君のスカートを穿きたい

未由季

君のスカートを穿きたい

 スカートを穿いて、歩いている。

 文化祭の二日目。クラス別のダンスが行われる日。

 すれ違う奴らが、ぎょっとして俺を見る。指差して笑う奴がいる。だけど俺は気にしない。堂々と歩く。

 そもそも、なぜ俺はスカートを穿くことになったのか。



 * * *



 コンビニで女性ファッション誌を立ち読みする。ファッション誌を読むのは、別に女子との話題探しとか、あわよくば女子ウケのわかる男になりたいだとかいう下心からではない。

 俺はただ純粋に、女の子の脚が見たかった。


「尾崎」

 後ろから肩を叩かれ、ぎくりとする。手にした雑誌を取り落としそうになる。

 振り返ると、同じクラスの新見が立っていた。塾の名前が入ったファイルケースを持っている。


「塾帰りか?」

「そう。小腹減ったから何か買って帰ろうと思って」

「ふうん」

「尾崎は? 何してんの?」

 新見が俺の手元を覗き込んでくる。

「その雑誌、女子が読むやつじゃん」


「ああ」

「面白いの?」

「いや、全然」

「じゃあなんで読んでんの?」


 俺はいかにも軽薄そうな顔つきの新見を見る。こいつになら真実を言ったって、冗談として受け取ってくれるだろう。

「脚見てた」

「脚?」

「いや、なんかこういう雑誌って、脚露出してる写真多いから」


 最新ファッションなんて俺から見ればただのおまけ。俺にとってのメインは脚。


「何、尾崎って脚フェチなの?」

「そう。新見は?」

「俺は断然、胸だね」

 そう言って新見は手近にあった青年誌を取り、ぱらりとめくった。グラビアのページを開く。水着姿のアイドル。写っているのは腰から上だけ。俺はこの手のグラビアが苦手だ。どうせなら脚までしっかり写してくれと、やきもきしてしまう。


「そうは言っても、顔が可愛ければ他はどうでもいいけどな」

「ああ、それわかる」

 新見の言葉に俺は頷き、へらりと笑う。

 それから適当に喋って、新見と別れた。家路を辿りながら、俺は垣根涼香について思う。垣根涼香の脚を、見てみたいと思う。



 垣根はいつも制服のスカートの下にジャージを穿いている。四月に同じクラスになってから、俺はまだ一度も彼女がジャージを脱いだところを見ていなかった。

 体育会系とは違う。垣根は喋り方も仕草もちゃんと女子っぽくて、すれ違うときにはいい匂いがするし、髪形とか結構気を遣ってるっぽい。普通に可愛くておしゃれな女子だ。

 だからなおのこと疑問だった。なぜスカートの下にジャージ?


 誰も垣根にジャージのことを追及しない。もしかしたら傷とか痣を見せないために、ジャージを穿いているのかもしれない。校則違反でもないから、教師も垣根のアンダージャージを注意しない。

 そうして五か月が経過。俺ひとりを除いて、クラスの誰も、垣根のジャージを気にしていない。


 垣根の脚を見てみたい。果たしてこの気持ちはただの興味なのか。隠されているから余計に見たくなるのか。それとも俺は垣根本人に関心がある? わからない。とにかく脚フェチとしては、そこに女の子がいるのなら一目でも脚を見たいのだった。

 傷があってもいい。痣があってもいい。どんな脚だっていい。一応自分の中に理想の脚像というものはあるけれど、究極を言ってしまえば、女の子の脚にはそれぞれ何かしらの魅力や味わいがあるのはずなのだ。

 垣根の隠された脚に対して、俺はモヤモヤを募らせるばかりだった。



 * * *



「涼香、軽い熱中症っぽい」

 教室で、ひとりの女子が言った。普段垣根とよく行動している子だ。

 五限目の体育の途中で、垣根は倒れていた。


「お昼もあんまし食べてなかったもんね」

「元々体調悪かったのかな」

「この暑さで、ジャージまで穿いてたしね……」

 垣根の友人たちは心配そうに話している。

 周りの生徒がハーフパンツで体育を受けている中、垣根だけはいつもの長ジャージを穿いていた。


 彼女らの会話をこっそり耳に入れながら、俺の手の中には一本のヘアピンがあった。青くて小さい、ビー玉みたいな飾りのついたヘアピン。体育館から運ばれていく際、垣根が落としていったものだ。

