いえない言葉

鳴原あきら

いえない言葉

「帰れよ!」

 あの時の安道の泣きそうな顔――なのに、何も言わずに帰った。

 ごめん、とも、さよなら、とも言わずに。

《あいつは嘘はつかない。けど、本当のことも言わないんだ。いつだって。だからもう、どうでもいい》

 だが、どんなにいらだっても、ベッドの中で思い出すのは、幼なじみの顔だけだ。


 小学三年の春、安道正幸と同じクラスになった。担任は凝ったことをやらせるのが好きなタイプで、八歳児に誕生日の遅い順に並べといった。だが、安道はそれを無視した。俺の顔をじっと見て、

「背の順の方がいいよ。僕の前に並んでよ」

 安道の方が少しだけ誕生日が遅く、少しだけ背が高かった。教室でも同じように並べといわれ、仮の席が決まった後、安道はこう囁いてきた。

「僕、端の席の方がいい。シモツキくん、みんなが気がつかないうちに、こっそり僕と変わってよ」

 親の遺伝か、片目の視力が急に落ちてきていて、言われたとおりにした方が黒板も見やすかった。だが。

「担任に何かいわれる」

「いわれたら、アンドーがわがまま通したっていえばいいよ。ほんとだから」

「わかった。あと、マモルでいいから」

「うん。よろしく、護」

 担任は何もいわなかった。

 それもそのはず、あいつは先手を打っていた。《怒ってないのに顔をしかめてるのは、よく見えないからだと思います。メガネをかけるほどじゃないみたいなので、様子をみてあげてください》と言ったらしい。

 それを知ったのは十年後の同窓会で、安道が、都合が悪いと来なかった時だ。担任曰く、

「霜月君と同じで、おばあちゃん子だったせいか、ボンヤリしてるように見えて、そういう気遣いができる子だったわね、彼は」


 安道の気の遣い方が好きだったかというと――あれは気遣いというより、自分の意思の通し方がうまいんだと思う。

「ごめん。明日、仕事が入った。えのすい、無理だ」

「そうなんだ」

 安道は一瞬、無表情になった。

 翌日の土曜、久しぶりに一緒に水族館に行く約束をしていた。ナイトアクアリウムの内容が入れ替わる最終日で、安道が珍しく「この展示、見てみたいな」と言ったので、久しぶりに二人で出かけるつもりだった。安道は水産加工の会社に勤めてるだけあって、海のあれこれに興味があったし、俺も最新の映像技術に興味があった。週末に、部屋に籠もってばかりも芸が無い。観光地デートも、たまにはいい。

「朝のバイク乗る番組さ、新しいスタッフが全然わかってなくて、パーツの選び方もアクセサリのつけ方もめちゃくちゃなんだよ。レンタルさせてるこっちは会社の名前が出るから、変なことされると困るだろ。いちいち説明してたら、霜月さん、現場で指導してくださいよ、って頼まれてさ。上司にも出張扱いにするっていわれて、断れなかった。撮影だから朝も早いし、何時に帰れるかわからないし」

「仕事じゃしかたないよ。早く帰ってこられたとしても、疲れてたら、遊びに行っても面白くないよね」

 だが、その顔に《二人で行きたかった》と書いてある。安道の誘いを断る時、いつも「先約は先約、それが最優先だ」と言っているのに、自分が守れないとは。

「護の名前が新しい特撮のエンディングに流れるのを、楽しみにするよ」

「出ないよ、そんなの」

「ああいうの、どういうバイクをカスタムしてるの?」

「オフロードだから、メインはカワサキ、あとスズキかな。ヤマハもいいけど、ちょっと違うっていうか」

「そういえば、あんまり見ないかな。あ、チェックしてくれっていわれた英語サイトの案だけどさ、あれって完全に国内向け? どのみち外税って明記した方がいいと思うけど、バイクって輸出税、どうなってたっけ」

 そのまま話をそらしてしまった。

 次の約束もさせない。恩にもきせない。たぶん、一人で行ったりもしない。そういう男だ。だからかえって、次は必ず一緒に行こう、と思わせる。あいつは頭がいいんだ。


 普段はおとなしいからとなめていると、とんでもない目に遭うことも知っている。

 休みの日、買い出しから戻ると、安道が前庭でしゃがんで、何通も手紙を焼いていたことがある。しかも未開封の。

「そんなところで火を焚くと、大家に叱られるぞ」

「許可とったから平気。少しならいいって」

「なんで焼いてる。それ、前の同僚からだろ」

 たしか安道が、比較的親しくしていた男だと思った。

「ちょっと喧嘩してね。オンラインの連絡先を全部つぶしたら、手紙よこしてきたから」

「何があったんだ」

「彼が、僕のこと要らないっていったから」

「それだけか」

「だから僕も要らないんだ」

 それは謝罪の手紙じゃないのか――という言葉はのんでしまった。安道は、誰かに助けを求められると骨身を惜しまないお人好しなところがあるが、おまえは不要だといわれると、黙って去って二度と許さない強情さも持っている。それを相手は知らなかったのだ。おそらくはストーキングさえさせない。絶対に会わないだろう。

