【短編】美しき娘将校は、イケオジ不良士官に抱かれて眠る

文野さと(街みさお)

第1話

「……以上の七項目を決定事項とする。各々速やかに諸準備にかかるように。以上、解散!」

 重い声と共に五時間に渡る軍議は終わった。

 ホヅミ・リンカ少佐率いる補給部隊は原案通り、最前線から三キロ手前の堡塁まで物資を運搬する。

 だが、機動力に欠ける補給部を護衛する部隊はくことはできないとの決定がなされてしまったのだ。

 弾薬や糧食を守りながら最前線まで運ぶのは、隊列を解いた兵に担わせることになった。平原に目立つ大隊より、数十人単位の小隊の方が狙い撃ちにされる危険が少ない。彼らは二十キロもの物資を背負って、最前線に次ぐ危険な準戦闘地帯を縦走しなければならないのだ。

 そして、補給を担うフリージア連隊隊長、ホズミ・リンカに前線へ赴く命は下りなかった。


 リンカは目がくらみそうなほどのいきどおりで、呼吸がしにくくなっている。

 指揮官である自分が後方支援に下される。軍人としてこれ以上の不名誉はない。

 官立士官学校を始まって以来の優秀な成績で卒業し、中距離以下の射撃の腕前は同年代の男性士官に負けたことがない。

 女だと言う事で、直接戦闘行為に参加する隊に配属されなかったことは残念だったが、それでも近衛の席を蹴り、補給部隊に入った。

 そこで一般の兵たちに混じって訓練をこなし、お貴族様の気まぐれよ、姫将校よと、自分を馬鹿にする兵士たちの信頼を地道に勝ち取っていった三年間。

 ようやく自ら鍛え上げた部隊の指揮官となったのに。

 これでは私がやはり、ただのお飾りだったと、兵たちに証明するようなものではないか!

 リンカは、自分が育てた部隊を率いて前線に赴くつもりだったのだ。

 彼女は補給部隊としてこの掃討作戦に参加するために、丸三日間頭を絞って物資や兵の輸送計画を細かく計算し、周到に練り上げて軍議に臨んだのに。

 ぎり、と奥歯を噛みしめる。


 そも兵站へいたんとは、物資の運搬だけにあらず、戦闘の支援、兵の士気を支える事までもが任務の筈だ!

 私が行くと申しているに、中将殿は何故に拒まれた? さては叔父上から横やりが入ったか。

 これでは私はただの厄介者。我が隊との信頼関係を壊すおつもりか!

 補給部隊と言えど、鍛え抜かれた軍人だ。私が我が子のように育てた者たちだが、貴族出身の将官を見る目は決して甘くない。

 代行を命ぜられたオウスミ中佐がいかに有能かは知らぬが、本来の指揮官を失い、統率が乱れた部隊などに任務が全うできるものか!


 師団の司令官であるヤクシジ中将は、首都の名門出身のリンカを前線へ出すことを、良しとしなった。

 生家の後ろ盾に頼らず、士官学校の選良エリート達が志願したがる都の花、近衛隊に用意された士官の席を蹴り、周り中が反対する中、敢えて軍の中でも一番地味で知名度も低い補給部隊を選んだ。

 なのに、少しでも前線で戦う兵たちの役に立とうと努力してきたリンカの初陣は、ほぼ実現しない見通しとなったのである。

 長い廊下から星が見える。

 リンカは顎を振り上げた。


 泣くなどと、ありえない――


「リンカ」

 脇廊下の暗がりからの呼びかけに、ぎくりとすくみかけるが、なんとかこらえた。


「もう戻って来れたのか」

 振り返ってなどやらない。

 背後からかけられる言葉を聞こえぬふりでやり過ごす。こんな惨めな姿を、あの男見にられたくなかった。


 精一杯背を伸ばして中庭に面した回廊を進み、士官用の宿舎に与えられた部屋に飛び込んだが、それが限界だった。

 ふらりと目眩めまいがして視界が狭くなる。

 この三日、不眠不休で補給作戦を練った挙句のこの仕打ちに、リンカの体力と気力が今、尽きたのだ。

 それなのに頭の中はまだ怒りで煮えたぎっている。決定はもう覆らないと言うのに。

 頭と心を冷やさなければならない。

 半ば床を這うようにリンカは浴室へ向かった。

 コックを最大に絞って、痛いほどの水流に服のまま打たれた。立ち上がる気力もなく、冷たいタイルに頬を押し付ける。

 前線の兵士たちはしらみと暮らしていると言うのに、自分はこの体たらく。


 所詮は名門の令嬢、軍隊のお飾りでしかないのか。部下たちに合わす顔がない。


 リンカは涙を意識できないように顔を上に向けた。ほとばしる水に打たれて呼吸すらままならぬ状況だが、今はどうでもよかった。きつく結った髪が解け、タイルに墨流しのような模様を描いているのが見える。