 

 そのまま垣根は教室に戻って来ることなく、放課後を迎えた。

 垣根の友人たちの話では、垣根は保健室で親が迎えに来るのを待っているらしかった。

 俺の足は、保健室に向かっていた。垣根にヘアピンを届けに行こうと思った。

 別に明日渡したっていいのだろうが、明日じゃなければいけない理由もない。第一、俺は垣根が心配だった。様子を見がてら、落とし物を届けたって不自然ではないだろう。そりゃあ彼女とはこれまでほとんど言葉を交わしたこともないが、クラスメイトが倒れれば、心配するのが普通だろうから。


「お、お邪魔しまーす……」

 保健室の扉を開ける。

 養護教諭からの返事はない。不在のようだ。いや、もしかしたら俺の声が聞こえていないのかも?

 保健室の窓は開け放たれていて、風がバサバサとカーテンをはためかせていた。

 

 ベッドを仕切るためのカーテンの向こうに、垣根らしきシルエットが見えた。シルエットが身に着けるスカートが、ふわりと揺れる。

 俺はハッとして、思わず息をひそめた。

 このシルエットから判断する限り、垣根は今、スカートの下にジャージを穿いていない。

 つまりこのカーテンの向こうには、垣根の生脚があるのだ。


 見たい。

 欲望に抗う隙もなく、俺はカーテンへとにじり寄った。屈みこんで、上靴の紐を直すことにした。すぐ傍では、カーテンの裾がふわんふわんと揺れ持ち上がっている。俺はさっと、カーテンの下に視線を走らせた。

 その瞬間、シルエットが動いて、ジャージを身に着けたのがわかった。

 残念、あと少しで垣根の膝下くらいまでは見えていたかもしれないのに。


 肩を落とし、カーテンから離れようとする。

 それより先に、ザザーッとカーテンのほうがスライドした。

「あ……」

 開け放たれたカーテンの向こうでは、垣根が怖い顔をして立っていた。「今、何しようとしてた?」


「違う!」

 俺は跳び退って、激しく首を横に振った。

「違うから!」

 垣根が勘違いしていることを悟った。


「着替え、覗こうとしてたよね?」

 垣根が言う。


「してないしてない」

「じゃあなんでこんなところにしゃがみ込んでたの?」

「ちょっと、靴紐を直そうとしてて」

「なんでわざわざここで? 本当にそんな必要あったの? カーテン挟んですぐ横で女子が休んでるっていうのに、こんな疑わしい状況って他にある? 尾崎くんさっきから妙に狼狽えてるし、絶対やましいことあるよね? でなきゃそんなに狼狽えることないもんね?」

「そ、それは……」

「ねえ、わたし何か間違ってる? 勘違いしてる? それならちゃんと否定してね」

 

 初めて一対一で喋った垣根は、案外気が強くて、それはまあ覗き疑惑のある相手に向かって喋っているのだから当然と言えば当然なのだが、とにかく俺は面食らい、言葉に詰まった。

 その沈黙を肯定と受け取ったらしく、

「最低!」

 吐き捨てるように言うと、垣根は保健室を出て行った。



 * * *



 翌朝、俺はびくびくしながら教室に足を踏み入れた。

 垣根の証言で、俺はクラス中から「覗き魔」の汚名を着せられていることだろう。


「あ、尾崎おはよう」

「やばっ、今日の寝ぐせ、ひどくない? どうした?」


 しかしクラスメイトの態度はいつもと変わらなかった。汚物を見るような視線にさらされる覚悟をしていた俺は、拍子抜けして、

「ああ、そう寝坊して……」

 などと答えながら、教室の隅で友人たちと喋っている垣根に目をやった。瞬間、ばちりと目が合った。だが露骨に顔を背けられてしまう。それから垣根は一度も俺のほうを見なかった。


「ホームルームはじめるぞー」

 担任の登場で、クラスメイトたちは慌てて自分の席に着く。その騒々しさの中で、垣根との距離が近付いた。すれ違い際、垣根が耳打ちしてくる。「放課後、体育館裏で待ってて」

 ドキリとした。

 放課後に、体育館裏?

