その怪盗じゃあ許せない!
木野二九
8月の雪は降りやまない
Prologue 夢で逢えたら
00-1 自惚れかもしれないが、このイケメン…… グイグイ来ているような気が?
寝付けない時ほど、どうでも良い事が頭の中でグルグルと回る。
その夜、無動寺かすみが悩んでいたのは自伝を書くとしたら冒頭文はどうするか……だった。
子供の頃から跳ねっ帰りで正義感だけが強かった、とか。
読書やパズルが大好きで、普段は大人しい子供だが好奇心が強く。
なんて書きだしたいところだが。
かすみはどこにでもいる「普通の子供」という言葉がピッタリと当てはまる幼少期を送った。と、本人は信じている。
二十六年の人生を振り返ってみても、これと言って特筆するものがない。もし何か挙げるとしたら五歳の頃に火事で両親を失ったことだが。
「新聞記者を始めてから、それもどこにでもある不幸のひとつだと知ったし」
ましてやそこそこ裕福だった祖父に引き取られてからは、それなりに幸せな人生を歩んできた。だからかすみは自分が不幸な人間だとはこれっぽっちも思っていない。
事実そのものを書くのが記事であり、「先に結論が述べられ、その結論に必要な情報が書かれ、続いて背景が説明されている」のがジャーナリズムのメタファーなら。
無動寺かすみはごく当たり前の子供だった。
そう書きだすのが正解になる。
……最も他人の評価は微妙に違うのだが。
「いやまて、そもそもあたしは自伝を書きたいのか記事を書きたいのか?」
かすみはベッドサイドに置いていたコースターを手に取り、もう一度その裏に書かれた文字を確認する。
一行目に「あなたの心に偽り有り」と書かれ。
続けて二行目に「近々盗みに参ります」とあり。
更にその横には「怪盗フェイカー」と署名がある。
ワープロで印刷したような人間味の感じられない美しい文字。
――まったくあいつらしい。
いったいあいつはどんな表情でこれを書いたのか。
かすみはそれを想像して、コースターをくるくる回しながら今日何度目かの笑みをこぼした。
枕元の時計は午前一時を過ぎている。
頬が赤いのは店で飲んだワインのせいか、この文字のせいか。
かすみには良く分からなかったが……
どうせ眠れないのなら、ほとぼりが冷めるまでこの数ヶ月で起きた事件をまとめようと決めた。
「なら記事として書くのが正解だし、あたしのつまんない人生を語る必要もないだろう」
物事に終わりと始まりがあるのなら、終わりはこのコースターをレストランで受け取ったところ。
そして始まりは、町立博物館の館長から妙な話を聞いたところからだ。
かすみはベッドから抜け出すとパジャマのまま机に座って、ノートパソコンの電源を入れ。
ワープロソフトを立ち上げる。
そして苦笑いしながら、誰に見せるわけではない記事を……
「正確に偽りなく、事実を書こう」
そう、自分に言い聞かせながらキーボードを叩き始めた。
¬ ¬ ¬
その女性は伊達メガネを外し、深夜の職場の化粧室の鏡の前で、大きなため息をついた。
化粧ポーチを取り出し、地味で特徴のない自分の顔を彩って行く。
徐々に変化する鏡の中の顔を見ながら、本物の自分を見失いかけるが……
なぜか、ポーチの横に置いた一枚のコースターを見ると気分が落ち着いた。
「待ってなさい、必ず捕まえてあげるから」
言葉にすると、徐々に自信も取り戻せてくる。
コースターに書かれた文字をもう一度にらみ、気合いを入れ。
鏡に映った美女に話しかける。
「盗めるものなら、盗んでみなさい」
そして妖艶に微笑むと……
背筋を伸ばし、楽しそうに化粧室を後にした。
¬ ¬ ¬
その日も……いつものように、朝から地方新聞の編集局はお祭り騒ぎだった。
喧騒のかやの外にいた地域文化部の記者、無動寺かすみは主要新聞の三面記事をズラリと机の上に並べて「うーん」と、唸り声をあげる。
そこには「怪盗フェイカー」の文字が所狭しと踊っていて。
