15 ロォーレンンンツォー!

 フェイカーは腕を組んで「うーん」と唸ると。


「ここは助っ人を呼ぶしかないですね、例の日記にあった葉の解析も依頼したいですし」

 そう言って、棚に置いてあったダイヤル式の黒電話を手に取る。


 かすみはそれをアンティーク系の飾りだと思っていたし、電話にはコードすらつながっていなかったが。


 適当にダイヤルを回すと。

「ロォーレンンンツォー!」

 フェイカーは受話器を耳に当て、なぜか巻き舌で叫んだ。


 ――何それ?

 かすみがあきれていると。


『ラーガッツォー、どーしたのだーい!』

 受話器から野太い男の声が……やはり巻き舌で響いてきた。


 かすみは妙な頭痛に悩まされたが。


 フェイカーは、英語ではない……発音からたぶんイタリア語とかスペイン語辺りで、数回会話を交わすと、受話器を丁寧に戻し。


「これでかすみさんも安心ですね」

 嬉しそうに頷く。


「さっぱり何のことやら」


「私が一番信頼している男にヘルプを頼みました。組織でも一位二位を争う腕利きですから、大船に乗ったつもりで」


「ロォーレンンンツォーさん?」

 かすみが眉間に指を当て、念のため確認すると。


 チッチッと舌打ちしながら、立てた人差し指を左右に振り。

「いいえ、ロォーレンンンツォー! です」

 フェイカーはもう一度巻き舌で叫び、訂正してきた。



 黒電話とか組織とか、ロォーレンンンツォーとか。

 不安要素しかなかったが。



「まあ、なるようにしかならないか」

 かすみは開き直って……フェイカーに、とびきりの笑顔を返した。




 ¬ ¬ ¬




 大野は指定したホテルのロビーで、亞里亞や生活安全課と打ち合わせた内容を思い返した。


「まず、かすみと普通に会話して。外で警備に入っている警官のゴーサインが出たら、事情を話して任意同行を促し……それが失敗したら……」

 そしてまた、腕時計に目を落とす。


 安物のクロノグラフの針は、十七時半を少し過ぎたあたりで止まっているように感じる。

 大野が今日何度目かのため息をつくと。


 フリフリのエプロンドレスを着こなしている亞里亞が、黒ぶち眼鏡に指を当て、カウンターの奥で楽しそうに笑った。


「あいつ絶対趣味でやってるな」

 その姿を見ながら、大野がやるせないため息をつくと。


「対象はひとりで、徒歩であらわれました。いま玄関ロビーに入ります」

 耳の奥に差し入れた小型インカムから、ヘルプで入ってくれた鑑識の鈴木鏡花きょうかの声が聞こえてきた。


 ラウンジはこのホテルの三階に位置している。

 大野は大型のガラス窓の向こうに映る、暗闇に包まれ始めた街を眺めながら。


「了解」

 襟元に仕組んだ小型マイクにそう言い返した。


 しばらくすると、規則正しい足音が大野のテーブルで止まる。

「ごめん、待った?」


 以前会った時と同じような地味なパンツスーツに、ほぼ素顔の簡素なメイクだったが。

 大野は、かすみの昔から変わらない強く美しい眼差しに、ドキリと心臓を鳴らした。


「ああ、い、今来たところだ」

 詰まってしまった大野言葉に、にかすみは首を捻ったが。

 インカムから亞里亞の忍び笑いが聞こえてくる。


「突然変な呼び出しして、なによ」

 かすみは正面の椅子に座りながら、キョロキョロと周囲を見回した。


 ――まあ、疑ってはいるだろうな。

 大野はできるだけ何食わぬ顔で、先にオーダーしていたコーヒーに口をつけようとすると。


「ご注文は?」

 水とおしぼりを持った亞里亞が話しかけてきた。


「あっ、じゃあ……あたしもコーヒーで」


 ――打ち合わせではなかっただろ!