 そうして意識が遠のいた。


 気づいた時、彼女はたくましい腕に抱えられていた。

 妙な振動と浮揚感があるのは、宙を運ばれているからだろう。

 身動きができない。頭まで大きなタオルで簀巻すまきにされているらしく、視界が悪い。

 ついでに気分も最悪だった。

「……う~」

「このバカ娘」

 いつものひょうげた声ではない。これは相当怒っている声だ。

 しかし、長椅子に下される仕草は、まるで壊れ物を扱うかのように慎重で優しいものだった。

 いつの間にか部屋には暖房までつけられている。タオルでぐるぐる巻きの下は素っ裸だった。

「サウザン少尉……」

「名で呼べ」

 弱々しい声に応えはそっけない。リンカは目を合わすことができず、うなだれた。

「……デューカート」

「デューだ」

 語尾の消えぬ間に顎が救い上げられ、唇が押し付けられる。

 噛みつくようなそれは、まるで罰を与えるかのようだ。

 抵抗しようにも両腕がタオルの中で自由にならない。それを良いことに、ぐいぐいと侵入してくる無礼な厚い塊。リンカが眉をしかめて顔を背けても、分厚い手で怒ったように引き戻される。

 デューカートは椅子に片膝をつけ、リンカを椅子の背に押さえつけるだけでは足りないらしく、ぐいと腰をすくうと、空いた手が布の上から体中を這った。

 さほど広くもない室内に椅子のきしみと、それとは異なる湿った音が混ざりあってやけに響いた。

「何日喰ってない? 寝てもいないな?」

 やがてうっすらと体を離すと、デューカートはやはり厳しい声で問いかけた。リンカの頬を掴んで視線をもぎ取る。リンカは観念して彼の酷薄そうな薄青い目を見つめた。

「……二日ほどかな?」

「わざと俺を遠ざけたな」

「……」

 再び視線を彷徨わせたリンカに、デューカートは舌打ちをして立ち上がると、冷めないように暖房の前に置かれた盆を持って小卓の上に置いた。盆の上には小さな土鍋と匙が置かれている。彼はいつの間にか、食事の手配までしてくれていたようだ。

 黙って差し出された匙にリンカは素直に口を開いた。

 程よい柔らかさの粥が押し込まれる。彼女の好む昆布出汁の利いたそれは、非常に美味だった。リンカが粥を嚥下すると、すぐにまた匙が差し出され、それを幾度か繰り返すうちに鍋はすっかり空になった。

「茶を飲むか」

 こくりとリンカが頷くと、これまた彼女が好む香ばしい茶の満たされた湯呑が差し出される。飲ませ方も巧いものだ。

 やがてリンカが満足して顔を背けたのを見て、デューカートは胸ポケットから小さな櫛を取り出した。彼の逆立った固い髪に櫛など必要ないから、これはリンカのために忍ばせたものだろう。

 丁寧に拭われた髪は既に半ばは乾いていたが、彼は頭の真ん中で分け目をつけると慎重に梳きはじめた。乱れていた黒髪が元の艶を取り戻してゆく。

 軍服を着ている間は固く結われ白いうなじを晒しているが、リンカの髪はほどくと結構な長さになる。

 家風ゆえに絶対に切るなと言われている髪だ。


 明日には切り落としてやる。


 リンカの考えなど知らぬデューカートは、丁寧な手つきで幾度も、黒髪を梳き続けた。

 二人とも黙りこくったまま、奇妙な時間が流れてゆく。

「う……うう」

 こんな心地よさに気持ちをゆだねたくなかった。だが、そうすると先ほどの苦い思いが込み上げる。

「泣くな」

「泣いてない! 悔しいだけだ」

 首を捻じ曲げて嫌味なほど落ち着いている男を振り返ろうとしたが、断固たる仕草で戻される。

 これではまるで子供だった。情けなくて、引っ込んだ涙が再び滲み出す。いつもこの男の前ではこんな風になってしまう、リンカは二重の悔しさに肩を震わせた。

「仕方ねぇやな。あんたの伯父さんは、あんたを前線にやりたくねぇんだよ」

「前線を嫌がって軍人が務まるかっ!」

「あーあ、あんたの一族も眷属けんぞくも、あんたがこんなに真面目に勤めるとは思っちゃいなかったんだろうよ。戦いの女神よろしく、美しきシンボルに仕立て上げ、兵の士気を高め、国民の官軍に対する支持を得ようとしただけなのに、あんたは一部隊を見事に掌握し、崇拝される指揮官となった。とんだ誤算だったんだ」

