芝浜
若狭屋 真夏(九代目)
高輪ゲートウエイ
幕がゆっくりと上がっていく。舞台には座布団が引かれやがて会場には「正札付き」の出囃子が流れる。
ぱちぱちと拍手がちらほら聞こえてくる。
やがて舞台に現れる一人の男性ゆっくりと頭を下げて登壇する。
拍手がおおきくなり中央の座布団の上に座って頭を下げるとちょうど出囃子が終わる。
ゆっくりと頭を上げる。
「本日はわざわざのおこし大変ありがとうございます。年が経つのはあっという間でもう12月に入りました。最近はあまり時代劇をやりませんがやはり忠臣蔵ですな。元禄15年12月14日、亡き主君浅野内匠頭の無念を晴らすため吉良上野介を討ちその首を高輪泉岳寺までもっていったと聞きます。
まあ歌舞伎役者さんのほうでは年末にかけてこれを演じる決まりになっているそうで。。。
まあ我々噺家のほうでも大晦日に演じるって決まっているお話もございます。
芝浜というお話でございまして。。。」
羽織っていた紋付をぬぎ脇にある湯呑を手に取りずずっとすする。
「しかしまあ時代は変わっていますからね。教えてもらった噺をそのままやってもあまりおもしろくはありませんな。まあ今日は少し趣向を変えまして。。。」
湯呑のふたをとってふたたび一口飲む。
「昔築地に魚河岸がありました頃の時代のお話でございます。」というと客はくすくす笑い出す。
「笑っちゃいけませんよ、おそらく将来はそうなるんですから。。。」
「水産加工会社をリストラになりました熊さんって方がおりました。水産加工ですからもともとは田舎におりましたがこの際東京で一旗揚げようと奥さんと一緒に上京してきました。
この熊さん。。お酒は。。飲めないんです。残念ながら。周囲一キロの中に奈良漬けがあるとそれだけで酔っぱらってしまう。ひょっとすると飲酒運転の調査ができるほど敏感なんです。本人も好きではない。だから悪酔いもしないんですね。そもそも吞まないから。ただリストラされた理由としましては「ちょっとそそっかしい」んですよ。例えば地名を間違えるなんてのは日常茶飯事でして東京に来て多少時間は経つのにいまだに原宿と新宿の違いが判らない。まあ田舎の人なんでしょうから仕方ありませんが。
何をするにもやはり仕事を探さなきゃいけない。そのためには面接会に行くわけです。
「まったく東京ってところはまるで迷路だね。この前も新宿駅の北口に行こうと思って南口の矢印の反対に進んだけど一向に北口につかない、東京だと東西南北の位置が違うんじゃないのかね?昔から北の反対は南って決まってるのにね。
ふぅー寒い、うちの奥さんも私がいくらそそっかしいからって始発前から起こすかね。最近は犬だってまだ布団に寝ている時間だよ。まだ誰も起きてませんよ。まあ私も前の仕事はこのくらいの時間には始まってたんだけど、えーと今日の面接会の会場は「品川プリンスホテル」ふむふむ。なんで高輪4丁目なのに品川なのかね?
「たかなわ」と「しながわ」と響きが似ててまだ全然わからないよ。」
文句を言いながら始発の時間まで待ちます。
当然のように始発はそれほど混んでおりません、それに乗りまして最寄駅までまいります。4丁目には確かに品川プリンスホテルがありますが三丁目にはグランドプリンスホテル高輪とグランドプリンスホテル新高輪。ザプリンスさくらタワー東京の三つのホテルに「プリンス」って言葉が入っております。
田舎では駅の前にホテルが申し訳程度にふたつほど立っているしかありませんから熊さん迷っちゃった。始発からの電車に乗って気づけばもう日は落ちて真っ暗。
なにもかもわからなくなりどうやってきたのか気づいたら「高輪ゲートウェイ駅」
家への帰り方も分からなくなってしまった。
悪いことは続きまして熊さんにぶつかってくる男がいる。
「おい、この。気をつけろ」と言われて「すいません」といって懐をみると財布がない。
男は人ごみの中にすぐ隠れてしまいもうさんざんです。
それでも何とか帰宅できました。
帰宅しまして奥さんに熊さんはこういいます。
「お前にも無理を言って東京に出てきたがなにしろこの人の多さ。新しい仕事はあるだろうがわたしはどうせ田舎の生まれ、田舎で数は少ないが顔を見知ったお客様と商売したほうが私の性に合うだろう。どうだろうか?」
「お前さんが無理していたのは知ってたけれどあたしは大丈夫よ。お前さんが一緒にいてくれれば住めば都。一緒に田舎に戻りましょう」
ということで生まれた場所に帰りまして魚屋を開きます。
もともとお酒を飲まないまじめな性格ですから商売しか楽しみがない、そんな人間ですから「稼ぐに追いつく貧乏はなし」どんどん商売は大きくなっていきます。
やがては一人、二人と人を雇い支店も出すほど成功いたします。
そして3年後の大晦日。大掃除が終わりまして若い衆に小遣いを渡して遊びにでも行ってこいといって夫婦水入らずとなります。
「あ、お前さん。さっき警察から電話が来て三年前東京ですられた財布が見つかったっていったんであたしが取りに行ってきたわよ」
と財布を嫁さんが渡してくる。
「ああ、もう三年もたったのか。毎日自分のやりたい風に仕事ができる。それもこれもお前といういい女房がいるおかげだ。この商売をやろうと勧めてくれたのも全部おまえといういい女房がいてくれたおかげだ。東京なんか行かなきゃよかった。」
「ねえ、お前さん。今日は一杯飲まないかい?いつもは「熊さんは飲めないから運転手にちょうどいい」なんて陰口言われてるけどおまえさんも立派な経営者なんだから一杯や二杯飲めなきゃだめだよ。」
「そうかい。お前がそこまでいうなら飲もうじゃないか」
「わかったよ、じゃあ支度するね」といっておかみさんが酒と肴の支度をする。
「お前さん。支度が出来たよ」
「へぇ~俺はお前との三々九度の時以来だからな。ずいぶんとひさしぶりだな」
「おい、なんかこれ臭いよ。終電に乗るとこのにおいがみちみちてるけど。え?それが酒の匂い?へぇ~苦手だと臭くって好きになると匂いねぇ。
じゃあ、ちょっと飲んでみるか」
勇気を出して一口飲む。
「まあ、うまくはないが少しづつ体がぽーっとあったかくなる。まあ味は悪いがもう一口」
「なんだお前さん。呑めない呑めないいうから一口飲んだらたおれるかとおもっちゃったじゃないの。」
「まあ、親父は飲んでたからな。別に俺も飲めるよ。」
「へぇー、人間ってのはねうれしいにつけ悲しいにつけ飲むものなのよ」
「そうなんだな。さすが女房殿だ。うれしいにつけかなしいにつけ飲むねぇ。」
「そういや財布を取りに行ってきてくれたってな。こっちに持ってきてくれ。あ、これこれ、これをなくしたときは本当にどうしようと思ったが、、三年たってもどってくるとは。。」
熊さん飲めない酒をどんどん飲んでいきます。おかみさんは勧めたとはいえまさかこんなに飲むとは思わなかった。
「ねえ。お前さん。財布を手にしたとたん急にお酒が早くなったけどどうしたの?普段から飲んでる人じゃないんだからほどほどにしなきゃ悪い夢を見るわよ。」
「いや、財布の事は呑んで夢にしてぇ」
高輪ゲートウエーイという一席でございました。
芝浜 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya
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