第一章 勇者ノ往ク末

第2話 日常

 



 放課後を報せる鐘が鳴り、担任教師が教室から出たのは2年B組の教室からだった。

 学校が終わってからすぐに部活に向かう生徒、友達と喋ってる生徒、そして──


「おーい汐倉! 保健委員会に提出する記録書ちゃんと書いてる〜?」

「書いてるよ上原。流石に期限が明後日だからな」


 シャーペンで書類に活字を羅列しつつ声を掛けてきた女子を横目で見やる。

 彼女──上原萌香は俺と同じ2年B組の保健委員だ。

 身長は女子にしては高い方で、一六五センチ超えたと騒いでいたからそんくらいの高さらしい。

 髪は短く、かなりボーイッシュな見た目をしている。

 男子用の制服着せてクイズを出したらこいつを知らない奴は十中八九〝イケメンの男〟と答えるくらい中性的で端正な顔をしていた。


「え〜、ホントに〜?」


 そんな上原がいやらしい笑みを浮かべて覗き込んできた。


「うざ」

「あー! またそんなこと言う!」


 あざとく頬を膨らませるが、こいつの場合素でやってるから困る。

 心臓に悪いんだよ。あと顔が熱い。


「って、別に業務確認する為に話しかけたんじゃないんだよ!」

「うん。それで?」

「えーっと、明後日土曜で夏祭りでしょ? よかったらでいいんだけど……一緒に行かない?」

「2人で?」

「……2人で」


 上原は人差し指と人差し指をちょんちょんとくっつけながら頬を赤く染めた。

 それから恥ずかしいのか遠慮がちの小声でとどめを刺すかの如く俺の精神を殺しにかかってきた。


「だめ?」


 ──かわいい!


「いや、いいんだけど……」

「けど?」

「学校で噂とかされたら恥ずかしいし」

「それ女子のセリフッ!」


 汐倉の茶化しに上原のツッコミが教室に響く。

 上原はハッと教室に残ってるクラスメイト達の視線に気が付き、はずぅ〜と俺の机に突っ伏した。


「じ、じゃあ2人で行くの決定! あとは明日決める!」


 クラスメイト達のニヤニヤした視線に耐え切れずそそくさとバックを持ち上げた上原はドア付近に移動しながら捲し立てて部活に行こうとする。


「上原!」

「なんだよ〜」


 頬を染めたままの上原は恥ずかしそうに返す。


「明後日、絶対に、一緒に花火を見よう」

「……うんっ!」


 俺の言葉に目を見開いて驚いていた上原は満面の笑みで頷いた。

 上機嫌にまた明日ね〜と手を振って今度こそ部活に向かって行った上原を後目に俺は溜め息混じりに独り呟く。


「あいつも保健委員のはずなんだけどなぁ……」


 上原に仕事を押し付けられても許してしまうのはやはり惚れた弱みか……。

 あいつに可愛くおねだりされたら悪い事にも手を染めてしまいそうで恐い。まあでも、上原はいい子だからそんな事には絶対にならないけど……。

 上原がいなくなってからクラスメイト達の視線が俺に集中した。

 それからやれ夏祭りデートかよだの、やれはよくっつけやドアホだの、やれラブコメの波動が強過ぎるだの揶揄われた。

 流石にこういうイジリは何度やられても慣れない為、下手に抵抗せず大人しくみんなのオモチャに成り下がる。

 ちなみに上原がイジられなかったのは前に皆が揶揄った時に泣かせてしまったからだ。

 その件でやり過ぎたと自覚した皆は反省して俺だけに標的を絞ったという訳だ──いや待て、こいつら全然反省してね〜ぞ?

