ヒッピーでハッピーだ!

オカザキR .セイチ

マジカルヒッピーオブハッピーエンド

 俺はホッピーを片手に葉っぱをかじった咀嚼した。

 俺はヒッピーだ。

 ロックも死んだと言われ、オタク文化も衰退してきている背景を持ったこの世紀末なんてものも感じちまう、西暦2010年代の末期で、毛は腰まで届く。男だが、ロン毛だ。

 ロン毛じゃ働ける場所もないんじゃ?って思う人もいるんだろうが、そうでもない。俺の昔馴染のあの男は働いてるけどロン毛だ、今でも。仲悪くなって別れたけどな。でも俺は無職だ、あの頃までは。

 無職、そう言っても今は違う。いまは働いている。でもヒッピーだ。でも俺は会社につとめているわけではない。

 俺は弾けもしない子ども向けキャラのアソパソマソがうつっている子ども用のギターを持って、ライヴする。俺は道化師なんだ。

 身長192.6センチメートル、体重50キログラム、10頭身。これは痩せているとよく言われる俺。マジで、軽い。略してマジカルだ。マジカルヒッピーだ。

 英国のロックバンド、ザビイトルの楽曲、『レリビイ』は人気だが、俺は、中期過ぎて後期にかけて始まるザビイトルの壮大なドラマが好きだ、でも俺は『レリビイ』を高く評価していない。

 俺は、ザビイトルの赤盤・青盤でザビイトルのいいところすべて聴いたと思っている人をどうかと思う。

 俺は横断歩道を渡るときいつもザビイトルの『アビイ道路』のパロディ感覚で渡っている。そして脳内では決まって『カムトゥギャザア』のイントロが始まるんだ。『アビイ道路』一曲目の『カムトゥギャザア』のあの短いが秀逸なサビがたまらないほど好きだった数年前。

 ザビイトルの『ホワイトアルバーン』の病んだ感じも俺はおもしろいと思っていて、次回から徐々にそこから抜け出す神聖な感じもイケていると思っている。『ホワイトアルバーン』で問題作だと認識される『レヴォリューションNo.999』は、無駄という声はよく聞く、でもだ、俺はあの、よくわからない、長い曲、その存在はレヴォリューションなんだって、感じれた。

 ザビイトル、米ニルヴァアナぐらいしか楽曲すべてを聴き尽くしたというバンドはないが俺は楽曲は聴きまくっているほうだ。ザビイトルの『ユウネヴァアギヴミイユアマニイ』という曲があって、あの曲は、ザビイトルのドラマを感じさせるんだ。


 俺は音楽を結構語れるほうだと、思っている。でも声優も語れる。声優の演技も音楽、そうともみなせれる。

 ある日、幼馴染に、メールをしたんだ。その幼馴染は男だ。学校一で不良って感じに俺は認識していた。筋肉質で、ポテンシャル高そうって認識している。俺は、その幼馴染に、メールで、声優にハマっていたことがある、という内容のことを言った。すると、そのメールの返事が来ないんだ。きっと引かれたんだろうって思う。でも俺は、声優のこと、好んでいて、後悔はしていないというか、懐かしい思い出なんだ。数年前のこと、西暦2015年の中間を過ぎたあたりで、どんどんと世界の雰囲気がヤんでいき、俺はそんな時、ある声優と出会った。そこから、俺の新しいドラマが始まったんだ。


 声優のオタクしているもので、かっこいいのを見たことない。なら、声優オタクがイケメンなら、どうなるのか。と。

 俺は、自慢じゃないが、モテるほうだ。俺は、昔馴染とは思春期頃からほとんど会ってないから彼らは高校時代の俺や、その後もあったいろいろな何かを見たり聞いたりしていなわけで、知っていないんだ。でも多少は、知られていた……クラッキングで。

