音楽の力

鏡水 敬尋

音楽の力

「課長。大山先生が見えてます」

 杉下課長は、職員に言われ、応えた。

「またか。あの爺さん、3日に1回は文句を言いに来るじゃないか」

 職員は、自分にそう言われても困る、と言わんばかりに肩をすくめた。

「お通ししてよろしいですね」

「ああ、通してくれ」

 そう言うと、杉下は、応接カウンターの椅子に座り、嘆息した。

 間もなく、ドアの向こうから大山が現れた。80代半ばながら、矍鑠(かくしゃく)としており、しっかりとした足取りで、その小柄な身体を応接カウンターまで運んできた、彼の目はつり上がっていた。杉下は、その顔を見るなり、今日もろくな用事では無さそうだ、と心の中で呟いた。

「一体、どういうことだ!」

 いつものことだ、と杉下は思った。何の用件かを説明する前に、怒声を飛ばす。話し合いに来たのか、脅しに来たのか。まったく、老人というのは、まともに話し合いをする能力を失ってしまうものなのか。

 杉下は、努めて冷静に、微笑を浮かべながら、言った。

「本日は、どうなさいましたか?」

 大山は、拳でカウンターを、どん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。

「どうもこうもない! 先日、うちの家内が、買い物に行く途中に、わしの曲を口ずさんだら、おたくら NISRAC の係員から、楽曲使用料の請求をされたんだ!」

「それが何か?」

「道端で口ずさんだだけだ! なんで使用料を払わなきゃならんのだ!」

 やれやれ。この老人は、今になっても、新しい時代に順応できないらしい。杉下は、わざと丁寧な口調で説明した。

「良いですか、先生。音楽を口ずさんだら、気分が良くなるでしょう? であれば、その対価を支払うのは当然のことだと思いますが」

「わしの曲だぞ! それに口ずさんだのは、家内だ!」

「しかし、先生の曲は全て、私達 NISRAC の管理下にあります。例え、先生ご本人が歌った場合でも、使用料は徴収いたします」

「お前らの頭は、イカれている!」

「我々は、音楽を保護しているだけでございます」

 まだ言い足りなそうにしながらも、大山は帰っていった。

「課長。お疲れ様でした」

 職員から、労いの言葉をかけられ、杉下は振り返った。

「ああ。あの世代の老人は、勘違いも甚だしくて困る。無料で、音楽を口ずさもうなんて。皺が増えた分、面の皮がたるんで厚くなってるのかね」

「まったくです。音楽の価値を、低く見過ぎですよね」

 杉下は、腕時計を一瞥した。

「15時か。会議の時間だ」


 会議室には、既に各課の課長が首を揃えていた。

「すみません。クレーマーの対応で、少し遅れました」

CSカスタマーサポート課は大変ですな」

 サイバー課長が声をかけてきた。

「いえいえ。これも音楽のためですから」

 会議が始まると、各課の課長が順繰りに進捗の報告を行った。

「監聴課では、超高性能マイクを、舗装路のみでなく、獣道や野原、渓谷部にも設置していきます。これらの作業は、現状、63パーセントの進捗率です。予定通り、今年中には100パーセントを達成できる見込みです。これにより、都市部の監聴を逃れて、自然の中で無断歌唱をしようという犯罪者集団に、壊滅的な打撃を与えられるものと思われます」

「すばらしい」

 誰からともなく、賛嘆の声があがった。

「サイバー課では、新しいソフトを開発しました。このソフトを一度起動すれば、各家庭のパソコンがマイク代わりとなり、屋内での無料歌唱を検知することができます。従来、困難とされていた、一般家庭内での無断歌唱の摘発に、絶大な効果をあげるものと思われます。AI が搭載されており、無断歌唱を検知すると、自動で該当のパソコンからアラーム音を発し、モニターに使用料の督促メッセージを表示できます。数日中には、実行に移す予定です」

「そこまでやると、プライバシーの保護がどうとかいう連中が、うるさくないですか?」

 杉下が懸念の声をあげた。サイバー課長が応える。

「個人のプライバシーなどというものを盾に、音楽の権利が蹂躙されるほうが問題です。文句を付けてくる輩が居たら、強行課と連携して、口を利けなくしてやりますよ」

「すばらしい」

 再び、誰からともなく、賛嘆の声があがった。

「強行課では、音楽使用料の支払いを拒否した72名中、71名からの徴収が完了しております。たった1名、24歳の男性が頑として支払いを拒否しており、先ほど徴収室に連行し、片方の鼓膜を破ったところです。もう片方の鼓膜も破ると脅せば、支払うのは時間の問題かと思われます」

