16 イタリアンクオリティ
――あんな暗闇でも
大野はまだパニックが収まらないラウンジやロビーホールを見渡しながら歩を急ぎ。
――音からしてもエアガン。大型ガラスを割るぐらいだから……国内で流通してるような玩具や、それを改造したやつじゃ無理だ。海外で製造された物だろう。
割れたガラスを確認しながら、射撃場所を特定する。
一射目と二射目は別々の角度から発砲されているが、複数犯の可能性は低い。
入手困難な銃器を何人もの人間が持ち歩くのは不自然だし、狙撃場所と思われる位置もさほど離れていない。
犯行場所と思われるエレベーターホール付近の柱まで移動し、周囲を確認する。
「ちょうどカメラの死角か」
エレベーター前のカメラもラウンジのカメラも、陰に隠れる位置だ。
二射目があっただろう場所にも移動するが。
「同じだな……」
わざわざ移動して、命中率を上げようとするのは射撃に慣れた奴の考え方だ。
素人なら、強引に同じ場所から狙おうとする。
狙撃ポイントを複数事前に確保していたとすると……犯人は事前にこのホテルを念入りに調べていた事になる。
しかも通常の違法拳銃より入手し辛く、メンテナンスや取り扱いに専門知識や技術が必要なエアガンを、わざわざ利用して犯行に及ぶとは……
警察の捜査方法を熟知している奴の可能性が高いだろう。銃の特性から証拠が集めにくく前例も少ないため、過去の犯行事例からの分析もしにくい。
目撃情報や、監視カメラの総合的な分析。警備に当たった同僚の証言を集めても……
「ここまで周到な犯人がポカするとは思えねえし。亞里亞がここを指定してから、犯行に及ぶまでの時間で事前準備できる奴なんて」
いよいよ内部情報の漏洩か……裏切り者の存在を、本格的に疑わなくてはならなくなってきた。
大野がそう考えて、ため息をつくと。
「大野さん!」
ヘルプに来てくれていた鑑識の鏡花が、ジーンズにぴったりとしたニット姿であらわれる。私服警備だから当たり前だが……
普段のつなぎ姿との違いにおどろき。
走るたびに揺れる大きな二つの膨らみを観測してから、亞里亞に目を移すと……ラウンジの真ん中で、大きな胸を抱えるように腕を組んで首を傾げていた。
「犯人はかなりの巨乳か」
いつか誰かが言ったバカげた推論に。
……大野はひとり、苦笑いした。
¬ ¬ ¬
「しっかりして!」
かすみはこぼれそうになる涙をこらえながら、自分を守ってくれたフェイカーをマットに寝かせ、揺れる荷台の上で振動を抑えるように覆いかぶさった。
「かすみさん……」
フェイカーは途切れるような声でかすみを呼び、抱き寄せるようにかすみの腰に手をまわしてくる。
「大丈夫、どこか痛みはあるの」
かすみが上半分だけのピエロのマスクを外し、顔を寄せると。
「なんて美しいのだろう」
フェイカーはかすみの目を見つめ……腰にまわした手を徐々に下げて行く。
「ん?」
そしてお尻を触られた辺りで。
「
運転席から流ちょうな日本語が聞こえ、同時にフェイカーの「ちっ!」と言う舌打ちが響いた。
「んん?」
かすみがもう一度フェイカーの無駄に整ったイケメン顔を覗き込む。悪戯がバレた子供のように視線を外したから。
かすみが撃たれたような気がしたフェイカーの腹部の服をめくると、シャツは破れているのに、その下にはつるつる肌の見事なシックスパックがあらわれた。
今だかすみのお尻を這いずる手をツネリ上げると。
「かすみさん、申し訳ありません。その……出来心ですから!」
元気よく言い訳する。
「ねえロォーレンンンツォーさん、この粗大ゴミ捨てても良いかな」
かすみが運転席に向かって叫ぶと。
「
追跡してきたパトカーを振り切りながら、どう考えても外国人の男が笑う。
「じゃあ、仕方ないか」
かすみは悪路に悩まされ、徐々に追跡をあきらめて行くパトカーを眺めながら。
――ため息をひとつこぼした。
道なき道を、その4WDトラックはライトを消したまま進む。
途中大きな崖や岩があらわれたが、暗闇の中さほどスピードを落とさず走り抜け、例の別荘へと到着すると。
「
運転席から堀の深い美青年が飛び降り、荷台に駆け寄る。
「
かすみが差し出された手を握り、荷台から降りると。
「
フェイカーは自分のお腹を見ながら、首を左右に振った。
「弾丸は?」
堀の深い美青年……フェイカーがロォーレンンンツォーと紹介した男が話しかける。
フェイカーはポケットから小石のようなものを取り出し、男に放り投げた。
「マントにも穴が開いてる」
微妙にへこむフェイカーを無視して、男はその石をルーペで調べ始める。
「これは空気銃用の殺傷貫通タイプだね、日本じゃ表でも裏のルートでも……手に入らないはずだ」
「ユニオンかな? 個人輸入かな?」
「調べてみないと分からないが……」
かすみが首を捻ると。
「こいつは丈夫さだけは折り紙付きだから」
ロォーレンンンツォーは、まだ自分の衣装をチェックしているフェイカーを見て楽しそうに笑い。
「けど危険を冒した甲斐があったね、キミたちの欲しがっていた情報は手に入ったよ」
胸ポケットから、小型のフラッシュメモリーを取り出す。
「じゃあ、部屋に戻って謎解きをしよう」
フェイカーはそう言って歩き出したが。
そのつるつる肌の見事なシックスパックを見ると……