 ……とにかく俺も仕事終わらせて速いとこ部活行かないと──




 ▽




「なあ、このアプリ面白いから田嶋もインストールするだけしてみろって!」


 ここ、公立緑ヶ丘高等学校剣道部の部室ではアプリゲームの布教が行われていた。

 去年1月に配信された『救世主メシア』というスマホ用のアプリゲームを受験生であるにも関わらず興味本位でいち早くインストールし、遊び倒してしまった俺はこのゲームにドハマりした。

 当時はかなり珍しかった立体型アプリゲームの救世主メシアは濃厚なストーリーと自由度の高いバトルで話題を呼んだ。

 しかし俺の周りで救世主メシアをプレイしてる人は少なく、顔も知らない人としか協力プレイができない。それがネックだった。


 だから俺は布教を始めた。

 まずは友達から始まり、クラスメイトに続き、部活仲間に終わらせた。

 結果は十畳。

 フレンド枠がリア友だけで五十程埋まったとだけ言っておこう。

 その中で中毒になってくれた人数は四〇よんじゅう余人よにんで、気付いた時にはみんなガチ勢になっていた。

 布教した次の日にログインしたらみんなレベルとランクがえげつない事になっていて思わずひぇっと奇声を上げてしまったほどだ。

 とまあ、緑ヶ丘に進学してからも布教は続けてた訳なんだけど、最近はフレンドもいっぱいになったしもういいかって感じで布教を控えるようにした。


「──で、迷い込んだ森の中で記憶喪失の男が黒い外套の集団に『伝承通りだ』って救世主メシアに祭り上げられる所から物語が始まるんだ!」

「へ〜」


 この男──松尾海人は高校での布教の犠牲者第一号だ。

 そんな松尾はスマホで動画を見せながら必死に熱弁を振るう。しかし話を無理矢理聞かされた田嶋龍人の反応は松尾に比べ寒暖差を感じさせられるほど冷たいものだった。


「ていうかさあ、興味無いって後何回言えばその鬱陶しい勧誘をやめるんだ?」


 いい加減執拗いぞと念を押された松尾は哀愁漂わせる雰囲気を醸し出し、すぐ後ろにあった椅子にがっくりと腰を下ろす。

 この見慣れた光景はいつもの為、部員達は誰も松尾に慰めの言葉をかけない。

 他の学校のように放課後に集まり、真面目に稽古をして部室で着替えが終わった後、こんな雰囲気を醸しつつみんなで雑談したりゲームしたりして部室を溜まり場にしていた。

 しかしこれは俺達の顧問が甘いからできている訳で、他の先生が顧問だったら部活終わったら早く帰宅しろ! って怒鳴られる事請け合いだ。


「汐倉せんぱーい! クエスト行きましょう!」

「あっ、ずりぃ筒井! 俺先誘おうとしてたのにぃ!」

「へっへーん! 早いもん勝ちでーす!」


 筒井と呼ばれた少女──筒井美菜子の言葉に椅子で項垂れていた松尾が復活した。

 その二人が俺をクエストに誘うのには訳がある。

 単純な話──俺が救世主メシアをやり込んでいるからだ。

 俺のアカウントはキャラ集め、武器集め、レベル、ランク、ストーリーの進行具合と何を取ってしても全国の救世主メシアユーザーの中でもトップクラスを誇る。

 その為、自分達では未だにクリアが危ぶまれる緊急クエストとかの手助けを連日やらされている。

 連日恒例の汐倉争奪戦に勝利したどこからどうみても高校生には見えない背丈の筒井は勝ち誇ったように松尾を見てくすくす笑う。

 ぶっちゃけると筒井は子狸みたいな幼児体型と童顔が相俟ってちびっこい小学生にしか見えない。


「先輩ぃ……今私を見て〝ちび〟って思いませんでしたぁ?」

「いや、全然」

「ホントですかぁ?」


 ジト目で見られる。

 筒井にちびは禁句タブーで口に出すと今の比でないくらい臍を曲げてしまうので注意が必要だ。


「そんな事より行くなら早くクエスト行こうぜ。今行かないなら今日は松尾と行っちまうぞ?」


 話を逸らすように言いながら救世主メシアのアイコンをタップしてゲームを起動させる。


「い、行きますっ!」


 筒井は慌ててパーティ募集の部屋を立てるが、その表情で先程の件について未だに不服な事が容易に見て取れた。


「むぅゆ」


 だから俺は肩まで揃った髪に指を通しながら頭を撫でて筒井を宥める。


「先輩はいつもこう……もうっ!」


 ふっ、ちょろい。

 ひとりっ子の筒井は年上に可愛がられるのが好きなのか頭を撫でられると大人しくなる……でも前に松尾が筒井を撫でようとした時は咄嗟に撫でられまいと腹パンを食らわせていた。

