心配症な黒伯爵は、気苦労が絶えない

 アレクセイ伯爵はデビュタントから早々に引き上げることができて、安堵した。伯爵夫人フランシスは「もうだめです、横になります」とベッドに転がった。

 夫人は知らないことだが、彼女の絵姿は「白令嬢」と言われ、男達に大人気だった。半世紀前「傾国の白百合」と謳われた夫人の祖母と同じように。

 だからデビュタントの新郎は、新婦に群がる男達を牽制したり、ダンスを断ったり大忙しだった。


 50年ーーもうそんなに経つのか。あの忌まわしい「ブリテ革命」から。アレクセイ伯爵は思わず、つぶやいた。



 フランシス=ド=ワロー伯爵令嬢の絵姿を初めて見た時から、アレクセイ伯爵は彼女を妻にするつもりだった。流れる銀髪を結い上げた美少女は、15歳と幼いながら気品があって、若い伯爵は恋に落ちた。ところが。

 婚約式を済ませ、後40日で結婚だと楽しみにしていた彼を襲ったのは、理不尽極まりない婚約解消だった。

 国王が、横槍を入れて来たのだ。

伯爵は四六時中監視をつけられ、軟禁状態になった。手紙も荷も検閲された。示し合わせたように、婚約は解消され。次の婚約者には、マリエン男爵令嬢があてがわれた。

 フランシスは異例の措置で公娼になったため、マリエン男爵令嬢に嫌がらせをしただの、根も葉もない噂が飛び交った。面倒になった彼は仮死の薬を使い、自分が死んだことにした。双子の弟に家督を継がせ、弟とマリエン男爵令嬢を結婚させた。

 自由になったアレクセイ伯爵が元婚約者を取り戻す算段をしているうち。彼女は国王の子ーー王子を出産する。すると正妻の地位を脅かす愛人は要らぬと、王妃の派閥はフランシスを処刑。憤怒したアレクセイ伯爵は毒性を強めた「赤いフロース」を国王と王妃の酒に混ぜ、重度の幻覚中毒に陥れる。錯乱した2人は「上級貴族の総意」で暗殺され、王弟が国王になった。

ーー以上。ブリテ革命の、小説とは異なる真実だ。



「君が手紙でマリエン男爵令嬢の名を持ち出してきた時は、本当に驚いた。50年ぶりの懐かしい名前だったからね」

アレクセイ伯爵は、寝息を立てている妻の唇をそっと、長い指で拭った。化粧をしていない彼女の、薄い色の唇が彼は好きだった。


「婚約式の後、眠らせた君を庭園まで抱えて行く必要など無かったが、男の我儘だから許してほしい」

誰に話すわけでも無い言葉を、伯爵は吐いた。



ーー深夜。アレクセイ伯爵の部屋の小窓から、1匹のコウモリが飛び立った。コウモリは漆黒の森を越え、ある屋敷に入っていった。

「兄さん、そんな格好でよく来たね」

屋敷の窓から出迎えたのは、アレクセイ伯爵と瓜二つの若い男。

「50年越しの恋を引きずって、やっと結婚したってコウモリ達の噂になってるよ。5年前、息子の養子にしてあげた甲斐があったね」

男の顔は言葉と裏腹に、ほころんでいた。


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お転婆な悪役令嬢は、処刑を回避したい ちひろ @TihiroBan

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