かすみの頭の中は、まだ謎だらけだった。
¬ ¬ ¬
かすみはホテルに行く前の状況を思い返す。
フェイカーが謎の電話をかけてから一時間もしないうちに、ロォーレンンンツォーはかすみたちのいる事務所のような部屋に直接乗り込んできた。
ジーンズに革ジャンを着て、真っ赤なフルフェイスのヘルメットを片手に持ち。
サングラスを外すと瞳は青く、革ジャンの下のドレスシャツのボタンは上四個外され、たくましい胸板の上で、胸毛がそよいでいた。
くせ毛の栗色のロン毛に、無精ひげ。
しかし精悍で整った顔立ちと長い手足は、男性ファッション誌のモデルのようだった。
そんな絵にかいたようなイタリア男だったが……
以前のフェイカーの変装を知っているかすみは、これも変装じゃないかと疑う。
「そちらが噂のかすみさんかい?」
フェイカーが頷くと。
「
握手を求めるように手を差し出したので、かすみが立ち上がって応えようとすると。かすみの手を取り、強引に引き寄せてハグする。
「噂以上の素敵な女性だね!」
そして顔を覗き込んできて、バチりとウインクした。
見てくれはどうあれ……とりあえずどんな女性でも褒めちゃうところとか。これは間違いなくイタリアンクオリティだわ。
かすみがため息をつくと。
「早速で悪いけど、相談がある」
フェイカーは少しすねたような顔でそう言った。
ロレンツィオはかすみを解放して、フェイカーに向かって微笑み。
「もちろん問題ないよ、そのために急いできたのだから」
楽しそうに両手を広げる。
二人の歳は同じぐらいに見えたが……かすみには、そのやり取りは年の離れた仲の良い兄弟。あるいは、親子のように感じられた。
フェイカーが状況を説明していても、微笑みながら聞く姿は、どこかもっと大人の……落ち着いた貫禄のようなものがある。
「じゃあまず、その
かすみの了承を得るようにウインクしてきたので、コクリと頷くと。
「ならこれを先に見てほしい」
フェイカーがパソコンを立ち上げ、静香の映像や『ジグザグ』から入手したデータをモニターに映し出す。
途中から、ロレンツィオはかすみからモニターが見えないように体を入れ替え、イタリア語……のような言葉で、小さくフェイカーに話しかけると。
「かすみさん、すぐ戻るからちょっと待っててね」
ロレンツィオはフェイカーを連れて部屋を出て行った。
そして二人は十分もしないうちに部屋に戻り。
「事態は思ったよりシリアスだ、多少危険でも急いだ方が良いだろう」
ロレンツィオがかすみにそう語りかけた。
「静香ちゃんは……」
「幸いあのハーブに手を出して、それほど時間が経ってない。けどあれはただの麻薬より危険なモノだから、急いで知り合いの病院に搬送しよう」
ロレンツィオはそう言うと、有名大学の附属病院の名前を出し。
部屋の回線電話から、誰かに連絡を入れる。
かすみがフェイカーに顔を向けると。
「もう一度眠ってもらいました。多少禁断症状で熱を出していましたが、もう安心です」
かすみを元気付けるような優しい微笑みを向けてくる。
「急ぐって?」
かすみは思考を切り替えた。
こうなったらぐずぐず心配しても仕方がない。静香は専門医に任せて、今自分のできることをしようと。
「話にあった大野さんのお誘いは、三つの可能性があります」
ロレンツィオの仮説では。
一つ、ただのナンパ……可能性は低い。
二つ、任意同行を警察が求める。
この場合、ホテルに警官が配備している……本命。
三つ、同じように任意同行をかすみに求めるが、警察内の裏切り者か内通者から情報が渡り、麻薬組織がかすみの誘拐をまた狙ってくる……最悪のシナリオ。
「三の可能性があるのなら、他のアイディアで行こう。かすみさんを危険にさらすわけには……」
フェイカーの考えでは、一か二を見極め、二ならその状況から警察の動向を探る予定だったそうだが。
「待って! のんびりしていられないのでしょう、ならあたし行くわ」
かすみはフェイカーの言葉を止めて、そう言った。
フェイカーが言いよどむと、ロレンツィオはかすみに向かって。
「なぜ三の可能性が出て来たか。それはこの犯行の裏には国際的な組織がいると、僕は考えているからだ」
堀の深い柔和な顔に、笑みを浮かべる。
「国際的な組織?」
「僕たちはターパ・ユニオンって呼んでる。このハーブは奴らが好んで使う薬品に似ているし、犯行手口も似ている」
「そいつらが麻薬組織や……警察に絡んでるって言うの」
「その可能性が高いし、もっと最悪の場合もある。それでもキミは行くかい?」
かすみにはそれがどれだけ危険か、理解できてないかもしれないと考えたが。
静香の現状や、死んだ叔父の事……
隣で心配そうにかすみを見つめるフェイカーの事が気になり。
「どこまで出来るか分かんないけど、やれることがあるなら頑張る」
決意を込めてロレンツィオの瞳を見つめ返した。
「いい目だ、やはり噂以上にあなたは素敵だ」
ロレンツィオはそう言うとにこりと笑って、厚い胸板と胸毛を見せつけるように背筋を伸ばす。
かすみはそのイタリアンクオリティに少し引いたが。
とにかくやれることから頑張ろうと……
もう一度、決意を固めた。
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