すると六月は振り返りざま少し笑って、こう言った。

よ」

またか。よもや再びそのセリフを聞くことになろうとは。

「………その、紀尾井坂さん。前も言ってたけど、その勘ってのはどういうこと?」

「……………」

命の質問を無視して、六月は再び歩みだした。しょうがなく命はそれに付いて行く。





これから何をするのかと思い、半ばビクビクしながら付いて行った命だったが、まったくもって拍子抜けだった。

まるでデートだった。

目抜き通りに行って、主に買い食いを堪能した。緊張感など一切なく、途中で目的を忘れそうになったほどだ。命は何度も繰り返し六月に尋ねた。「これは本当に見学なの?」と。その答えは、「えぇ、もちろん」の一点張りだった。ふざけてるのかと、何度も疑った。


結論から言うと、六月はあくまでもふざけてなどいなかった。後に知ったが、このようなやり方は六月しかできない事だったらしい。なによりそれは、彼女の『能力』ゆえだ。






すっかり日は暮れ、人通りも少なくなり、肌に当たる風がすっかり夜のものとなった。

今は目抜き通りを離れ、日中も人通りの少ない通りを歩いている。

「何度も聞くけどさ、ほんとに。大丈夫なの?こんなことしてて」

「大丈夫よ。任せなさい」

と答える六月だった。

「そういえば紀尾井坂さんって、どんな能力を持ってるの?」

「六月でいいわ。それにさん付けも要らない。紀尾井坂って、言うと長いでしょ?」

命はドキッとしたが、何しろ本人のご所望であるから断る訳にはいかない。

「―――分かったよ、六月。それで、六月の能力は何なの?」

「………一言で言うと、未来予知ね」

「未来予知……?」

「そう。あたしの能力は、『直感強化』。言ってしまえば、勘が鋭くなるわけ。それもずば抜けて。そうなると、これから起こることが何となく分かるの。勘でね」

と言った。

なるほどそういうことか、と命は納得した。そして命は答え合わせをしようと、六月に尋ねる。

「じゃあもしかして、テストで満点取れるのも、その能力のおかげってこと?」

「……ま、そうかもしれないわね」

と、六月ははぐらかした。

しかし、そう言った直後、彼女の表情がコロッと変わった。先程までの雰囲気から一転し、ピリッとした真剣な眼差しを見せる。

命がそんな六月の様子を不思議がっていると、


「うゎ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「きゃぁぁぁぁぁ!!」


と大きな叫び声が聞こえた。

「え!?こ、これってまさか」

命がそう言葉に出す前に、六月は既に叫び声の元へ走り出していた。

「あっ、ちょっと、待って」

そして命も六月を追いかけて、騒ぎの方へ向かった。



この時、命は気付かなかった。背後に例のが潜んでいたことに。






逃げてくる人の間をすり抜けながら、命は前に進んだ。

人混みを抜けると、六月が立っていた。そして視線の先には、〈ビースト〉がいた。鈴木だったであろうそいつの顔には、あの時、命が襲われた時にあったはずのメガネがなかった。

〈ビースト〉がこちらに気付く。

命は〈ビースト〉と目が合ったような感じがして、その瞬間背筋に針を刺されたような悪寒が走った。視線を逸らすように〈ビースト〉の足元を見ると、首から上がない人間の死体が二三転がっていた。頭が、具体的にいえば、脳が食われていた。無意識にまた一歩下がる。