「すばらしい」

 三度、誰からともなく、賛嘆の声があがった。

「CS課は、電話でのクレーム対応が600件余り有りましたが、大きな問題にはなっておりません。あ、先ほど、大山先生が、直接対面で抗議にいらっしゃいましたが」

 監聴課が聞いた。

「大山先生はなんと?」

「奥様が、道端でつい、先生の歌を口ずさんだところ、使用料の請求が来た、と」

「当然のことじゃないか」

「はい。そうなのです。大山先生は、半年前に施行された、音楽保護法に、まだ順応できていないようで」

 音楽保護法。それは、音楽の権利を徹底的に守る法律であり、いかなる場合においても、無料で音楽を楽しむ、または使用することを禁止するものである。これにより、クラシックも含めて、日本で耳にすることができる全ての音楽は、保護の対象となった。この法律の施行は、NISRAC の永年の悲願であった。

 その法律名を聞いた途端、会議室はざわめきだし、各課長は思い思いに喋り始めた。

「音楽保護法が施行される前は、町中に音楽が溢れ、道行く人は気軽に歌を歌っていた。あれは暗黒時代だ」

「喫茶店に入ると、マスターがお気に入りの CD を流し、勝手に店の BGM にしていたこともある。考えただけで血尿が出そうだ」

「音楽家が命をかけて作った作品を、金も才能も無い凡人どもが、気軽に口ずさむこと自体、許されることじゃないんだ。まったく、音楽をなんだと思っているのか」


 1週間後。

「課長。大山先生が、また、お見えです」

「1週間ぶりだと、久しぶりに感じてしまうな」

 本気だか冗談だか分からない、軽口を叩きながら、杉下は、応接カウンターに腰掛けた。

 間もなく、ドアが開いて、大山が怒鳴り込んできた。

「一体、どういうことだ!」

 また、これだ。杉下はうんざりした。開口一番に、このセリフを吐くことで、望む返答を得られると本気で思っているのなら、救いようの無いバカだ。そう思いながら、杉下は、笑顔で応えた。

「本日は、どうなさいましたか?」

 大山は、両の拳でカウンターを、どんどん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。

「家のパソコンに、突然、使用料を払えというメッセージが表示されたんだ! どうなっているんだ!」

「それは、大山先生が、ご自宅で、何かを口ずさんだか、演奏なさったからではないですか? 音楽を使用したのであれば、使用料を支払うのは当然のことでしょう」

「貴様らは、家の中まで盗聴しているのか!」

「盗聴だなどと、人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。我々は、音楽を無断で使用しようとする犯罪と戦っているだけです」

「わしが、わしの作った歌を口ずさむのが犯罪か!」

「無断であるなら、そうなりますね」

「貴様、本気でそう思っているのか」

「先生。何か、勘違いされてるんじゃありませんか? 音楽というのはね、生み出された瞬間に、一つの作品として命を持つのですよ。曲は決して、作曲家のものではないです。子どもが、親のものではないのと同じことです。自分の曲だから、自分の好きにして良いという考えは、親が、自分の子どもの人生を好きにして良いというのと同じです。随分、傲慢だとは思いませんか?」

「本当に、それが正しいと思っているのか」

「我々は何も間違っておりません。先生こそ、お考えを改めるべきだと思いますが」

「これが最後通告だぞ」

「我々に、何もやましいところはございません」

 大山は、しばらく無言で杉下を睨みつけてから、帰っていった。

 それから1時間ほど経った頃、杉下のところに、職員が血相を変えて飛び込んできた。

「大変です!」

「どうした」

「音楽家達が、うちのビルの前に、集団で押し寄せてます! 我が社に対する抗議デモのようです!」

「なんだと」

 杉下が、2階の窓から、外の様子を見てみたところ、千人は居ようかという人だかりが、ビルを取り囲んでいるようだった。所々に、横断幕が掲げられており「音楽を解放せよ!」「音楽に自由を!」などの文言が踊っている。

 杉下の後ろで、動揺の色を隠さずに、職員が言った。

「どうやら、先日実行した、サイバー課のソフトが引き金になったようです。個人のPCを介して、監聴が家庭内にまで及んだことが、過激派の逆鱗に触れたようです」

「ちっ。自由の意味をはき違えた狂人どもが」

 杉下は、デモ隊が中に入り込まないよう、即座にビルの出入り口を封鎖するよう指示をだした後、各課長と連絡を取り、対応策を検討した。


 ビルの外では、過激派の音楽家達が、今にも音楽を奏でそうな雰囲気を漂わせていた。ある者は、左肩にヴァイオリンを肩に乗せ、鬼の形相を浮かべながら、右手で弓を掲げている。ある者はスネアドラムを肩から提げ、修羅の如くスティックを握っている。ある者は、タキシードに身を包み、悪魔も真っ青の指揮棒さばきで、空気を切り裂いている。ある者は、オルガンの前に座り、その背中に背負った荘厳なパイプからは、機関車と見紛うばかりの蒸気が吹き出している。ある者は、己の前で手を組み、ブラックホールのような口を開けて、腹式呼吸をしている。まさに一触即発の状況である。

