20 そいつがフェイカーよ

 亞里亞は、両手を広げたまましばらく動かなくなり。

 くわえていたタバコをポトリと落とすと、そのままゆっくり後ろに倒れかけた。


「くそっ!」

 大野は慌てて亞里亞を抱き留める。


 過呼吸だろうか……苦しそうに、浅く何度も息を吸っていた。

 大野は耳栓を亞里亞の耳に突っ込んで、背中に手をまわすと。


「吐け! ゆっくりと息を吐け!」

 呼吸のリズムを取り戻せるように、背中を押しながら呼吸のサポートを行う。


「き、こ、え、たわ……」

 亞里亞はそうもらすと、大野のサポートに合わせ徐々に息を吐き……

 落ち着きを取り戻したころ、鼻にハンカチを当てられた。


「な、なに、よ」

「せっかくの美人が台無しだ」


 ハンカチが赤く染まったのを見て、亞里亞は苦笑いする。


「映画やドラマなら、ここはヒロインにキスするシーンじゃない?」

 立ち上がろうとすると、大野に強く抱きしめられた。


「災害派遣は何度も経験してる、口を塞ぐような過呼吸対処は危険があるそうだ。それに物語のヒロインは鼻血なんか出さねえ」


「じゃあ、いい加減離して」

 憎まれ口を叩く亞里亞に。


「前に約束しただろう、もう危険なことはしねえって。約束を守れないなら離しはしない」

 大野がそう呟く。


「こんな不気味で、変な女……気持ち悪いでしょ」

「どこがだ? 俺にはキラキラ輝いているようにしか見えない」


「――あんた、本物のバカね」

 亞里亞はため息まじりに大野に手をまわし……その大きな背中を、そっと抱きしめた。


 トクントクンと亞里亞の心音が、その大きな胸を伝わって大野に響いてくる。

 二人が見つめ合い、大野が何か言おうとすると。


「まあまあ、こんなところに美男美女が」


 後ろから、年配の女性の声が聞こえてきた。

 大野と亞里亞が同時に視線を向けると。


「あら……お邪魔だったかしら」

 垣根の向こうで50代と思われる人の良さそうなおばさんが、口に手を当て。



「ほほほ」

 と、笑った。




 ¬ ¬ ¬




「かすみちゃんも静香ちゃんもあれ以来顔を出さないし、テレビでも何も報道されてないし、心配してたのよ」


 大野と亞里亞はおばさんの強引な誘いによって、隣の壁が良く見える縁側に招待された。


「昨日も刑事さんが来たんだけど、あたしの話は聞いてもかすみちゃんや静香ちゃんのことは教えてくれなかったし」


 お茶やお菓子が並べられ、すっかり井戸端会議モードだったが。


 ――亞里亞が落ち着いてくれれば良いか。

 それに聞き込みにもなる。


 大野はこの流れを受け入れていた。しかし亞里亞はうつむき加減で顔を赤らめたり、チラチラと大野の顔を盗み見ているので。


「まだ本調子じゃねえな」

 バカな大野は、内心そう考えた。


「昨日もね、その刑事さんが裏の壁を確かめたいって。旦那は早く死んじゃったし、娘が東京に行って今あたしひとり暮らしだから、あの辺り全然散らかしっぱなしで」


 おばさんは聞かなくてもいろいろしゃべり出すタイプだったから、大野は相槌を打ちながら話を促していたが。


「大野さんはかすみちゃんの友達でしょ、初めてお会いした時に仲良く話してたじゃない。あの後何か連絡とかありました?」

 その質問には、苦笑いした。


「友達と言うほどでは……」

「まあそうなの? かすみちゃんも隅にはおけないわねえ、マルコちゃんもあんなイケメンになっちゃったから心配でしょ」


「マルコちゃん?」

「ほら、かすみちゃんと一緒にいた男の子よ。髪を染めてカラコン? つけてたけど。おばさんのイケメンセンサーは騙されないわー」


「犯人はかなりの巨乳とか言ってた」

「そうそう、あのかすみちゃんの家の火事の後……ロレン先生と一緒にアメリカに行っちゃったけど、帰ってきてたのねえ」


 そこでうつむき加減だった亞里亞がガバッと顔を上げ。


「――音がつながった」

 そう呟いて、大野の顔を見つめ。

「誰、その男?」

 真剣な眼差しで聞いてきた。


 大野が簡単に、かすみの同僚の話をすると。


「巨乳……アメリカ帰り……ならwatermelon」

 亞里亞はブツブツと呟き。


「かなりのスイカwatermelonね……」

 確かめるように壁を見上げた。


「どうした?」