「彼氏、本当に有名になっちゃったね」
同じ地域文化部である、隣の席の
「別に彼氏じゃないですし」
かすみがすねたように口を尖らせて反論すると。
二歳年上にあたる二十八歳の浜生は、まるでやんちゃな妹を見るように目を細める。
どんな事情があったか知らないが、浜生はアメリカに本社がある共同通信社から、この地方新聞に転職してきた変わり種だ。
家庭の事情らしいが……独身でアメリカの一流大学卒。
百八十センチを超える長身に、痩せているけど鍛え上げられた身体つき。目鼻立ちは整っているのに、ぼさぼさの髪に寝ぐせなんか付けてそのまま出社してくる。
のんびりとに椅子に座って脚を組むと、それを横目で観察していた他の女子職員から羨望のため息が漏れた。
女子の間では、そこがかわいいとかなんとか言われているらしいが。
かすみはその寝ぐせまで計算されているような気がして、どうも好きになれない。
今もこちらに向けられた笑顔は、作り物のようで……
まるでイケメン俳優がドジな男の役を演じているような気がする。
――どうも信用できないのよね。
「その怪盗フェイカーってのも、無動寺さんが付けたのだから。なんだかここまでくるとネーミング料だけでも請求したくなるね」
浜生はその態度を無視するようにのんびりと呟くと……
自分のデスクの引き出しからステック・シュガーをごっそりとつかみ取り、順番にカップに流し込み始めた。
一、二、三……かすみはステック・シュガーが七つを越えた辺りで胸やけがして、数えるのをやめた。
「それ、美味しいですか?」
浜生はその言葉に少し首を捻ると。
「コーヒー風味の砂糖としては、悪くないかな」
またイケメンスマイルを輝かせ。
「そうそう、コーヒーでしたらとても美味しくて、雰囲気の良い店を見つけたんですが。一緒に行きませんか?」
そう付け加えた。
自惚れかもしれないが、このイケメン……
グイグイ来ているような気が?
何度食事に誘われたことはあるし、部署も同じで隣の席だからお互いによく仕事の話もするが。
かすみは浜生の誘いを一度も了解したことはない。
髪も邪魔にならないように適当に後ろで結んで、動きやすい量販店のパンツスーツを着た色気の欠片もない女に、こんな男が興味を持つわけがないだろう。
だからこれは、きっとアメリカンな社交辞令だ。
そう考えていたから、他の女子社員に関係を聞かれても。
「ただの隣の席の人」
いつもそう答えていた。
かすみはいつも通り丁重に誘いを断ると、ため息をつきながらまた紙面を目で追いかける。
このコソ泥とも呼べないような犯罪者に、怪盗などと言う大げさな煽り文句をつけたのは、確かにかすみだ。
そもそもの始まりは二ヶ月前。
地元の小さな町立博物館の一枚の絵に、奇妙な張り紙がされたのがきっかけだった。
『この作品に偽り有り』
そう書かれたA4のコピー用紙の裏には、贋作の可能性が高いため近日中に作品を盗み、後日鑑定結果と共に返却すると書かれていた。
町役場を定年退職した人の良さそうな禿げ頭の館長は、念のため警察に通報したらしいが。
「いたずらの可能性が高いからかなあ、あまり親身に取り合ってくれなかったよ」
そう言って、ヘラヘラと笑っていた。
――館長自身、危機感なんて微塵もなかったと思う。
その紙が張りつけられた作品自体、地元のお金持ちが寄付したものだそうだし。
かすみはその話に興味を持ったが、そもそも地域文化の記事としては逸脱している。
夏のイベントシーズンに向けてやらなくてはいけない仕事も山済みだったから、その時は町の祭りの準備の話を取材して編集局に帰った。
持ち帰った資料や写真を整理していて、やはり変な張り紙のことが気になり……
報道部への情報提供ぐらいのつもりで編集局長に話をすると。
「面白そうな話だな、本紙では扱えなさそうだけどデジタル版ならいけるだろう。俺が話しを通しておくから書いてみな。わからん事があったら浜生に聞け」