 非常口のドアが開き、ビルの中から、強行課の職員2人が現れた。直後、ドアは素早く閉められ、中から施錠された。

 強行課職員は、デモ隊に近づき、大声で呼びかけた。

「貴様らの要求はなんだ!」

 デモ隊のオペラ歌手達が、Cメジャーの見事なハーモニーで応えた。

「音楽に自由をー」

 これが引き金となった。

 タキシード姿の男性が1人、デモ隊の前に躍り出た。彼は、デモ隊に向き直り、指揮棒を掲げ、そして振り下ろした。それと同時に、パイプオルガンが鳴り出し、その後に大合唱が始まる。様々な楽器も伴奏に加わり、巨大な恐竜のような音楽が奏でられた。マーラーの交響曲第8番、別名、千人の交響曲である。

 強行課職員は、すぐさま、無線にて権利課に確認を取る。

「デモ隊が、ビルの前で、マーラーの交響曲8番を演奏している。音楽使用の申請及び、使用料の払い込みはあるか?」

「申請、有りません。無断演奏です! 直ちに、演奏をやめさせるか、使用料の徴収を行ってください」

「了解」

 強行課職員は、デモ隊に向かって叫んだ。

「貴様らは、音楽の無断演奏をしている! ただちに演奏を中止せよ!」

 しかし、相手は、文字通り千人が交響する化物である。当然、声など届かない。

 かくなる上は、と強行課職員の1人が、指揮者を殴り倒した。指揮者さえ居なくなれば、演奏はすぐに止まるだろうと踏んだのである。しかし、すぐさま、別の指揮者がどこからともなくまろび出て、指揮を続行されてしまう。

 止まることの無い無断演奏に、強行課職員の中枢神経系は蝕まれ、意識は混濁し、十分ほどが経過したところで、彼らは口から泡を吹き、悶死した。

 ことの成り行きを見守っていたビル内は、騒然となった。

「あいつら、殺りやがった!」

「殺したぞ!」

「やっぱりあいつらは狂人だ!」

「あの職員の魂は、永久(とこしえ)の音楽の園で眠ることだろう」

 誰かが叫んだ。

「目には目を!」

 その声が合図となり、各課の職員が、持ち場へと走った。

 数分後、ビルの外壁から、巨大なスピーカーが現れたかと思うと、突如、デモ隊の一角の人間が、顔中の穴という穴から血を吹き出して倒れた。高出力の音波で、対象にダメージを与える、音響兵器による攻撃である。

 演奏は、一瞬、中断されたものの、すぐに再開した。

 ビル外壁のスピーカーは、その角度をわずかに変え、次の攻撃に備えている。

「第二波、発射!」

 ビル内で、兵器課の課長が叫んだ。スピーカーから、殺人音波が発射される。攻撃範囲内に居る過激派どもが、血を吹いて倒れる……はずだった。

「発射を確認! しかし、対象にダメージ無し!」

「馬鹿な! どうなっている」

 デモ隊達の演奏能力は凄まじく、音響兵器から繰り出される音の、逆位相の音を出すことで、殺人音波を相殺してしまったのだ。達人技による、手動のノイズキャンセリングである。

 この、音響兵器による攻撃と、逆位相の反撃の応酬は、2時間にも及んだ。既にマーラーの交響曲8番は終わり、今や、演奏は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」へと移っていた。

 突如、音響兵器による攻撃が止んだかと思うと、ビルの非常口が開き、中から人影が現れた。大山だ。大山は、杉下にクレームを入れた後、帰ったふりをして、ビル内に潜んでいたのである。

 大山が手招きをすると、デモ隊は、指揮者を先頭にして、怒涛の勢いでビル内に雪崩込んだ。ビル内では、大音量で奏でられる、無断演奏の「革命」が、NISRAC 職員の中枢神経系を次々と破壊していった。

 演奏が終盤に差し掛かった頃、デモ隊は、全フロアを掌握していた。

 大山は、2階の片隅で、血を吐き、血涙を流す杉下を見つけて、言った。

「これが、音楽の力だよ」

 杉下は、何かを言おうとしたが、喉に溜まった血に阻まれて、遂に、意味を成す言葉を発することはできなかった。

 間もなく、終演を迎え、戦いも終焉を迎えた。

 指揮者が、天高く掲げた両手を下ろすと、デモ隊は拍手喝采を飛ばし、互いに抱き合い、称え合い、歓喜を噛み締めた。

 指揮者が大山に言った。

「大山先生のおかげです。どのように、あの音響兵器を止めたのですか?」

「作曲家の武器を使わせてもらいました」

「と、言いますと?」

 大山は、おもむろに懐から、ある物を取り出した。それは、血にまみれた写譜ペンであった。音響兵器操作室には、首に穴の空いた職員の屍体が転がっていた。

「やはり、作曲家は偉大ですな」

「いえいえ、演奏家の皆さんも、大活躍だったじゃないですか」

 かくして、NISRAC クラシック支部は壊滅し、小さな革命は成った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

音楽の力 鏡水 敬尋 @Yukihiro_K

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