 別に年上なら誰でも良いという訳じゃないみたいだ。


「さあ周回〜♪ 周回〜♪ あと〜八十周して素材を集める〜♪」

「完全下校時刻があるから八十周も回れないけどね」

「じゃあ先輩! 続きは帰宅したあと二十一時頃に電話するので通話しながら手伝って下さい!」

「んー、まあいいか。俺も素材は集めないといけないからな」


 一人でクエストを熟すよりかは二人でクエストを熟した方が素材の落ちが良い。

 オンラインで募集しても下手な奴が入ってくると時間が余計に掛かるからリア友と会話しながら周回した方が大分合理的だ。

 だから俺は筒井のお願いを聞き入れた。






 ▽






 部室に立て掛けてある時計を確認したところ、筒井とクエストを始めてから四〇よんじゅう分が経っていた。

 そろそろ下校時刻だ。


「今日は田嶋が窓を閉めて、水島と郡君は軽く掃除機で床を綺麗にする事。他の皆は忘れ物が無いか要確認。あと筒井、このクエストが終わったら四〇よんじゅう秒で帰り支度しな」

「ありがとう! お兄ちゃん!」


 筒井に先週の金曜日に放送したアニメ映画のネタを振ったらノリノリでアレンジを加えた返事をくれて、俺達のやり取りを聞いていた部員の間に小さな笑いが起きた。

 しかし本当に筒井は小学生にしか見えない。

 汐倉家は両親と姉と俺の四人家族だ。

 その為、末っ子の俺は結構弟とか妹に憧れがある。

 だから、もし妹がいたら筒井みたいな子なのだろうかと思ってたりしている──恥ずかしいから絶対に口には出さないけど……。


「ちょっと、床にお菓子の袋落ちてんだけど……食べたの誰?」

「食べたのは私だ」

「酒巻、ゴミはゴミ箱に捨てなって何回言ったら……」


 急に剣呑な雰囲気になった。

 備品の掃除機で掃除をしていた水島夏羽が額に青筋を立てながらゴミを床に放置した〝なんくる精神の持ち主〟である酒巻あきらに何回目か知らない説教を始める。


「でも、最後の一口は松尾が頬張った」


 説教の途中──酒巻はのほほんとした顔のまま松尾を指差す。


「ちょっ、それ言っちゃう!?」

「嘘は吐いてない」

「それはそうだけどもっ!」


 水島夏羽は少々荒っぽさが目立つ女の子だ。

 いつも目付きが鋭く、誰が相手でもキツい物言いをする為、彼女と関わりを持たない者は彼女に対して苦手意識を抱くに至るのは至極当然と言える。

 まあ、蓋を開ければただの世話好きな姉御ってだけなんだけど。


「汐倉! お前からも何か言ってくれ!」

「これはゴミの処理を怠った松尾の自業自得だ。存分に叱られて反省しろ」


 松尾はサーっと顔を青くする。

 全く、水島が怖いなら目を付けられるような真似をしなければいいのに、いつまで経ってもこいつは学習しない。

 松尾に呆れた目を向ける俺は剣道部の副部長を担っている。だから今日も先程の様に指示を出し、ゆとりを持って皆と帰る支度をするのだ。

 ちなみに最上級生である部長は部活が終わった後すぐに帰る。

 何やら話すのが得意じゃないらしいし、今代の三年生が部長だけだから居づらいのかもしれない。

 流石に稽古中は部長が指示を出すが、面を外した後は基本、俺任せなところが目立つ。

 全く、信頼されてるんだか他人任せなのか分からない。


「やったー先輩! クエストクリアです!」


 すぐ隣でプレイしていた筒井が両手を上げて喜んでいる。

 その余りの愛らしさに俺は思わずくしゃくしゃと筒井の頭を撫でてしまった。

 筒井はふにゅ〜と目を細めて気持ち良さそうな声を漏らす。

 相も変わらず小動物のようで癒される。

 やっぱり妹がいたら筒井みたいな子が良い……いや、筒井を妹にしたい!