 これはいよいよ呼び出されて、しめられるパターンか。

 俺は戦々恐々としながら一日を過ごした。



 放課後。体育館裏に行くと、そこには垣根の姿しかなかった。思わず「え? ひとり?」と尋ねる。

 肩透かしを食らった気分だ。

 垣根の味方の女子グループから「涼香の着替え覗こうとしたんだって!? 涼香ちょー傷ついてんだからね!」「許せない! キモい! 死ね! 土下座して詫びろ!」「尾崎さぁ~もう学校来んなよマジで」なんて責められるの覚悟で、俺は出向いて来たのだった。


「うん? ひとりだけど……」

 垣根が不審そうに答える。


「あの、昨日はほんとごめん」

「謝るってことはやっぱり尾崎くん……」

「あ、いや、今の謝罪は、勘違いされても仕方のない行動を取ったことを謝ったわけで、俺は別に着替えを覗こうなんてことは断じて、」

「別にいいよ。どっちでも」

 俺の言い訳を遮るようにして、垣根が言った。


「え? いいの?」

「とにかく尾崎くんは今、わたしに対して罪の意識を持っている。これは間違いないよね?」

「う、うん」

「だったら一つ、お願いを聞いてもらおうじゃないかと」

「お願い?」

「そう。今日から毎晩九時、ひよどり公園の入り口で待ち合わせ。了解?」

「え、ごめんちょっと、話が見えないんだけど……」

「ウォーキング、付き添ってほしいの。ほら、この辺いくら治安がいいっていっても、さすがに夜ともなると結構寂しい感じになるし、そうしたら一人歩きとか怖いし……。でね、尾崎くん一応男子でしょ?」

「一応も何も、紛うことなき男子ですが」

「男子が一緒なら、夜のウォーキングも危なくないかなーって」

「それってもっと明るいうちじゃ駄目なの?」

「昼間だとまだ暑いし、日焼けするし、人目も気になるじゃない?」

「それで夜にウォーキング……」

「いい? 九時だからね。もし遅刻したら、尾崎くんが覗き魔だってこと、クラス中に言い触らすから」

「うぅ……わかりました」


 しぶしぶ従う。

 そんなスタイルを作りながら、俺は内心、浮足立っていた。

 ウォーキングといえば、ウォーキングウエア。結構ピタっとしたデザインのものが多いイメージ。脚のラインがばっちりわかる。

 俺は未だ知れぬ垣根の脚のラインを想像して、九時になるのを心待ちにした。



 果たして午後九時。

 現れた垣根は、上は無地の半そでTシャツに、下はゆるっとした長ジャージという恰好だった。


「……ですよね」

 俺は密かに呟く。

 実際、そううまく垣根がウォーキングウェアなんて身に着けてくれるわけないことくらい、想定済みだ。


「公園の中一周歩いたら、市役所のほうまで行って、ぐるっと回ってここへ戻ってくるコースね」

 そう言うと、垣根はさっさと歩きだす。

 俺はとぼとぼと彼女の後に続いた。


 ウォーキングの付き添いなんて、楽だろう。俺は道中、垣根と何を話そうかとばかり考えていた。まずは覗き魔という誤解を早急に解きたい。さらに欲を言えば、垣根と親しくなれたらいい。俺は垣根の後ろを歩きながら、声をかけるタイミングをうかがった。

 しばらくそうしていると、息が上がってきた。垣根との距離が徐々にひらいていく。垣根は歩くのが速い。

 これ、本気のやつだ。

 俺は思った。完全にウォーキングを舐めていた。垣根は本気で運動する気でいるのに。


 とうとう俺は、垣根の背中に声をかけた。「……そろそろ休まない?」

 垣根は横顔だけを見せて、

「休まない。ノンストップで歩く。いい?」


「てか垣根さん、歩くの速すぎ」

「のんびり歩いてたらダイエット効果ないでしょう?」

「え? これダイエットのために歩いてるの? 趣味とかじゃなくて?」

「そうだよ。当たり前でしょう」

「でも垣根さん……ダイエットする必要ないっしょ。痩せてるじゃん」

「痩せてない。すごい太い」

「女の子はちょっとふっくらしてることをおすすめするけど」

「おすすめされても困る。ていうか男子が女子の体型について語るの禁止! セクハラ!」

 

