18 最大の謎は……なぜあなたが牛丼の牛だけ、いちいち小皿に取った玉子につけて食べてるかよ
かすみはロレンツィオに案内されたゲストルームのベッドで、大きなため息をついた。
静香はもう病院に移動したようで、かすみがその部屋を使うことになり、大きな部屋と豪華なベッドを独り占めしている。
時計の針も十二時を過ぎ、いつもなら眠気に負けて夢の世界を漂っているはずだが、なかなか寝付くことができない。
「意味わかんない」
今日あった事や、ロレンツィオから聞いた話が、かすみの脳みそを変に活性化させていた。
いわく……
「あのマントやタキシードは、軍や警察が使用する防弾・防刃の特殊なケプラー繊維が使用されてる。今回はライフルタイプの銃で貫通弾丸を使用されたから、完全に防ぎきれなかったけど、衝撃以外はなんとかなったようだね」
らしい。
かすみには武器の知識がなかったから、そう言われれば納得するしかなかったが……以前のフェイカーとの会話。
「F研究、それは人工的に超人……無敵の兵士を製造する研究だった」
「妖怪とかは……」
「ひょっとしたら、私がそうかもしれない」
それがどうしても気になる。
かすみを抱えたままロープで軽々と壁を降りたり、跳躍力や身のこなしも、どう考えても常人のそれじゃない。
「うちの道場でも、あんなことできる奴はいなかったような?」
かすみは昔通っていた祖父の弟子たちを思い浮かべたが、謎は深まるばかりだ。
「F研究ね」
あまりにも荒唐無稽で、どうせいつものほら話だと高を括っていたが。
叔父の日記の謎や、カギの番号の意味……
それらも含めて、何かがつながっているような気がしてきた。
¬ ¬ ¬
かすみは夢の中で、これは夢だと自覚していた。
まるで大気に溶け込むように、高い位置から過去の自分を見下ろしている。
五歳の夏。
両親を亡くした火事の記憶は、ハッキリとしていない。
当時、担当医でもあった叔父は……
「辛すぎる記憶は、脳が勝手に蓋をするけど」
無理に思い出そうとしない方が良いと言っていた。
今なら心的外傷後ストレス障害、PTSDの知識もそれなりにある。
大きな炎を見たり、呼吸困難になるとフラッシュバック……蓋をされた記憶が、今のように少しずつ開く。
子供の頃までは、起きていても白昼夢のように記憶がよみがえり、パニックになることもあったが。
成長と共にそれも徐々に無くなった。
しかし何か大きな出来事があると、記憶をさかのぼる夢を見ることがある。
「今回のキーは何かな?」
かすみは冷静にそう考えながら、火事の中ひとりうずくまる少女を見下ろしていた。
寝苦しい真夏の夜。
五歳のかすみが、ベッドにひとりで寝転んでいる。
そう、あの夜は嫌な予感もして……なかなか寝付けなかった。
焦げ臭さとパチパチという不思議な音に気付いた少女が、子供部屋のドアを開ける。
すると灰色の煙と真っ赤な炎が部屋に舞い込んできた。
子供部屋は二階にあり、出火元のキッチンから炎と煙がたったひとつの階段を駆け上り、廊下を覆ったのだろう。
それは消防や警察の事故検証で何度も聞いたし。
高校時代に取り上げられた雑誌やワイドショーでも何度も見た。
「どうやってあたしは、外の庭に無傷で移動できたのだろう」
五歳の少女が、奇跡的に飛び降りて無傷だった?
それは何度も検証された……駐車場も兼任していたその場所は、コンクリートが敷かれている。高さも三メートル以上あり、しかも飛び降りるには、百二十センチ程の落下防止柵を越えなくちゃいけない。
それは消防も警察も、雑誌やワイドショーに登場した評論家も無理だと言った。
五歳の女の子では、生きていたとしても大怪我は避けれないと。
そして煙と炎が立ち込む廊下を渡り、階段を降りることはどう考えても不可能。
そのためかすみは初めから一階に居たと勝手に結論付けられ。
出火原因がかすみの火遊び……あるいは放火ではないかと。
――無責任な憶測があちこちで噂された。
かすみがそこまで思い出し、あらためて下を向くと……記憶の中の少女は、侵入してきた炎に尻込みし、徐々に反対側の窓へ向かって移動していた。
窓を開け外の空気が流れ込むと、やっと少女は悲鳴を上げる。
しかし百センチ程度の当時の身長では、目の前にある柵すら越えられない。
ここまでは、過去にも何度も思い出した記憶だったが。
悲鳴を上げ続けていると、煙の中から炎に包まれたひとりの少年があらわれた。
……その新たな記憶に、かすみは目を見張る。
少女が振り返り、悲鳴も上げれず息を吸い込むと。
少年はベッドのシーツをはぎ取り、身にまとった火を消して少女に近付く。
少女が駆け寄ると。
「おじさんとおばさんは、もう……かすみちゃんだけでも」
青い瞳を揺らしてそう呟き、開いた窓を見た。
――あの少年は誰?