 俺は、2015年頃にも、クラッキングを受け、そこからクラッカーらに絡まれたということがあった。そのクラッカーの組織、それをつくったのは実は、幼馴染だった。

 俺をたくさんのクラッカーが狙ってくる。いつか、まとめて通報しようって、思う。

 俺は、エヌタウン、それ即ち、ネリマで、ある女と出会った。声優だ。名前は永瀬。西暦2016年春前のことだ。

 俺と永瀬は同世代で、その時熱心にアニメを見ていた俺は、これは話しかけないとと思い、永瀬に、声をかけた。

「ファンです。なんか枕営業とかの噂ありますけど、俺そういうの気にしませんし、変な噂、化粧取るとまるで別人で変とかそういう書き込み見てもずっとファンです。アンチレスも見たことありますが、そこで反発をするほどのことはしていませんけど」と言う俺。

 俺は、声優をアイドル視していない、外見が好きで、声優のファンだというのはいまのところは考えていない。俺は何回も、いろいろな声優の声を、抽出した。俺は、いわゆる声豚とされるのだろうか。

 中部地方出身の俺は今、ネリマで暮らしている。ネリマはいい場所だ。

 俺はネリマのラッパーに会いに行った。場所は廃工場。

 俺は、何年も年上のロスジェネのラッパーたちに、日本語ラップ愛を語った。

「Jラップって、過小評価されているって俺は思うんだ。世界レヴェルのネット大百科、ヰキペディア行っても外国語の記事はないからさ、アナタも、そしてあのイナヅマ家族ですらないんだから。イナヅマ家族のリノピーまじリスペクトしていて僕」と言う俺。

「俺たちも、日本語ラップは死んでるって思っているって話」腰まで届く長髪にオサゲをしたネリマのラッパーのボスは言う。

「いや、僕は死んでるとまでは言っていないですよ」

「でも俺たちには死んでるって話。リスペクトしてる先輩や俺の兄貴のミイザロックもいまはリスペクトない。時代のながれって話。ジェネレーションギャップ感じてるって話。最近はいくら情報ゲトってもつまらないって話」と言うネリマのラッパーのボス。話、を語尾にする癖がある。

「でも僕の中では終わらないですよ」と言う俺。嘘ではない。

 俺は、日本語ラップと声優を比べたら、声優のが好きだが、日本語ラップの、イケイケ感は、俺がまだ毛が肩ぐらいまでで伸ばしかけのころ、精力剤飲んでイケイケしていたあの感覚とダブり、好きだ。

「カモンメーン!」と言いながら、ネリマのラッパーのボスが、廃工場のエレヴェーターのドアをスウィッチを押して開けた。

 俺はいま廃工場の地下の巨大都市にいる。

 俺は思った。メガロポリス、と。

「ワッサーメーン!」とある男が市街地のほうからこちらに向かってきて挨拶。

「ワッサーメーン!アーイ!うん!アハッ」とネリマのラッパーのボスは言う。

「新入りか?、ヒッピーみたいな格好してやがる。ナーミー?」と先程の挨拶してきた男は笑って言ってきた。

「俺ヒッピーですので」と笑って言う俺。

「さっき、日本語ラップ、死んだって言ったが、ここでは死んでない、生きてるって話。そうだ、ここは、さっきまでいた世間で評価されないものが評価されている場所。でもそれは、見る目がないと違うって話。まあ言葉で伝わんないかもだから、それ」とネリマのラッパーのボスは言う。

