19 フラッシュバック

 かすみはイケメン男二人に囲まれ、別荘の広々としたリビングに座っていた。


 ――冷静に考えたら、これ……凄い状況よね。


 ロレンツィオは何処かのおしゃれなカフェの店員みたいに、腰から下に黒いエプロンを巻いていて。

 慣れた手つきで、コーヒーを淹れてくれるし。


 フェイカーは簡単なパスタやサラダをキッチンで…… なんだか優雅に作っている。


「何か手伝おうか」

 かすみが声をかけても。


Gattina子猫ちゃんは大人しく座ってて」

 そう言って、ロレンツィオは青い瞳でウインクを返すだけ。


 これでロレンツィオの胸毛がそよいでいなければ、高級ホストクラブの朝食だ。

 ――もちろん、そんなものが世の中に存在すれば、だけど。


 真っ白なテーブルクロスの上にパスタとスープとサラダが並ぶと、フェイカーも席に着き、朝食が始まった。


 どれを食べても美味しいことに、かすみがおどろいていると。


「さて、あの後どうなったかな」

 フェイカーがリモコンを操作して壁掛けの大型テレビをつける。


 朝のワイドショーでいくつかのニュースが流れると。

「昨夜、襲撃事件が……」

 昨日のホテルがアップで映し出された。


 かすみもその中継に目を向ける。

 ニュースリポーターは、反社会的勢力の抗争の可能性が高く、警察が捜査中だと伝えると……


 かすみのこともフェイカーのことにも触れず、次のニュースに切り替わった。


「なによこれ」

 かすみがおどろくと。


「まあ、こんなもんでしょう」

Gattina子猫ちゃん、情報規制が入ったってことは、上手く餌に食いついたってことだよ」

 イケメン二人は、何食わぬ顔でサラダをポリポリと口にした。


「じゃあ後は、相手のレスポンス待だけど」

 フェイカーが黒い瞳をかすみに向ける。


 その顔には、夢に見た少年の面影があるが。

 ――瞳の色が違う。

 ロレンツィオの顔を確認すると、なんだかこちらも面影があるような気がしてくる。


 かすみが首を捻っていると。


「その間に、あの日記の謎が解けると助かります」

 フェイカーはそう言って、例の嘘くさいイケメンスマイルを発射してきた。


「そ、そうね。なんとかしないとね」

 かすみが笑い返すと。


「そうだ、あの葉の分析結果が出たよ」

 ロレンツィオがスマートフォンを取り出して操作する。


 かすみに画面を向けたので、覗き込むと。


 <柚柑ゆこう、ゆずの近縁種とされる香酸柑橘植物。主に高知県や徳島県栽培されていて、酸味が強くて香りがよい>

 農家のおばさんが笑顔でゆずを持っている写真と共に、そんな解説が書いてある。


「特殊な実なの?」

「普通に栽培されてて、スーパーでも簡単に手に入るようだね。一般的なゆずより酸味が強くて、ポン酢の原料にもなってるって」


 ロレンツィオの言葉に、かすみがため息をつくと。


「かすみさん、そんなに慌てなくても。何かの拍子にふと思い出すこともあるかもしれないですよ」

 スープを味わいながら、フェイカーがそう言った。


 ――ふと思い出すねえ。

 かすみもスープを口にしながら、もう一度フェイカーの顔をよく見て。



 何か思い出せないか……

 自分の記憶にたずね返してみた。




 ¬ ¬ ¬




 フェイカーたちはそれぞれやらなくちゃいけない事があると、別の部屋に閉じこもったり出かけたりした。


 かすみは例の事務所のような部屋で、ひとり献立表にしか思えない叔父の日記や、壁に飾られた悪魔の絵とにらめっこしていたが……


 考えが煮詰まり始めると、黒電話が「ジリリリン」と鳴り出した。


 コードもつながっていない、アンティークな飾り物にしか見えない逸品だが。

 かすみはほったらかしのままでは悪いと考え、恐る恐る受話器を取る。


「hey! computer virus of the order was completed(ねえ、注文のウイルスが完成したわよ!)」

 突然幼い少女の声で話しかけられ。


 ――あっ、これ英語だ!