 垣根はそこでやっと立ち止まり、体ごとこちらを向いた。そうしてぎりりと俺を睨む。

「ていうか喋ってないで、尾崎くんももっと本気で歩いてよ! わたしと同じペースで! ただ後ろからついてくるだけじゃ、全然付き添いにならない!」


 気圧され、俺は頷いた。「……すみません」


 垣根はふんと鼻を鳴らすと、前方に向き直り、一歩踏み出した。そのとき、爪先を何かに引っかけたのだろう。

「うわっ」

 よろけて、地面に膝をついた。


「大丈夫?」

 慌てて駆け寄る。

 まだ俺たちは園内のウォーキングコースにいて、ちょうど傍にはベンチがあった。俺は垣根の腕をとって起き上らせると、ベンチへ誘導した。


「痛っ……」

 垣根は苦痛に顔を歪めながら、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。ジャージの膝のあたりに、染みができている。擦りむいたのだ。


「血が出てる」

「うん」

「あ、そうだ俺、絆創膏持ってるけど」

「いいよ、大丈夫」

「絆創膏、絆創膏……あれ、その前に消毒? いや、消毒液はないし……」

「尾崎くん、ほんとに大丈夫だから――」

「あ、あそこに水道ある。俺、タオル濡らしてくるから垣根さんここで待ってて」

 俺は垣根をベンチに残すと、近くの水道でハンドタオルを濡らした。急いで戻り、それを垣根に差し出す。

「ひとまずこれで傷口きれいにしておいたほうがいいよ。そんで家に帰ったらすぐ消毒。あ、あとこれ、絆創膏ね」


「ありがとう……」

 垣根はなんとなく不服そうな顔。そうして俺の手から、タオルと絆創膏をひったくった。

 

 あ、まずい。

 俺は察した。

 たぶん垣根は俺の行動をありがた迷惑に思ってるっぽい。男が絆創膏とかハンドタオル持ち歩いてるのって、キモいのかな。


「絶対こっち見ないでね」

 垣根はベンチに座ったまま体を捻り、俺に背を向けた。そうして屈み込んで、ジャージをまくるためだろう、裾に手を伸ばした。

 俺もまた、垣根に背を向ける。「見ないよ」

 

 背中を向け合った状態で、垣根が絆創膏を貼り終えるのを待った。

「ごめん、さっき俺が変なところで話しかけたから……」

「ううん、わたしがちゃんと足元見てなかっただけ。尾崎くんのせいじゃないよ」


 背後で、垣根の深い息遣いを聞いた。必死に気を鎮めようとしているみたいな、あるいは何かを決意するみたいな息遣い。


「もうこっち見ていいよ」

 垣根が静かに言った。


 振り返ると、垣根はベンチに座り、気まずそうに俺を見上げていた。ジャージの裾はしっかり足首まで下ろされている。

 垣根はベンチをポンポンと叩き、隣に来るよう俺を促した。そうして俺が腰掛けると、

「ごめんね」

 ぽつりと言った。

「さっきわたし、感じ悪かったよね。尾崎くんは普通に親切心から、絆創膏とかタオルとか渡してくれたのに」


「いや、そんな……」

「わたし、どうしても人前で脚を出したくなくて。脚を見られたくないの。昔からすごいコンプレックスなの」

「脚が?」

「そう、脚が。すごい太いの。筋トレとかストレッチとかマッサージとか、今までいろんな方法試したけど、どうしても細くならないの。だからいつもジャージ穿いて隠してるの」


 それでウォーキングなんてしているのだろうか。

 

 垣根は続ける。

「わたし本当は最初から、尾崎くんが覗き魔だなんて思ってなかったよ。全部ふりだったの。勘違いしているふり。そうしたら人のいい尾崎くんは、わたしの言うこと聞いてくれるんじゃないかって。夜にウォーキングしたくても、ひとりじゃ心細くて……だから、誰かに付き添ってもらいたかったの。ごめんね」

「あ、いやいいよそんな。覗き魔と思われてなくて安心した」

「体育館から運ばれてくとき、尾崎くんがわたしのヘアピン拾ってくれてたの見えたから。たぶん届けに来てくれたのかなって」

「そうだヘアピン、まだ返してなかった」

 