「ここって、いったいどんな場所なんですか」と言う俺。

「全人種のヒト、そして人外もいる。みんなこっちのほうの世界こそが基準だって思っている」ネリマのラッパーのボスは言う。

「どうだ、オマエもこっちで暮らすか?」と先程挨拶してきた男は言う。

「いや、俺、今日、ある女の人と、出会って、それで……」と言う俺。

「なんだ彼女か」と言うネリマのラッパーのボス。

「まあ、はい」

「その彼女も連れてくればいいんだ」と言うネリマのラッパーのボス。

「いえ、彼女、声優なんで、ちょっとそれは難しいんじゃって」

「そうか、もう向こうで評価されたやつってわけか。だったらこっちではやる気になんねえのかもな、イージーモードすぎて」と言うネリマのラッパーのボス。

「かもですね、なので、一旦戻りますんで」

「ここでのことは言うなって話」と言うネリマのラッパーのボス。


 俺は、ネリマで永瀬の家で暮らす。

 声優の彼女がいると、アニメ見ていなくてもアニメのことに詳しくなれて、たのしいんだ。彼女が教えてくれるから。

 永瀬は、元々は、大のキモオタ嫌いで、ファンのキモオタに非常に冷たく接していたんだ。ちなみにキモオタとは、気持ち悪いヲタク、の略。

 演技上、永瀬の声は、低くないイメージがあるらしい。だが地声は低く、何かそのような実態も知れておもしろいんだ。

 永瀬はもう23歳だ。早い。ああ、早い。少し前までは10代の新人声優のイメージだったが。彼女のブームはまだ続いていくのか。

 今日は永瀬の誕生日だった。

 懐かしい。西暦2015年の冬と西暦2016年の冬。西暦2015年から西暦2016年までの間の雰囲気。あの頃は特別だった。あの頃、俺は、北米にいた。エステル・マッキーンという名前の女の家で、過ごしていた。

 永瀬は日本に放置して、北米へと行った俺。永瀬は声優意外の仕事もしていて忙しいのだ。

 エステル・マッキーンは、俺よりも8歳年下。俺はブロンドをバカだとは思わないが、ブロンドは脳みそがないとかいう言葉があって、エステル・マッキーンはエリートだから、脳みそがあるブロンドだ。

 エステル・マッキーンのような、Mc又はMacから始まる系の名字はブランド感を感じる。ザビイトルのメンバーのパウロ・マッカートニーのマッカートニーもそうだ。アイルランド起源のようだ。O’Brienと書くオブライエンとかもそれで、アイルランド起源系の名前はかっこいい感が出るのだ。ちなみに俺の母親の旧姓はスウィートマンだ。


 俺は、北米にいるわけだから、さらにヒッピー感が出た。

 ちなみに俺は、ヒッピーという意味を知らない。これは、ヒッピーを名乗るものとしてどうかと思う。だが単純に、平和を望んでいて、ロン毛してれば、ヒッピーでいいんだろうって、俺は思うんだ。


 何度も、俺は、俺と言っているが、俺は、世界に何人もいる。例えば、他の俺の話にしてみると、俺は遠地(しぎはた)。そして俺の女の名前は野遠(のとい)だがある日突然俺よりかっこいい男が現れた。久遠(くおん)、だ俺は突然申し訳なくなって、彼女から離れた。どうせあの女もあいつのことがスキなんダぁ。と。なら、俺の話に戻そう、俺は急に思い出したんだ、会長を。小学校、俺より5歳は上の、春井桃子生徒会長。俺が小学校6年生の時の世代のよりも、大人っぽく見えたその時の先輩ら、どういう差なのか、実際大人なんだろうか。


 昔は、オタク界のいろいろなものが、特別で、語っていても重みが感じれた。が、いまは、話題になるもののほとんどが軽く感じれる。軽い、つまり、ライト、オタク界でライトといえば、ラノヴェだが、俺はそういうライトのことを言っているわけではない。ラノヴェはべつにライトに書きたくてライトというわけではないと俺は思う。ただライト扱いされたからラノヴェなんだ、と。

 0年代、本当にオタク界は特別だった。俺は若い、でもその若さゆえに特別さがあった、とは違うんだと思う。俺より10歳ぐらい上の人になると、その辺のころのオタク文化を希望として見れていたのだと思う、希望でも、それは、新形態な希望であって、特殊すぎるものだ。

 90年代のオタク界はどうか。俺はまだその時生まれていないか、5歳以下程度ということもあって、なんだかはっきりとはわからないが、昔のアニメとかは見たりした、やっぱりオタク界は0年代こそが本当にオタク的だったんだって思うんだ、カクシン的に。

