Chapter.2 8月の雪は降りやまない
12 これじゃあ、献立表じゃない
県警の合同捜査本部では、小太りの
――また血圧が上がり過ぎて、倒れなきゃいいが。
大野はそれを眺めながら会議室の一番後ろで、亞里亞と二人でポツンとパイプ椅子を並べて座っている。
本来なら入れないはずの『殺人事件合同会議』だが……
これを前進と呼ぶべきかどうかは微妙だった。
村井を含め、他の捜査官たちの視線は厳しい。
しかも風当たりは、亞里亞に向かっている。
その亞里亞は余裕の表情で手鏡を持ち、化粧を直していたが。
大野は針の筵に座っている心境だ。
まったく何を食ったら、ここまで神経が太くなる?
目線だけを動かして隣を確認すると、亞里亞は器用に鏡を動かして周囲を見回している。その動きはまるで、容疑者を探す
――疑われてるのはこっちだが。
大野は、キリキリと胃が痛んできた。
どこで情報が漏れたのか、県警にフェイカーが忍び込んで挑戦状を張り出したこと。そして昨日、現場の家が襲撃されたことをニュースで公表された。
警察としては赤っ恥もいいところだ。
今も捜査員に檄を飛ばす、桜庭課長補佐の気持ちは分からなくもないが。
昨日犯人を取り逃がし、証拠らしい証拠も手に入れられなかったのは痛いが……それを全面的に亞里亞の責任にして、ましてや容疑者扱いするのは納得いかない。
発表では証拠隠滅のための放火と公言し。
殺人事件は、フェイカーの押し込み強盗として捜査することに決定。
何かがズレた気がしてならない。
大野が、亞里亞に顔を向けると。
「動いたわね……もうひとりの
そう小声で呟いて、ウインクしてくる。
大野はまた痛み出した腹をそっと抱えて……
とりあえず胃薬を買おうと、決意した。
¬ ¬ ¬
「警察に
亞里亞の希望で八剱総合病院に向かう途中、大野がそう聞くと。
「まだそうと決まったわけじゃないけど……このヤマは最初から変なの。それがいよいよ表に出てきたってことね」
亞里亞が言うのは、昨日盗まれた絵画の挑戦状の裏書や、今日の不可解な合同会議のことだろう。
「それで、これからどうする? 策があるなら初めに言ってくれ」
昨日みたいなのは御免だと、大野がため息をつくと。
「まずあの副院長を吊し上げて、優先順位を決めましょう」
「優先順位?」
「犯人は二組。フェイカーと、もうひとりの
「二兎追わば?」
「そうね、それにこのままじゃあ、犯人はあたしになっちゃうしね」
「良くその状況で、冷静でいられるな」
心配する意味合いも含めて、そう言うと。
「心強い味方ができたからね、気にならないわ」
亞里亞はニヤリと微笑んだ。
大野が少し慌てると、ルームミラーの中の女は更に楽しそうに笑う。
咳払いをして心を落ち着けてから。
「それがどうしてあの副院長と」
もう一度質問を続ける。
「間違いなく何かを隠してたから……そこから事件の全貌を予想して。危険な方から潰そうかしら」
「はいはい、了解です」
病院の駐車場に覆面パトカーを止めると……
亞里亞は車から降りて、楽しそうに髪をかき上げる。
その自信に満ちた笑顔と、淡いブルーのフレアスカートが風に舞う姿に、大野が目を奪われると。
「見たいの?」
悪戯っぽく、スカートの裾をつかんだ。
「あほ」
大野がそっぽを向くと。
「じゃあ、戦いに行きましょう」
亞里亞はそう言って、颯爽と肩で風を切って歩いて行った。
総合受付の女性に事情を話すと。
「少々お待ちください」
しばらく内線でやり取りした後、忙しいからと面会を拒否した。
「これを渡して」
亞里亞はメモを書き。
「急がないと怒られるのはあなたよ」
ヒラヒラとそれを振りながら、プレッシャーをかける。
二十歳ぐらいの気の強そうな女性は、それをつかみ取ると亞里亞をにらんでから席を立った。
「何書いた?」
大野があきれていると。
「お嬢さんの依存は、今どのレベルですか」
亞里亞が大野の耳元に顔を寄せ、そっと呟く。
――ギリギリだが、薬物とか中毒と書かないところがさすがだ。
「やつは知っていたのか」
「そう考えた方が自然よ」