すると六月がそんな命の様子を気遣ったのか、

「大丈夫よ。アレを倒すのはあたしの仕事。命くんの仕事は、ただの見学よ」

と、命に話した。

命は、六月に名前を呼ばれたのが初めてじゃないかと思い、一瞬動揺した。事実初めてだったのだが。

とにかく、その言葉で命の気持ちはだいぶ楽になった。

「…………うん、分かった。気をつけて、六月」

命がそう言うと、六月は〈ビースト〉の方へと駆けて行った。






――――おかしい。

六月は先程から腰についている発信機のボタンを押している―――ボタンを押すと自動的に『H.B.T.L』に連絡がいく―――が、どうも信号が発信されない。

機会の故障か。後でヤマダに文句でも言っておこう。

六月は改めて目の前の〈ビースト〉と向き合う。「ふぅ」と体の力を抜き、リラックス。

戦闘準備は完了だ。それに呼応するように、

「ヴァァァアォオォアゥゥァ!!!」

と、〈ビースト〉が雄叫びを上げた。

六月は両腰に装着していた拳銃を二丁取り出した。スミス&ウェッソンM500ハンターモデルだ。

この銃は、【約五メートルの距離から一インチ間隔に並べられた厚さ二センチメートルの松板を何枚貫通できるか】というテストで、十七枚を貫通し、十八枚目でやっと止まった(しかも傷つけた)といった結果が出ているほど、非常に強力な拳銃だ。普通の人間には扱いが難しい。

そう。には。

六月はその二丁を難なく構える。

雄叫びを上げた〈ビースト〉が、大人一人を充分に捉えるほどの大きな拳を振り上げた。

と同時に、

バキュォーーン!!

と六月が銃を発射した。

それは明らかに拳が振り上げられたのを見てから撃った速さではなかった。まるでそこに腕が来るとかのようなタイミングだった。

自らが振り上げた腕の勢いに、S&Wの銃弾の勢いがプラスされて、〈ビースト〉は後ろに倒れた。

銃弾は〈ビースト〉の右腕を、拳から肘のところをかけて貫通しており、その二箇所から血が出ていた。

「グォォォォァァアアォ!!!」

苦しそうに叫ぶと、〈ビースト〉は口から何かを六月に吐き出した。

当然それも分かっていた六月は、後ろに飛んで避ける。

吐き出した何かが地面に達すると、その地面が溶けていった。

胃液だ。しかも酸性が数段強くなったものだ。触れただけでも一瞬で溶ける。

六月が着地すると同時に、〈ビースト〉がこちらに突っ込んできた。

――――左腕、右斜め五十度からの振り下ろし。

バキュォーーン!!

再び六月が発砲音を鳴らす。

〈ビースト〉が左腕を振り上げた瞬間に、今度は肩のあたりに命中した。

肩に風穴が空いたことで腕に力が入らなくなった〈ビースト〉は、力無く振り上げた腕をただ地面に下ろすことしか出来なかった。それに負けじと、〈ビースト〉はまだ抗う。

――――右足での蹴り上げ。

バキュォーーン!!

三発目。寸分の狂い無く、やはり〈ビースト〉が攻撃に使おうとした右足に、使う前に銃弾が撃ち込まれた。

「ブモォォゥァァォゥァ!!!!」

何も出来ない〈ビースト〉は叫ぶ。左足以外使い物にならない怪物は、ただただ倒れていることしか出来なかった。

そんな悲痛の叫びの中、六月は拳銃に青い液体の入った弾薬を装填した。そして〈ビースト〉の胸のあたりに飛び移り、拳銃を眉間に向ける。

「終わりです。鈴木先生」

バキュォーーン!!

六月が眉間に撃ち込んだのは、『調和薬』だった。〈ビースト〉となった者を人間に戻す薬だ。

それを撃ち込まれた〈ビースト〉はだんだんと怪物から人間へと変化していった。

それは鈴木の姿になるはずだった。はずだったのだが。

「――――違う……!こいつは鈴木じゃない!?」

ついさっきまで怪物だった目の前の人間は、鈴木では無い全くの別人だった。

するとその直後、

――――背後

と、六月の直感が伝えたと同時に、「六月!!後ろだ!!」と命の声もした。

刹那、後ろを振り向いたが、もう遅かった。

シャッター街で見たあの〈ビースト〉は、いっそう体が大きくなり、六月が後ろに飛び退いても充分届きうるリーチの長さを持ち合わせていた。


薙ぎ払われた〈ビースト〉の右腕は、しっかりと六月の身体を捉え、吹き飛ばした。


ドゴォォン!!


吹き飛ばされた六月の身体が地面に打ち付けられ、砂埃をあげる。


「カハッ………!!」


六月は、吐血し、地面にうなだれた。








それらをただ見ていただけの傍観者の男が、


「六月!!!!!」


と叫んだが、それは空に溶けていくだけで、虚しさが糸を引いた。


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