第三幕 格、六、やらかす

「――あ、痛っ!」


「し~ぃぃぃっ! 静かにしろ!」


 近隣の家から拝借した梯子をかけ、高い代官所の壁を越えたまではよかったが、着地に失敗して尻餅を搗く六兵衛に格之進は人差し指を立てて注意する。


 その夜、計画通り格之進と六兵衛の二人は人知れず代官所に忍び込んでいた。


 今宵は月も雲間に隠れ、盗人稼業をするにはもってこいの日和…否、夜和である。


「あれが火薬を隠してあるという蔵だな。ここからは足音一つ立てるんじゃないぞ?」


 敷地内に入ると、一際大きな蔵の場所はすぐに知れた。その大きな黒山のような影に向かい、二人は足音を忍ばせながら、真っ暗い建物と建物の間を進んで行く……。


「さすがに油断して門番もおらんようだな……」


 蔵の近くまで辿り着くと、無論、入口の扉に鍵はかかっているものの、見張りの者は誰もおらず、辺りはしんと静まり返っている。


「さあ、六。ようやくおまえの出番だ。だが、静かにやれよ?」


「わかってますよ。任せといてくだせえ……」


 周囲に人気ひとけのないのを確認した二人は素早く蔵の入口へと近づき、その扉にかかる南京錠を六兵衛はなにやらカチャカチャと弄り始める。


 ぢつはこの六兵衛、もとは盗人に弟子入りなんぞしていたその道の玄人くろうとであり、見かけによらず鍵を開けるような芸当もできたりなどするのだ。


「へへへ、江戸の大商人が特注でこさえた錠前ならいざ知らず、こんな田舎のどこにでもあるような南京錠、おいらの手にかかればチョチョイのチョイでさあ……」


 針金を鍵穴に挿して穿り返しながら、そう得意げに嘯く六兵衛であったが……。


「…はひっ……久々に集中してたら、なんか鼻がムズムズしてきた……ハァっ……ハァっ……ハァっ…」


 まさかのこの拍子で、鼻の穴に虫でも入ったかのような表情を浮かべた六兵衛は、口で大きく息を吸いながらくしゃみをしそうになる。


「…ハァっ……ハァっ……ハァっクっ…」


「ば、バカ、よせ! 我慢しろ!」


 それを見た格之進は慌てて小声で制すると、六兵衛の口に手を当てて腕づくにでもくしゃみを阻止しようとするが…。


 ブゥゥゥゥゥゥ~っ…!


 コテコテのお約束にも口をふさがれた六兵衛は、くしゃみの代わりに大きいのを一発、尻の口から静かな深夜の代官所内に思いっきり撃ち放った。


「なんだ、今の音は!?」


「誰だ? 誰かそこにおるのか?」


 当然、闇夜をつんざくその大音響に、代官所の役人やら用心棒として雇われている湯煙一家のヤクザ者達やらが、暗い屋敷のあちこちから一斉に集まってくる。


「なんだ、貴様らは!?」


「く、曲者くせものっ!」


 あまり時を置かずして、二人は大勢の敵にすっかり周りを取り囲まれてしまった。


 その手に手に持った燈明により、彼らの姿も闇の中にすっかり映し出される。


「うぁあ、やっちまったあ……」


「ハァ……ほんと、おまえにはがっかりだよ!」


 あわあわと、仕出かした大失態に青い顔の六兵衛を、格之進は深い溜息とともに怒鳴りつけてはみるものの時すでに遅しである。


「いったいなんの騒ぎでございますか?」


「まさか代官所に賊でも押し入ったか?」


 やがて屋敷の奥の方からは、商人らしき恰幅のよい中年男と、高価な錦の羽織を着た武士も姿を現す。おそらくはそれが悪徳商人・上野屋と、代官の阿久田意寛であろう。


「んん? ……ああっ! てめえらは昼間の……」


 また、中には顔中黒アザを作った、あの格之進にボコボコにされたヤクザ者達の姿も垣間見える。


「ええい、やむを得ん! ご隠居に無断で悪いが、六、アレを使うぞ! 印籠を出してくれ!」


 さすがの格之進でも多勢に無勢……二人…いや、六兵衛は戦力外なので一人でこの場を切り抜けることが困難であると判断した格之進は、前の宿から取って来た印籠を渡すよう六九兵衛に催促する。


「がってん承知の助でさあ! へい! 格さん!」


 その言葉に、六兵衛は待っていましたとばかりに懐へ手を挿し込むと、紫の袱紗ふくさに包まれた長方形のものを取り出し、うやうやしく格之進に手渡す。


「ええい、控えい! 控えおろう!」


 受け取った格之進はその袱紗をはがし、右手に持って真っ直ぐ前へ差し出すと、威風堂々と胸を張って朗々といつもの口上を述べる……




 つもりだったのであるが。


「この紋所が目に入らぬかあ! この、苦い薬を飲んだ後の口直しには最高の……って、これは印籠じゃなくて〝ういろう〟ではないかあっ!」


 手にした長方形の黒い塊に、格之進は一人ボケツッコミを入れて顔を真っ赤にする。

 

