その5

 大男との戦いの終わると、見計らったかのように兵士が集まってきた。そのさまは、男を殺したことに抗議する群衆のようで、誰も彼もが語気を荒げている。



(……この人数を一度に相手にするのは、さすがにマズいわね)



 さすがの少女も焦りを抱かざるえなかったのだろう。

 矢庭に取り囲む兵たちの合間をすり抜け、広場の外へと向かってひた走る。目指す先は、この街の入り口だ。

 そこで仲介屋の少女と落ち合う手はずとなっている。しかし、予定通りに行くはずもなく、後方からは追っ手の影が迫っていた。

 さらに前方の逸れた道から別働隊が現れる。

 もはや完全に挟み撃ちの状態。

 脱出を試みることは、不可能と思われた。

 けれども、少女が気に留めることはなかった。むしろ、幾人もの兵たちが無数の剣や槍を手に立ち塞がった道を全力で駆けていく。

 その様は、まるで曲芸師のようである。兵の頭を飛び越えたり、股の間をくぐり抜けたりして自ら突破口を切り開いていく。

 それでも立ち往生しそうな状況に陥ると、少女は群がる兵に刺し傷を与え、その街路に鮮血をまき散らした。

 またたく間に通りが緋色に染まる――。

 そんなものを見せられて、おののかない者などいるだろうか?

 日頃から鍛錬を受けている兵たちですらも、その動きを止めて目前に広がる光景に畏怖していた。

 反対に少女が好機とばかりに、進路上にいる兵士だけを殺して逃走を図ろうとしていた。

 できるだけ居場所を特定されなくするためか、とっさに狭い裏路地に入ってジグザクと道を曲がり始めた。

 ところが、その目論見は外れてしまう。

 少しだけ道幅の広い通りに出ると、左方から現れた兵衆と鉢合わせになる。とっさのことであったが、少女は身軽な身体を生かして飛び上がって衝突を避けた。その際、兵士の頭を踏み台にしてしまったが、さしたる問題ではないだろう。

 別の大きな通りに出て、ひたすら集合場所へと急ぐ。



(……事前に聞いていたよりも、兵士の数が多い。まるで、迷宮の奥にひしめく魔物の群れのようね)



 と心底で感想を漏らす。

 少女が考えるとおり、兵たちはどこからともなく現れた。



「……まったく。帰ったら、報酬をふんだくらなきゃ」



 煩わしさに思わず、小さな愚痴をこぼす。

 その矢先――。

 ヒュッという羽音が耳元をかすめた。それは、遠く離れた建物の屋上から放たれた矢であった。

 間一髪のところで外れたものの、喰らっていれば顔面に直撃していたかもしれない。

 畏怖するものはあった――だが、それだけだ。

 少女は、弓兵の存在に注意だけ向けて全速力で街の大通りを駆け抜ける。ところが、さらに別の分隊が行く手を阻んだことで立ち往生をせざるえなかった。



「見つけたぞ、暗殺者!」



 しかも、その中には他の兵たちとは違う威勢のいい強者つわものがひとり混じっていた。

 明らかに腕の立つその男は、ボサボサとした金色の髪をたなびかせ、片手に剣を持ち、もう一方には盾を備えている。さも一人前の騎士のような出で立ちは、抜きん出た実力も相まって一党の先頭の大将格であることが容易に理解できた。



「なるほど。あなたが兵隊さんの隊長ってワケね」

「その声、女か?」

「だとしたら、お茶にでも誘ってくれるのかしら?」

「仮面を剥いで、大人しく投降したらな。もっとも行く先は地獄だが」

「残念。もっとステキなところだったら良かったのに」



 と、幕間の無駄話にふける。

 しかし、男は長く付き合うつもりがないのか、「突撃」と叫んで剣を少女に向かって突き立てた。

 途端に男の背後にいた兵たちが槍を持って向かってくる。

 チラリと後方を一瞥すると、同じように武器を持った兵士たちが退路を塞がんと駆けてきている。

 もう逃げ場はない。

 にもかかわらず、少女は動こうとはしなかった。

 それどころか、全身の力を抜き、一方のナイフを天高くかかげ、もう一方のナイフをダラリと降ろした左手で添えるように握る。

 さらに顔を左下方に向け、目を瞑った状態で差し迫るいくつもの鉄靴の音に耳を澄ませていた。

 1秒、2秒、3秒……と時を刻む。

 やがて、先頭集団から突出した兵の一人が眼前に到達した。その手には、長槍が握られており、槍先はいまにも少女の腹部に突き立てんとしている。

 ――が、その尖った刃がたおやかな乙女の柔肌を穿つことはなかった。

 なぜなら、少女がそのひと突を軽々とかわしてしまったからだ。

 即座に順手で持った右のナイフを鎧の継ぎ目に挿し込む。そして、首に巻かれた革製のゴルゲットごと切り裂いた。

 途端に兵士の身体が少女にもたれ掛かるように倒れ込む。

 少女はとっさに左に避けて、さらに後方からやってきた兵士の槍をかわす。そして、鎧のスキマから急所めがて一撃を放った。

 さらに別の兵士の眼を兜越しに穿ち、また別の兵士のブレストプレートと腰当てを繋ぐわずかな隙間にナイフを突き立てる。

 その一つ一つの所作は、まるで人混みで一度もぶつからずにキレイに避けているかのようだった。

 代わりに起きた出来事といえば、少女がすれ違う兵士をいとも容易く殺してみせてたことと、大勢の兵士の間をすり抜けたことだった。



「バカなッ! 20人はいたんだぞ!?」


 

