Chapter.1 怪盗の定義

05 こいつツンデレだったらどうしよう……

 大野が覆面パトカーに乗り込むと、亞里亞は後部座席にスーツケースを押し込み助手席に乗り込んだ。


「県警への挨拶は後でいいわ、まず現場に向かってくれない?」


「今枝警部補殿、現場と言いますと県警でよろしいですか」

 立場上、今枝亞里亞はフェイカーが県警に張り出した事件の調査を担当していることになっている。


 大野はエンジンを掛けながら、ルームミラー越しに亞里亞を見た。


「そんな堅苦しい呼び方しなくてもいいわよ、亞里亞ちゃんて呼んで。それから現場は殺人事件があった八剱家で問題ないわ。……あたし達は予告を阻止してフェイカーを逮捕するのが仕事だから」

 亞里亞はルームミラーに向かってウインクを返す。


「了解です、亞里亞ちゃん」



 大野は引きつる頬に堪えながら……

 ――力いっぱい、アクセルを踏み込んだ。




 ¬ ¬ ¬




「これ、ハン・ファン・メーヘレンだわ。……間違いない」

 現場に到着すると同時に、亞里亞は例の絵画に釘付けになる。


「現場の状況説明は必要ですか?」

 大野は殺人現場の調査をロクにしない亞里亞の態度に腹を立てたが。


「資料に目を通したけど、この殺人事件はフェイカーじゃない。問題はここに本物のメーヘレンがあることよ」

 亞里亞はつまらなさそうに呟き、大野を見た。


「さっきも言ったけど、あたしたちの仕事は殺人犯の検挙じゃなくて、フェイカーの逮捕なの。この事件にフェイカーは絡んでいるけど、殺人犯は別よ」


「根拠は」


「フェイカーは泥棒じゃないし、ましてや押し込み強盗でもないわ」

 亞里亞の言葉に大野がため息をつくと。


「通常の泥棒は窓や金庫を開ける時、破損させたり開けっ放しにしたりするでしょう」

 まるで出来の悪い子供に教えるように、亞里亞は話し始める。


「ガラスの三点割りやピッキング、金庫ならドリルやバールを使ったこじ開けが一般的ですね」

 大野がそれぐらい知っているとばかりに反論すると。


「フェイカーの犯行にはそれが無いのよ。鍵を開けて、侵入して。鍵を閉めて出て行く」

 続けてそう言って、大野の反応を見た。


「鍵を閉めて出て行く?」

「そう、これの意味は大きいわ。何故ならそんなの……時間の無駄で必要無いし、不可能だからよ」


 窓やドアを破損したら、そもそも閉めることはできない。ピッキングも、鍵を開けることはできても閉めることは困難だ。

 それに少しでも現場にいる時間を短くしたい犯罪者が、わざわざそんなことをする意味が分からない。


「なぜ、どうやって」


「さあ? それを探すのがあたしたちの仕事でしょ。ひょっとしたら関係者から事前に鍵を盗んでいるだけかもしれないし」


 ――それじゃあ泥棒じゃなくて、テレビ映画や漫画に出てくるスパイだ。


 大野はそう言いかけて、今朝聞いた県警侵入の状況を思い浮かべ。

「まさか」

 自分のバカバカしい想像に首を振った。


 考えを整理するために大野は深呼吸する。

 ――まず目の前の女にペースを握られ過ぎだな。


「フェイカーが狙うのは贋作。それもハン・ファン・メーヘレンの作品ばかり」

「だが亞里亞ちゃんは、それは本物だって……」


 亞里亞ちゃんと呼ぶと、少し気持ちが落ち着いた。


「メーヘレンは有名な贋作作家よ。この絵のオリジナルはティツィアーノの『皮をはがれるマルシュアス』ね。チェコのクロムニェジーシュ美術館に所蔵されているけど」

 亞里亞はキャンバスを持ち上げ、裏側を調べるように覗いてから元に戻すと。


「こんな美味しいものがあるのに、手を出さないなんて考えられない」

 首を捻る。


「亞里亞ちゃん、他に何か調べたいことは?」

 大野は亞里亞の態度に少しだけ好感を抱いた。


 形や方向性はどうあれ、彼女なりに事件に向き合っていると思ったからだ。


「この絵に張られたフェイカーの挑戦状に、裏書はなかったの」

「亞里亞ちゃん、特に話は聞いてないですが、後で鑑識に問い合わせておきましょう」


「そ、そう……それじゃあ挑戦状の第一発見者は」

「殺人事件と同じ、被害者の唯一の家族である娘さんです。亞里亞ちゃん」


「……会えないかな?」

「亞里亞ちゃん、娘さんは発見の際のショックで今隣の病院で保護されています。医師と、未成年者ですから保護者の了解がないと面会できません」


 大野の発言に、亞里亞は眉間にしわを寄せ。


「ご、ごめん。あたしが悪かった……好きな呼び方でいいから」

 仕方ないとばかりに、ため息をつく。


 大野は少し嬉しそうに。