 てっきり印籠と思っていたそれは、黒い〝外郎ういろう薬(透頂香)〟に似ているからそう呼ばれるとも、はたまた足利義満に外郎薬の口直しとして添えられたからとも伝えられる、あの黒糖味の米粉の蒸し菓子〝ういろう〟であった。


「おい、六! これはいったいどういうことだ!?」


「あ、いけねえ! そういや、あの茶店でおやつにと思ってういろう買った時、入れ物なかったんで袱紗で包んだんだった。ってことは、印籠はどこに……ああっ! そうか。袱紗から出して机に置いたまま来ちまったんだ。ああ、またやっちまったあ……」


 ものスゴイ形相でこちらを睨みつける格之進に、慌ててあちこち体をまさぐった六兵衛は、不意にそのことを思い出して顔面蒼白となる。


「…っっとに、ほんと、おまえにはもうがっかりだぁ! チッ…こうなれば腕づくでなんとかするしかないな……こいつらは俺が引き留めておく。その間におまえは蔵の鍵を開けて証拠の火薬を持ち出せ。手に入れたら急いでズラかるぞ!」


「へ、へい!」


 相変わらずの六兵衛の失態に怒りの声を上げる格之進であったが、いつまでも怒っていたところでもなんら解決にはならないので、やむなく作戦を変更すると六兵衛に檄を飛ばす。


「最早、こそこそ鍵を開けるのも面倒だ! おらよ、さっさと捜して来い!」


そして、見つかってしまった上は大きな音を立ててもかまわぬと、格之進は握った拳で南京錠を叩き、驚くべきことにも素手で金具から外してしまう。


「さすが、格さん! んじゃ、あとよろしく願いしやす」


 おかげで六兵衛は易々と扉を開け、あとを格之進に託して土蔵の中へ潜り込んでゆく。


「なんと! 素手で南京錠を……もしや、蔵の火薬を探りに来た幕府の隠密!?」


「まさかな。が、いずれにしろ代官所に忍び入るとは賊にそういない。後々面倒がないよう、口を封じておくか……かまわん、斬り捨ててしまえ!」


 他方、二人の茶番劇をウケもせずに眺めていた上野屋と代官阿久田は、わけがわからないながらも二人を敵と判断し、配下の役人とヤクザ者達をけしかけてくる。


「てやあっ! ……うごっ…」


「きぇぇぇーっ! ……んがっ…」


 だが、格之進は強い。だんびら・・・・抜いて襲い来る相手をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、武器も使わずに次から次へと薙ぎ倒してゆく。


 やはり水戸光圀のもと、長年、佐々木助三郎とともに週一回の周期ペースで諸国の悪党どもとやりあってきた格之進の強さは並ではないのだ。


「ええい、何をしておる! 相手は一人ぞ! 皆で一斉にかかれい!」


「くうっ…次から次へと切りがないな……」


 とはいえ、所詮は一対多数の不利な戦い……相棒の助三郎もいない今、さすがの格之進も防戦一方である。


「いやあ、こりゃあ暗くてなんにも見えねえや……」


 そうして格之進が孤軍奮闘する一方、蔵の中で火薬の在処を捜し始めた六兵衛であるが、当然、闇夜の蔵の中では明かりがないとどうにもならない。


「こいつぁ、燈明か何か用意しなきゃぁ……あ、そうだ! そういや、やつらが持ってたな……」


 そう思い至った六兵衛は、急いで蔵の外へと戻り、周囲をきょろきょろと見回す。すると、足下に転がった役人の一人の手に、ちょうどいいもののあるのを見つけた。


 それは〝龕灯がんどう〟と呼ばれる台形の筒に蝋燭を入れた照明具で、上下左右、常に平衡を保って回る二つの鉄輪でできた蝋燭台により、どんなに傾けても火が消えないよう、細工の施されている優れものだ。


「お! 渡りに船たあこのことだ。ちょっと拝借……」


「おい、六! 早くしろっ!」


「へいへい、今やってますよぉ。もうしばらくの辛抱でさあ」


 迷うことなく龕灯を拾った六兵衛は、敵を組み伏せながらも文句を口にする格之進を軽くあしらうと、また急いで蔵の中へと走り戻る。


「さあ、今回は他のみんなもいないことだし、おいらががんばって格さんを助けなきゃ!」


 ……だが、そのいつになくやる気を見せたのがいけなかった。


「うわあぁっ…!」


 暗がりの中、不用意に走ったために六兵衛は躓き、思いっ切り蔵の中ですっ転んだのである。


 しかも、その拍子に持っていた龕灯も手の内から吹っ飛び、傾けても倒れないはずの蝋燭も壁にぶつかって外へと放り出される。


「痛てててて……ハッ! こいつぁまたやっちまった……」


 いや、そればかりではない。その通り名が現す如く、六兵衛の〝がっかり〟はそのくらいでは終わらないのだ。


 何やらパチパチと乾いた音がし始めたかと思うと、橙色の明るい炎が床から燃え上がり、みるみるその範囲を広げてゆく……あろうことか、蝋燭の転がったその場所には藁束が積まれており、容易にそれへと火が移ると一気に燃え広がったのである。


