21 8月の雪は降りやまない 【前編】

 そこでは最近幽霊を見たとか、化け物を見たとか。夏にありがちな怪談話が語られていたが……三歳から始めた祖父の道場の武道が板につき始めたかすみにとって、それは武勲を上げるための試練としか思えなかった。


 だからかすみは、道場から持ち出した少年用の木刀を握りしめ。

 意気揚々と、その洋館に乗り込んだ。


「やあやあ、あたしは無動寺流師範の孫、無動寺かすみ。噂の妖怪変化、出てらっしゃい!」

 崩れかけた塀をくぐり、夏草が覆いつくす庭に入り込み、大声を出すと。


 大きな梅の木の下にベンチが置いてあり、そこに青い瞳の美しい人形のようなものが置いてあった。


「お前が噂の、動く西洋人形ね!」

 かすみは自分を鼓舞するためにもさらに大きな声を出し、その人形に木刀を向ける。


 この人のいないはずの洋館に出没する噂の幽霊は、『白い布おばけ』と『動く西洋人形』と『ゾンビ猫』だ。


 まず一体見つけたと、かすみがほくそ笑むと。


「キミは?」

 無表情のまま、その人形が言葉を発した。


「あ、あたしは名乗りを上げたから……次はあなたが名乗る番よ」

 かすみは本当に人形がしゃべったと、おどろいていると。


「……マルコ」

 やはり無表情でそう答える。


 かすみはそれが人間だと気付くと。

「ふん、お化けじゃなくてがっかりだわ!」


 木刀を下ろして、青い目の少年に近付いて行った。


「お化け?」

「そうよ、ここには動く西洋人形がいるって、みんな言ってたのに」


 そして少年の隣に座ると。

「でも見かけない子ね、ラジオ体操でも会ったことが無いし」

 かすみは少年の顔を覗き込んだ。


「僕は学校にも、体操にも言ってないから」

 ひどく整った顔に、栗色の髪と青い瞳。

 肌も白く、おまけにしゃべっていてもその表情が変わらない。


 ――やっぱり人形みたいだけど、息をしてるし。


 かすみが念の為、その顔を引っ張ってみると。

「痛いよ」

 やっぱり表情が変わらない。


「痛いときは、こんな顔するのよ」

 かすみが目を細めて、痛そうな顔を作ると……


 少年は少しだけ、頬を緩めた。

「今のは、まあまあね!」


 そんな会話をしていると、少年の後ろの洋館の出窓が開けられた。


「マルコ、そろそろ部屋に……おや、隅に置けないねえ。mia amicaガールフレンドかい?」

 顔を出したのは同じ栗色の髪に青い瞳の青年だった。


「ロレン、違うよ。今会ったばかり」

 少年がそう言うと、ロレンと呼ばれた青年が。


ciaoチャオ!、暑くなってきたから部屋に来ないかい? 冷たいオレンジジュースかアイスクリームならすぐ用意できる」

 かすみに向かって、微笑みかけてきた。


 知らない人から何かをもらっちゃいけないと、言いつけられていたかすみは緊張したが。


「おやおや、無動寺さんの家の娘だね。お母さんにはここに来るって話はした」

 ラジオ体操カードを見たロレンがそう言って聞いてくる。


 かすみが首を振ると。

「ちょっと待ってて」

 ロレンは白衣の胸ポケットから携帯電話を取り出し、誰かと会話すると、それをかすみに渡した。


「お母さんが代わってって」


 母はかすみがそこにいることにおどろいたが、お友達ができたと伝えると。

「あまりご迷惑をかけちゃダメよ」

 そう言って電話を切る。


 かすみは表情が変わらない少年の手を引いて。

「ねえ、アイスクリームは何味があるの!」

 楽しそうに、洋館の玄関に向かった。



 部屋の中には膨大な書籍や、見たこともないアンティークな器具や道具がたくさん並んでいた。壁はオレンジ色のレンガで、天井からは大きなプロペラが吊るされていて、ゆっくりと回転している。