 俺はショルダーバッグのポケットから、垣根のヘアピンを取り出して渡した。


「ありがとう」

 垣根はヘアピンを握りしめ、ベンチから立ち上がった。

「もう帰ろうか」


「いいの?」

 俺は念のため訊いてみる。ウォーキングの途中だけど、いいのか。傷が痛むから、今夜はもう歩けそうにないのか。


 垣根は背を向けたまま、首を横に振って、

「もういいよ。昼間は毎晩九時に待ち合わせなんて言ったけど、ウォーキングに付き添ってもらうのは今日だけで充分。わたしの脚が太いのなんて、尾崎くんには全然関係ないもんね」


「関係……あるかも」

 俺は呟いた。


「え?」

 垣根は体を捻り、ベンチの上の俺を見下ろす。


「関係ある」

 俺は今度、はっきりと言った。立ち上がる。垣根の目を見る。

「ごめん。俺、脚フェチなんだ」

 告白した。


「脚フェチ……」

 垣根は目をしばたたかせ、繰り返した。


「そう脚フェチ。だから俺は垣根さんの脚に興味がある。正直に言うと、垣根さんの脚が見たくてたまらない。つまりウォーキングに付き添うことは、俺のためでもあるんだ。いつか垣根さんが自分で満足のいく脚になれたなら、制服の下にジャージを穿かなくなる可能性があるってことだろう? そうしたら俺は垣根さんの脚が見られるかもしれない。垣根さんの脚を一目見るためなら、俺はいくらでも垣根さんと一緒に歩く」

「尾崎くん……」

「垣根さん、俺と一緒に理想の脚を目指そう」


 こうして俺と垣根は歩き出した。毎晩待ち合わせ、たまにお喋りを挟みながらも、基本的には黙々とウォーキングに打ち込んだ。

「ふくらはぎがね、四ミリ細くなったの」

 そうして嬉しそうに報告する垣根の顔を見て、俺の胸は高鳴った。ますます彼女を応援したくなった。垣根は目標にしているというモデルの画像を俺に見せてきて、

「こういう脚になりたいな」

 と語る。

 垣根が持ってくる画像のモデルは、細いばっかりで全然きれいじゃなかった。太ももから足首まで一直線、まさしく棒のような脚。俺はこのタイプの脚にはあまり惹かれない。

 俺の理想は、もっと肉感的な脚。むちっとした太もも、丸みのある膝、適度に脂肪と筋肉ののったふくらはぎ。俺から見れば、世の中の女性はみんな脚が細すぎるくらいだ。



 * * *



 文化祭では毎年、グラウンドでクラスごとにダンスを披露する。ダンスは様々な面から採点され、高得点を獲得したクラスには盾とトロフィーが授与されることになっている。ダンスの曲や振り付けは共通。つまりダンスそのものの仕上がりと、決められた枠の中でいかにクラスのカラーを押し出せるかが肝となっていた。どのクラスも毎年趣向を凝らし、優勝を狙ってくる。


 うちのクラスでも、ダンスの話し合いが持たれた。

 元々、男子より女子のほうが強いクラスだ。

「うちらのクラスのダンステーマは、不思議の国のアリスにしまーす!」

 と、早々に女子のクラス委員が宣言する。

「女子の衣装は当然アリスでしょ。そんで男子はマッドハッターね」

 

 その後、詳しい話し合いがはじまった教室で、俺はこっそりスマホを持ち出した。『不思議の国のアリス 衣装』と検索する。出て来た画像を見て、俺はハッとした。垣根の様子を窺う。垣根は友人たちと普通に談笑している。だけどその笑顔は、なんだかいつもより暗い。

