01 あっ、いえ。そう言うのじゃないですから

 かすみは何だかもやもやとしたものが胸に残ったが、局長はもう受話器を握って誰かと会話を始めている。


 しかたなく自分のデスクに戻ると。

「話は聞こえていました、早速行きましょう」


 例のコーヒー風味の砂糖を上品に飲み干すと、ゆっくりと席を立つ。


「場所は分かってるの?」

 かすみは慌てながら取材道具を鞄に詰め込むと。


「もう、報道陣が群がっていますね」

 浜生が編集局内に並ぶテレビモニターを指さした。


 そこではいつもキー局のニュース番組が流れているが、すべての画面が同じ屋敷を映し出している。


「嘘……」

 テロップには、緊急速報の文字の後に。


「怪盗フェイカー、ついに押し込み強盗か! 被害者の生死は」

「現場には血塗られた挑戦状が」


 そんな文字が一斉に並んでいた。


「屋敷の隣に映っているのは八剱総合病院ですから、混んでいなければここから車で十分ちょっとでしょう」

 相変わらずちょっと間の抜けた浜生の声を聴きながら、かすみは自分の脚が少し震えていることに気付いた。


「叔父さん」

 途切れそうなかすみの声に、浜生が聞き返す。


「叔父さん?」

「ええ、あの家……あたしの叔父さんの家なの」


「急ぎましょう、まずは現場で正しい情報を集めないと」

 かすみは珍しく低い声で話す浜生に、コクリと頷き。



 突然の事件と、浜生の初めて見る真面目な表情に。

 ――言葉にできない不安がよぎった。




 ¬ ¬ ¬




 大野おおの健司けんじが到着すると、既に現場は報道陣に囲まれていた。


 県内でも有数の大型総合病院の裏にある古い日本庭園には、黄色い規制線が張られ。

 正門には県警の名前がデカデカと書かれた鑑識の大型ワゴンが横付けされている。


「大野さん! 許可とってあるんで、病院の駐車場に車まわしてください」


 知り合いの女性鑑識のひとりが、後ろでゆった髪とツナギの上からでも分かる大きな胸を揺らしながら、大野の覆面パトカーに気付いて声をかけてきた。

 大野は窓を開け、礼を言うと病院に向かって車を走らせる。


 ――今朝のニュースショーの占いじゃあ、今日はついてないって言ってたな。


 こんな地方の押し込み強盗の取材にしては、報道陣の動きが迅速で人数も多すぎる。

 最近話題になっていた、怪盗なんとかの影響だろうが。


 ――どうもブン屋は好きになれない。


 車を停めて人混みをわけながら進んでいると、警備をしている警官が大野に向かって軽く頭を下げたり、道をゆずったりした。


 すると、それを嗅ぎつけたかのように。

「何があったんでしょうか?」

 テレビ局名が書かれたマイクを握った女性が、大野に話しかけてきた。


 見間違いが無ければ……人気のワイドショーのレポーターだ。

 現場にそぐわない派手なミニスカートのスーツに、アイドル歌手のようなルックス。


 大野はあからさまに嫌な顔をして、無言で手を振り。黄色いロープをまたぐ。


「珍しいな、県警一の女たらしと噂されるお前が女に冷たいなんて」

 四十がらみのダミ声に大野が視線を向けると、無精ひげに強面のくたびれたスーツを着た男がにやけていた。


「村井さん、その汚名どうしたら返上できるんですかね」


 大野は捜査一課に配属される前は、生活安全課にいた。

 少年少女の補導も行うその課では、人気のダンスグループのメンバーに似ている大野の容姿は重宝された。

 補導された少女たちが他の捜査官より口を割り易かったからだ。


 今でも繁華街に聞き込みに行くと、ホストにスカウトされたり水商売の女性に媚を売られたりする。


 大野はそんな自分の見てくれが好きじゃなかったし、いつかコンビを組んでいる村井のように渋い刑事デカになりたいと思っていた。


「贅沢言うな、俺が変わりたいぐらいだ。それに何度も言ってるだろう……捜査に使えるもんは何でも利用しろ」


「そんなこと言ってるから、奥さん帰ってこないんじゃないですか?」


 大野の憎まれ口に、村井は笑いながらポンと肩を叩いた。

 朝の挨拶はここまでってことだろう、村井の表情が真面目になったのを見て大野も気を引き締める。


「手口は完全にプロだな、被害者は椅子に座っていたところを後ろからズドン、遺留品も見つからない。第一発見者の娘さんの話じゃあ銃声も聞こえなかったそうだ」


 大野はジャケットのポケットから白い手袋を取り出し、部屋に移動する村井を追った。


「その娘さんは?」

「たったひとりの肉親がこんな状態なんだ、今隣の病院で保護されてる。あそこは被害者の親族が経営してるそうだし」


 二階の一番奥の部屋で鑑識が写真を撮ったり、指紋の採取を行っていた。

 扉の前で村井が立ち止まり手を合わせる。

 大野もそれにならって、手を合わせてから部屋に入った。


 十二畳を越える大きな部屋には、ベッドと机と本棚が数台。シンプルだがどれも高級品だと一目でわかる重厚感がる。


 窓の反対側の壁には大きな油絵が飾ってあり、そこだけなぜか異彩を放っていた。


 シンプルだがどこか温かさが感じられる、この部屋の趣味と絵が合わないからだろう。

 それは悪魔が人を食い殺すシーンを描いた、グロテスクな作品だった。