「巨乳はスラングでスイカwatermelonなのよ。それで、もうひとつ差別的な意味合いもあるの」


「何だ、それが……」

「あの足跡は、下りはあるけど登りがないのよ。もしあの歩幅で登ったのなら、身長2メートルオーバーの手足が長い超人ね。そんな人物に心当たりある」


「まさか」

 大野は有名NBAプレーヤーの名前を数人出して。

「それぐらいしか心当たりはないな」

 笑い飛ばした。


「あんたバスケでもしてたの? でもまあそんなものね、それ全員黒人プレーヤーでしょ。アメリカでも同じ感覚なのよ、手足が長くて大男で身体能力が高い人種」

 大野が首を捻ると。


「その男は気付いてたのかもね。超人じゃない限り、ここから侵入はしていないって」

 亞里亞はそう言って立ち上がり。


「ねえ、おば様。その刑事が調べた奥の壁を見てもいいかしら」

 やっとエンジンがかかったかのように……いつもの外面の良い笑顔を浮かべた。


「もちろん結構ですよ」

 走り出した亞里亞の後をつけると……崩れかけの壁の横に納屋がある。


「最近強引に開けた跡があるわね。おば様、これ最後に開けたのいつですか」

「さあ……よく覚えてないけど。ここ数年、ほったらかしにしてたような」


 亞里亞の目くばせに、大野はおばさんの許可をとると手袋をして、こじ開けた個所を触らないよう、納屋を開けた。

 鍵はかかっていなかったが、納屋が傾いているのだろう。かなりの力を入れないと引き戸は移動しない。


 やっと開いた納屋の中には扇風機や自転車など、使われなくなった生活用品が散乱していたが……。


「ここね、何か物を移動させた後がある」

 一部ホコリが無く、何かを引きずったような個所がある。


 サイズや跡からして鞄とロープだろう。

 鞄は布製だったのか、ホコリをキレイにふき取ったようで、大型リュックの形がハッキリと残っている。


「鑑識呼ぶか?」

 大野の質問に、亞里亞は首を振り。


「署内にこの情報を流したくないし、必要もないわ。犯人が一時的にここにスイカを隠したってわかれば、今は十分」

 大野はあの狭い窓の横の、ふき取った後を思い出した。

 そして壁の穴は、大人ならひとり通り抜けるのがやっとの大きさだ。


「ねえ、おば様。その刑事の名前を覚えてますか?」


「イケメン以外の人の名前が最近覚えられないのよね……ああでも、お名刺もらってたわ」

 おばさんが家に引き返すと。


「お姫様が勤めてる新聞社に連絡して、浜生とか言う男を洗って」

「事件に何か関連があるのか? マルコってのも、あのおばさんの勘違いかもしれないし」


 大野はかすみと一緒にいた、薄ら笑いの男を思い浮かべる。

「あの髪や目が変装フェイクだとは、とても思えない」


 大野の言葉に、亞里亞はニヤリと笑うと。



「なら高確率で、そいつがフェイカーよ」

 とても嬉しそうに……そう呟いた。




 ¬ ¬ ¬




 フェイカーはかすみの言葉を聞くと、ポケットから紐の付いた五円玉を取り出し。

「落ち着いてください」


 かすみはその揺れるコインから目をそらそうとしたが、体が言う事を聞かない。

「ここからは私の仕事です、巻き込んでしまってすいませんでした」


 徐々にフェイカーと夢の中の少年が重なり。

「だからもう安心して」


 かすみには、もう……どちらがそう言っているのか分からなくなる。

「ありがとう、とても楽しかった」


 パチンと指を鳴らすような音がどこかから聞こえ。

 その言葉を最後に、かすみは記憶のかなたに飛ばされた。



 空が青く高く、地面が広く大きい。

 手足の短さから……かすみは自分が五歳の頃に戻ったように感じた。


 畑にはトウモロコシやナスが実り、水田には青々とした稲穂が風に揺らいでいる。

 大きな麦わら帽子をかぶり首からラジオ体操カードをぶら下げ、手には小さな木刀を持って、かすみはひとりで歩いている。


 間違いない、これは坂の上の洋館にひとりで探検しに行った。

 ――今まで思い出せなかった、8月のあの日だ。


 なぜかまた、あふれそうになった涙をこらえ。



 かすみは、この出来事を全力で思い出そうと……

 夢の中で懸命に歯を食いしばった。

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