 アリスの衣装はスカート――脚を露出しなければならない。


 その夜、例によってウォーキングのために待ち合わせた公園で、垣根は頭を抱えた。

「どうしよう……アリスの衣装なんて着られない。だって脚見せなきゃいけないんだもん。無理、絶対無理」


「着れるよ。垣根さん今日まで確実に脚痩せしてきてるだろう」

「それでも太いし」

「まだ文化祭まで日にちあるよ。ラストスパートだよ」

「できるかな……」

「できる。具体的なゴールが見えると、人間てのは強いんだ」

「なんだか今夜の尾崎くん、やけにポジティブだね」

「垣根さんには落ち込んでいてほしくないから」ずっと笑っててほしいから。


「なんで?」と問われて、口ごもる。

 君が好きだからなんて、とても言えない。

「ウォーキングの相棒として、俺は垣根さんを応援しているんだよ」


 垣根はちょっと考える顔をした後、こくりと頷いた。

「わかった。応援には、ちゃんと応えなきゃね。わたし、文化祭までに絶対脚痩せ成功させてみせる」


 それから俺たちは頑張った。連日のダンス練習に加え、夜はウォーキング。さらに垣根は帰宅後、脚のマッサージとストレッチを欠かさず行ったという。

 文化祭を翌日に控えた夜。ひよどり公園の管理センターの窓に映った俺と垣根のシルエットは、明らかに以前より引き締まっていた。


「明日、大丈夫そう?」俺は訊いた。「アリスの衣装」

「大丈夫だよ。今なら着られると思う」

 垣根はジャージに包まれた自分の脚を見下ろし、そう答えた。



 * * *



 指定の位置について、音楽がかかるのを待つ。

 グラウンドに引かれたトラックの線の周りに、たくさんの観客が集まっている。みんな笑いをこらえてる。

 いよいよダンスの音楽がかかる。外側が男子、内側が女子、二重の円が動きはじめる。男女がペアになって、手をつなぎ踊る。音楽に合わせ、ペアを交代しながら、くるくると回る。俺が回るたび、水色のスカートがふわりと揺れた。

「なんで尾崎が女子の円側にいるんだよ」

 ペアを交代するたび、俺と嫌々手をつなぎながら、クラスの男連中が言う。

「女子の衣装まで着てるし」


 俺はアリスの衣装を着て、女子の円のほうに加わっていた。少し先では、マッドハッターの衣装姿の垣根が、男子役となって踊っている。



 ダンスのはじまる直前、俺は垣根に呼び出された。

 慌てて駆けつけた備品室に、しかし垣根の姿はなかった。

「垣根さん」

 呼びかけると、掃除用具入れの陰で誰かの動く気配がした。

「垣根さん、いるの?」

 気配のしたところから、垣根の弱々しい声が聞こえた。「どうしよう、尾崎くん……」


「どうした? 何かトラブル?」

 垣根は掃除用具入れの陰から出てこようとしない。


「アリスの衣装、着たの。更衣室だとみんなに見られて恥ずかしいから、ここでひとりでこっそり着替えてみたの」

「うん」

「やっぱり、みんなの前に出て行く自信、ない……」

「どうして」今日まで頑張ってウォーキング続けたのに。

「脚、まだ太い。こんな太い脚、恥ずかしくて見せられない。絶対笑われる」

「そんな……誰も笑わないよ。きっと垣根さんの脚は素敵だ」

「見たことないのに、わかるの?」

「わかるよ。たくさん想像したから」

「えっ……」


 あ、引かれたかな。

 俺は今の発言を後悔した。だが聞こえてきたのは、笑い声。垣根は笑っていた。

「それってすっごいキモいよ、尾崎くん」

「うん、知ってる」


 あはは、と垣根は笑い声を上げ、それから何かを決心するのように、長く息を吐いた。

「脚、見てもらっていい?」


「うん」

 

 おずおずと、垣根は掃除用具入れの陰から姿を現した。俺は垣根の脚を見た。頭がくらくらし、息が詰まった。

 水色のスカートから覗く太ももはむっちりとして柔らかそう。白のソックスごしにもわかる、ぷりっとしたふくらはぎに、引き締まった足首――俺の胸は震えた。

 垣根の脚は、とても美しかった。


 「……やっぱりまだ、太いよね」

 言葉を失った俺に、垣根は暗い顔を向けた。

 俺は急いで首を振る。「太くないよ。すごくいい。垣根さんの脚はきれいだ」


「尾崎くん……?」

 垣根が眉根を寄せる。

 

「できるなら、俺は独り占めしたいよ。こんなきれいな脚、他の誰にも見せたくない。だから俺は――」

 意を決して、俺は言う。

「俺は、君のスカートを穿きたい」



 以上が、俺がスカートを穿くことになった顛末。

 俺と垣根は互いの衣装を交換した。

 ダンスの円はすすんで、男女のペアは次々と入れ替わる。あとふたり、くるり、あとひとり、くるり――、


 やっと、君が来た。


 俺たちは視線を合わせ、共犯者めいた笑みを浮かべる。俺は垣根の手を取った。

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