[短編]現代版『山月記』

スタジオ.T

東京都 文京区 3LDKのマンション

ある日、お父さんがマルチーズになって帰ってきた。



リビングでスマホをいじっていたら、まず母親が帰ってきた。

その手に白いふわふわとした毛並み、つぶらな瞳でこちらを見つめるマルチーズを抱いて。

そして、


蛍子けいこ、お父さんよ。お帰りって言いなさい。」


と今年中学二年になった私に告げてきた。


「......え?」


その母の顔は真顔である。怖い。


私の父親はすでに毛根が前の方から死滅してきた40歳手前のサラリーマンである。間違ってもこんなフサフサになる訳がない。

いや違う、そう言うことじゃない。


「お父さん...?」

「そう...お父さん」


母の真顔は変わらない。あくまでこのマルチーズをお父さんと言い張るらしい。


「お...お帰り」

「ワン!」


母親の腕から飛び出したマルチーズは、私に駆け寄ってきてペロペロと手をなめてきた。人懐っこく、毛もツヤツヤしていてまだ若い。


私の住んでいるマンションはペット不可だったから、犬を飼うことは小学生の頃から夢だった。テレビやYoutubeで可愛いペット特集を見るたびに両親に「欲しい欲しい!」とせがんでいた。しかしこの状況は...


「...お母さん?」

「何、蛍子?」


母は既にキッチンに立って夕御飯の準備をしようとしている。


「お父さんと何かあったの?」


沈黙。

そして、トントントンと無言で人参を刻む音。


こりゃ駄目だ。

ここまで頑固モードになった母親を止める力は私には無い。

諦めてお父さん(マルチーズ)を膝の上に置いて、頭を撫でる。


「やれやれ、一体君はどこから来たんだい?」


キッチンにいる母親に聞こえない様にマルチーズに話しかける。


「ワン!」


元気良く尻尾を振って、吠えるマルチーズ。

可愛いから、まぁ良いか。



◇◇◇



その日からお父さん(マルチーズ)との共同生活は始まった。

元々人懐っこかったマルチーズはすぐに私になついた。耳の後ろを撫でられるのが好きらしく、「構ってくれ」と言うように良く私の膝の上に乗ってきた。水も怖がらずシャンプーの時も大人しい良い犬だった。


母にも良くなついて可愛がられていた。

ご飯は1袋6000円の高級ドッグフードを与えられていた。ひと月5000円のお小遣いしか与えられていなかったお父さん(人間)と比べたら歴然たる優遇っぷりである。


ちなみに名前を呼ぶ時は「お父さん」のままだった。



◇◇◇



そして家にマルチーズが来てから3日後のある夜の事だった。


「ワン!ワン!」


お父さん(マルチーズ)が夜鳴きしている。昨日までは大人しく寝床で寝ていたはずなのに...。

このままだとご近所に迷惑がかかり、マンションから追い出されかねないので様子を見に行こうと起き上がり、廊下の電気を点ける。パチリ。


すると廊下の電気に照らされて、リビングの壁に人の影が映し出された。


「ヒッ...」


一瞬、心臓が止まる。

ふ、不審者...!?どうしようどうしよう。誰か呼ばなきゃ...!


蛍子けいこか?」

「.,.お、お父さん!?」


この声は紛れもなくお父さん(人間)の声である。安堵でホッと胸を撫で下ろす。


「お父さん...どこ行ってたの!?マルチーズになったとか、お母さんが訳分からないこと言って大変だったんだから!」

「シーーー!静かにしてくれ。.......お母さんはまだ起きていないよな?」


そういって声を潜めるお父さん(人間)。母の眠りは深い方なので、起きてくる様子はない。お父さん(マルチーズ)も既に夜鳴きを止めていた。


「...お父さん今までどこ行ってたの?」

「...お父さんは......えっと...そうマルチーズになっていたんだ......ワン!」


苦し紛れに答えるお父さん(人間)。

じゃあ今お前の隣にいる犬はなんだ。髪の毛引き抜いてやろうか。


しかしこのままだと話が進まないので、


「...じゃあどうしてお父さんはマルチーズになっていたの?」

「それは呪い...だよ」

「呪い?」

「その...ほら...お母さんの機嫌を損ねるような事をして...」

「どうして?」

「えっと...」

「どうして?」

「それはあれだよ...女の子の名刺が...」



キャバクラか。

どうせスーツに入れっぱなしにしていた名刺でも見つかったんだろう。


「それで?今日はどうして人間に戻ったの?」

「いやお母さんに謝ろうと思って...」

「こんな夜更けに...?」

「...」


...違うな。

大方、お金が無くなって家に取りに戻ってきたんだ。通帳もカードも母親が握っている。むしろ良く3日も逃げ切れたもんだ。




「ワン!」


すっかり目が覚めて退屈そうにしていたお父さん(マルチーズ)が私に駆け寄ってきた。


ガタッ!


「あ...お母さん起きたみたい」

「...!」


一転、慌ただしくなるお父さん(人間)。壁に映し出された影からも顔面蒼白になっている事が伝わってくる。

母親の寝室は玄関の近く。お父さん(人間)に逃げ場は無い。すると突然、リビングの窓を開けてベランダに出た。


「えっと...そういう事だから...お母さんによろしくな...ワン!」

「ちょっと、お父さん...ここ2階!」


ベランダの欄干に脚をかけ、そのまま飛び降りるお父さん(人間)。

ガサガサッ!バンッ!と派手な音を立てて植え込みに落下した。


「蛍子ー、どうしたの?」

「あ...お母さん。お父さんが...」


私が指差した方向にはお父さん(人間)が脚を引きずって、必死に逃げようとしている。


「......」


それを見たお母さんは何も言わずに外へ出ていった。



そして3分とかからずお父さん(人間)は確保された。



◇◇◇



次の日の朝には、脚をねんざしたお父さん(人間)が当たり前の様に食卓に座っていた。その後も普通にご飯を与えられていたから仲直りはしたんだろう。良かった。


お父さん(マルチーズ)は母親の知り合いが海外旅行に行くので、預かっていた犬らしく、週明けには元の家庭に引き取られていった。名残惜しい。


この一件以来、次に飼う犬はマルチーズと決めている。もちろん名前は「お父さん」...以外で考えようと思っている。

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