2019年を総括するよ!

 はじめに、先のエッセイでFFⅥをやった人にしか分からない話を延々続けてしまったことに対し、深くお詫び申し上げます。ごめんね♡ ちょっと情熱がほとばしっちゃった。ケフカを愛しているから。


 さて、そろそろ今年が終わるらしいのですが、バイトやら何やらで今年の振り返りが出来そうなタイミングが今しかないのであと数日ありますが今年のまとめをしたいと思います。


 なんだかこれも面白い話題にはなりそうにもありませんが、これは私の日記なのでまぁそんなときもあるよね。今日は高菜を食べました。田舎ではこれをまんばと呼ぶそうです。豆知識も入っていてお役立ちエッセイだなこれは。


 さて、2019年はカクヨムを始めまして、しょっぱなから嘘をつきました、カクヨムを始めたのは2018年の12月なので、一ヶ月サバ読んでますね、まぁいいでしょう。


 エッセイのタイトルなどをさらっと見てみて、これが全部今年のことかと思うと驚きます。記録ってすごいな、来年も書けるときはちゃんと日記を書こう、と思いました土佐。そうか土佐か。大分変換の精度があがってきた。


 さて、書いたものをあげてみると、今年の初めは異世界バイトのお話を2月くらいまで書いていたのでしょうか? 正直まったく思い出せません。今確認したら4月18日更新とかってなってますね。また嘘をついてしまった。


 嘘というか、私には記憶がございませんので、私にとっては2月で終わっていたんです。2月で終わるはずだったし。実際には2月で終わらなかった、という不都合な記憶は消えました。


 でもあれはさ、一幕以外はプロットがなくて、そもそも一幕は完成された一つの作品だったので、すごく進行に無理があったよね。何も考えずによく頑張ったとおもうよ。実際、私はずっと「なんでこの人たち小説書いてるんだろう。意味なくないか?」と思いながら書いてましたけれど、カクヨムさんの講評(https://kakuyomu.jp/info/entry/wc5_rev_vol5)で小説を書いたところで解決にならなくない? みたいなコメントを頂いて、天啓を得ましたよね。意味ないな!


 でも書いているときはそれでなにかの解決になると思っていたんだろうなぁ。よく覚えていないけれど。忘れたっていうか、うーん、考えられてなかったんだろうね。

 書いている時は楽しかったことを覚えている。読者選考通ってて驚きました。みなさんのおかげ。心底ありがとうね。いつも応援ありがとう。


 で、そのあとは何をやっていたのだっけ?

 カクヨムさんの短編の企画で『鈴木くんのいない世界』と『合わない朝』を書いたんだったね! そうだそうだ。


 これはあれだ。なんだっけ? 鈴木くんの方は陽の方の手癖で書いて、兵士BL(と言い張る)の方は陰の方の手癖で書いたんだ。あまり推敲せずしゃんしゃんしゃーん! ってやったからとても楽しかった。


 鈴木くんの方は来年連作短編に出来ればいいなと思っていたけれど、本当に出来るのか? 出来ないような気がしてきた。という気持ちで今はいるよ。出来たらいいね。


 そのあとはあれか『かこいち、きゅうてい、あいしてる。』をカクヨムさんに上げた。これはpixivさんの「百合文芸小説コンテスト」に出して箸にも棒にもひっかからなかったやつだけれど、私にはすごく面白い。

 自分の書いたものをすごく面白いとかいうのは、ものすごく難しいけれど、これはなんといってもカクヨムさんのgoodレビュワーに褒められたものなので、自信を持って面白いといってもよいのです。


 百合しようと思うと人を殺してしまう、そういう悲しい性と来年からもなんとか折り合いをつけて、誰かを殺したり、生き返らせたり、なんかしていこうと思う。先輩と後輩が私は好きだ。


 これもたくさんの応援を本当にありがとうございました。私にはまだバレー部の呪いが強くかかっていますが、お話にしたことで、右腕一本くらい、呪いから逃れられたような気がします。右腕あったら結構いろいろ出来るもんね。


 で、そのあとに第十回本物川小説大賞に参加すべく『水母の骨』を書きました。今度は父親を殺してしまったね。悲しいね。

 これは、というかこれも手癖オブ手癖で一瞬も立ち止まらずに書いたので、とっても楽しかったな、という思い出。考えずに書くというのは気持ちのよいものですね。


 これは講評がものすごくためになって、こんなにためになることをしてくれる人たちがいるということにびっくりしたし、今もびっくりしている。よく分からなかった、という講評がすごくためになった。自分だとそこが分からないからね!


 それだけ参加してよかったな、という感じなのだけれど、一方でこれをすごくよいと言ってくれる方がたくさんいて、私はとても嬉しかったのでした。とても嬉しい。よいと言ってくれる人には、過不足なくすべて受け取ってもらえた感じがして、本当に嬉しかった。今も嬉しいよ。

 いろいろと方向性が見えてきたような気がしました。何年書いてんだよ、って話ですが、公開しはじめたのは今年からですので。人の意見、大事。


 いや、本当に、私の名前に入っている寅は山月記の虎なので。


 このままじゃ虎になるな、っていうかもう虎だな、とずっと思っていて。公開して人に意見を求めたりもしなければ、小説講座に通うわけでもなく、また熱心に小説を読んで勉強することもしていなかったので、まじで虎じゃん、しか今まで感想がなかった。


 大人になって、いろいろなことが出来るようになったなと思う。みなさん本当にありがとう。今、これを読んでいるあなたに言っています。本当にありがとう! いいですか? これを読んでいるということは、あたなは今私の書いた文章を読んでいるということです! どうです? すごいでしょ。なんかこわくない?