 オタクは気味悪がられることがよくある。だが、オタク界や2次元美的な文化が廃れることで得する人はいないとも思うんだ。

 2次元美学、俺はこれを何度か考え込んだんだ。2次元美、これは本当に特殊なもので、2次元への興味がかなりなくなったいまでも、まだ知らないいい絵師を気にしていたりする。

 俺は3次元派なんだ。昔一緒に2次専していたオタク仲間には、これいったらまずいかもだけど。でも俺は2次元の美を尊重するし、ラップの歌詞にも2次元リスペクトメーンって入れれるぐらい愛しているよ、いまでも、オタクをやってないと言ってもいいような今でも。

 それにしても声優を愛好して生活する日々の雰囲気は良い、なぜか昔の無垢な頃を思い出せる。結局オタク界で最後の思い出は声優だった。が、声優がオタク界を衰退させたとかは違うと俺は思うんだ、だって、誰かが、声優がオタク界を衰退させたんだと言ったから。声優はむしろオタク界の寿命を延長させたんだ、だからオタク趣味の最後のほうで俺は声優に目をつけ始めたんだと思うんだ。


 声優興味失せ始めてからは、朝ドラにハマった俺。いつも朝ドラ見ている祖父とそれで仲直りできそうか、と思っても、そうでもない。俺と祖父は似ていない、仲悪いんだ。まあ、朝ドラというか、朝ドラ主演の女優になんか関心持ったというか。でもさ、その女の子とは、それからすぐ興味失せて、結局声優のが影響力強いんだ。


 数箇月後、俺は、スーパーヒーロー。でもそれは、あの廃工場の地下から行った、未来的な都市ではのこと。俺は、前までいたあの世界では、学校や、ガールフレンドたちからしか人気者にはなれないんだ。男からはなんか敬遠されてるっていうか、嫉妬なのか知らないが、よく嫌がらせも受けたよ。だから、いまいるこの都市でも、嫌がらせはしてほしくないんだよって思うんだ。


 急だが、この世界の秘密を一つだけここで教えよう。この世界には包括的空間があるということを。

 俺は麻薬等の幻覚作用の起こりえるモノを使っていないのに世界に白い光の漏れた亀裂(短かったり結構長かったりとさまざまで、急に消えることや長くそれが見え続けてることも、ほら今も見えてるとかそういう具合に見える時は定まってない、きっと外側から神様みたいなのが開けているんだろう)が入るのを見るという経験を何度もしてきた。べつに目は悪くないほうでもあって変なものが目の前に現れたからとか目のゴミのせいとかでもない、寝ボケていたとかでもない。暗闇だからそう幻視したとかでもない。まあなんかの後遺症だと言われればそれまでだが(ちなみに事故したことはない)。その亀裂はより裂けば、外の世界に行けれるんだろう(外の世界って創作とかの設定の話ではないが)。

 ここは包まれた世界であり、ヴァーチャルのような空間であることを知っちゃった俺。だからってゲームのように暴れるとかは許されないぞ~。なんたってべつに人までそうとか言ってないしー、人がプレーヤーみたいなのとイクォールならそれはなんだってしていい的なゲームと違うというのと同じ。

 自分だけそこにいて閉じ込められてるとかではない。自分は実際に海外等に行ってもいるし、やはりこの世界はこの世界、というのは確認済みだとも言える。夢の話ではない、事実だ。


 過去の失態も特に問題ない、自分一人がヴァーチャル的な空間に閉じ込められていたという状況、これは、ある意味ハッピーエンドなのだろう、と俺は思ったんだ。少なくとも、俺は、それってだけだ。みんなもそう考えないと駄目だなんて言わないさ。


 頭が壊れたレディオになったようだ。その空間というものも、結局俺のただの妄想の話かもしれない。妄想も妄想だったと。

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