やがて少女を抱き上げ、器用に窓の柵を越える。
その高さに震えあがる少女を優しくなだめ、少年は片手で少女を抱き、もう片方の手で柵の下側を持ち、ゆっくりと体を揺らして着地点を決めると……柵を持っていた手を離した。
軽い浮遊感の後、ゴキリと何かがへし折れる音が聞こえ……
少女がやっと目を開くと、足を抱えて少年がもがき苦しんでいる。
少年が抱きかかえてくれたおかげで、少女には擦り傷ひとつない。
やがて遠くからサイレンの音が聞こえてきて……
「救急車が来るから!」
少女が叫ぶと。
「じゃあ、ここでお別れだね。――僕は病院に行けない」
栗色の髪を揺らし、まだ足元がおぼつかなかったが、少年はなんとか立ち上がる。
焼きただれた服の下の火傷が、徐々に修復して行くのも見える。
逃げるように歩き出した少年に、少女が何かを叫んだが、かすみには上手く聞き取れない。きっとそれは、少年の名前だろうが……
まるで暗示にでもかけられたように、どうしてもそれが思い出せない。
――この記憶は確かなものだろうか?
かすみは自分の記憶にそう問いかけ……
夢の中で、自分が涙を流していることに気付いた。
そして悪戯好きの誰かが、勝手にテレビのチャンネルを変えるように……いくつもの記憶がフラッシュバックして行く。
小学生の頃、静香と叔父の家で遊んでいて、謎解きが『あぶり出し』だとわかり、紙を火であぶる最中にパニックになって叔父に抱きしめられたこと。
叔父があの絵を『ナンバー0008』と呼んでいたこと。
五歳ぐらいの頃、ラジオ体操の帰りに青い目の少年と出会ったこと。
ランダムにあらわれる記憶のチャンネル変更はスピードを増し、より途切れ途切れになり、かすみがついて行けなくなると。
「ねえ、また雪が降ってるね」
真夏の晴天を見上げる少年の映像で止まり、やがて何かが降り始める。
――それは、本当に雪なのだろうか?
少年がゆっくりと手を伸ばす。
なんとか握り返そうとすると……
かすみは見知らぬ天井に手を伸ばしながら、目を覚ました。
¬ ¬ ¬
大野は亞里亞と向き合いながら、大きくため息をついた。
「収穫らしい収穫って、それだけ? あんたホントに
二十四時間営業の牛丼チェーンに、客は大野と亞里亞の二人だけ。
時計の針は深夜の二時を過ぎているせいか、さすがに客の入りは少ない。
一段落した現場を後にして、なんとか入れたのがここだ。
お互いの聞き込み状況を確認したが、大した収穫はなかった。
大盛牛丼を頬張る亞里亞は、もう一度大野をにらんで。
「まあ瞬時にお姫様を救ったのは、さすが『先読みの大野』だったけど」
どこで調べたのか……機動隊時代のあだ名を呟く。
「お前だって、大した聞き込みは出来てないだろ」
大野も牛丼を食べながら反撃すると。
「あたしはこれで良いの。聞き込みも大事だけど、監視が大変だったから」
そう言って、フェイカーが渡してきたメモをヒラヒラと振る。
そこには。
――――
SSID:faker
PASS:0008kanshi
衣装は防弾のため心配無用
怪盗フェイカー
――――
そう書かれ、裏には美人捜査官殿と宛名が記載されている。
「監視って……」
大野が玉子を割って、小皿でかき混ぜていると。
「ホテル内の業務用のWiFiと宿泊客用のサービスに混じって
亞里亞はWiFiが利用できるスマートフォン等を操作している人物を、重点的に監視していたという。
「で、そっちは何かつかめたのか?」
「捜査一課から応援に来たのは、あの巨乳計算女とロン毛キモ男でしょ」
自分のことを棚に上げて、鏡花のことを巨乳計算女と言い切る亞里亞に感嘆したが。
「ロン毛キモ男ね」
同僚の平岡の、大野を見下すねちっこい視線を思い出し。
――そちらは深く納得した。
「そいつがやたらスマホを気にしながら、あちこち歩いてたわ。ひょっとしたら、もうカメラもルーターもあいつが回収したかもね」
亞里亞が眉根を寄せて、神経質そうに何度も肩の髪を払う仕草をした。
きっと平岡の真似だろう。
妙に似ていて、大野は笑いを堪えるのがやっとだ。
「じゃあ、やっぱり……そのメモは何人かの手に渡ってるのか」
亞里亞の考えでは、フェイカーは最悪の事態も想定して事前に監視カメラを仕込み……
周囲を観察しながら、かすみの警護についていた。
襲撃の後、亞里亞は窓から降下するフェイカーからこのメモを投げ渡されたそうだが。
「直接これを渡すチャンスがあったのはあたしぐらいよ。だから他のメモは初めからどこかにあったのかもね」
「どこに?」
「例えばSSIDとパスワードだけ書いて、裏返しにして狙撃ポイントになりそうな場所に貼っておくだけでも効果があるわ、じゃなきゃこんなパスにしないでしょ。それに犯人は必ず現場に戻る、捜査の鉄則よ」
大野はそれについて考えたが……
そんなに上手くいくかどうか疑問が残った。
「最悪犯人が見つけなくても警察が発見したら……内部犯行なら、自分の面が割れたと思って行動を起こすだろうし」
亞里亞の言葉に納得し、大野が牛丼を口にすると。
「最大の謎は……なぜあなたが牛丼の牛だけ、いちいち小皿に取った玉子につけて食べてるかよ」
亞里亞が凄く嫌そうな顔をした。
「ご飯に玉子が混じるのが嫌だからだ。それよりお前、紅ショウガ乗せすぎだろ。それじゃあショウガ丼だ」
「なによ、男だったら玉子だろうとショウガだろうとドバーっといっきに行きなさい! ちまちま女々しい」
「それは男女差別だ」
そして二人はにらみ合い、深夜の牛丼屋で……
熱い議論を交わしあった。
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