「しかし、安道はモテるな」

「なんの話」

「こないだも、会社の女からもらったネクタイとか、部屋に放り出してあったじゃないか」

「あの人は寿退社したよ。相手は医者だってさ」

「その前も、なんだっけ、菓子をよこしてきた女。このアパートまで来たやつ」

「あの人も結婚したよ。相手は大学の先輩だったかな」

「そうなのか」

 待てよ。こないだ、うちの会社にレンタルの見積もりに来てなかったか――「安道さんのお隣に住んでるお友達って、貴方なんですね」と眩しげな上目遣いで見られた時、「なんだこいつ、俺たちの仲に気づいて見に来たな」と直感した。安道は自分では言いふらさないだろうが、恋する女は見抜いてしまう。そういう疑念を打ち消すためには、連れ出して抱いてしまうのも手だが、女はすぐに去った。諦めるために来たのかもしれない。それで正解だ。安道みたいなタイプは、普通の女じゃたちうちできない。

「モテるっていったら護だろ。カッコイイからね。こないだの会社のレースの写真、護の周りにだけ女子が群がってたよ。いい証拠だよ」

「心配なら、たまにはレース、見にくるか」

「護が下手をうつわけないから、心配してない」

 そういって俺を見上げた安道の顔は、微笑を浮かべているのに、本当に、こわかった――。


 でも、本当のあいつは恐がりなんだ。

 あの日、喪服を脱ぎながら、安道は深いため息をついて、

「叔父不幸だな、僕」

「おまえのこと、ずいぶん可愛がってくれてたんだっけ」

「二十四歳しか年が離れてなかったんだ。若いと病気の進行が早いって本当だね。イトコに叱られちゃった。なんでまあちゃんは、もっと見舞いに来ないんだって嘆いてたって。ずっと待ってたんだよ、ってさ」

「二回ぐらい、行ってなかったか」

「他の家族が行ってた時、一緒に行かなかったりしてたし……でも、あんなに元気だった叔父さんが、二度目の入院で、別人みたいに痩せてさ……見てるこっちが死にそうな気持ちになってきて……おばあちゃんが入院した時も、二回ぐらいしか行けなかったんだ。叔父さんが見舞いに行った時、マサユキかいって間違えて呼ばれたって怒ってたっけ。僕がもっと、おばあちゃんとこに行けばよかったんだよね。祖母不幸だ」

「安道、見舞いもそつなくこなしそうだけどな」

「だめなんだ。見舞いにいった方が喜ばれるってわかってても、大事な人の前だととりつくろえない。つらいのは、入院してる本人なのに」

「俺は」

「なに?」

「俺だったら、見舞いに来て欲しくないな」

「そうなの?」

「みっともないとこを見られる方が厭だ」

「不吉なこと言わないでよ。怖いから」

「怖いか」

「うん」

「……怖がらせないように、する」


 あんな約束、するんじゃなかった。


「安道さ。なんで俺なんかが、そんなにいいの」

 俺の腕の中で、安道は真顔で答えた。

「護から、たくさんもらってるものがあるから」

「何を?」

「ぜんぶだよ。護がいないと、息ができない」

「じゃあ、俺がいなくなったらどうする」

「どういうこと? まさか」

「医者にいわれた。後腹膜腫瘍で、診断が遅れたって。もう長くないって」

 安道は「ウソ」とはいわなかった。俺を疑うということを知らないのだ。

「臓器移植したら助かるとか、そういうのないの。僕、護のためなら死ねる」

 血液型も違うのに何を言ってるんだ、と腹がたって、

「俺のためを思うなら生きろよ。死ぬとか、ゆるさないからな」

「でも」

「おまえが悲しい顔してたら、俺は幸せになれない。なれるわけ、ないだろ」

「……わかった」

「安道さ、ほんと、俺のこと美化しすぎなんだよ。いいかげん、目をさませよ」


 すぐに部屋を引き払う準備をした。入院先も教えなかった。家族にも口止めした。

 安道を見舞いにこさせたくなかった。

 怖がらせないって約束したんだ。

 みっともない姿は見られたくないって言っておいたんだ。

 あいつは俺を一番わかってる。

 だからきっと、病院にはこない――はずだった、のに。


 ベッドの上の俺を見た時の安道の顔は、俺より先に死んでしまいそうなぐらい、生気がなかった。

 こんなとこに居させちゃいけない。一瞬でもだ。

「帰れよ! 見られたくないって言ったろ!」

 怒鳴るつもりじゃなかった。

 ただ、おまえのあんな顔を見たくなかったんだ。


 俺だって本当のことを言わなかった。いつだって。

 言ってもおまえが困るだけだ。

 最後までずっと一緒にいたいなんて、約束できないことも、言いたくなかった。


 ああ。

 帰りたい。

 おまえが待ってる部屋に帰りたい。

 もう一度だけでいい、笑ってる顔を、見たかった――。

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