#013 リバースデイ③

 真緒の笑顔を見なくなって、彼女の声を聞かなくなって、一年。とてもとても長い時間だった。今でも薫が真緒の笑顔や声を思い出すことができるのは、隣に美緒がいるからに他ならない。

 美緒と真緒は双子で、とてもよく似ていた。そして彼女たちは、病的なまでに互いに依存していた。特に美緒は、真緒のことを誰よりも大切に思っていた。真緒がいないと、生きていけないほどに。


 しかし真緒はそれが決められた運命だったかのようにいなくなってしまった。


 それからの日々は、美緒にとってみればきっと、自分の一部をどこかに落としたまま歩いているようだったろう。なくなった部分になにを当てはめても、真緒の代わりにはならない。唯一薫が、少し形が似ていただけで。

 薫にとっての真緒は、憧れに近かった。美緒が人懐っこく明るい性格なのに対し、真緒はいつも謎めいた静けさを持っていた。薫はその神秘に惹かれた。彼女はなにを感じ、なにを考え、なにを見ているのだろうか。そのすべてに触れたかった。薫には、真緒と共有したいことがたくさんあった。

 もちろんそれは独り善がりで、真緒にとってみれば迷惑でしかなかっただろう。けれど真緒は優しかった。彼女は彼女なりに、精一杯の好意を持って薫に接してくれた。薫はそれが嬉しかった。

 ……だけど、真緒はいつも一歩後ろに下がって、透明な壁を間に置いて喋っていた。拒絶でも、達観でもなく、それはきっと諦めに近いものだったように思える。


 ――真緒が薫に唯一近づいてくれたのは、一年と少し前の雪の日のことだ。


 その日は真緒と薫のふたりで、ふたご座流星群を見る予定だった。美緒がインフルエンザで寝ていたこともあったが、真緒は薫とふたりだけで見ることを望んでいるようだった。 薫にはそれが不思議でならなかったが、尋ねるのはやめた。きっと彼女は答えてくれない。薫にはそれがわかっていた。

 天気予報では、夜中には雪もやみ、雲が晴れるという話だった。そこでふたりは夜遅くにそっと家を抜けだし、懐中電灯を持って森に入った。目的地は、僕たちの秘密の場所――あの広場だ。

 空は大粒の雪を降らし続け、積もった雪は深く、靴下をぐしょぐしょに濡らしながら、それでも握った手の温もりだけを頼りにふたりは歩き続けた。会話もなく、ふたりともやまない雪と想像以上の暗闇に、泣き出してしまいそうな気分だった。吐く息の白ささえ失われてしまう闇だった。

 長い時間をかけて広場にたどり着いた頃には、ふたりは全身を汗と雪で濡らし、心も体ももうへとへとだった。なんとか広場の中心まで歩くと、同時にそこに仰向けになった。雪の冷たさがむしろ心地よくて、降りてくる雪がきれいだった。


 ――薫が白い息を吐き、真緒が空に手を伸ばす。


 雪はまだやみそうにない。流星群は厚い雲の向こうで、見えるわけもない。天気予報の嘘つき。なんだかとても寂しい気持ちだった。真緒もとても寂しそうだった。

 だけど、いや、だからだろう。


 ――そこに、約束が生まれた。


 薫は、その時真緒に言った言葉を早く忘れてしまいたかった。恥ずかしいし、なによりもすごく悲しくなるから。子供の戯言だった。言葉にするのは容易い。でも力がなかった。ただそれだけだ。薫には、その言葉を実行するだけの力がなかった。


 ――そして約束は、消えてしまった。


 全部、薫のせいだ。そんなことは薫自身が一番よくわかっている。悔やんでも時間は戻らない。同じ時を繰り返すことはできない。

 あの事件の日から、今日で一年。

 繰り返すことのできないあの時を、それでも再現するみたいに、薫はまた美緒とふたりで森の広場に立っている。朝起きてすぐ、真緒に会いに行く前に一緒に行きたいところがあると美緒を誘ったのだ。目的は単純なものだ。




 ――薫は今日、この場で、美緒を殺すつもりだった。

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