06 そのささやかな胸を、揉んじゃいました
アパートのドアベルの音で、かすみは目を覚ました。
昨日局に戻ると、
「ひどい顔だな……まあ気持ちは分かる。有休もたまってるし、明日は休め」
そう言い渡される。
女子社員に対してひどい顔はないだろうと思ったが、局長なりの気遣いだろうと思い、かすみは素直にそれを受けた。
だから飲み歩いた訳だし、シャワーの後二度寝したのだが。
「何時だろう?」
思ったよりぐっすり寝たようで……
ボケた頭を抱えながら玄関ドアのスコープを覗くと、宅配業者の男が佇んでいる。
届いたのは段ボールの小包、宛名は八剱隆志……かすみの叔父だ。
部屋に戻って慌てて開封すると、出てきたのは鍵付きの表紙に「DIARY」と書かれた本と、一通の手紙。
手紙には。
―――
親愛なるかすみちゃんへ
この贈り物が届いたということは、既に私はこの世にいないでしょう。
無責任で申し訳ないが、この日記と静香を頼みたい。
八剱 隆志
―――
叔父らしい、几帳面な文字でそう書かれていた。
日記帳のカギは四桁のダイヤル式で、閉めたままになっている。
段ボールに張ってあったタグを確認すると、送り元の日付は2週間前になっていて、配送日が今日に指定してあった。
「叔父さん、いったい何があったの」
かすみはまたこぼれそうになった涙を堪え、手紙が入っていた封筒や便箋の裏や日記帳の周囲を観察した。
しかしどこにも鍵のナンバーが書かれていないことがわかると、大きくため息をつく。
こんな謎解きを……静香と遊んでいると、よく叔父が出題したものだ。
「おやつがどこに隠してあるか探してごらん」
「この宝の地図には、お年玉と言う財宝が隠されている」
今思えばそれは、優しい叔父の……
かすみが歳の離れた静香と、楽しく遊べるための工夫だった。
そして二人で謎を解くと、叔父はいつも、とても嬉しそうに笑う。
「もう子供じゃなから」
その叔父の笑顔がふと過り。
堪えていた何かが、かすみの頬を静かに濡らした。
¬ ¬ ¬
かすみはしばらく日記のカギと格闘したが。
「まったくわかんない、せめてどこかにヒントがあれば……」
ただ途方に暮れるだけだった。
もう一度手紙を読み返し、スマホを握りしめて首を捻る。
「静香ちゃん、電話番号変わってなきゃいいけど」
最後に合ったのが、静香が中学二年の夏休み。
吹奏楽部の県大会の会場で、取材中に偶然出くわした時だ。
クラリネットを片手に右往左往する静香も、仕事中のかすみもあまり時間が無くて、簡単な挨拶と電話番号の交換をしただけだったが……
「いきなり電話するのもなんだし」
かすみは少し悩んでから、高校生に人気があるSNSアプリで電話番号検索をかける。
すると静香のアイコンがヒットした。
「良かった」
友達登録を申し込み、メッセージに『元気?』とだけ入力する。
五分もしないうちに登録が認証され『あまり元気じゃないけど、会えませんか?』と、返信が返ってきた。
『今日ちょうど休みで暇だけど』
『なら、これから会えませんか。八剱病院のF棟、501号室にいます』
『了解、今から行くからちょっと待ってて』
かすみは急いで着替えると、スマホと……念の為叔父の日記を鞄に放り込んで、アパートを飛び出した。
総合病院の駐車場は、平日の昼間にも関わらずどこも満車だった。
軽専用と書かれた隅の方の一角がなんとか空いていたので。
「軽自動車にしといてよかった」
なんとかそこに駐車する。
F棟は、一般駐車場がある本棟から離れた場所にあったため。
人気の少ない病院の裏道を、かすみは急ぎ足で進んだ。
途中ストレッチャーを運び入れるワンボックスのワゴン車が道を塞いでいた。
かすみが立ち止まると、作業服にマスクとサングラスをかけた男が近づいてくる。
体格が良く、乱暴そうな歩き方をするその男は医療従事者には見えなかったが。
「ここ通るからさ、あっちにどいててもらえない?」
