火のないところに煙を立てるお仕事です。・裏
「ねぇ、知っている? 理沙ってば、エンコーしてるらしいよ」
「えー、うそ、マジ? っていうか、今時?」
「大人しい顔してねー」
「でも、ほら、理沙って、千枝のカレシとったんでしょ?」
「ああ、噂で聞いた!」
「マジビッチ」
きゃぴきゃぴと、クラスの女の子達が、教室の後ろの方で楽しそうに話している。朝のさわやかな風に似合わない、黒い話題。
窓際の一番後ろの席。わたしの席に座って、わたしの話をしている。紺ソに包まれた足をゆらゆらと揺らしながら、楽しそうにあの子達は話している。
廊下にいても聞こえる大きな声。がらり、と教室の後ろの扉をあけて、わたしが入っていっても、話は終わらなかった。あの子達は、確かに一瞬ちらりとわたしを見たけれども、それでも話をやめなかった。
「どんだけ、男好きなのって話」
「でも、千枝の元カレと付き合ってないんでしょ?」
「だから、遊びで盗って捨てたんでしょ」
そこで、一拍、間をおいて、
「理沙のやつ」
はっきりと、一音一音言葉を発した。
出て来た自分の名前と、内容と、それから占拠された机に、わたしは顔を歪ませる。
「あんな清廉潔白、みたいな顔して」
「大和撫子っぽいって、男子が言ってたのに」
「男はああいうのに騙されるからー」
けらけらと、笑い声。
そのまましばらく、机から離れたところでどうするものか悩んだけれども、
「あの!」
結局、声をかけた。
あの子達の視線が、わたしに突き刺さる。
「こわっ」
男子が呟く。
朝の喧噪の中にあった教室が、一瞬静まり返った。
「わ、わたし、そんなことっ、しないからっ!」
上擦った声は、思ったよりも教室中に響いた。
沈黙。
沈黙を破ったのは、リーダー格の子の、
「で?」
という一言だった。
ぞっとするぐらい、冷たい目。
わたしは、一歩、後ろに下がった。
「あんたが、それは嘘です、違います、って言って、あたしたちが信じると思ったの?」
「そんなの素直に認めるやついるわけないじゃん」
「無実なら堂々としていればいいのに」
「慌てるなんて怪しい」
「どうせ、本当の事なんでしょう?」
「火のないところに煙はたたないっていうもんね」
口々にそう言って、げらげらと笑う。
何を言うのが一番いいのか考えて唇を少し動かしたものの、結局何も言えずに口を閉ざした。
「それぐらいにしといたら?」
背中に声がかかる。
廊下側の一番後ろの席の友ちゃんだった。
友ちゃんは、いつも助けてくれる。
「なに、友子」
「そろそろ先生、来るよ」
「あ、ほんとだ」
時間を確認すると、素直にあの子達は自分の席に戻って行く。
空いた席に、わたしは鞄を置いた。
「女子こえー」
「なー。でもマジどーなん? 七瀬って、そーなん?」
「知らんよ」
男子がこそこそと話をしている声が聞こえる。わたしの耳にまで届いてくる。
がらり、と前のドアをあけて先生が入ってきて、しばらくしたらポケットのケータイが震えたのがわかった。
先生が去ってから確認すると、案の定友ちゃんからのメールだった。
理沙へ。気にしなくていいよ。人の噂も七十五日。
わたしはそれに返信すると、小さく微笑んだ。
わたしの噂が広がり始めたのは、高校二年になった、五月のころのこと。
人の男を盗った。
カンニングしている。
万引き常習犯だ。
援助交際をしている。
誰が言い出したのかは定かではない。噂なんて、そんなもんだ。
皆が皆、信じているわけでもないだろう。
噂を広めている子達だって、本当は信じていないのかもしれない。ただ、暇だから。何か楽しいことが欲しいから。他人の悪口は盛り上がるから。だから、話している子もいるだろう。
それでも、次から次へと出てくる悪い噂は、少なくとも「七瀬理沙」はそんな噂をされるような人物だ、誰かに恨まれてそんな噂話を作られるのだ、と思わせるには十分だった。
そして、この学校という社会において、誰かにそこまでの悪意を向けられているというのは、迫害するに十分なのだ。
火のないところに、煙はたたないのだから。
