04 その女は「まあこれ計算ですし、どうせあなたには通用しないでしょう」と言って微笑んだ

 大野おおの健司けんじは、昨夜から何度も見ているSNSアプリの画面を睨み、ため息をついた。


「大野、捜査一デカ課長が呼んでたぞ」

 県警の正門をくぐると突然同じ課の同僚の平岡に声をかけられ、スマホから顔をあげる。


 平岡は大野と歳も階級も同じだが大卒を鼻にかけ、どこか大野を見下しているところがあった。いまもねちっこい視線を向け、あざ笑うような態度だ。


 どうやら自分は女にもてると勘違いしているようで、勝手にライバル視している節もある。その性格と、肩までのロン毛に日に焼けすぎた顔は……失敗したサーファーみたいな姿で、女性職員に評判が悪かったが。


「今朝は捜査本部の立ち上げだろ?」

 昨日の公式発表の後、所轄の南警察所と合同で県警に捜査本部が設立されることが決まった。


「その前に来いってよ、お前なんかやったのか」

 相変わらず絡むような態度だったが、大野は軽く片手をあげてやり過ごした。


 ――ついてない時は、とことんついてねえな。

 今朝の占いも運勢最悪って言ってたし。


 大野はスマホをマナーモードに切り替え、ポケットに突っ込む。


 その容姿の良さと、子供の頃から抜群だった運動神経。勉強にも努力して、それなりの成績を残していた大野にとって……


 もちろん、適当に手を出したことなどなかったが。

 女なんて適当にあしらっていてもなんとかなる存在だった。


 無動寺かすみ以外は。


 今回かすみに送ったSNSのメッセージは、大野にとって清水の舞台から飛び降りる心境だった。

 しかし、返信はいまだに無い。



 大野は課長室の前に着くと、もう一度大きくため息をついた後……

 扉をノックした。




 ¬ ¬ ¬




「何ですか、これは……」

 大野は手元の資料を見ながら、開いた口がふさがらなかった。


「聞きたいのはこっちの方だ」

 捜査一課長の宇佐美は、眉間にしわを寄せる。


 デジカメで撮影された証拠写真が映し出しているのは、すべて県警内の廊下。

 さらに数枚めくると、捜査一課の入り口に張り紙がされていて。



―――

この事件に偽り有り

近日中に真犯人を盗みます

怪盗フェイカー

―――



 そう書かれていた。


 資料によれば夜勤の刑事が今朝五時頃発見し。鑑識の結果、過去フェイカーが出した挑戦状との共通点が多数見受けられた。


 県警内での聞き込みや監視カメラの映像で、不審な制服警官が容疑者として挙がったが。なぜか全員の証言が、監視カメラの映像と異なる。


「中には簡単な会話をした警察官もいたが……そいつは五十代半ば以上の、初老の人物だと言い張っている」


 監視カメラがとらえた映像も資料にあったが、どう見てもそれは二十代の男にしか見えない。


 県警に、郵送ではなく警察官を装って堂々と侵入し……

 挑戦状を置いていった。


 しかもそれは、世論が注目している怪盗フェイカーだと言う。


「報道規制は引いた、お前も口を割らんようにしろ。もちろんこんなことが世間にばれたらいい笑いものだし、警察の責任問題もある。だが一番問題なのはこの件が昨日の殺しと関連していることだ」

 捜査一課デカ長はため息をつくと、デスクからもう一つ茶封筒を取り出す。


「それは重々理解できます、でもなぜ今俺にそんな話を?」

 その封筒には『機密書類』と書かれ、鑑識の捺印もあった。


 差し出された封筒を大野が開けると、先ほど見た書類と同じA4用紙にパソコンで印刷された紙が出てくる。


「模倣犯と区別するために内密にしているが、やつは挑戦状の裏にも文字を書く」

 書類には、デジカメで撮影された挑戦状の裏面の一部が拡大されて印刷されていた。


「そこには必ずナンバリングと宛名が記されているそうだ」

 捜査一課デカ長はそう言うと、深く椅子に座りなおす。



―――

№0008

大野 健司  警部補 殿

―――



「どうして?」

 大野が思わず声を出すと。


「さっきも言っただろう、それは俺が聞きたい」

 凄くつまらなそうな声が返ってきた。


「それでここからが本題だが、お前は昨日の殺しの担当から外れてもらう。代わりにこの件の捜査についてもらうが……」


「待ってください」

 大野は殺人や凶悪犯罪を担当する捜査一課デカだ。

 いくら宛名に書かれたからと言って、警察署への不法侵入にまわされるなんて……


 それはないと反論しようとしたが。


「まあ聞け、この件を本庁に報告したら担当刑事が東京から来る事になった。いくら衆目を集めている事件とはいえ、本庁と県警と所轄の合同本部までは作れん。そこで妥協案としてひとりだけ『やつ』専任の捜査官を受け取ることで、上が合意した」


 通常警察庁が介入する合同捜査本部の設立は、都道府県をまたぐ誘拐や連続殺人事件等の大型凶悪犯罪に限られる。

 そう考えると、この件の取り扱いは微妙だが。


 挑戦状が県警に張られたことも影響しているのかもしれない。

 マスコミは……特異な動きがあるとすぐ勘付いて粗を探しにくる。

 それを県警が避けたのかもしれない。


 大野が歯を食いしばると。

「その妥協案を受け取る条件が、本庁の専任捜査官とお前が組むことだった」

 