「……ん? あぁっ! こいつはもしかして、ひょっとするってえと……」


 皮肉にも、その炎で照らし出され、それまで真っ暗闇だった蔵の中はすっかり見渡せるようになる。すると、炎の上がる藁束のとなりには、何かの詰まった頭陀袋が山のように積まれている。


 その袋に入っている〝何か〟の正体について、悪い予感が六兵衛の脳裏を過った。


「……こ、こ、こ、こいつぁてえへんだあぁ~っ!」


 僅かな逡巡の後、真っ青い顔になった六兵衛は一目散に蔵から転がり出す。


「てやぁーっ! ……うごっ…」


「こ、この野郎! ……ぐあっ…」


「か、か、か、格さん、て、て、てえへんだあ~!」


「うおっ! な、何する六っ! 邪魔だ! 離れろ!」


 外ではいまだ格之進が独り延々と奮闘していたが、六兵衛はその脚にすがりつくように飛びつくと、振り解こうとする彼にしどろもどろになって訴える。


「く、く、く、蔵の中に火が……火が藁に燃え移っちまって……」


「ああん? 火? ……クンクン……いや、これは!?」


 はじめ、何を言っているのかさっぱりわからず、訝しげに眉を寄せる格之進であったが、不意に何やら焦げ臭い夜気が彼の鼻腔をかすめる。


「なんだ? 何やら焦げ臭いが……」


「さあ? 燈明の臭いにしてはやけに臭いですな」


 その臭いには阿久田や上野屋達も気がつくが、蔵に火が回っているとまではさすがに考えが及ばない様子だ。


「おい、ちょっと待て……あの蔵の中には火薬が……」


 対して格之進の方は、それが大変ヤバイ状況であることにすぐさま思い至り、いつになくその顔からさあっと血の気を失せさせる。


「……お、お、お、おいらはお先に失礼いたしやあ~す!」


「うごっ…!」


 次の瞬間、突如、格之進から離れた六兵衛は脱兎の如く走り出し、火事場の馬鹿力とでもいうやつだろうか? 立ちはだかるヤクザ者も勢いのまま突き飛ばすと、一人でさっさと門の方へ逃げて行ってしまう。


「あっ! おい待てっ! おまえだけズルいぞっ!」


 一瞬の後、格之進もその後に続いて全速力で走り出す。


「…ハッ! に、逃がすなっ! ひっ捕らえろっ!」


「ま、待ちやがれえっ!」


 突然のことに呆然と見送ってしまった代官阿久田は、我に返ると慌てて配下の者達に逃げた二人の後を追いかけさせる。


「…ハァ…ハァ…またやっちまったあ~っ!」


「おい! おまえ、いったい今度は何をやらかし…」


 だが、二人が息も切れ切れに、門脇の通用口から外へと飛び出したその瞬間。




 ドオォォォォォーン…!




 背後で雷が落ちたかのような轟音とともに、山をも崩さんばかりの大爆発が巻き起こった。


「うおっ…!」


「あひっ…!」


 強烈な爆風と、吹き飛ばされた門の瓦礫により、格之進と六兵衛の二人ももんどりうって地面に叩きつけられる。


「うくっ……あぁ、なんたることだ。幕府の大事な代官所がかような姿に……」


「痛ててて……うわあ、えれえこと仕出かしちまったぁ……」


 あちこち痛む体を起こして二人が後方を振り返ると、代官所は木っ端微塵に吹き飛ばされ、月のない真っ暗な闇夜にちらちらと赤い炎を方々から上げている。


 また、四方に散った瓦礫の中には、役人やヤクザ者達の倒れている姿もちらほらと見受けられる……。


 どうやら今の爆発で、全員、代官所とともに全滅した様子だ。


「へ、へへ……へへへ……ま、まあ、何はともあれ、悪党どもを懲らしめることはできたみたいだし、これにて一件落着ってことで」


 もう、なんと言っていいのかわからないその状況に、六兵衛は苦笑いを浮かべて誤魔化しを図ると、自身の仕出かした大失態を善行にすり替えようとする。


「何が一件落着だっ! ハァ……ほんと、おまえには毎度毎度がっかりだよ!」


 そんな、相変わらずのがっかりな六兵衛に、格之進は大きく深い溜息を吐くと、いつもと同様の文句を口にした。


               (水戸黄門外伝―がっかり六兵衛奮戦記― 了)

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水戸黄門外伝―がっかり六兵衛奮戦記― 平中なごん @HiranakaNagon

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