#002 さくら散る日常②

 おかみさんはちゃぶ台の上の料理に目をやって、一つひとつ説明を始めた。


「もう四月も終わりでしょ? ちょっと早いけど、美味しいアジが手に入ってね。なめろうにカブとニンジンのつみれ汁でしょ。あと五月の食材といえば新じゃが。鶏肉とジャガイモをカレー風味で揚げてみたの。このアスパラは新鮮だから生浸しにして、桜えびはまたひじきと一緒にふりかけにしたから、ご飯にかけて食べてね。おかわりもたくさんあるから。それと……」


 その他にも食卓にはたくさんの料理が並んでいた。ちゃぶ台からはみ出してしまいそうだ。薫はその様を見ているだけで食欲が湧いてくるのを感じた。おかみさんの手には魔法でもかけられているのだろうか。

 薫と美緒は、毎週金曜日に桜井家で食事をいただいている。事情があって親元から離れて暮らしているふたりにとって、家庭の温かい食事を食べることができるのはとてもありがたいことだ。


「そんなところかしらね。さて、由宇、ご飯よそった?」

「うん、よそったよ」


 これでもかと盛られたご飯が食卓に置かれ、それを見届けるとおかみさんは立ち上がった。


「それじゃあ私はまだ仕事があるから台所に戻るわね。あなたたちはゆっくり食べていっていいから。おかわりはいつも通り由宇に言ってね」


 花の金曜日だというのに、大変申し訳ない。感謝を噛み締めながら、いただきますと皆で合掌する。


「ああ、おいしい……」


 早速つみれ汁を飲んだ美緒が、しみじみとした口調で呟いた。顔は綻んで、幸せが溢れ出ている。

 薫は黙々と食べ進めたが、内心美味しくてたまらなかった。にやけてしまいそうだった。


「どうかした、薫」


 そんな薫の様子に気付き、由宇が声をかける。


「いや、ただ、本当に美味しくて」

「ねー? なんでこんなにおいしいんだろう。早く弟子入りしなくっちゃ」

「あはは、なに言ってるんだよ。美緒の料理だってめちゃくちゃうまいじゃないか」


 その言葉に薫は思わずむせそうになった。由宇はこういう言葉をさらりと言う。そしてそれがまったくわざとらしくない。正直、尊敬する。

 その言葉に美緒も少し驚いている様子だった。


「え、そうかな」


 由宇は逡巡すらせず続ける。


「そうだよ。この前ご馳走になった味噌汁と鮭のちゃんちゃん焼き、すごく美味しかった。だから自信持って大丈夫だよ。少なくとも俺と薫は美緒の料理大好きだし」


 今度こそ薫はむせた。なんだって?

 美緒は少し赤くなっているようだった。


「で、でも、かーくんいつもばかにするし……」

「薫は照れ屋なんだ。心の中では美緒の料理うまいって思ってるよ。絶対に。賭けてもいい。だって美緒の料理を食べてる時、薫すごく安心してるんだ。顔見りゃわかる」

「由宇!」


 薫は語気を荒らげた。


「なに適当なこと言ってんだよ」

「適当じゃないよ、本当のことじゃないか。この前だって――」

「あーわかったから続き言わなくていいから!」


 薫が遮ると由宇は大人しくなった。何気なく薫が美緒を見ると、美緒も何気ない風を装った視線を薫に向けていた。目が合う。

 次の瞬間美緒はつーんとそっぽを向いた。なんだよ、その態度。薫は顔をしかめた。そこからはしばらくぎくしゃくした食事が続いた。

 沈黙を割ったのは由宇だった。


「そういえば生徒会の用事って?」


 あー、と薫は思い出して、汁をすすった。


「別に、なんでも」

「えー、なんだよそれ。教えらんないの?」


 薫は眉根を寄せて、思い出したくもないその記憶を掬い出す。


「いやなんつーか、いつも通りっていうか……、まあ、そんな感じ」

「どんな感じだよ」


 まあなんとなくわかるけど、と由宇は笑った。


「かーくん、会長の下僕だもんねー」と美緒。

「おい」

「もう生徒会入っちゃえばいいじゃん。毎日のように手伝っちゃってさー、ご苦労さまですことー」

「あくまで手伝いだからできてるんだよ。あんなきっついとこ、俺に勤まんないって」

「おいおいそこは違うだろ薫」由宇が薫の耳に口を近づける。「美緒は嫉妬してるんだよ、会長に」

「はあ?」


 ガタッとテーブルが揺れた。由宇は致命的にひそひそ話が下手なので、当然美緒にまで聞こえてしまう。彼女はあからさまに動揺していた。


「ち、ちがうよぅ!」

「そうなの? さっきもかーくん遅い遅いって文句ぶーぶーだったから、てっきり」

「それは、だって、実際遅いんだもん!!」

「ほら、薫も釈明しないの?」

「おまえ調子乗りすぎ」

「ははは、ごめん」


 由宇は引き際を心得ている。そして本当に人が不快に思うことはしない。

 ひとつ、ため息。


「あのなあ、そもそも俺はあの人だいっ嫌いだかんな、ほんと。あの人は魔女だよ。気をつけないと骨までしゃぶられかねない」

「骨って、さすがにそれは言いすぎだろ。会長に文句言うの、薫くらいだし」

「いや嘘じゃないって。……てかそんなに俺文句言ってる?」

「言ってる」「言ってる」


 美緒と由宇、ふたりして肯く。


「あー気をつけよ。聞かれたらなにされることか……」

「えーじゃあ言っちゃおうかなー」

「やめろ! てか後ろ!!」

「ひゃぅ!?」


 もちろん指差した先、美緒の後ろには誰も居ない。しいて言うならばサンテックスがしっぽをぱたんぱたんと揺らしているだけだ。しかし鬼気迫る薫の演技に美緒は慄いて、その様に由宇が一際大きな声で笑った。つられて薫も笑って、美緒が膨れる。


「なんだよ今の声」

「なによー、嘘つきー! なんでもいいでしょ! もーほんとに言っちゃうんだかんねー!」

「ごめんごめん悪かった。でもそれだけはほんと勘弁してくれ」

「いいよ言っちゃいな美緒。俺もついてくから」

「おいまじでやめてくれって」


 それは、とても微笑ましい時間だった。薫にとってこの時間は、とてもとても愛おしくて、大切なひとときだった。こんなに痛々しくて馬鹿馬鹿しい会話でも、楽しくて仕方がない。それはもう、辛いくらいに。

 気が付けば、窓の外ではいつの間にか夜が目を覚ましていた。月が爛々と輝いている。部屋の隅でおとなしくしていたサンテックスがやれやれといった調子で大きく欠伸をして、時計の長針がかちりと一つ前に進んだ。

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