五十を少し過ぎたタヌキ顔の編集局長は大きな腹を抱えてそう言うと、別の記者を呼び寄せて、もう次の打ち合わせを始める。
その頃県内ではSNSを媒体とした、脱法ハーブの組織販売が話題になっていた最中だったから……
地元のお祭りや文化活動を紹介するのんびり部署とかかわる時間はあまりなかったのだろう。
ため息まじりに自分のデスクに戻り、転職してきたばかりの浜生に相談して、まとめた記事が怪盗フェイカーの誕生の瞬間だ。
かすみが浜生に訂正されたのは誤字や言い回しの一部のみ。
他に何かないですか? と、聞くと。
「後はこの犯行予告をした人物に、何か名前でも付けたらインパクトが出るかもね」
キラキラスマイルで前歯を輝かせながらアドバイスしてくれた。
既に同僚の女子社員が数人、このキラキラスマイルにやられていたが……
かすみはなんとかそれをやり過ごし。
贋作を狙う怪盗。
一番初めに思いついたのは怪盗
怪盗
そう書き込んだ。
フェイカーには広義で詐欺師や大道芸人なんて意味もある。
妙な張り紙しか情報がなかったが、隣で妙な微笑みをするイケメンの横顔を見ていると、なぜかしっくりとおさまった気がした。
そして事件は予告通り作品が盗まれ、翌日鑑定結果と書かれた手紙と共に返却される。
それをもとに専門機関に再鑑定を依頼すると、手紙と同じ結果が返ってきて……
「バブル時代にサザビーズで落札したって、その時の鑑定書まであったのにね」
世界最大の美術品オークション会社の鑑定書があれば、地方の町立博物館では疑う余地なんかなかっただろう。
取材に協力してくれた博物館の館長は、嬉しそうにそう微笑む。
なんせ作品は返却されたし、地方のニュース番組でも取り上げられた。おかげでその絵を見に来る来館者も増えた。
その後日談までをインターネットの記事にまとめると、SNSサイトを始め一気に情報が広まり「怪盗フェイカー」の名は独り歩きを始める。
しかもフェイカーは同じような事件を続けに起こし、この二ヶ月で既に五件。
押し入った場所も有名資産家の自宅や大手ギャラリーと、町立博物館とは比べられないほどセキュリティも面子も高い場所ばかりだ。
新聞社でも刑事事件や社会現象を追う花形部署の取り扱いに変わり、のんびりと地域の文化を紹介する窓際部署では手が出せなくなった。
かすみが紙面をにらみながらもう一度「うーん」と唸ると。
「無動寺! ちょっと来い」
編集局長の怒鳴り声が聞こえてきた。
タヌキ顔の編集局長は、せっかちでいつも無駄に声がでかい。
かすみが指で耳を塞ぐジェスチャーをしながらデスクまで行くと、数人の社員が笑いを堪える。
「なんでしょう、局長」
やり過ぎたと反省し、真面目な表情で背筋を伸ばすと。
「サツ回りから連絡があってな、お前さんの彼氏が出た」
かすみはその言葉に、大きな目を更に大きく見開いた。
サツ回りとは警察に専任でぶら下がり、刑事事件を追う記者の事だ。
彼氏とは……かすみがあの記事以来、フェイカーを気にしていることが、局内で有名になっているせいだが。
「あたしが記事を担当できるのでしょうか」
「刑事面では本社から専任記者が来る、お前には別方面から事件を追ってほしい」
珍しく奥歯にものが詰まったような話し方に、かすみが眉をひそめると。
「これだけ有名になると模倣犯の可能性も高い、サツ回りも疑問を持っていた。詳しくは現場で聞け」
編集局長は、要件は済んだとばかりに『報道』と書かれた腕章と新聞社のネームが入ったバッジをデスクに放り投げる。
かすみはそれを受け取りながら。
「どうして二組?」
ふと疑問をもらすと。
「ボディーガードになるだろうし、あいつは経験者だ」
タヌキ顔が軽くアゴを振る。
かすみがその視線の先を追うと……
優雅にコーヒー風味の砂糖を味わっている浜生と、バッチリ目が合った。
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