 直接話しかけられるのちょっと怖くないですか? 私は怖い。ちょっと怖くなってきたのでこの話はやめる。


 真面目な話、水母の骨は私自身がとても好きなので、というか、大きな日本家屋と残された娘と二階で死んでいる父親(あるいは二階に不在の父親)というモチーフが好きなので、これからも書くんだろうな、とは思います。


 ここで突然私の夢を話しますけれど、いつか一部のみんなには話しましたが、私の夢は小学校六年生が中学校一年生の栗山千明になって、変わり者の叔父である宮本浩次が一人で住んでいる大きな日本家屋に夏の間中遊びにいくことです。

 時代設定的には平成初期~中期くらいがよいですね。できれば1995年から1997年あたり。もしくは思い切って昭和後期かな? 何の話をしているんだ?

 

 と、あとは今、カクヨムコン5に参加している『ガールズ・アット・ジ・エッジ』を毎日更新しています。


 毎日「風俗嬢がボーイを殺して廃校でひと夏を過ごす話」と言って宣伝しているので、タイトルをそれと勘違いしがちです。楽しく読んでくれている人がたくさんいて私は心底嬉しいです!元気元気!


 視点一つで書くべきだっていうのはよく分かっているんですけれど、いや、その限りではないのでしょうけれども、他視点が好きなのと、主人公という不公平が好きじゃないのとで、すぐに視点を変えてしまう。でもそこがよいってみんな言ってくれたから! 私はこれでいいんだ!


 だってさ、芥川の藪の中とかみんな好きでしょ? 私も好きだし。芥川自身はあとからあれは微妙だって言ってるみたいだけれど、そんなことないよ! って芥川に図々しくも言ってあげたい。一緒にカルモチン飲もう! って言ってあげたい。


 全然関係のない話なのだけれど、私は小島政二郎の『眼中の人』という小説がとても好きで。端的に言うと、天才に囲まれて小説を書こうとする人間の苦悩のお話なんだけれど、というか実話? みたいな感じなんだけれど。


 その中で、芥川が一緒に旅行に行った菊池寛に「この睡眠薬めっちゃいいぜ」つって電車の中でおすすめした睡眠薬を、夜になって菊池寛が大量に飲んでしまい、らりぱっぱになるシーンがあるのですが。その時らりぱっぱ状態の菊池寛が源平盛衰記とヴェニスの商人(英語)を諳んじるシーンがすごく良いです。


 このインテリめ、と思いますよね。なりたいよインテリ。普通らりぱっぱな時は意味のわからない言葉を延々と繰り返すものなんですよ。それがシェイクスピアって。どういうことなんだ。好きだ!


 『眼中の人』は天才に囲まれる苦悩と、小説を書くということを真摯に、赤裸々に語っている小説です。きっとみんなに響くところがあると思うので、ぜひ図書館などで借りて読んでみてください。たぶん今岩波文庫は品切れ重版未定です。他は知らん。


 あれ? なんの話をしていたのか完全に忘れてしまったけれど、振り返ったらもう書くことはなかった。


 一応宣伝をしておこう。


 カクヨムコン5に参加しています。キャラ文芸ということで、いろんな女の子がたくさん出ます。私の大好きな女の子だらけなので、きっとみんなにも響くと思います。そう、そこのあなたですよ。今、この文章を読んでくれているあなた。でもあなたはきっともう読んでくれていますね。そんな気がしてきました。


 女の子とか、ガールズとか、侮蔑語として蔓延っている面もありますが。そういう面を含めての女の子、ガールズに対して、救われるとはどういうことか、救われているというその状態について、真剣に考えて書きました。


 私たちはずっと縁の縁にいて、そこから先にはいけないし、もちろん引き返せもしないので、じゃあそこで何をしようかという時に、歌って踊ってお喋りをする、そういう女の子が私は好きで、そういう女の子たちを書きたいなと思ったのでした。


 けれど、いつか私たちはその先へいくか、後に戻るかしなければいけません。必ず、何かを終わらせなければいけない。それでは何を終わらせるのか。その終わらせ方について、女の子たちがどういう選択をするのか、読んでいただけたらとても嬉しいです。


 もちろん、ここで言う女の子というのは男性も女性もそれ以外も含まれます。これを読んで、あなたが何かを思ったとすれば、それは私たちの中に、一部分でも同じ感情があるからだと思います。私は、あなたと同じ感情を持てて嬉しいです。気になったらぜひ、読んでみてください。読んでくれてるかもね。





 と、先日某アイドルのライブビューイングを見て、語りかけることの大切さを学んだ私は語りかけてみました。宣伝かよ、って思うかもしれませんが、宣伝です。

 ☆がつかないと読者選考は通らないと聞きました。わたしは、読者選考を通ってその後の選考も通らないと、意味がないと思っているので。苦手ですが宣伝してみました。


 書いたものにはもちろん個人的にはちゃめちゃな価値があるのですが、それは全く関係なく、大賞とって、私の書いているものに社会的な価値がつかないと、私は私が生きていることをよいことだと思えないので、そのための努力はしなきゃいけないんだな、と最近しみじみ思います。あれ? なんか変な感じになっちゃったな。いま気がついた。


 こんな感じにするつもりはなかった。2019年総じてハッピーだったねって話だよ。いろんな楽しいことあったからね。本当は読んだ本とか映画について語るはずだったのだけれど、今年自分の書いたものだけ語って終わってしまった。長くなっちゃってごめんね。


 たぶんエッセイは今年最後の更新になるかと思います。たぶんね。

 みなさんお世話になりました。また来年もよろしくね。2020年だって。こわいねー。一緒に生き残ろうね。それでは、また。よいお年を!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る