わたしは、あの噂が全部でたらめだって知っている。
わたしのことだから。
そうして友ちゃんも、知っている。
友ちゃんとは、幼稚園からの付き合いなのだ。
わたしが、噂のようなことはしないって、知っている。
「七瀬」
お昼休み、いつものように友ちゃんと屋上でご飯を食べようと、お弁当を抱えて立ち上がったところ、クラスの男子に声をかけられた。
想定外の出来事に動揺する。記憶ファイルから彼の名前をひっぱりだす。
「……石川くん」
彼は、サッカー部のレギュラーとかで、女子に人気がある。そんな彼が、嫌われ者のわたしに声をかけたことに、教室が少しざわめいた。
視線が、わたしたちに集まる。
友ちゃんも、皆と同じようこちらを見ていた。
彼は、何を言うつもりなんだろうか。
思わず、身構えてしまう。
彼は、何を言うつもりなんだろうか。
なにか、意地悪でも言うつもりだろうか。
けれども、彼の口から出たのは、予想に反して、
「がんばれ」
力強い、そんな言葉だった。
「え?」
本当に予想外で、わたしはきっと間抜けな顔をしただろう。
「俺は、七瀬のこと、信じてるから」
僅かに朱色に染まった頬が、彼がなんのためにわざわざこんなことを言い出したのかを、指し示していた。
「それだけだから」
逃げるようにそう言い切ると、わたしに背を向けて、彼は教室を出て行こうとする。
そして、完全に外に出る直前、吐きすてるようにこう言った。
「噂話とか、くだらねーの!」
そして、ぴしゃり、とドアが閉められる。
しばらくの沈黙のあと、教室はまた、ゆっくりとざわめきを取り戻していく。
「え、何、石川くんって理沙のこと好きなの?」
「え? やっぱり、そういうことなの」
「……石川が言うと、噂話で盛り上がってた俺等、恥ずかしいな」
「なんか、な」
彼の投げた石は、教室に波紋を広げて行く。
「理沙」
友ちゃんがなんだか怒った顔でこちらに近づいてくると、わたしの手を掴んだ。
「友ちゃん」
そして、波紋から逃げるように教室をあとにした。
「理沙、大丈夫?」
屋上でお弁当を広げながら、わたしは必死に今あった出来事を整理していた。そうして、わたしがとるべき行動を考えていた。
「……友ちゃん」
友ちゃんに名前を呼ばれてそちらを見る。
「石川の言うことなんて、気にしなくていいよ」
友ちゃんは、友ちゃんらしくそう言った。
「……うん」
わたしは少し悩んで頷いてから、こう続けた。
「だけど、嬉しかった」
両手を頬にあてて、そっと息を吐いてみせる。
「わたしのこと、わかってくれる人がいるんだなぁーって」
うっとりと呟いてから、
「あ、でもね、友ちゃんが一番だよ?」
慌てて付け足す。
「いいよ、そんな取り繕わなくって」
友ちゃんが、表面上は淡々とそう言った。でも、怒っていることは、わかる。
「そうじゃないよ! 友ちゃんが、わたしのこと一番わかってくれているよ。いつも、味方になってくれて。幼稚園のころから、ずっと」
にっこり微笑んだ。
「本当、友ちゃんが居てくれて感謝しているの。友ちゃんが同じ高校でよかった」
友ちゃんが照れたように視線を逸らした。
「お弁当、食べなよ」
「あ、うん」
いただきます、と言ってから、お弁当を食べ始めた。
「でもね、理沙」
「うん?」
「石川のこと、あんまり信用しすぎない方がいいよ」
「どうして?」
「だって、男子の考えてることなんて、わかんないもん」
「……そうかなぁ」
「理沙」
少し強い調子で名前を呼ばれた。
「理沙のことを思って言っているの。あんまり、信用し過ぎると、酷い目に遭うかもしれないよ?」
「……うーん。石川くんはそういう人じゃないと思うけど」
少し、悩むそぶりを見せてから、
「友ちゃんが言うなら、そうする」
小さく頷いた。
「うん。そうして、ほら、お弁当食べよう、時間なくなるよ」
お昼を食べながら、友ちゃんの青いケータイに思いを馳せた。
次の日、わたしたちの教室は、朝から騒がしかった。
「なんだよ、七瀬のやつ、信じられねぇ!」
叫んだのは、石川だ。
「ふざけんなよ!」
苛立ったように彼が言ったその瞬間を見計らい、教室に入る。教室中の視線が集まる。