「美味しいご飯を食べるお店みたい」

 かすみが大声を上げると。


「もともとここは戦後に造られた外国人の別荘で、贅沢な資材が沢山使ってある」

 白衣の青年がかすみの頭を撫ぜながら、アイスクリームのカップを二つ見せた。


「チョコチップ!」

 かすみが一つ選ぶと、残ったカップを人形のような少年が受け取る。

 ミント味のアイスをしばらく見つめて、少年は蓋を開けた。


「それ嫌いなの?」

 心配になってかすみが声をかけると、少年は首を振ったが……

 一口食べると、無表情のまま動きが止まった。


 そしてその声を聞きつけたように、トタットタッと独特のリズムを刻む足音が響き……

 階段から覗くように、片方の前足を縮めた片目を閉じた猫があらわれた。


「あっ! ゾンビ猫だ」

 かすみが叫ぶと。


「残念ながら、ゾンビじゃない。あの猫はエリーって名前の淑女signoraだ」

 また青年が楽しそうに笑った。


「怪我してるの?」

「もう完治してるけどね、あそこから先は難しい」


「ねえあなたは白衣を着てるけど、ママと同じでお医者様なの?」

「もう患者さんは診てないけど、かすみちゃんのママたちのお手伝いをしてる。私の最後の患者はそこのエリーだ」


 かすみはエリーが気になって、近付こうとしたら……

 気配を感じたエリーは、大きなふさふさのしっぽを揺らしながら、トタットタッと階段を駆け上っていった。


「むー!」

 スプーンをくわえて悔しがるかすみに。


「気難しい女性でね。彼女を助けて、ここまで運んできた騎士カヴァリエーレにもまだ気を許してくれないのさ。食事の係も彼だけど、まだ頭も撫ぜさせてくれない」


 白衣の青年の視線を追うと、無表情にアイスを見つめる少年がいた。

 かすみは青年の揺れる白衣と、無表情な少年をみて……気難しい猫を思い返し。


 ――『白い布おばけ』と『動く西洋人形』と『ゾンビ猫』はいたけど、これは何か違うわね。でも、武勲を上げるのはこれからだわ!



 チョコチップ入りバニラアイスを食べながら……

 かすみは新しい目標に向かって、ニヤリと微笑んだ。




 ¬ ¬ ¬




 それからかすみは、ラジオ体操が終わると毎日のように坂の上の洋館に通った。

 手には木刀ではなく、エリーのための「猫あやしの玩具」を握りしめて。


「いい? これならきっとエリーもいちころよ」

 第一ラウンドは、先に羽がついた揺れる棒だった。


 本棚の下に潜り込んだエリーの目の前でそれを振っても。

「反応しないね」

 少年が言う通り、エリーは全くそれを無視していた。


「ローマは一日にしてならずよ……お爺様が言ってた」

「どんな意味?」

「何事も途中で投げ出しちゃダメってことかな」


 少年は首を捻ったが、相変わらず無表情だったので、かすみは気合を入れるように「ふん」と唸った。


 翌日の第二ラウンドはボールの玩具だったが、こちらも反応なし。

 その次の日の第三ラウンドはネズミの玩具だったが、エリーは大きなあくびをしただけだった。


「根本的な見直しが必要ね」

 手を腰に当てて胸を張るかすみに、ロレンが話しかけた。


「せっかくだから庭で遊ぶ? 君たちが楽しく遊んでたら、エリーもつられて来るかもしれない」

 ロレンは毎日部屋の中で難しそうな本を読んだり、妙な道具で何かを覗いたりしているだけだったので、かすみはロレンの言葉に乗った。


「良いアイディアね、じゃあ皆であの庭の草をむしりましょう」

 かすみにとって、そこは許せない場所のひとつだったし、ロレンもマルコも色白すぎて、もう少し外に出た方が良いと思ったからだ。


 そして第四ラウンドの草むしりは、それから数日続き。


「これならもう、幽霊屋敷って言われないわ!」

 ロレンと一緒に行った、ホームセンターで買った鎌やほうきや、ペンキや補修用のレンガのおかげで、美しい庭が取り戻された。


 その頃には人形のような少年も、かすみに対して少しだけ表情が変わるような気もしていたし。

 マルコは学校に行ってないと言ったけど、難しい漢字が読めて、ロレンが持っていた絵本を読んでくれたり。

 ミントやハッカが苦手で、甘いものが大好きだってことが分かったり。

 ロレンがそんなマルコの好き嫌いを知っていて、良く悪戯をすることも分かった。


 皆で壁を塗ったペンキの余りで、ベンチも塗り直し。

 やがて大きな梅の木の下のベンチに座り、マルコに絵本を読んでもらうのがかすみの日課になった頃。


 遊び疲れてベンチでうたた寝していたら、マルコがビクリと体を震わせ、その衝動でかすみは目を覚ました。


「どうしようかすみ」

 マルコはひざに飛び乗り、丸くなったエリーにおどろいていた。

 かすみはその表情をもっと見ようと、少年に顔を近付ける。


「良かったね!」

 かすみが微笑むと、マルコはひざを動かさないよう細心の注意を払いながら、青く澄んだ瞳を向けてきた。

 その表情に、かすみはマルコの頬を両手で包み込む。


「うん、嬉しいときはそんな顔をしたら良い」


 ――そう、ローマは一日にして成らないが、継続はいつだって何かを変えてくれる。



 その時の少年の笑顔を思い出し……

 かすみは徐々に、胸が締め付けられた。

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