最終話

 その間、わずか数秒にしか満たなかったかもしれない。時間が止まったかのように感じたのは、ヒカルもまた同じだった。

 撃ち抜かれた胸から血飛沫を上げ、糸の切れた人形のように崩れ落ちていく弟。ヒカルはその様子をコマ送りの映像のように見ていた。自分でも気がつかないうちに、悲鳴が口から漏れていた。


 シュウの胸の辺りから、水溜りのように徐々に広がっていく真っ赤な血。

 ピクピクと小刻みに痙攣を繰り返す細い体。

 そして、焦点の合っていない、生気を失いかけた虚ろな瞳……。

 ヒカルがシュウの元に辿り着いた頃には、すでに彼は地面に倒れ込んだ後だった。


「うあああああああああああああああああああああああッ!!」

 ヒカルの叫び声が、工場の中に轟いた。佐織はようやくシュウの手を振り払い、再び銃口をヒカルに向けた。

「ああああああッ!!」

「っ……!!」

 ヒカルはだが、銃口に臆することなく突っ込んできた。佐織は右手を思いっきりつま先で蹴られ、痛そうに顔を歪めた。サイレンサー付きの銃が、佐織の手から離れ宙を舞う。シュウの妨害で『一手』遅れた佐織の攻撃は、今度こそヒカルの蹴り上げた足によって退けられた。そのままの勢いでヒカルが佐織にタックルを仕掛けると、二人は転がるように床の上に倒れ込んだ。


「はぁーッ……はぁーッ……!!」

「くっ……離せ!」

 暗がりの中で、小柄な少女が呻き声を上げた。ヒカルは大きく息を荒げながら、起き上がろうとする佐織の両手首をしっかりと押さえつけ、全体重を乗せて彼女の上に馬乗りになった。


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!!」

「離せ……離して!」

「はぁ、はぁ……ッ!」

「離して、……!!」

「……ッ!」

 闇雲に手足をバタつかせていた佐織だったが、やがて目にうっすらと涙を浮かべ、ヒカルにそっと呼びかけた。


「お願い、……分かるだろ? 俺だよ。!」

「………!」

「助けてくれよ……。ヒカル姉さん」

 佐織がじっとヒカルを見つめた。ヒカルは力強く唇を噛んだ。顔形こそ違えど、その口調、その喋り方、何よりヒカルを見つめるその瞳は……かつて弟が姉に向けていた瞳そのものだった。

「なぁ……姉さん」

「……!!」


 佐織が首を曲げ、横で血を流していたシュウに目を向けた。それからまた潤んだ瞳で、ヒカルに視線を戻した。

「姉さん。今なら、だって助けられる。俺を見逃して、急いで救急車で運べば……彼だってまだ間に合うかもしれない」

「…………」

「姉さん……。姉さんは俺を……を……愛してるだろ?」

「……ああ」


 ヒカルが痣だらけの顔でゆっくりと頷いた。ヒカルは佐織を抑えたまま、ちらりとシュウを見た。倒れたシュウの吐く息はだんだんと周期が短くなり、体の痙攣も少しづつ小さくなっているように見えた。そしてそれとは正反対に大きく広がって行く血でできた水溜まりが、とうとう二人の元まで辿り着いてヒカルと佐織の手を赤く濡らした。ヒカルが佐織の頬に、ぽとりと一滴汗を零した。


「だからこそ……、お前を絶対離しゃしねえよ……!!」

「……!!」

 佐織の目が地面に転がったサイレンサーの方に泳ぐのを、ヒカルは見逃さなかった。佐織の顔が微かに歪み、その左目が小さく見開かれた。

 

 土砂を免れた機動隊が、工場に突入してきたのがそれから数分後。

 やって来た機動隊はものの数分で池谷佐織と比良古賀肝太の身柄を確保し、パトカーへと連行した。


 シュウが待機していた救急車に乗せられ、病院へと搬送されたのは、それからさらに数十分後のことだった。


□□□


「ヒカルさん!」


 北条病院のベッドで横になっていたヒカルの元に、タカトラが走って駆けつけて来た。全身包帯まみれになったヒカルは、意識が戻っていないのか、目を閉じたままじっと動かなかった。包帯の端からは隠しきれない痣が見え隠れし、彼女の細い腕には、点滴の管が何本も繋がれていた。「……ッ!」