場所が場所だったから、何かの業者かもしれないと思い。
かすみは素直に指示された物陰に移動する。
すると突然後ろから抱きしめられ、揮発性の薬品の臭いがするタオルを顔に当てられた。
かすみはとっさにそのタオルを持った手を握り、払い腰の要領で後ろにいた男を投げ飛ばす。
「ちっ、大人しくしろ! 暴れるとケガするぜ」
声をかけてきた男が、ポケットからナイフを出す。
倒れた男も首を振って、なんとか立ち上がり。もう一度タオルを拾い上げた。
「気いつけろって言ったろ! こいつ柔道やってたって」
ナイフの男がタオルの男を罵倒する。
かすみは祖父の教えで小中高と柔道をやっていて、全国大会にも出場したことがあったが。相手は喧嘩慣れした感じの体格の良い男二人。
しかも凶器となるナイフや、怪しいタオルまで用意している。
――逃げようにも、左右後ろを壁に挟まれているし。
徐々にかすみは足が震え始め、怖さで顔を伏せてしまう。
するとゴツンという鈍い音と共に、ナイフの男がバタリと倒れた。
「うむ、これは良くありませんね」
聞き覚えのある微妙なイントネーションの日本語に、かすみが顔をあげると。
「何だてめえ!」
後ろから殴られたナイフの男が、叫びながら口ひげがダンディな紳士に襲い掛かった。
紳士は器用にナイフを避けると、着ていた白衣を脱いで男の顔面に投げ、そのスキにかすみの横に並ぶ。
「あなたは……」
「話は後で、まずはここから逃げましょう」
そう言いながらスーツの懐を探り、ボールのようなものをいくつか取り出すと。
「It's Showtime!!」
高笑いしながら地面に叩きつけた。
色とりどりの煙幕が立ち上がり、男たちがパニックになると。
「行きますよ」
かすみはお姫様抱っこで、紳士に連れ去られる。
道を塞いでいたワゴン車の助手席に乗せられると、紳士は運転席に乗り込み。
「やはり盗難車ですね」
ハンドルの下で千切れてバラバラになっていたコードを器用に結び直し、エンジンをかけた。
「待ちやがれ!」
襲ってきた男たちが、目を掻き鼻水を流しながら大声で叫んだが。
「デートには不向きな車ですが、幸い今日は天気が良い。ドライブにでも出かけませんか?」
紳士はかすみにそう言うと、軽快に車を発進させた。
何が起きたのか、かすみが頭の中で整理していると。
「まず二つほど謝らなくてはいけないことがあります」
紳士は優雅にハンドルを操作しながら、ルームミラー越しにかすみに微笑みかけた。
「ああ、はい」
まだ動揺が収まらないかすみが、コクコクと頷くと。
「昨夜グラスが傾いたのは、私のせいです」
紳士はポケットからコースターを取り出して、かすみに渡した。
よく見るとそこには、透明な釣り糸のようなものが結んである。
「初歩的な手品です」
首を捻りながら紳士を見ると、自分のシャツの中に手を入れて何かを外す。
プシューと、空気が抜ける音がすると……徐々に紳士は痩せて行き。
特徴的な高い鼻とひげを取り、ついでにカツラを外すと、かすみの良く知る顔があらわれた。
「はは、浜生!」
まだ顔にはシワがあるし、目の色も微妙にブラウンだが……きっとこれはカラーコンタクトとメイクだろう。
「それでもうひとつ謝らなくちゃいけないのが」
変態甘党ホモ紳士から残念イケメンにジョブチェンジした男が、困ったように微笑み。
「かすみさんをアパートに送る途中で、どうしても我慢できなくて。その、少し、服の上からですが……そのささやかな胸を、揉んじゃいました」
いつもの浜生の口調で、はにかむようにそう言った。
相変わらずつくられたようなイケメンスマイルを発射する男に。
――最大の問題はそこじゃないだろう!
かすみは心の中でそう突っ込むと、どう対処していいか悩み……
とりあえずグーで頭を殴っておいた。
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