時間差セラヴィ

 本来ならばカクヨムコン5のあれが終わったね、みたいなあれそれを書くべきなのだろうし私もそのつもりだったのだけれど、生活がのっぴきならなくてそうできなかった。人生、人生。


 私の夢は劇作家になることで、一度大河に出た俳優さん(当事は若かったのでそのことがものすごい権威に感じられた)にどこかの劇団(忘れた)につれていってもらい、そこの演出家さんを紹介してもらって、本の読み方から教えてもらう、みたいなくだりがあったのだけれど、その演出家がほんの些細な出来事に対してなにかと「人生、人生!」と大きな声で言うので、こわ、と思って二回で逃げたのだった。


 思えば私の人生はそういう感じで、常にさまざまなものから逃げ狂う日々だった。言ってなかったし知らんがなって感じだろうし、恥ずかしくて隠しているから知らんでいいのだけれど、私は日々「高卒だから」という言葉でうち沈んだり飛び跳ねたりしているが、実は高卒ではなく(マジの詐称)舞台系の大学に通っていたことがあるのである。3日か4日で舞台を志す人間特有のぐいぐいくる感じに、こわ、となって精神に異常をきたしそのまま退学したのだ。残ったのは奨学金の借金と病気と無職という人生の暗部だけであった。完。


 昔から大勢の人間で何かを作ることに非常にあこがれており(小さいころの夢はテレビのスタッフだった)中学と高校で自分の作った話を人が演じる楽しさに味をしめ、劇作家、あるいは舞台関係の何者かになる、というのが私の確固たる夢だった。今でも夢というのはそれだけだ。


 しかし私には人間と何かを作り出す才能が圧倒的に足りなかった。


 なりたいものの才能がないというのは、酷くもの悲しい。存在そのものを揺さぶるもの悲しさだと思う。けれど、生きれば生きるほどその才能がないということがはっきりしてくるので、ちょっと面白くなってきたりもする。まったくもって大いなる悲観は大いなる楽観であり、藤村操は頭と勘がよかったのだなと思う。


 どんな才能がないのか、という点においてはいくらでも言葉で出てくるけれど、なによりもまず、自らの思い描いたことを口で人に伝える能力がなさすぎる。それに人に「こうしたほうが良くない?」とか言われると、思ってなくても自動的に「そうだねー」と言ってしまう。言語的からくり人形なので。


 人と物を作るということは、ある種の妥協、というか妥協に至るまでの徹底的なコミュニケーションが絶対必要なので、一回野生のヒグマかなんかに産まれてから人間に産まれ直しでもしない限り私には無理なのだ。思い描いたものと違う方向に突き進んでいくのを、うんうん、と納得出来るほど業が浅くもないからストレスで死んでしまう。


 けれどなぜこの話をし始めたのか全然思い出せない。あ、そうだ。人生、人生、という怖い口癖が時を経て自分に移っているのが怖かったからだ。


 みなさん、恐怖症ってもってます?


 なんか急激に舵を切り始めましたけれど、わたしは結構恐怖症があり、というか大体の刺激は怖いのだけれど、たとえば群衆とか巨像が怖く、その中でももっとも深く如何ともしがたいのが死であり、つまり死恐怖症、格好良く言うとタナトフォビアというやつなんですけれども。恰好いいよねタナトフォビアって。


 昔から、特にお風呂に入っている時にふとした瞬間自分の「存在」ということを考え、というか考えるということなく存在ということの絶大さと曖昧さに対する感慨突如としてが襲ってきて、自己から自意識がどんどん離れ恐怖のあまり叫びだしてしまう、ということが度々あり、もしかしたらいつか治るのかな、と思っていたけれど治る気配がまったくなくて困っている。


 叫ぶというのは意識を人間本体にを引き戻す時にわりと有効なのだ。離人症の気があるんだなー。


 今この話をしながら私が正気を保っていられるのは、文字を書いているからで、本当に文章を書くということは、私にとってはものすごくよい治癒であった。あの時保険の先生が「日記を書きなさい」と言ってくれなかったら、いまごろ壁に頭を打ち続け続けていただろう。なぜ二回続けたのかしら。続けているのだからもう続けなくていいのだよ。


 痛みというのも、意識を肉体に引き戻すのに有効だ。ライフハックでもなんでもないけれど。


 さてところで、親戚が危篤になり私はここ一週間くらい実家で一人で過ごしていた。

 一人で大丈夫かとめちゃくちゃに言われて、いやいや、もう大人だから、とその時は思ったけれど、どう考えても大人ではないから心配されているのであり、そのことについては今や全く反論の余地はない。


 結局昨日、亡くなってしまい、私は本当に自分が薄情であることにげんなりしちゃったりして、でも頑張ってあじの干物を焼いたり、メダカの生存を確認したり(確認できなかった)して、どうにか生きていたのであった。私にはそこにいくお金がなく、来なくていいよとも言われたので行かなかったのだ。


 なぜ来ないのかとあとで別の人に言われて一人でじっと壁の木目を眺めながら泣かないように耐えていた。一人なのに泣くのを我慢して何になるのだろうと思ってもっと悲しくなったけれど我慢した。


 強い力が欲しい。


 なにも好き好んで弱い人間でいるわけではないのだ。私はいつだって強くなりたいし、そのために筋トレだってするし、本だって読むし、今ここで敵が襲ってきたらというシュミレーションだって毎秒している。けれど筋トレで具合悪くなるし、本読んで頭痛くなるし、敵どころか家鳴りに驚いて眠れないのだ。


 ああ! 人生、人生!


 と、やはり言ってしまうので、あの演出家には悪いことをしたと思う。あと今日の日記はマジで目的なくオチもなく何もないので本当に何もなく終わってしまう。ごめんな。カクヨムコン5が終わってしまうので、それについて何か言ったり、あと色々読みたいと思うけれど、調子が安定しなくて困っちゃう。まじ困る。


 そんなわけで、なにごともなく本当に終わるね。今回の日記に()が多いのは昔は何かと()を使う文章を書いていて、それの揺り戻しである。


 何かこう、全人類にいいことがあるといいな。祈り。

 おやすみー。

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