亞里亞と話していると、受付嬢が血相を変えて走ってくる。
「さて、第一関門突破ね」
それを見た亞里亞はニヤリと笑うと。
「Come on It's Showtime!!」
まるでショーが開幕した手品師のように、ゆっくりと両手を広げた。
¬ ¬ ¬
――3月17日 晴れ
朝食、ほうれん草のおひたし、玉子焼き、味噌汁。
昼食、食堂のランチ 生姜焼き
夕飯、ビーフシチュー やや肉が堅かった。
「これじゃあ、献立表じゃない」
かすみは叔父の日記帳を読みながら、大きなため息をついた。
どのページをめくっても、書いてあるのはそんなことばかりだ。
「謎は解けそうですか?」
フェイカーはパソコンにプログラムのようなものを打ち込みながら、かすみに声をかけてくる。
「叔父がなぜこんなものをあたしに託したのかが、最大の謎よ」
もう、1時間以上にらめっこしているが……さっぱり意味が分からない。
斜め読みしても横読みしても、暗号やメッセージの類は見つからない。
フェイカーはキーボードに乗せていた手を止めると。
「少し休息しますか」
置いてあった叔父の絵を壁にかけ、部屋を出て言った。
モニターには『ジグザグ』の情報が羅列されている。
静香の履歴をもとに、スパイウエアとかフィッシング何とかを仕掛けたとか。
そんなのが得意な仲間がいると言っていたが……
「ハッカーとかそう言うのだろうか」
かすみは聞いても、いまひとつ理解できなかった。
それは中高生をターゲットにした脱法ハーブのバイヤーらしく。
編集局でも話題になったSNSの密売組織のようだった。
「
フェイカーが注目していたファイルには、「適合」「不適合」「済み」「未」等の文字が書き込まれている名簿のようなものまである。
――なんだか理科の実験ノートみたいだな。
そんなことを思いながら開いた日記帳を頭に乗せ、机に顔を伏せると。
「お待たせしました」
コーヒーカップを二つ手にしたフェイカーが戻ってきた。
かすみが振り返ると、日記帳からはらりと何かが落ちる。
「これは?」
フェイカーが拾い上げたのは、植物の葉だ。
「そ、それが謎を解くカギかも! 例えば脱法ハーブの証拠になる葉とか」
かすみは急いで挟んであったページを探す。
葉の後がくっきりと残っていたページには。
――12月22日 雪
今日は
そう書かれている。
フェイカーもそれを覗き込み、葉の匂いを嗅ぐと。
「形はミカン科の植物の葉ですし、匂いもゆずっぽいので……脱法ハーブとは関係なさそうですね」
引き出しから小さなジップ付きのビニール袋を出し、その中にしまう。
「念の為、知り合いに調べてもらいますね」
そう言ってニコリと笑った。
「ねえ、叔父さん……あたしそろそろ限界だわ」
もう一度かすみが机に顔を伏せると。
「まだ始めたばかりですから」
フェイカーはかすみの横に温かいコーヒーを置いた。
「それより……もう少しお互いに情報交換しない?」
フェイカーが自分の汚名を晴らしたいのは分かるが……
かすみにとって、都合の良すぎる対応にも謎があるし。
何よりフェイカーが謎過ぎて、今ひとつ信用できない。
この別荘の維持費や先ほど乗った高級車。それに診断書などの偽造書類。
ハッカーのような知り合いもいるようだし、今も植物の葉を知り合いに調べてもらうと言う。
フェイカーの犯罪で、それらを賄うような巨額のお金が入ってくるとは思えない。話しぶりや行動から、仲間がいることは間違いないし。
「情報交換ですか」
「そうよ、あたしあなたの仲間になったから。言いにくいこともあると思うけど……お互いに知っておいた方が良いこともあると思うの」
「なる程、それはそうですね」
いつものようにカップに大量の砂糖を投入すると、優雅に足を組みながらかすみを見て。
「では、なぜ私がこのようなことをしているのか……そこからお話ししましょう」
フェイカーはとても美味しそうに、コーヒー風味の砂糖を味わうと……
例のつくられたような笑みをかすみに向けた。
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