 捜査一課デカ長は眉をひそめながら……

「後は察してくれ」

 小声で呟いた。


 本庁は県警を疑っているのかもしれない。

 張り出された挑戦状、そこに書かれた捜査官の個人名。


 そしてその本庁の動向を、県警も欲しがっている。


「つまり本庁の疑いを受けながら……それを調査しに来た、専任捜査官の動向を探れってことか」

 声に出しかけた大野だが、なんとか怒りと共にそれを飲み込み。


「了解です」

 そう答えると、課長室を後にした。



 昨日の殺人の捜査本部設立でバタつく一課の前まで行くと。


「大野、話は聞いた。子守は頼んだぞ」

 四十がらみのダミ声が聞こえてくる。


「村井さん……」

 大野が振り返ると。


宇佐美課長おやっさんも苦渋の選択だ、察してやれ」


 年配の刑事は、宇佐美捜査一課長を『おやっさん』と呼んでいた。同じ叩き上げで、現役時代は熱血で正義感に溢れ、課長まで登り詰めた彼を……親愛を込めてそう呼んでいる。


 それから『察して』は、言葉にしにくい裏事情を飲めという、忖度そんたくの隠語でもあった。


 大野が苦笑いすると、村井は無精ひげをさすりながらポンと肩を叩き。

「それも大事な仕事だ」

 そう言って、新設の捜査本部に消えていった。



 大野はその背を目で追いながら……

 ――やっぱり今日はついてねえ。と、ため息をもらした。




 ¬ ¬ ¬




 県警から車で十五分も走ると田畑が広がる田舎道に入る。

 更にそこを五分ほど行くと、県内で唯一の新幹線の駅に着く。


 大野は駅前のロータリーの中にある駐車場に覆面パトカーを止め、自分と同じ苗字の政治家の銅像を見上げながらタバコに火をつけた。


 噂ではこの政治家の出身地であるこの場所に駅を造るため、新幹線の路線が大きくゆがんだとか。


忖度そんたくねえ……」

 やるせない気持ちを落ち着けるために、送られてきた資料をスマホで確認する。


 本庁からお越しになる捜査官は、今枝いまえだ亞里亞ありあ二八歳。


 都内の国立芸術大学の芸術学科を卒業し、アメリカに留学。その後、ボストンの大学で美術修復士と犯罪心理学の博士号を取得。

帰国後、警察の準キャリアである国家II種を違例の好成績で合格。


 入庁後は偽造証券事件や美術品詐欺事件を中心に、わずか数年で輝かしい実績をあげ……

 怪盗フェイカー事件以降、自分で志願して専任捜査官となる。


「到着の時刻までまだあるが」

 喫茶店で時間を潰そうかどうか悩みながら靴で火をもみ消し、二本目のタバコをくわえると。


「吸い殻はちゃんと灰皿へ。それからここは禁煙ではないようですが、あたしの近くではタバコは吸わないでくださいね」

 大きな旅行用スーツケースを引っ張って歩いてきた女性が声をかけてきた。


 身長は百六十センチに届かないだろう。ふわっとした肩までの髪に、大きな瞳。

 まだ幼さの残る顔には、人目を惹く美しさがあった。


 実際、膝上丈のワンピースが風に舞うと……何人かの男が振り向く。


「吸い殻はちゃんと捨てておく、だが喫煙者にも権利がある。嫌なら別の場所に……」

「まあそうですが。あたし最近タバコ止めたばかりで、近くで吸われるとイラっとするので……これからのルールとしての提案です」


 ニコリと微笑むその顔は、どう見ても二十歳前後にしか見えなかったが。


「もしかして?」


「覆面パトカーって、知っている人間からすると目立ちますし。あなたからはタバコの臭いと刑事の臭いがプンプンしますよ、大野警部補」


 痩せているのに意外と大きな胸をムニュムニュと押しのけ、羽織っていたジャケットから警察手帳を取り出すと……


 そこにはちゃんと、警察庁の所属と今枝いまえだ亞里亞ありあの記名があった。


 大野は軽く会釈して。

「臭いますか?」

 嫌味を込めて、自分の袖を鼻に近付けた。


「タバコは別として……」

 亞里亞はニコリと微笑むと。


「真新しい量販店のスーツは着崩れていますし、新品の革靴は底がすり減っています。しかも背筋はピンと伸び、鍛えられた体格。これはその姿で走り回っている証拠ですし、規律が厳しい組織にいる証拠でもあります」

 さらに考え込むように人差し指を顎に当て。


「それから、視線と言うか目つきですね。あたしみたいなスキが多そうな可愛い女の子が歩いて来てるのに、他の男……特に不審そうな人物を、気付かれないように目で追ってました。これは有能な刑事か、ブサ専ゲイのどちらかである証拠です」

 可愛らしく首を捻る。


「自分で、スキが多そうな可愛い女の子って言いますか」

 大野があきれてそう言うと。


「まあこれ計算ですし、どうせあなたには通用しないでしょう」




 その女は、どこか鋭い視線を大野に向けて……

 ――とても楽しそうに微笑んだ。

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