 タカトラはヒカルの痛々しい姿を一目見て、持っていた荷物をドサリと床に落とした。電気の消えた薄暗がりの病室を、しばらく重たい沈黙が包んだ。


「ヒカルさん……」

 眠ったままのヒカルをじっと見つめていたタカトラだったが、やがてやつれた表情でベッドの脇に腰掛け、がっくりと肩を落とし項垂れた。

「ヒカルさん……シュウくんは今、手術中だそうです」

「…………」

「……シュウくんも、まだ意識は戻っていないそうで」

「…………」

「肺を撃ち抜かれているから……万が一助かったとしても、彼に臓器以前の記憶があるかどうかは……」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ヒカルさん」

 タカトラがゆっくりと顔を上げた。ヒカルは表情一つ変えず、ベッドの上に横たわったままだった。入り口から吹き込んで来た風で、窓際の薄い水色のカーテンが微かに揺れた。


「……あなたは本当は、『心臓の記憶』なんて宿って無かったのでは?」

「…………」

「これは僕の憶測ですが……シュウくんの……肺の記憶が交通事故の少年に宿った時、あなたはその記憶が再び失われることを恐れた」

「…………」

「肺に宿ったシュウくんの人格は誠実で……彼の最後の【良心】を凝縮したようなものだったのかも知れません」

「…………」

「彼は生前、ヒカルさん、あなたを刺したことをきっと後悔していたんだ。シュウくんに少しでも自らの罪を後悔する心があったからこそ……肺の記憶は自らの【殺人人格】を止めるために、この世に蘇った」

「…………」

「だからあなたは、彼が……わざと過激な振る舞いをして」

「高虎」

「!」


 タカトラが驚いて目を見開いた。いつの間にか意識を取り戻していたヒカルが、うっすらと目を開けて白い天井を見上げていた。


「……シュウが助かったとして、たとえ目を覚ました時に何者になっていようとも」

「……!」

「…………」

「…………」

「……私はそれを受け入れるつもり。だってシュウも、私にそうしてくれたんだから」

「は……はい」

 ヒカルの透き通った目にじっと見つめられ、タカトラは固まったまま小さく頷いた。


「……よし、行くぞ!」

「何ですって?」

 突然大きな声を上げ、ガバッと身を起こしたヒカルを、タカトラは目を皿のように丸くした。

「ど、どこに行くつもりなんですか!? そんな体で……」

 慌てふためくタカトラに、ヒカルがにぃっと唇を吊り上げて言った。

「どこって、現場だよ、現場。またどこかで殺人事件が起こってるかも知れないじゃねえか」

「何もそんな急に……シュウ君がまだ、手術中なんですよ!? せめてもうちょっとゆっくり……」「うるせぇ。私は医者じゃない、探偵だ。手術で私に出来ることなんて、何にも無ぇよ」

 点滴の管をブチブチと引きちぎり、包帯の上からコートを羽織り出したヒカルを、タカトラは唖然とした表情で眺めた。


「……それに、万が一アイツが目を覚ましたら、まーた余計なお節介入れて邪魔して来るかも知れないしな」

「で、でも……」

 半ば呆れた様子で立ち尽くすタカトラの胸を、ヒカルは握りこぶしを作ってドン! と叩いた。「今のうちに、ヤレる奴ヤッとかないと」

「ちょっと!? ヒカルさん!?」

 タカトラの制止を振り切って、ヒカルは病室の外へと駆け出した。タカトラは病室の入り口に手をかけて、彼女の背中に向けて叫んだ。


「何をするつもりなんですか!?」

「決まってんだろ! !!」

 あっという間に廊下の先にまで辿り着いたぶっ殺す探偵が、一度だけタカトラの方を振り返りニッと笑った。それから彼女の背中は階段の向こうへと消えて行った。

「マズイぞ……止めなきゃ!」

 タカトラは一瞬躊躇ったのち、急いで殺人鬼探偵の後を追って走り出すのだった。



《終わり》

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ぶっ殺す探偵 てこ/ひかり @light317

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