第20話『雨の日』
雨の予報なんてこれっぽっちも無かったのに、外は雨音で満ちていた。
彼女が置き去りにした鞄を持っているから、左腕が重い。杖をつく右腕はいつも以上に早く疲弊していて、傘もさせない僕の身体は雨でずぶ濡れだった。
「くそっ、孝昌……!」
今日に限って、あいつは休みだった。だから、こういう時は悪態をつきたくもなる。
「どうしたら……」
瀬海さんの携帯電話の番号なんて知らない。
「……え」
突然胸ポケットのスマホが鳴って、心臓が痛いくらいに一拍の拍動をした。
幸いまだ学校は出ていなかったから、昇降口まで引き返して通話の表示をタップする。着信は、知らない電話番号からだった。
生徒指導の担当に見つかれば大目玉だろうけど、この際そんなことは気にしていられない。
聞こえてきたのは、女性の声だった。
『もしもし……高島雄介さんの番号でお間違えないでしょうか』
「え、工藤実里さん?」
僕に電話を掛けてきたのは瀬海さんのマネージャー的存在、工藤さんだった。
『はい。とある方から一大事との連絡があり、高島さんの番号に連絡するよう指示があったものですから。急な連絡で……』
「し、謝罪は良いですから! 瀬海さんが行きそうな場所、どこか思いついてますか!」
数秒の沈黙。
『逃げましたか』
それだけだった。淡々とした口調が、これほどまでに冷たく感じたことはなかった。
「逃げましたか、って……」
理解できない。どうしてそんなに冷静でいられる。
ずっと一緒にいたのだろうということは、僕にも容易に想像がつく。
瀬海さん、彼女にとってはあの日以来、母親代わりに思えていたはずだ。
「——————なんで、そんな一言で済ませてしまえるんだ! 瀬海さんとずっと一緒にいたんじゃないのかよ! 工藤さんはっ、あなたは、彼女の母親代わりなんだろっ!」
『こういう時だからこそ、冷静でいなければならないということが、今のあなたは理解できていますか』
「っ……」
先ほどよりは僅かに感情が入った声。その声を聞いて、僕は何も言えなくなってしまった。
『でも……そうですね。私は、自分が綾音さんの代わりになった——————『なれた』なんて、一度も思えたことはありません。ただ、必死で、あの子のそばについてあげないと、そう思ったから』
「すみません。浅はかでした」
『いいえ。高島さんの仰ることも、ごもっともです。もっとあの子に、上手く接することが私たちに出来ていたなら』
声を出すのが、辛い。でも、僕が勝手に騙ることで少しでも楽になるのなら。
「それでも……それだけで、良かったんですよ。瀬海さんにとって、大事なものを失った人にとっては、そばにいてくれる人がいないと、とても……立ち上がれない」
少しだけ、嗚咽のようなものが聞こえた気がした。
僕は、またしても何も言えなかった。でもそれは、さっきみたいな怒りからの解放が理由ではなかった。
***
校門を抜けて数分、通話はまだ維持していた。
『今、結弦が私の車であちこちを探し回っていますが、闇雲に走り回っても効果は薄いでしょう。それに最近は琴さんと一緒に放課後に色んな場所を訪れていたので、場所を絞り込むのも、少々時間が掛かります』
「分かりました。校内は委員長に探すように言ってありますから」
『……頼みます』
「はいっ」
通話を切り、スマホをしまう。
「……急がないと」
歩くスピードを上げる。時刻は午後5時に差し掛かろうとしていて、陽が落ちようとしていた。
瀬海さんが向かう場所って、どこだ。
こういう時は、相手の側に立って考えるべきだろう。
僕が瀬海さんなら、向かう場所は……
***
「探したよ」
「……はい」
「濡れた?」
「かなり……」
「そっか、僕も」
「それ……私の鞄?」
「うん。濡れるといけないから、大部分は教室に置いてきたけどね」
彼女がいたのは僕の家のマンションの一階。
ずぶ濡れのまま、疲れ切った顔で、雨宿りをしていた。
「隣、いいかな」
「どうぞ……」
その時、ここに来てから初めて、瀬海さんは笑った。
Brilliant Winter こうやとうふ @kouyatouhu00
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