「う、うえいと……now、absent、えーっと」

 何とか二人の不在を伝えようとしたら。


「んー、あなたかすみとか言う女?」

 流ちょうな日本語で話しかけられた。


「……そうですけど」

 何処か見下げるような言葉に、かすみがムッとすると。


「泥棒猫の分際で、随分堂々としてるのね。まあいいわ、あたし大人だから過去の女の事なんて気にしないもの。ねえ早く、マルコかロレンツィオに変わって」

 幼女のような声は、かすみを挑発するようにクスリと笑った。


「ど、泥棒猫……」

 かすみが唖然としていると、事務所のドアが開き。


「かすみさん、電話が鳴りました?」

 受話器を差し出すと、フェイカーは苦笑いしながら受け取る。


「できたわよ、注文の品」

「さすが電子の国のアリスだ! 仕事が早い」

「お世辞はいいわよ、でもこのアプリどうやってインストールさせるの」


 かすみは聞き耳を立てるつもりはなかったが、大声でしゃべり合う二人の声は筒抜けだったし、日本語で話しているってことは、聞かれても良いと思っているのかもしれない。


 そう判断して、その場でため息をついた。


「妨害電波でも出して、そのスキに強勢インストールさせようかと」

「はあ? そんなの軍事レベルの装置が必要よ」

「そちらはロレンツィオが手配中だから」


「……まあいいわ、深く突っ込まない。一応言っとくけど、こんなのバレないで済むのは数日、良くて十日ぐらいだから」

「十分だよ、ありがとう」


 フェイカーはそこまで話すと電話を切り。


「以前話したIT関連のスペシャリストですよ」

 言い訳するように、かすみに笑顔を向けた。


「マルコは交友関係が広いのね」

 嫌味まじりにフェイカーにそう言うと。


「まさか、それを思い出したのですか」

 作り物のような笑顔が消え、真面目な顔つきに変わった。


 その表情が夢の中の少年と重なると……

 事務所のようなこの部屋が、炎に覆われたような気がした。


 ――フラッシュバックだ。


 かすみは過去の記憶に飲み込まれないように、手を握りしめ……ゆっくりと大きく呼吸をすると、フェイカーは何も言わずかすみを抱きしめる。


 そのせいだろうか、徐々に幻想の炎は収まり……くすぶるように叔父の日記の上だけが燃えて見える。


 それは『あぶり出し』に失敗したあの記憶のリプレイのようだ。


「そ、そうだわ……あぶり出しよ」

 かすみが呼吸を落ち着けながら、なんとか言葉を出すと。


「大丈夫ですか、かすみさん」

 フェイカーが心配そうにのぞき込んできたが。


「酸味の強い果実は、あぶり出しにちょうど良いのよ」

 ――叔父はやっぱりあたしにメッセージを残している。


「0008、そのナンバーはいったい何? あの絵とどう関係するの」

 ――そしてフェイカーはこの件に、昔から関わっている。


「ねえマルコ、あなたはまだ雪が降りやまないの」

 止まらない涙を無視して、かすみは目の前に佇む思い出の中の少年に。



 そう、問いかけた。




 ¬ ¬ ¬




 殺人現場のあった屋敷の壁を、大野は亞里亞と一緒に見上げていた。

「ちょっと本気出さないとダメそうね」

 亞里亞が大きなため息をつく。


「出来の悪い子供が、良くする言い訳みたいだな」

 大野はからかうようにそう言ったが、亞里亞はフンと鼻を鳴らすだけだった。




 今朝、同僚の平岡を尾行すると。

 亞里亞の話と同じように、何度もスマートフォンを確認しながら、イライラと動きまわっている。


 大野は何度も髪を神経質そうに払ったり、かきむしったりする仕草を見て「禿げなきゃいいが」と、心配になった。


「おかしいわね……ホテルでも同じことしてたけど、署内で何してるの」

 亞里亞は不思議そうに首を捻ったが。


「多分あれは、別問題だ。――俺にも経験がある」

 大野は以前、かすみに送ったメッセージの返信を待っていたのを思い出し、平岡に近付く。


「誰かの返答待ちか」

 大野の声に平岡は睨み返してきたが。


「俺も経験がある、結構つらいな……それ」

 続けてそう言うと、驚いたように目を見開いた。


「お前にもあるのか、そんなこと」

「言われるほど、モテはしない」


 平岡はその言葉に、どこか嬉しそうに笑い。

 急に打ち解けたように。


「別に本命ってわけじゃねえが……」

 鑑識の鏡花を映画に誘ったこと、チケットを渡したが返答がないことなどを話し出した。


 大野はその映画のタイトルを聞いて苦笑いしたが。

「お互い頑張ろう」

 そう言って平岡と別れた。




 それを眺めていた亞里亞が、ポカンと口を開け。

 初めから考え直したいと言い、この場所に来たが……


「本気を出すと、変身でもするのか」

 へこんでる亞里亞を元気付けるつもりで、大野がもう一度からかうと。


「似たようなものね」

 亞里亞は大野に向かって、指を二本出した。


「止めたんじゃないのか」

 大野がタバコを差し出すと。


「フラッシュバックを抑えるのは、大麻が一番効果的なの。日本じゃ非合法だけど、あっちじゃ、あたしみたいな患者は普通に薬局で手に入る。でも今は無理だから、代用品でタバコを吸ってたのよ」


「PTSD?」

 大野が心配して声をかけると。


「OEよ、こっちじゃ聞いたこともないでしょ」

 亞里亞がタバコを口にくわえたから、大野はそれに火を点けた。


「Overexcitabilities、過度激動って言って。ギフテッドって呼ばれる……まあ、障がいみたいなものね。それを抱えてる人間の罪かな」


 大野はOEについては知らなかったが、ギフテッドは知っていた。

 ――先天的に高度な知的能力を持つ人間、いわゆる生まれつきの天才だと。


「もしあたしがパニックになったら、あなたこれを強引にあたしの耳に突っ込んで。しばらくすれば落ち着くと思うから」


 亞里亞はそう言うと、耳から耳栓を抜いた。

 それを受け取ると、亞里亞は大きくタバコを吸い込み。


「さあ、あの時の状況をしっかりと聞かせて」



 そう言って両手を広げ……

 破られた窓を見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る