憧れの青空

饕餮

憧れの青空

 初めてその機体を見たのは、百里基地の航空祭でだった。

 父のラストフライトが控えていて、どうせならと家族総出で航空祭に行った。


 普段父が乗っているF-4おじいちゃんの展示や輸送機の展示。それらを、制服を着た父が説明してくれながら、あちこちを回ったのだ。

 お昼を食べたあとは、父に連れられて建物の屋上に行く。ここは関係者しかこれない場所だから、ブルーインパルスがゆっくり見れると言って。


「ほら、つぐみ。見えるか?」

「うん!」


 背が一番小さかった私を抱っこしてくれて、上から見たのはウォークダウン。そしてプリタクからタクシーアウト、煙を一回吐き出して、まずは四機が、そして二機が飛び立った。

 アナウンスをしてくれていたのは、声が素敵な男性。とても聞き取りやすかったのを覚えている。


『左上方をご覧ください。これから六機のブルーインパルスがデルタで参ります――』


 そのアナウンスの方向を、父が指差す。


「ほら、あっちを見てみろ、イルカが飛んでくるぞ。――さん、に、いち、ナウ」

「わー!」


 父のカウントダウンが終わると同時に、六機の空飛ぶイルカ――ブルーインパルスが白い煙をはきながら、観客がいるほうへと飛んでくる。デルタからワイドデルタへ、綺麗な編隊を組んで、上空を駆け抜けて行く。

 他にも、サクラ、クライムロール、バーティカルキューピットなどなど、アナウンスと同じタイミングで父が説明してくれたし、父が『ナウ』って言うとすぐに白い煙が見えてこっちに飛んで来たっけ。


「パパはよんばんきにのってたんだよね? あのハートだと、どうれ?」

「あの矢の部分だ。綺麗なハートと矢にするのは、結構大変なんだよな、これが」

「へえ……。わたしもいつか、イルカにのってみたい!」

「キーパーじゃなくて、ライダーにか?」

「うん! よんばんきにのってみたいの!」


 綺麗なあの矢を父が作っていたと思うと、私も作ってみたくなったのだ。

 だって、知ってるんだよ、父がいつも母のことを「俺のハートなひばり、俺の矢を受け取って」って言ってるのを。当時はどんな意味があるのか知らなかったけど、大人になってその時のエピソードを聞いて、「歯が浮く~!」ってドン引きしたのは内緒だ。


「四番機なあ……。まあ、つぐみが大人になるころには、女性の戦闘機パイロットも当たり前になってくるだろうし。それにはつぐみの努力が必要だぞ?」

「どりょく?」

「ああ。勉強もできないと駄目だし。特に英語。あとは好き嫌いも駄目だし、健康じゃないとな。健康でも、虫歯があると駄目なんだぞ? 戦闘機パイロットは。ちゃんとできるか?」

「うー……にんじんとピーマンはにがてだけど、これからはたべる! パパとおなじようにパイロットになりたいから、べんきょうもはみがきもやる!」


 どこまで行けるのか判らないし、当時は女性パイロットが訓練を始めたばかりだったし、父が引退したあとで女性パイロットが出た時代だったそうだ。だけど、いなわけじゃないからと、父はそう言っていたっけ。


 あれから三十年。


「牛木……いや、藤田 つぐみ一等空尉、第11飛行隊に転属を命ず」

「謹んで拝命いたします」

「頑張って技術をモノにし、またここに戻って来い。一尉ならきっとできる」

「はい、ありがとうございます!」


 父と母の年齢は一回り違う。だからこそ、なんとしてでも、父が生きている間にブルーインパルスに乗りたかった。そして、あと二、三年はかかるんじゃないかと思っていた、三十五の誕生日の出来事だった。

 震える手を叱責して内示を受け取り、敬礼してその場をあとにする。


「……………………やった!」


 誰もいないことを確認し、小さくガッツポーズをする。


 十年くらい前に、女性のドルフィンライダーがいたことは知っている。彼女が最初の女性ドルフィンライダーだ。

 その人は私たち女性自衛官の憧れであり、女性の戦闘機パイロットの誇りでもあった。今はパイロットではないけれど、目黒あたりで教えてるんじゃないかと聞いている。


 そんな彼女に私も憧れた――彼女のようなドルフィンライダーになりたいって。


 その人がドルフィンライダーになったのは三十半ばだったけど、私はもう少しかかると思っていたから、半ば諦めていたのだ。

 すごく嬉しかった。だから、仕事を終えて寮に帰ると、すぐに双方の両親と夫にも連絡をした。夫もドルフィンライダーだったから。


『やったな、つぐみ。妻だろうと、容赦はしないぞ?』

「判ってる。しっかりしごいてよね?」

『ああ。待ってるからな、ここまで這い上がってこい』

「ええ」


 電話を切り、荷造りを始める。すでに向こうの寮に入る手続きも、定期便の予約も済ませている。あとは荷造りをして、明日子どもたちと一緒に松島基地に向かうだけだ。

 双方の両親も子どもたちの面倒を見てくれることになっているし、うちの両親に至っては、その間一緒に住んでもいいとまで言ってくれたのだ。まあ、そこは夫と話し合って決めるからと言ってある。