 兵隊長のたもとに達すると、そんな絶望にも似た声が叫ばれる。

 少女の異能とも言える殺しのテクニックを見せられては驚かない方が無理があるだろう。

 当人は手元に握ったナイフが刃こぼれしていることを気に留められるほどに冷静だった。

 刹那、強い風が通りを吹き抜ける。

 そのせいで、少女が被っていたフードが脱げた。途端に血の色と同じ長い赤髪があらわとなり、男の前にその容貌の一端が晒される。



「ダメね。切れ味のいいナイフだったんだけど、もう使い物にならないわ」


 と言って、両手のナイフを投げ捨てる。

 それを見て、若い男は長剣を握る両手をわなわなと震わせた。



「ば、化け物め……」

「ヒドいなあ。これでも麗らかな乙女なのに傷ついちゃう」

「あれだけの人数の兵士を殺しておいて、なにが乙女だ!!」



 激昂する男を前に、少女は「顔を見れば美少女なのに」と自惚れるようなことを言う。しかし、顔はしっかりと仮面に隠されており、それを確かめるすべなどなかった。

 男が長剣を携え、少女へと迫る。

 だが、瞬時に放った上段からはアッサリと受け流された。

 次に放った下段からの攻撃も、首筋を狙った鋭い突きも、少女の曲芸のような身のこなしであっさりとかわされてしまう。

 さらに数撃繰り出してみたものの、まったく当たる気配はなかった。

 攻撃が止んだと感じたのか、少女が1回、2回……とバク転で後方へ飛び移り、男との距離を取る。

 そして、その足下にあった長槍を手にするとその矛先を男に向けた。



「これで終わりかしら?」

「舐めやがって!!」



 感情を剥き出しのまま、男はさらに攻撃を加えようとする。

 しかし、長槍を携えた少女の前では無意味だった。なぜなら、彼女の放つリーチを生かした攻めが男の突進を阻害していたからである。

 反対に何度も突きを放たれ、防戦一方となる男。



「くそがぁあああああ~ッ!!」



 その苦悶にも似た叫びには、少女への私怨が込められていた。

 どうにか隙を突いて上段からの一撃が放たれる。その一撃は破れかぶれの一撃で、半ば飛びかかって少女の頭部を一刀両断しようとしていた。

 ――が、その刃は届くことはなかった。

 とっさに鋼と鋼がぶつかり合い、甲高い音を鳴らす。

 少女が持つ槍の切っ先が、男の長剣の刃を防いだのである。まるで薄布のようなわずかな槍先で防ぐなど狙ってできることではない。

 しかし、少女はそれを平然とやってのけた。

 驚いて声にすべきところだが、男は剣を弾かれた勢いで身体を後方へと崩しつつあった。

 さらに少女の一撃が矢庭に男の頭を狙って穿うがたれる。

 しかし、両腕を上げたまま崩れ落ちたことが幸いだったのか、男が落命することはなかった。

 少女が放った長槍の尖端は、右の二の腕と脇の中間あたりに突き刺さる。

 瞬時に刺突の痛みと地面に殴打された激痛が男を襲う。またたく間にうめき声があがり、男の敗北はもはや決定的だった。

 不意に一頭の走る馬の足音が聞こえてくる。

 その馬は目の前までやってくると、背中に小さな身体の別の少女がまたがっていて、男と対峙する少女を迎えに来たようだった。



「おっまたせ~♪」

「遅い。ずいぶん時間が掛かったじゃない?」

「しょうがないでしょ? 誰かさんが派手に暴れちゃってくれたもんだからさ」

「御託いいから、早く逃げるわよ」

「了解!」



 殺戮の場には似つかわしくないガールズトークのような軽やかな会話がなされる。

 男はそれを聞いて、わずかに残る気力で半身を起こして仮面の少女を制した。



「ま、待て……ッ!! 逃げるのか?」

「依頼は完了したわ。アナタを殺す理由はもうない」

「ふざけるな! ここまでされておきながら、生き恥をさらせと言うのか!?」

「アナタがそう思うなら、そうなんでしょうね。でも、戦場で生きているっていうことは、とてもラッキーな事よ」



 少女はそう言うと、幼げな少女がまたがる馬に飛び乗った。

 そして、またたく間にスピードをあげて、倒れ伏せる男の元を離れていく。

 長居は無用――そう語っているかのようだった。

 しかし、残された男にとっては、それで気が済むはずがなかった。

 去りゆく馬に向かって、恨みの言葉が叫ばれる。



「どこまでも、どこまでも追いかけてやるからな、赤髪あかはつ!!」



 落陽が遠景を朱色の光で覆う。

 まるでヴェールのような夕焼けは、ふたりの少女を赤く照らしていた。駈けていく馬は、徐々に小さくなり、やがて陽炎の彼方へと完全に消え去る。

 こうして、私欲におぼれた司祭は殺された。

 後日、それは『赤髪の暗殺者の手による者であった』と国中に知れ渡ることとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落書き#参「赤髪の暗殺者は落陽に消えゆ」 丸尾累児 @uha_ok

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