その4

「き、貴様ァーッ!! よくも大司教様を!!」



 神殿騎士とおぼしき男らが突進してくる。

 相手は2人。

 サイドから挟み撃ちにする算段なのだろう。少女は両者をいちべつすると、切っ先が刺さるか刺さらないかのギリギリところでジャンプした。

 残された槍は獲物を取り逃がして、虚しく十字の紋を刻む。

 一方、少女は軽々と宙返りしてみせた。キャシャな身体は、舞台中央からそのまま頭を下にして落ちてく。

 先に付けられたのは両手だ――。

 五点着地を行って、右方に身を転がす。それから、すぐさま起き上がって、腰の短剣を左右の手に1本ずつ携えた。

 刹那、ボスッという音と共に灰色の煙が上がる。

 煙は焚かれた発煙筒の筒の中から放たれ、モクモクと立ちこめて次第に視界を奪い始めていた。



「信徒たちよ。ここから早く逃げるんだ!」



 不意に誰かが叫ぶ。

 それは、兵士によるものだろう。少女がその声に周辺を見回すと、すでに煙幕が濃い霧の如く視認できなくなっていた。



「いたぞ! ソイツを捕まえろ!」



 さらに自らの影を追って、新手とおぼしき神殿騎士が味方を引き連れてやってくるのが見えた。

 しかも、勇敢にもこの煙幕の中で立ち向かおうとしている。

 数が多ければ逃げられない――そう判断した少女は混乱する民衆の中に身を隠して、一目散に逃げることにした。

 逃げ際、1人の騎士が槍を水平に構えて突撃してきた。

 少女は身につき刺さろうとする一撃を左手に携えたナイフで跳ね上げ、攻撃の軸をずらした。

 それから、すばやく時計回りに反転して兵士の頸椎部を右から突き刺す。

 すると、兵士は呻き声を上げ、事切れたように地面に倒れ込んだ。さらに襲い来る別の兵士の影が煙幕の中に映り込む。

 少女は、その姿を視認すると、戦闘をなるべく避けようと逃げ惑う群衆の中に身を隠した。

 一緒に逃げることでその姿を捉えにくくするためである。



「くそっ!! ヤツはどこに行った?」

「信徒だ――信徒たちに紛れて逃げたんだ」

「まだ近くにいるはずだ。徹底的に探せ」

「「「「ハッ!!」」」」



 どうやら、つわもの共は少女の姿を見失ったらしい。

 必死になって探し回っている声がここまで聞こえてきた。見つかってはなるまいと、少女は紐で縛っていたフードを被り、できるだけ顔を隠してやり過ごすそうとした。



 ――が。



「みぃーつけた!」



 刹那、少女の頭上から不気味な声が聞こえてくる。

 晴れていた空は突如として陰り、少女の直感をも左右する。それがきっかけだったのか、少女は顔を上げて一瞥すると飛び上がって右方へと避けた。

 激しい衝撃と共にさっきまで立っていた地点が大きく陥没する。

 同時に石つぶてが舞い、周辺へと飛び散る。

 そのせいで、逃げようとしていた民衆の胸や背中、頭部などの身体にその破片が当たり、傷を負わせることとなった。

 当然、致命傷に至った者もいただろう。

 しかし、陥没を作った大男は謝ろうとはしなかった。むしろ、巨人の武器と言って差し支えない戦槌を地面に叩き付けたまま笑っている。

 まるで巨大なブタだ。

 顔は醜く、体からは度しがたいニオイを発し、口許からはごちそうを見て喜んだかのように垂涎している。

 男はおとぎ話のオークの如く、少女を見下ろしていた。



「オマエか。大司教を殺したヤツは」



 うめくような低い声が発せられる。

 それに対して、少女は男をじっと見つめた。

 なんの一変の感情も、なんの迷いすらもない。あるとすれば、男を憐れむささやかな微笑――。

 少女は、唯々殺しの対象として、その手に握った2本の刃を男に向けていたのである。



「どうだっていいじゃない――そんなの」



 その一言と皮切りに男が襲い来る。

 相手は、巨躯を生かして大物を振るう野獣。それに比べて、少女は身体が小さく、まるで象に立ち向かう子犬のよう。

 だが、少女は臆することなく、男の足下へと向かっていく。



「バカめっ! オレが巨漢だからと言って、足下に入るなんざ猿知恵もいいところだ!!」



 男は、それを待っていたかのように巨大な戦槌を振り上げた。

 巨体に併せて作られた戦槌は、その大きさもさることながら威力も強大。それゆえに少女が男のフトコロに踏みいる余地などなかった。

 その間にも、石畳が割れ、破片があたりに飛び散って被害がおよぶ。

 ある信徒は背中に石畳の破片を喰らって押しつぶされ、また別の信徒は後頭部に巨大な岩塊がのし掛かって圧殺されてしまった。

 そんな惨状の中、少女は寸前のところで足を止め、後方に飛び上がって戦槌の一撃から逃れていた。

 このままではラチがあかない――そう考えたのだろう。

 またたく間に切り返して、前方へと飛び上がる。それから、みたび振り下ろされる戦槌を回避して、男の巨躯きょくをまるで坂を上がるように上って見せた。



「このアマぁ!!」



 自らの一撃を避けられ、あげくよじ登るという屈辱に男が叫ぶ。

 すぐさま身体をひねって、首元に至ろうとする少女に戦槌を打ち込もうと振り上げる――が、そこには少女の姿はなかった。



「なっ! いったいどこに!?」



 視線をよじ登られた右腕の方に向けるが、やはり少女の姿はない。同様にあたり一面を探してはみたが、まるで煙のように消え果てていた。

 だが、次の瞬間――。

 男の左右両方の首筋に生温かい『なにか』がのし掛かる。



「残念。私は、ここよ?」



 それは、少女の柔らかな太腿だいたいだった。

 刹那、首から鮮血が飛び散る――少女が男の首を喉元から左大動脈までを深く穿うがったからだ。

 それにより、男は苦しみだした。

 息もできずに呼吸困難となり、首元から血があふれ出ている。



「……グガァッ……ア"ガ……ア"ア"ァ"ァ"ガガガガ……」



 そうなれば、当然男はうめき声を上げるしかない。手にしていた戦槌を地面に落とし、両手で出血を止めようとしている。

 しかし、少女はその様を見ることなく、宙返りをしながら男の背後に着地した。

 途端にズシーンという鈍重な音が粉塵を巻き上げながら大地を揺らす。もがき苦しんでいるのか、男は未だにうめき声を上げている。

 だが、しばらくもするとその身体はピクリと動かなくなった。

 少女は、その死を確信したかのように振り返ることなく歩き出した。

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