マジマ4 ─ 背信

 コウビ。ルーシアさんは確かにそう言った。




 ──落ち着け。あの後オレはちゃんと風呂にも入ったし、そもそもアレはもう3日も前の話だ。一体なぜバレるのか?……ケモノといえど、やはり女の勘というのは侮れないということなのか。いや、そもそもバレるも何も、やましい事なんかしていない……ルーシアさんには関係ない話だ。


 オレが逡巡していると、ルーシアさんはクルッと背を向けて、へにゃんと尻尾を垂らしながらこう言った。

「にゃーあ。私もマジマのこと狙ってたのににゃあ」


 ん?


「からかわないでくださいよ」

「いーや、にゃ。ツバつけとけば良かったにゃ」


 そういうと、ルーシアさんは再びクルッと振り返った──と同時に、背伸びをしながらオレの唇をペロンと舐めた。オレはたじろいで数歩下がる。


「ちょちょちょちょっと!ネズミ食った口でそんなことしないでくださいよ!」

 テンパって、苦し紛れに中々失礼なことを言い放つオレ。


「むむっ。今日はまだ2匹しか食べてないにゃ」

「いや、そういう問題じゃなくてですね……」


 今日がどうだとかではなく、そもそも普段からネズミを主食にしているケモノの口が……と思ったが、オレはグッと言葉を飲み込んだ。



 ──落ち着け。背中に当たった胸の柔らかな感触を思い出せ。そもそもオレがガキの頃から大体こんな感じの人だった。真面目に取り合うだけバカらしい。それに口は思ったより獣臭くなかった。歳だって一回り以上離れてるはずだ。クールになれ。オレは遊ばれてるだけだ。どうすればいいか考えろ。


 ……ごちゃごちゃだ。頭の中が乱雑に散らかる。不安、焦燥、怖気、混乱、そして欲望。オレは視線を足下へと落とすと、黙り込んだ。


















「マジマ」






 長い沈黙を破って。


「……大失敗して、もう自信なくなったかにゃ?」


 ルーシアさんは、いつもの無邪気な笑顔ではなく、真顔で。静かにそう言った。




 ──ああ、そうか。

 オレは心配されているんだ。これはルーシアさんなりの、不器用な励ましの形なのかもしれない。


「……」


 オレが返答できずに黙っていると、ルーシアさんはトコトコと見張り机に戻りながら、商品棚の隙間にいた人鼠を蔓生成の魔導術ルーシアさんの十八番で捉えて投げる。それを口でキャッチすると、コロコロと飴玉のように舐め転がし、そのままごくんと呑み込んだ。

 ルーシアさんのお食事ネズミの食べ方は、いつもこうだ。ネコは獲物を弄ぶのが好きらしいが、ネズミを生きたまま腹に収める残虐性は、正直ゾッとする。いっそ殺して噛み潰してやればいいのに。



 見張り机に戻ったルーシアさんは、ぺろりと口を拭うと、金属製の虫籠を取り出し、さっき作り出した蔓を蓋の上部にくくりながら口を開いた。


「元気でるとこ、遊びに行かにゃい?」

「……タスクほっぽり出すわけにいかないですよ。そもそもオレは謹慎中で外に出れないんで」


 オレは商品棚に並ぶポーションの埃を羽箒で払いながらそう答える。一方ルーシアさんは、虫籠を壁に掛けると、むぃーっと机の上に伸びをする。そしてそのままムニッと頰で机に着地すると、なかなか滅茶苦茶なことを言い出した。


「こっそり抜け出しちゃえばいいにゃ。グドラシエのゲートは、転送じゃにゃくて湾曲にゃのは知ってるにゃ?私にかかれば木に抜け穴開けるにゃんてヨユーにゃ。明日迎えにいったげるにゃ」


 抜け出せる?何をいってるのかピンとこなかったが……だけど、ルーシアさんならマジでできる気がした。

 イヤ、でも常識的に考えてダメだろう。今はおとなしく反省しているべきだ。


「バレたら絶対ヤバいっすって」

「うにゃにゃ。度胸ないにゃあ。口先だけエラソーになっても、中身は泣き虫のまんまにゃ。やっぱりマジマはマジマにゃ」


 ニヒヒ、と牙を見せて笑うルーシアさんに、オレはちょっとカチンときた。

「まぁ、後のことは心配しなくていいにゃ。最悪バレても、私に無理やり連れてかれたって言い訳していいにゃよ」

「……わかりました。そこまで言うんなら行きますよ」

「にゃー。ありがとにゃ」


 するとルーシアさんがちょいちょいと手招きする。何だろうと思い近寄ると、オレのタグがペシッと叩かれた。

 すると、謎の肉球マークマーキングがインポートされる。

「これで明日、部屋まで迎えに行けると思うにゃ。楽しみにしててにゃー」


 そう言うと、ルーシアさんは机に潰れたまま、ぐーぐーと寝てしまった。見張りはいいのかよ…と思ったが、鉄籠に付けられた蔓が自動でネズミ取りをしているようだった。……全部それでいいじゃん。










 日も暮れてタスク終了閉店時間になったが、相変わらず客は来なかった。今日も招き猫は仕事をしない。成果は鉄籠に捕らえられた鼠2匹と人鼠4匹だけか。


「ルーシアさん、もう閉店ですよ」

 軽く揺すって起こすと、ルーシアさんは、にゃむにゃむと目を擦りながら起きた。

 と、おもむろに鉄籠を壁から外し、ふわぁーーーっと大きなあくびをしたかと思うと、そのまま大きく開いた口の上で鉄籠をひっくり返して、ガサガサと振った。

 ポトポトとカゴの中身が全て口に収まると、ぱくんと口を閉じ、そのままごっくんと一呑みひとのみにした。……マジエグい。オレは哀れなネズミ達に同情した。


 ルーシアさんは、んんーっ、と伸びをしながら立ち上がると、するりと机に乗り上げながら、顔を俺の顔にずいっと寄せた。めっちゃ近い。そして意味ありげなジト目で、オレの唇に人差し指の肉球を当てながら、こう言った。


「明日はにゃーんにも食べずにで来てあげるにゃ。それならいいにゃ?」

 一瞬、なんのことか分からなかったが、オレはドキン、と意味を理解した。

 硬直して動けないオレを尻目に、ルーシアさんはオレの耳元に口を寄せて囁く。


「可哀想なマジマを、いっぱい慰めてあげるにゃ」


 そのままオレの耳をカプッと甘噛みすると、くるりと跳び退いた。そしてニヒッ、と無邪気な笑顔を見せると、テテテテと店から出ていったのだった。




 ──その屈託のない笑顔が、なぜかとても妖艶にめちゃエロく感じられた。

 オレはほんのり湿った耳に手を添え、高鳴る鼓動を感じながら、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。

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