「隣の部屋の窓が割られて、鍵が開けられていた。被害者の状態から争った形跡もないし、銃弾の位置から犯人はそのドアから撃ったと考えられる」

 村井が自分たちが入ってきたドアを指さす。


 ――確かにここからなら、背後から一発で狙えるが。


 大野は椅子の下にこびりついている血痕と、高級絨毯の上に描かれた人型の白線に眉をひそめた。


「それじゃあ殺しが目的だったんですか? 例のなんとかってやつの挑戦状は……」

 大野がそこまで言うと、村井が例の油絵を指さし。


「その絵に張り付けられていたそうだ。被害届も出ていたし、警らもこの辺りのパトロールを強化していた。……もっとも最近はいたずらも多くて、手を焼いてたそうだが」

 村井の表情が歪む。


 そんな状態で殺人事件が起きたから、警察に対する非難は覚悟するべきだろう。

 だが問題は、この事件が例の怪盗気取りの犯人と、同一とは思えない所だ。


「やはり捜査を混乱させるための模倣か、挑戦状とは別に殺人事件が起きたと考えるべきですかね」


「その線もあるが……殺人は手口から見てプロの仕業だ。変な模倣をして、世間の衆目を集めるような意味が分からない。別々の事件だとすると、なぜ危険が高い時期に犯行に及んだのか」


 村井の言う通り、気味の悪い矛盾がどの考えにも付きまとう。これが本当にプロの殺し屋の仕業なら、理由もなしに奴等は危険を冒さない。


 大野が悩み始めると、村井がポンと肩を叩いた。

「まあそれを探すのが俺たちの仕事だ」


 ――真相はいつも現場に落ちている。



 以前聞いた村井の言葉を思い出しながら、大野はもう一度人型の白線に手を合わせると。鑑識に混じって現場を捜査し始めた。




 ¬ ¬ ¬




 侵入経路と思われる隣の部屋は、以前病気で亡くなった奥様の部屋で、現在は誰も使っていないという話だ。


 大野が部屋に入ると、殺人現場と同じ造りの部屋にはマットが無いベッドと整頓された机と椅子が、主人の帰りを待つ犬のように鎮座していた。


 割られた窓は、はめ込みの縦に半開きになるタイプのガラス製のもので。鍵の周辺に粘着テープの跡があり、ドライバーのようなもので叩き割った形跡がある。


「空き巣が良く使う手口ですが、こうすると音が消せるし腕だけ通す隙間ができるんです」

 その声に振り返ると、今朝車を誘導してくれた鑑識官がいた。


「通常の三点割と、どこか違うのか?」

 大野は彼女の名前を思い出そうと、首を捻る。


「これは自動車なんかにも使われる防犯ガラスなんですよ。粘着テープを使わないで強引に割ると、大音量で全部砕けちゃうんです」


 その大きな胸の上には、鈴木鏡花きょうかと書かれたネームプレートがぶら下がっていた。


 大野がなんとか名前を思い出し、軽く頷くと。

 その説明に納得してくれたと喜んで、鏡花は笑みをもらす。


「そうなると犯人は、この屋敷の事情をよく知っていたやつになるのか」

 特殊なガラスを効率的に割り、わざわざ使われていない部屋から侵入している。


「その可能性は高いですね、二階のこの部屋まではロープか何かでよじ登ったようですし。それも下準備が無くちゃできないですから」


 鏡花が窓から顔をだし、建物の上側を指さす。

 大野が同じように窓から上を見上げると。


「屋上のフェンスに登山用のフックのようなものをかけた跡がありましたし」

 続いて壁沿いを指さしながら。


「クライミングシューズのようなもので蹴った足跡が続いてます」

 そう言ってから大野に向かって振り返り、顔が近すぎることに気付いて頬を赤らめる。


 しかし大野はそんな女性の機微には気付かず、コンクリートの壁に付いた足跡を眺めていた。


「なんであれがクライミングシューズの跡だって分かるんだ」

「そ、それはですね……普通の靴には溝があって、その後が残るんですが。クライミング用の靴には摩擦係数を上げるために、その……み、溝が無いんです」


 苦しそうな鏡花の声に気付いて、大野が慌てて距離を取る。

「悪い、苦しかったか?」

「あっ、いえ。そう言うのじゃないですから」


 照れたように微笑む鏡花を不思議そうに見て、大野はもう一度窓の外を眺めた。


 建物の裏側は隣接する別の家と垣根で分けられている。

 侵入するにはこの屋敷の高い塀を越えるか、隣の家を経由して垣根を超えるかだが……


 大野が垣根の向こうに目を落とすと、報道の腕章をつけた男女がこちら側を覗いていた。

 男はニヤニヤしながらこちらを眺めていたが、女の方は大野と目が合うと慌てて垣根に顔を隠した。


「ブン屋ですか? 確かに隣の家には規制線は張ってないですけど、あれはちょっとルール違反ですよね」


 怒る鏡花の声に、大野は自然と自分の頬が緩んだことに気付く。

 女性の名前を覚えるのは苦手だし、可愛いと言われる娘でもさっきのリポーターのような、つくられた感じの美しさは苦手だが。


「七年、いや八年ぶりか……」

 その女性が一目で高校の後輩、無動寺かすみだと分かったし。

 出会っていない間に、その輝きに磨きがかかったような気がした。



 そして、大野の心の中に……

 自分では理解できていない不思議な感情が疼いた。

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