在り香

さくら

線香の香りとあの子


 道端の彼岸花がいやに赤く見えるのは、灰色のコンクリート、ブロック塀、無彩色ばかりが集まる一画に落とされた鮮明さが目につくから。それだけではない。この見慣れた旋毛が、また恒例行事を執り行っている事も、少なからず原因だと思う。


「ねえ、あんた、周りになんて言われてるか知ってる? 死神だよ、死神。いつも線香の香りさせてさ」


 しゃがみこんで目を瞑り、それが当たり前だと言うように合掌している幼馴染の目の前には一つの抜け殻があった。薄汚れた茶色い毛の塊であるそれ。おそらく数日前まで歩き回っていただろう四肢を投げ出し、望んでもいないのに中身を曝け出したそれは、無防備に体をコンクリートに横たえている。

 赤かったであろう細身の首輪をしている。元は家があったのだろう。なぜそれが、こんなところで眠りにつくことになったのか、私には全く興味がない。それでも、この旋毛は違うのだ。


 冷たくなった塊に添えられた線香は、じわじわと体を短くしながら天へ煙を上らせている。この匂いに、私もすっかり慣れてしまった。最初は嫌で仕方なかった。だって、それは、死の匂いだ。


「あんたさ、見かけた仏さんに所構わずそうやってるけど、世の中の無念仏をみんな供養できるとか思ってるの?」


 合掌しながら彼女はゆっくり目を開ける。その目には、目の前の寂しい猫がどう見えているのだろう。


「一度霊能者とかに見てもらいなよ。絶対その背中、色々憑いてるって。絶対」


 彼女の行為は出会った頃から始まっていた。線香とライターを持ち歩くようになったのはいつだったか。中学生の時に持っていたライターを教員に見つかり、面倒な事になった記憶が蘇る。彼女は馬鹿正直に使用目的を話し、線香を取り出して、その場に居た教員の目を丸くした。

 満足したらしい、黙って立ち上がりスカートの裾を叩いてから、彼女はもう一度それを見つめた。私も倣った。閉じられた目が何か言ってくるような気がして、私はすぐに目をそらす。


「エゴでしかない。これには、きっとなんの意味もないって」

「そうね」

「いい加減やめたら? 気味悪いって、また虐められるよ」

「そうかもしれないね」


 風が吹いた。灰色の海に浮かぶ彼岸花が、小さく触れ合って音を立てている。目の前の彼女の長い黒髪も同じように揺れている。


「でも、もしかしたら、この命を大切にしていた人がいたかもしれない。家族とか、友達。この子は飼い猫だから、飼い主。探してるかも。動物病院に張り紙があるかな」


 彼女が振り返って、目的へ足を向ける。ふわりとスカートが揺れて、カバンにつけたチャームが金属の音を立てた。

 夕焼けが背中から覗き込んでいる。不恰好に伸びた影。纏わりついてくる線香の香り。


「そんな、誰かが弔いたかったはずの命。通りかかったのが偶然私だった。だから、そんな誰かの代わりに、せめてお線香を添えてあげたいって思うのは、そんなにおかしな事?」


 私は何にも心揺らぎませんと言い出しそうな、淡々とした声。出会ってすぐはこの声が嫌いだった。彼女とのやりとりで感情をぶつけているのが私だけに思えたから。今はもう、そんな声にも温度があると、誰よりも気づける程近くに私がいた。


「おかしいよ。だって他の誰がそんな事してる?」

「してない」

「ほら。おかしい」


 微かに声に落胆が乗っている。羽のように軽いそれ。揺らしたら落ちてしまいそうなそれ。


「世間は変だって言うよ。だから、私といる時だけにしなね。あんたの考えは、少しは理解できるけど、私も同じ気持ちにはならない。だけどさ」


 私より茶色い目がこちらを映した。夕日が映った瞳は、キラキラと光を反射させている。そんな中に、私の顔が映り込んでいる。何かの感情が吹き出してきそうだ。まだ鼻の奥にあの香りがしつこく残っている。


「あんたが死んだ時には、私がせめて線香を添えてあげるから」


 死を思わせる、それはいつしか彼女の香りになっていた。


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在り香 さくら @paranda

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