 この時のために、いろいろと頑張った。

 父の身体能力を受け継いだのか、G訓練も苦じゃなかったし、体力も女性にしとくのは惜しいとも教官に言われた。

 それを糧に飛行時間もクリアし、ウイングマークをもらい、必要な資格も取った。

 スクランブルも、何回も経験した。


 この時のために、私はいろいろと頑張ってきたんだから。

 それが報われたことが、とても嬉しい。


 荷物を詰めて、準備は万端。子どもたちは春休みだからと夫の両親のところに遊びに行っている。


 憧れの彼女が切り開いてくれた、せっかくのチャンス。だから、お飾りのライダーだなんて言わせない。


 そう決意を固めて眠り、翌朝一番で松島基地へと向かった。


「本日よりこちらに配属になりました、牛木 つぐみ一等空尉であります。牛木が二人になると聞いておりますので、こちらにいる間は旧姓の藤田 つぐみを名乗ろうかと」

「ああ、そのほうがいいだろう。タックネームはジッタでどうだ?」

「父と同じというのも芸がないと思うのですが……」

「父?」


 目の前にいるのは、ブルーインパルスの隊長でもある、相馬三等空佐。私の言葉に、不思議そうな顔をしながら首を傾げた。


「はい。私の父は、四十年ほど前にブルーインパルスのライダーをしていました。四番機に乗っていたそうです。その時のタックネームがジッタだと聞いております」

「……もしかして、今でも伝説になっている、入間基地でプロポーズしたという?」

「はい。どういうわけか、あれ以降、あそこでプロポーズする人間が増えたと聞きましたが……」

「まあな。ちなみに、他の基地でもやっているところがあるらしい」


 三佐の言葉に苦笑する。父がやらかしたせいで、航空祭などで自衛官たちがプロポーズをしまくっているらしい。


「なら……そうだな、名前のつぐみから、『スラッシュ』はどうだ?」

「それでお願いいたします」

「わかった。なら、他のクルーを紹介しよう」


 席を立った三佐のあとに続き、その場所に移動する。

 ハンガーに連れて行かれ、そこには夫である牛木うしき 龍司りゅうじの姿もある。


「集まってくれ。今日からこちらに配属になった、藤田 つぐみ一等空尉だ。タックネームは『スラッシュ』となる」

「初めまして、藤田 つぐみです。本来は牛木 つぐみと名乗るところなのですが、すでに牛木がいると聞き及んでおりますので、旧姓で名乗りました。よろしくお願いいたします」


 隊長のあとに続き、敬礼でそう告げる。龍司には伝えてあるので、眉ひとつ動かさない。


「しばらくはアナウンス業務となる。たのむぞ、スラッシュ」

「はい」


 そこからはキーパーを含めた自己紹介が始まり、それぞれのタックネームを聞いたんだけど……龍司のタックネームが義父と同じ『バイソン』ってどういうことなのかな?!


 まあ、それは横に置いておいて。


 今日からアナウンス業務をしながら、適正訓練も始まる。これに合格しないと、ブルーには乗れない。

 そして、切り開いてくれた彼女のためにも、私が閉ざしたらいけないと、責任重大だ。


「……よし!」


 気合を入れるために、左手を広げ、握った右手を打ちつける。パンッ! という小気味いい、乾いた音がした。

 スタートラインには立った。あとは目標である、四番機に乗るだけなんだけど……。


「スラッシュ、ちょっといいか?」

「はい、なんでしょうか?」


 龍司に話しかけられ、そちらのほうを向く。


「相変わらず、お義父さんの四番機狙いか?」

「もちろんよ。それがどうかした?」

「いや……どうやら未だに属性が続いてるらしくってな……」

「え……」


 龍司の言葉に驚く。まさか、父の師匠がつけたという『色気が増す属性付加』がそのままになっているらしかった。


「一応、あとでお前は俺の妻だって話しておくが……気をつけろよ?」

「……そうする」


 初っ端からそんな話は聞きたくなかった! と内心頭を抱えつつ、アナウンスの練習をするからと呼ばれ、その場をあとにした。



 そう言えば一度、高校の時の同窓会に行った時に聞かれたことがある。コックピットで吐いたりしないのか、学校を卒業してすぐにブルーに乗れるんじゃないのか、って。

 だから言ってやったのだ。


『コックピットで吐く? そんなのが戦闘機パイロットになれるわけがなかろう! 最初の段階で落とされるって。いいとこ輸送機パイロットかヘリパイだよ? つうか、三半規管が弱いならどの乗り物も無理だよ、整備の人だって移動には輸送機を使うんだから。それに、ブルーに乗るには様々な経験と資格、飛行時間が必要だから、二十四、五の人がドルフィンライダーになるのは、物理的にも無理』


 って。そう言ったら、納得した顔をされた。

 三半規管が弱いと乗り物酔いするから、多分そういう人はパイロットどころか自衛官になるのすらも難しいだろうと思う。

 ちなみに、私は訓練中だろうと、訓練後だろうと、吐いたことは一度もない。つうか、エアマスクをしてるんだから、吐いたら空気を吸えなくて窒息死するっつーの。


 そんなことを思い出してちょっと苦笑し、渡されたアナウンス用の紙を見る。


「ここからスタートね」


 焦ってはいけないと、父にも言われた。何事も初めてがあるのだからと。確実にこなして、自分のものにしていけと。


 本当にそう思う。航学で学んで、航空自衛隊に飛び込んで。女だからって馬鹿にされないよう、シミュレーターも試験も必死にくらいついた。

 その今まで培ってきた経験が、そして頑張ってきた腕が認められたからこそ、そして女性にも、と切り開いてくれた彼女の存在があるからこそ、私はこの飛行隊にこれたと思っている。


 訓練はますます厳しくなるだろう……その起動もGも、確実にF-15やF-35戦闘機なんかとは比べ物にならないほど、違うのだから。



 もう一度小さく頑張ろうと呟き、与えられた仕事をこなすべく、集中するのだった。


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憧れの青空 饕餮 @glifindole

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