ラブソングは始まらない

葵ねむる

ラブソングは始まらない

 ラブストーリーは突然に、とはよく言ったもので、はじまりは突然訪れた。


「あの、すみません。オネーサン、大学生ですか?」

 バイト終わりに雑貨屋でぼんやりと商品を眺めていたところで突然声をかけられたのがすべての始まりだった。視線をずらした先にいたのは見知らぬ男性である。

「…えと、」

「あ、突然すみません。怪しい者じゃなくて。…って、もう充分怪しいか」

 困惑した表情だったのであろうわたしに対して、肩をちいさく揺らして人懐っこく笑ってみせたそのひとは、目がくりっとしていて黒目の大きいひとだった。チワワみたい、と心のなかでそっと呟く。


「女友達の誕プレ考えてたんですけど、もう、こういうのほんとダメで。女子大生って何が欲しいのかな。よかったら、聞かせてくれませんか」

「…はぁ。わたしで、よければ…はい」

「やった!ありがとうございます!」

 ぎこちなく頷くとすぐに彼は満面の笑みを浮かべた。表情豊かなひとだ。喜怒哀楽それぞれ1つずつを取ったとしても、いくつも表情を持っていそうなひと。そして、同じ大学にいて同じキャンパスを歩いていても、きっと馴れ馴れしく肩を叩いたり携帯のちいさな画面に収まるように顔を寄せ合って写真を撮ったりする間柄にはならないであろうひと。



 まるでデートみたい、という言葉は心の中に留めておいて時々肩が触れるほど近い距離であれこれと雑貨を見た。真剣な顔でプレゼントを選ぶ彼が友達思いだとよく伝わる。


「おすすめしてもらっちゃったし、これにしよっかな!ありがとうございます。

 あ、もしよかったら連絡先とか聞いても、いいかな。俺このあとバイトで時間ないんだけど、今度いつかお礼させて。」

「え、いや、そんな大したこと、」


 してないので、と慌てて立ち去ろうとして、…足が止まった。綺麗な黒目に捕らえられてしまう。

「オネーサンがもし迷惑でないのなら、いつかお茶くらいよければ。それとも、こんな怪しい男だめかな。」

 ふにゃりと垂れた眉と大きくて黒い瞳がずるいほどにこちらをまっすぐ見ていた。

「や、そんな…」


 そうして誘導されるがままにわたしは携帯を取り出してLINEを開いた。新しい友達、に【リョウ】が追加される。


「…リョウ、くん?」

「そう。あ、上の名前は佐藤っていいます。よろしくね。美紗子ちゃん。」


 じゃあ俺そろそろ行かなきゃ。ありがとうね。


 そう言って満面の笑みでリョウくん、がレジに消えていくのをぼんやりと見送った。きらきらした笑顔に、さらりと足された「美紗子ちゃん」の呼び名。眩しくて、目がチカチカしてしまいそうだ。こんなの、まるで少女漫画、みたい。



 これだけでも充分なほどに少女漫画のようだったが、話はこれだけで終わらなかった。


 その日のうちに夜「今日はありがとうございました!いつが空いてる?よかったらお茶しましょう」と連絡がきて、私たちは再び同じ雑貨屋で会った。リョウくんは同い年で、近くの専門学校に通いながら美容師を目指しているらしい。気さくで、異性と話し慣れないわたしに話を合わせてくれるおかげで珍しく長話をしてしまう。帰りぎわにはまた次に会う約束をして、また待ち合わせは同じ雑貨屋。そんなことを数回重ねて、だんだん自分でも彼に惹かれていくのがわかった。

 私なんかとも楽しく話をしてくれて、「美紗子ちゃんと話してると時間経つのめっちゃ早い。俺たち合ってるのかも、ね?」なんて、そんなことを言ってくれるひと。歩くときはいつも車道側を歩いてくれるし学校帰りで荷物が多いときはさりげなく荷物を持ってくれるひと。彼の慣れない女の子扱いが照れ臭くて、でも嬉しくて仕方がない。いつのまにか次に会う日が楽しみで仕方がなくて、前日の夜は念入りにケアをするようになって。…ようするに、すっかり好きになってしまっていたのである。


 そんなゆっくりとしたペースでの関わりが始まってもうすぐで3ヶ月が経とうとしていた。会うたびに好きだなぁ、と思うのに自分からは告白する勇気もく、最近は帰ってから今日言えばよかった…と頭を抱えることが増えている。今度会ったら好きですって言おう。だってカフェだけじゃなくてもっといろいろなところに行きたいし、特別な存在になりたいから。たまたま声を掛けられてそこから仲良くなって、なんて運命みたいだ。そう信じてやまなかったのに。





 ある日同じようにいつもの雑貨屋で待ち合わせていつもと同じカフェに向かって、そこではじめて異変に気付いた。いつもの席に知らない男性がひとり腰掛けている。リョウくんはその人を見つけるなり、お待たせ、といつも通りの人懐っこい笑顔で手を振った。


「リョウくん、」この人は、と聞こうとして机の上を見て、一瞬にしてすべてを悟った。

 見慣れたお店のコーヒーカップ。端に飾られた造花。そして、【あなたも簡単に稼げる!】の文字が踊る紙を挟んだ、クリアファイル。



 うそだ。



「美紗子ちゃん、紹介するね。この人は俺の先輩で、」「リョウくん、」

 咄嗟に彼の腕へと伸ばした手は、さらりと交わされた。彼の目がこちらを捕らえる。出会った日から変わらない、おおきくて綺麗な黒い瞳が、今は吸い込まれそうなほど黒いそれに見える。彼がゆっくりと一歩こちらに近付いて、わたしの耳元で囁いた。


「俺のこと、好きになったんでしょ?一緒に楽して幸せになろうよ」


 いつもと変わらないやさしい声だがそれは冷えきっていた。ヒュッと喉の奥で音が鳴る。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。




「お客様、ご注文は」

 店員のその言葉に弾かれるようにして慌ててその場を離れた。後ろも振り返らず走る。人通りの多い駅前まで走ったところで、息を整えながら携帯を開く。通知がひとつ。読んだ途端、心臓を一気に刺されたかとおもった。差出人はリョウくん。そこにあったのはたった一言だった。




「初めて見た時、もうすこし馬鹿な女だと思ったのに」




 運命に見せかけて実は最初から詐欺に引き込もうとしていた。悪いひとだったんだ。最初からそのつもりで話しかけたんだ。今でも浅い呼吸が整わないほどに恐ろしいことだったのは分かっているし縁を切る以外の選択肢はない。もうこれ以上関わるべきではないし、なによりきっともうわたしは用済みだろう。わかっている。わかっているのに、それでも心が苦しい。これまでの数ヶ月間がすべて崩れ去ったようで。あたたかくやさしい気持ちがすべて偽物だったみたいで。カタカタとちいさく震える肩を自分で抱き寄せる。怖かった。知らない人みたいだった。


 それなのに、ほんとうにばかだ。半泣きで走って必死に逃げながら、それでもなお、わたしにお金があればあなたのことを幸せに出来たのかな、なんて考えてしまったなんて。ほんとうにどうしようもない。だって本当に好きだとおもった。運命なのかもしれないとすら感じた。だから、でも、だからこそ。


 ラブストーリーは突然起こらない。華やかなオープニングも可愛いテーマソングもそこにない。そこにあるのは、嘘みたいに眩しい偽物だけだった。

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