「バカな! 私は家のおもちゃでも、軍のお飾りでもない! 自分でこの道を選んだのだ!」

 リンカはできる限り首をひねってデューカートを睨みつけたが、彼は首を振るばかりだった。


 世間知らずのお姫様。

 自分で選んだつもりで選ばされていたって事に気がついてない。だが、お人形さんは自我に目覚めてしまった。

 今頃奴ら大慌てで、リンカを軍から引き離すことを考えているんだろうぜ。勝手な奴らだ。

 このお姫様をあなどるから、こんなことになるんだよ。

 だが――


「俺にしたところで、あんたを前線に出す勇気はねぇけどな」

「バカ!」

 黒目がちの瞳から、ついに透明な雫が零れ落ちる。

「ああ、バカだよ。バカだからこんなことをしている」

 そう言うと彼は髪を梳く手を止め、リンカを拘束していたタオルを解いた。

 部屋が良く温まっているので少しも寒くはないが、むき出しになった胸が空気に反応して立ちあがる。

 素肌を見られるのは初めてではない。でも本当はいつも酷く気恥ずかしい。だが、リンカは敢えてそんな気持ちに蓋をした。そんなリンカにデューカートは手を休めずに、これまた周到に用意してあった夜着を着せかける。

 胸元の合わせを結ぶ時にほんの一瞬、彼は酷く愛しそうに目を細めたようだが、リンカは気が付かぬふりをした。

「……秋の夜長だってのに水浴びなんぞしやがって……風邪なんかひいたら承知しねぇぞ」

「……」

「二度と俺を遠ざけようとするな」

 細い顎を掴んでデューカートは言った。

 本気の声だった。

「……けど、兵に合わせる顔がない……私の構築した作戦は、完璧だったはずなのに」

「そんな事を平気で言うから、余計に遠ざけられんだよ。だからお嬢様育ちの将校はヤだって言ったんだ。……くそ!」

 デューカートは唸るように悪態をつくと、再び凜花を抱き上げ、寝台へと運んだ。

「私は飾り物の指揮官じゃない!」

「ああ! 頑固だな! 相変わらず。そんなに地獄が見たいか?」

「兵たちは私が裏切ったと思うだろう。敵前逃亡もいいところだ」

「はいはい、固い固い。けど、あいつらの事なら心配はいらん。今じゃすっかりあんたを女神様みたいにあがたてつまってらぁ。……この俺が妬けるくらいにな!」

「これは信念の問題だ!」

「うるせぇ!」

「!」

 怒鳴られた拍子に、溢れそうだった涙が引っ込む。

「あんたは今冷静な判断ができてない。明日になれば、また動き出せる。頭も働く」

 涙の痕を拭い、肩をしっかりと毛布で包みながら囁かれる声に厳しさはもうない。

「ともかく今は休むんだ。混乱した頭じゃいい策も立てられねぇ」

「……わかった」

「いい子だ。大人しく寝るんだぞ。な?」

「ん……デュー」

 優しい食物で腹が満ち足りたせいか、額を撫でる掌の心地よさ故か、急速に眠気に包まれた凜花はそれでも、腕を伸ばして、身を起こした男の袖口を掴んだ。

「なんだ」

「眠るまで傍に」

 すでに瞼は落ちかけている。

「……ああ、わかったよ。いてやるから寝ろ」

 ガサガサの指の背で撫でられる頬が緩んでゆく。そしてリンカは、あっという間に眠りの淵へと落ちて行った。


「畜生。可愛い顔して寝こけやがって……」

 デューカートはまつ毛を零した頬から自分の指を引き離した。


 自分で思っているより、俺はこの娘にイカれているのかもな。


 かつての上官を殴って重傷を負わせ、軍を放り出されるところをリンカの伯父に拾われて二年。

 出会った頃の勝ち気で生意気な年下の上官は、今ではこの身に代えても守り抜きたい愛しい女となり果てた。まだ両手で数えるほども抱いていない。

 最初は世間知らずの甘くそさを戒める意味も込め、半ば強引に奪った。

 しかし、この半年の間に自分の腕の中で確かにリンカは女になったのだ。


 十五も年の離れた娘に魂を抜かれるなんざ、恥ずかしくって誰にも言えねぇや。

 だが――


「お前の為なら何でもしてやるよ」

 デューカートは柔らかな耳朶に、そっと唇をつけて言った。

 野良犬を手懐けてしまったお前が悪い。

「死ぬ時まで一緒だぜ」

 脳髄の奥まで届くように囁く。これは人生最後の女だ。決して離れない、離れてやらない。

「さぁて、めんどくせぇが、これから上に談判か……気が進まないが、奥の手でも使うかね」


 すっかりいつもの調子に戻り、唇の片方を上げてデューカートは笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】美しき娘将校は、イケオジ不良士官に抱かれて眠る 文野さと(街みさお) @satofumino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画