スクート2 ─ 首輪の誓約

 ──少女を喰らったその日から、我輩は給餌のオーダーもせず、猫庭にも赴かず、自室で穏やかに過ごした。

 当日の夜頃までは、その名を呼ぶと、彼女は腹の中で弱々しく動き、その存在を示していた。……生きたままの丸呑みは、いささか残酷だったかもしれぬ。





 5日ほど経ち、我輩の腹がすっかりしぼんだ頃。それでも、あまり食欲は沸いていなかったが……



「スクート」



 突然背後からかけられた声に、我輩は遂に来たか……と覚悟を決め、四肢で立ち上がると声の主と向き合った。

「……分かっている。我輩はいかなる罰も受け入れるつもりだ」

「いいや、お前は何も分かっていない」


 そう告げた学長は、肩まで覆うような長いグローブを右腕につけると、我輩の口をこじ開け、喉奥へとその腕を潜り込ませた。我輩は抵抗せず、されるがままに身を任せる。


「……カイ以外にコレをする日が来るとはな」


 はらわたを掴まれるような感覚が走ったかと思うと、喉から腕がズズズズと引き抜かれる。……と、引き抜かれた腕に牽引され、白い網に絡めとられた、緑のローブ、ポーチ、そしてタグ階級章が、我輩の口からずるりと吐き出された。我輩は喉に残った不快な感触に、ゴホゴホと咽せた。


 ……決定的な物証。


「我輩は、どうすればよいのだ……?」

「そうだな。先ずは──」











「お前は“食べ過ぎで寝込んでいた”ことになっている。いや、実際その通りか。皆、心配しているぞ。落ち着いたら猫庭に顔を出してやれ。……マルガリータに関しては、学園内では『里の都合で自主退学』した事になっている」



 我輩は訳が分からなかった。



「……罰は、ないのか?」

「そうだな……強いて言わせてもらうなら、学園のローブには高い防護式が施してある。このように、消化できず腹に詰まるだろう。作成のコストもバカにならない代物だ。できるならローブは脱がすようにしてくれ」


 そう言いながら、ローブをバサバサはた叩き、汚れを落とした。……形は保っているが、何箇所か穴が開いてしまったローブを見て、学長はハァ……と溜息をついた。


 ……我輩が生徒を喰らった事実は伝わっているが、それが咎められていない、ということのようだ。だが、何故だ?





「……お前は、自分の理性で欲望を制御している、と思っているかもしれないが」


 どこからか布切れを取り出した学長は、それを広げて敷き、汚れたポーチの中身をドバッとひっくり返した。ベトベトに汚れた物品を確認、選別する手を動かしながら、話は続く。


「それは勘違いだ。首輪の誓約は、それに背く行動を一切。従って、違反時のペナルティというものはそもそも存在しない。逆に言えば、は全て、誓約に背いていないという事だ」


 テキパキと選別するその手は、あっという間に物品を二分した。どうやら使える物と傷んでいる物に分けられているようだった。


「学園も一枚岩ではない。私はケモノによる間引き捕食も、淘汰テストの一環であると考えている。もちろん、お前の行いを快く思わない者もいるが……まぁ、あまり目をつけられないよう、程々にするといい」


 学長は傷んでいる物品の中から、ベチャっと湿ってくしゃくしゃな紙片の山を手に取ると、ポッと光らせて乾かし、パラパラと目を通す。


「知り得た情報をどう扱うかは、お前自身が決めるといい。話は以上だが、一つ、置き土産があった」

 学長はその紙束から、一枚を引き抜くと、我輩に差し出した。


「恐らく、最期にマルガリータが、お前の胃袋の中で “お前宛てに” 書いた手紙だろう。これも、どう捉えるかはお前次第だな」

 我輩が紙切れを受け取ると、学長は荷物をまとめ、開けたゲートから静かに出て行った。















 ──恐らく、紙の位置や向きを気にする余力は無かったのであろう。燻んだ銀色の文字は、紙の端に、ガタガタな並びで書かれていた。


 それはたった5文字の手紙だった。『たべないで』とは、一体何なのだろうな。既に喰われた者が、腹の中で書く内容としては、いささか可笑しい。

 我輩は人化すると、ポケットに手紙をしまい、鳴らない鈴を弾いて猫庭にゲートを繋いだ。







「あ、でかねこ先生!おかえり!」

「大丈夫ですの?にゃんこ達も心配してましたのよ?」

「先生のくせに食べ過ぎとかダセーぞー?」

「センセー!おにごっこ、しようよ!」

 わちゃわちゃと集まってきたグレードEの生徒たちを見た我輩は、この子供たちに対する認識がもはや大きく変わってしまった事を痛感した。


 これまでは、子供たちに食欲を刺激されつつも、誓約を守るために自制が出来ている、そう思い込んでいた。

 だが、何かしらの条件を満たせば、この小さくて柔らかな生き物を、腹の中に収めることが許されている。その事実を、我輩は知ってしまったのだ。


 胃を塞いでいた異物マルガリータのローブが取り除かれ、すっかり空っぽになった胃袋は、覚えてしまった獲物の味を求めるように、大きく音を鳴らした。


「先生、まだお腹いたい?」

「えー、じゃあまだ遊べないのー?」

「あら、お腹が空いたのではありませんの?」


「……皆すまない、我輩はまだ調子が戻っておらんのだ。明日には治るだろう。また明日遊ぼうな」

 心配した子供たち御馳走がギャーギャー騒ぐ中、我輩は自室へと逃げ帰ったのだった。



「成る程、『たべないで』……か。これはそういう事なのかもしれぬな」


 我輩は転がったままの空鍋とマルガリータからの手紙を、不用品入れのゲートゴミ箱を開いて捨て、鈴を弾いて給餌のタスクをオーダーしたのだった。

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