 大野は吹き出しかけたコーヒーをなんとか飲み込んで、亞里亞をにらんだが。

 器用に伝票を書き込むと、亞里亞は大野に向かって「ふん」と鼻を鳴らし。


「かしこまりました」

 かすみに笑顔を振りまき。


 エプロンドレスの胸元を押し上げる自分の胸と、ジャケットの中のささやかなかすみの胸を見比べ。

 勝ち誇ったようにもう一度笑って、カウンターに戻って行った。


「綺麗な人ね、知り合い?」

 かすみが不思議そうに聞いてきたが。


「いや」

 知合いたくなかったヤツだよ。と言いかけて……もう一度カップに口を付け、冷めきったコーヒーと共に言葉を飲み込む。


「前に話しただろ、機密事項までは言えねえが、お互いに情報交換しないかって」

 大野が考え抜いた言葉を口にすると。


 かすみは大野の瞳を覗き込んできた。

 大野は背筋を伸ばし。


 ――そう言えばこいつも、やたら勘が良かったっけ。

 心の中で舌打ちをした。


「こっちは特に何もないわよ。あなたは?」

「報道の通りだが……俺はあの殺し、フェイカーの手じゃねえと思ってる」


 そこから大野は、公表されている脱法ハーブ事件の概要を話し。

「八剱総合病院が何か、かんでる可能性がありそうだ」

 副院長の司法取引の話を伏せ、問題ない部分まで説明した。


「だからお前の従妹を警察で保護したい。……それが一番安心だ」

「どうしてあたしが、静香ちゃんを連れ去ったって思うの?」


 かすみがまた大野を射貫くような瞳で見つめると、亞里亞がコーヒーを運んできた。

「ご注文の品はお揃いでしょうか」


 かすみが大野から視線を外した瞬間、インカムから連絡が入る。

「周辺に不審な人物及び車両なし。対象保護のためのBシフトに移行してください」


 良く通る鑑識の鏡花の言葉は、かすみに対する任意同行のゴーサインでもあった。


「まだ状況証拠しかないから、これは任意での頼みだ。お前もこの件で危険にさらされてる……俺と一緒に警察に来てくれ」


「任意同行ってやつ?」


 かすみが首をゆっくり左右に振って立ち上がると、亞里亞がその後ろに近付き。

 玄関やフロントに配備されていた私服警察官が数人、こちらに向かって歩いてきた。


 大野もそれに合わせて腰を上げかけ……


 ――まずい!

 嫌な感覚が身体を突き抜けた。


 それは大野が子供の頃から持つ本能のようなもので、機動隊勤務時には『先読みの大野』と上司や同僚から畏怖された感覚だった。


 無意識に体が動き、大野がかすみを抱き倒すと……同時にホテルの照明が消える。


「シュツ!」

 圧縮された空気が解放されるような音が響き、ラウンジの奥にあった大型ガラスが大きな音を立てて割れた。


「全員伏せて!」

 亞里亞の大声が響く。


「怪我はないか」

 大野は念の為に腕の中のかすみに問いかけた。


「いったい何が……」


 おどろくかすみの声と同時に、自家発電にでも切り替わったのか。

 ブーンと言う低い音と共に非常灯が輝きを戻した。


「伏せてろ」

 薄暗闇の中、大野はかすみから手を放して拳銃を胸のフォルスターから抜き取り、周囲を確認する。


 亞里亞も、他の警察官も。

 一般客やホテル従業員の避難を最優先して対応している。


 音やガラスの割れた角度から狙撃者の位置を特定して、大野がテーブルを盾にしながらかすみを守るために体制を整えると。


 完全に照明が戻り。

 大野が見上げると、暗さに慣れた目が……

 眩く光るシルクハットに、例の顔半分だけ覆うピエロのマスクをした男を映し出した。


 男はマントをひるがえしながら天井から飛び降り、かすみの後ろのテーブルに着地すると……呆然とするかすみを抱きかかえて、割れたガラスの大窓に向かって走り出す。


「待て!」

 大野が走り寄ろうとすると、もう一度「シュツ」と圧縮された空気が解放されるような音が響き。

 その音に合わせて、シルクハットの男はかすみをかばうようにマントを捻ったが。


「きゃー!」

 男は大きく揺らめき……かすみが悲鳴を上げた。


 拳銃を構えた亞里亞がシルクハットの男に向かって走る。

 しかし男は、体を引きずるようにして窓から外に飛び降りた。


 大野と亞里亞が同時に割れたガラス越しに身を出すと。


「またロープね!」

 男はかすみを抱いたまま、壁を降りて行く。


「裏面警備急いで! 対象はロープ下降で第二駐車場に移動中」

 亞里亞がインカムに叫んだが。


 大型4WDのピックアップ・トラックが二人の下にあらわれ、男が空いた荷台に飛び降りると、クッションのようなもので保護された。


 走り去るトラックの上で、かすみが倒れて動かなくなった男を介抱するように動くのが見える。


「車は東南方向の山道へ移動!」

 亞里亞はインカムに向かって、大声を出したが。


 ――あの車で山道に逃げ込まれたら、通常のパトカーで追跡は無理だろう。

 それに、かすみには怪我がなかったようだ。



 大野は頭を切り替えると、あの独特の発砲音を追って……

 パニックになっているラウンジに、ひそかに紛れ込んでいった。

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