「了解です、亞里亞ちゃん」



――そう答えながら敬礼した。




 ¬ ¬ ¬




 大野が県警に問い合わせると、保護者も担当医も親戚である病院の副医院長だった。

 亞里亞はその人物の年齢や経歴を聞くと。


「ちょっと待ってて」

 覆面パトカーに乗り込み……

 例の大きなスーツケースを開け、化粧を直し始めた。


 大野がタバコを二本、吸い終わると。


「おまたせ」

 洗練されたキャリアウーマンがあらわれた。


 髪はアップにまとめ上げられ、目筋もキリリと通り。

 銀縁の眼鏡に……今まで着ていたクリーム色の柔らかいジャケットではなく、紺色のビジネス・ジャケットを羽織っている。


 声色もはきはきしていた。


「そっちが本性で?」

 あっけにとられている大野に。


「副医院長さんを口説かなきゃ面会できないのでしょ」

 笑う姿も、大人の色気があった。


「確かにそうだが……」

「女の顔はキャンバスなのよ」


「はあ」

「それにね、大切なのは仕草や話し方。人の印象の八割はそっちだって、警察学校で習わなかった?」

 亞里亞はそう言って、さっそうと病院に向かって歩き出す。


 大野は、その後ろをため息まじりに追いかけた。



 初めは、まだ不安があるから面会は出来ないと言っていた副医院長は……

 娘さんを心配する本庁から来た女性警官が、一度面会して励ましたいという力説を一方的に聞かされ。


 十分もしないうちに首を縦に振った。


 もっとも彼が見ていたのは、余分に一つ外された胸元のボタンからこぼれ出る谷間と。

 脚を組み替えるたびに見えた、太ももだったが。


「狙いは合ってたし、余分に盛っといてよかったわ」


 副医院長室を出た後、亞里亞はその大きな胸を両手で持ち上げながら、大野に向かってそう言った。


「何を盛ったんですか……」

 微妙に頭が痛くなったが。


「次はあなたの番よ、その無駄にイケメンな顔を最大限利用してね」

 何を聞き出すかの打ち合わせもなく、『八剱静香』と書かれた個室をノックした。


 病室のベッドに座っていたのは、背の半ばまでの漆黒のストレートの髪に、意志の強そうな切れ長の瞳が印象的な美少女だった。


 ――やはり、どこか高校時代のかすみに似てるな。


 大野が小さく息を飲み込むと、後ろから亞里亞に足を蹴られた。


「だれですか?」

 その小さな声に。


「警察庁の今枝と、県警の大野です」

 亞里亞が、優しい大人の笑みをこぼしながらそう答え。


 シーツを胸まで持ち上げ、不安そうに二人を見る少女に……

 亞里亞はそっと近付き、鼻を寄せた。


 大野はベッドサイドに並べられたペットボトルを数えながら、ため息をつく。


「なんですか、いきなり」

「喉が渇いて仕方がないでしょう、血糖値はちゃんと測ってもらった?」


 亞里亞の言葉を無視する少女だったが。


「この匂いは合成ドラッグ……いいえ、脱法ハーブかな? 病院の通常血液検査や尿検査では出にくいかもしれないけど、警察にはちゃんと調べる機器があるのよ」


 慌てて顔を逸らす仕草を見て。

 大野は「黒だな」と、心の中で呟いた。


「手も震えてないし、肌もあれてないから……まだ手を出したばかりでしょ。これを機会に手を引きなさい」

 ややドス効いた亞里亞の声に少女が震えたが。


「今日はもう帰るけど、次も同じ状態だったら警察まで来てもらうからね。それから何かあったらここに連絡して。相談に乗るから」

 名刺の裏にペンで何かを書き込んで、それを渡すと。


 少女は少し安心した顔をした。


「必要があれば、こっちのイケメンもオプションで付けてあげるから」

 そして亞里亞は少女にウインクすると、部屋を出ていく。


「おい」

 大野が、廊下で前を行く亞里亞を呼び止めると。


「まったく、あなたたち今まで何してたの!」

 亞里亞が静かな怒りに震えていた。


 脱法ハーブ事件は他の課の管轄だとか。

 フェイカーを追っていた部署とは、昨日の今日で、まだ連携が取れていないとか。


 妙な言い訳が頭の中を巡ったが。


「すまん」

 大野は……これは俺たちの失態だと思い、素直に頭を下げると。


「わ、分かってるなら良いのよ、と、とにかくこれからどうするかが大事なんだから」

 やや顔を赤らめ、困ったようにモジモジとそう答えた。


 そんな亞里亞の態度を見て。



 こいつツンデレだったらどうしよう……と。

 ――大野はふと、不安になった。

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