「七瀬!」
一声吠えて、石川が歩み寄ってきた。
「おまえ、やっぱり噂どおりの最低なやつだな!」
「え、なにが……」
「とぼけんなよ!」
石川がわたしに突きつけたのは、数枚のコピー用紙。
クラスの皆は、それぞれ同じようなコピー用紙を持っていた。教室の前の黒板にも貼られている。
そこにあるのは、あるブログの印刷。
昨日の日付には、こう書かれている。
「I、うぜー。なに、正義のヒーロー気取っちゃってんの? 「俺、女同士のことはよくわかんないけど、負けるな。俺は、信じてるから」とか、マジうける。噂話はくだらないとか言ってたけど、火のないところに煙は立たないって、知らないんですかぁー? って感じ。ま、アタシが言っても意味ないけどね」
石川が読み上げる。
「これ、俺のことだよな?」
「え、なにこれ、わたし、知らない」
ぶんぶん、と首を横に振り、否定の意を表明する。
「ふざけんなよ! 今更そんな言い訳、通用すると思ってんのかよ!」
「だって、知らない!」
「昨日だけじゃないんだよ! これまでのこと、全部書いてあんだよ!」
そのブログには、今までわたしの噂にあったことが、全て書かれていた。まるで武勇伝のように。
人の男を盗った。
カンニングしている。
万引き常習犯だ。
援助交際をしている。
「これだけ、噂と一致していて、管理人の名前もリサセブンだし、お前じゃなければ、誰なんだよ! 七瀬理沙!」
昨日、味方発言したばかりだから、より裏切られた気持ちが強いのだろう。
他のクラスメイトも、直接わたしに声はかけないものの、冷たい視線を向けている。
「誰がこのブログ見つけたんだか知らないけど、よくやってくれたよな!」
「違う、わたし、こんなの、書いて……」
「お前の本性、全部明らかにしてくれたもんな!」
「違う……」
「どうせ、ブログならバレないと思って、言いたい放題書いたんだろう?」
「違うよ……」
「まだ認めないのかよ」
石川が、コピー用紙をわたしに投げつける。
「サイテーだな、お前。消えろよ」
低い声で、そう告げた。
そうして、わたしに背を向けると、友達の元に向かう。
クラスメイトの視線がわたしに向かう。冷たく。突き刺すように。
がらり、とドアが開いて、先生が入って来た。
「うわっ、なんだこれ!」
驚いたような先生の声。
それを合図に、後ろを向くと、教室から走って逃げ出した。
いつも友ちゃんと行く屋上に座り込んで泣きながら待っていると、
「理沙」
声をかけられた。振り返る。
友ちゃんだった。当たり前だ。
「友ちゃん……。ひどいよ。どうして、みんな」
友ちゃんが隣に座る。
「わたし、そんなことっ、しないのにっ」
「理沙がそんな子じゃないの、私、知っているよ」
「友ちゃん……」
友ちゃんがわたしをそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ、理沙。私はずぅっと、理沙の味方だよ」
「友ちゃん……」
友ちゃんの鞄の中で、青い携帯電話が震えているのがわかる。
友ちゃんがずっと作っていた、噂世界のわたしのブログ。遂に、皆に公開する日がきたのね。
わたしね、友ちゃん。知ってたよ。ずっとずっと前から知ってたよ。だって、友ちゃんのやることだもん。わたしがわからないわけがないじゃない。
貴女がそれを望むのならば、わたしは貴女が望むわたしになるよ。噂話で傷つく、可哀想なわたしになるよ。貴女が望むわたしを考えて、動くよ。貴女がそれを望むのならば。
ねぇ、友ちゃん。わたしには、貴女だけがいればいいの。貴女だけが、わたしの良さをわかっていればいいの。
他の人なんて、要らない。
意地悪なクラスメイトも石川も、みんな要らない。
貴女と二人、ずっと一緒に居られるために貴女が火のないところに煙をたてるのならば、わたしはそこに火を放つの。
火のないところに煙を立てるお仕事です。 小高まあな @kmaana
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