 ……まずいまずい。喋ったら引かれる程危険な思考になっていた──平常心を保て、俺。


「松尾〜、部室の鍵持ったか?」

「ちょい待ち! えーっと確かこの辺に……おっしあったぞ!」

「じゃあ帰るか」


 いつものように田嶋が鍵当番の松尾に鍵をきちんと所持しているか確認を取り、鍵の所持を確認した所で皆が荷物を持つ。


「先輩、今日の二一時にじゅういちじですからね? その時間はちゃんとスマホの前で待機してて下さいよ? 前みたいにご飯食べてたとかお風呂入ってたとか寝てたとか無しですからね?」

「了解了解」


 それからいつものように部室から踊り場に出て、格技場一階の下駄箱まで降りる──はずだった。

 現実は俺達を嘲笑うかの如く、俺達から〝いつも〟という名の日常を奪いに来た。


「な──何だこれはっ!?」


 俺の声と同時に全員の驚愕を含んだ絶叫が部室内に鳴り響いた。

 部室の床から幾何学模様が真紅の輝きを放ちながら浮かび上がると同時に空気が振動して部室内に異様な雰囲気を齎す。


「せ、せんぱ〜い……なんですかこれぇ〜!?」

「……っ!」


 これが何なのか──それは俺が聞きたい。

 こんな大掛かりなものが誰かのイタズラにしては度が行き過ぎているし、金銭的に無理があるはずだ。

 個人のものでなければ集団? ──いや、学校が主導でこのような何の生産性も無い茶番をやる訳が無い。

 それと同じくテレビがこんな辺鄙にあるアピールポイントが片手ですら指が余る地味な学校にわざわざ金を割くはずも無い──なら誰が、何の目的を持って俺達の不安を無駄に煽っているんだ!


「せっ、せんぱ〜い……」


 オカルトに酷似した現象を体感するという恐怖に涙目で青褪めた顔の筒井が俺を頼るように見上げる。

 俺の制服の裾を掴んでる筒井の震えた手に自分の手を重ねて、安心させる為に優しく包み込む。


「ちょっ、よく見たら床のこれって魔法陣ってやつじゃねぇか!?」


 松尾は床に浮かび上がった模様を魔法陣と考えたようだ。

 そういえば以前に松尾が言っていた。


『最近読み始めたんだけど、今ネット小説って異世界転生物が流行ってるんだぜ!』


 その台詞を皮切りに知り始めの知識をマシンガンで乱射するかの如く披露してきた。

 余りにも話が長いから決から端的に言わせたところ、ほとんどの主人公は別世界に飛ばされるという内容の作品なのだそうだ。

 そんな作品を嗜み、そっちの知識が豊富な松尾が魔法陣と言ったのだ──となるとアレだ。

 これから俺達は鏡の世界やら巨人が跋扈する世界やら幽霊が屯する世界やら魔法がありふれた世界とかに飛ばされるという事か?

 しかしなるほど──だが、そうなると俺達は今本当にオカルトを体験しているという事になる。

 夏によくテレビ放送する幽霊の世界に閉じ込められるホラー映画みたいな状況に追い込まれたら恥も外聞も無くわんわん泣く自信があるぞ俺は!


「松尾! 魔法陣なんて馬鹿な事言ってないで早くドア開けな!」

「いや水島、それがさっきから開けようとしてんだけどドアが固まった様に硬くて開かねえんだ! どうなってんだマジで!?」


 緊迫した雰囲気の中──今度は蒼の輝きを放つ幾何学模様が床から浮かび上がった。


「もうっ、何なのホントに!?」


 それから間髪入れずに黄の輝きを放つ幾何学模様が床から浮かび上がってきた。

 空気が激しく上下に、それも不規則に震える。

 全員が魔法陣から放たれる光が眩しくなり過ぎて目を開けられなくなった。

 部室内は阿鼻叫喚に包まれる。

 不安、恐怖、憂慮──ありとあらゆる負の感情がこの部室中を支配した。

 ──瞬間、皆の悲鳴がブツッと家庭用ゲーム機のコードをぶち抜いた時と似た音を立てて消えた。


「……皆?」


 いつの間にか空気の振動が収まっており、床から放たれていた光は徐々に弱まっていく。

 俺は全員の安否確認と状況把握の為、目を開き辺りを見渡す。

 部員は──誰もいなくなった。

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